35 メルエス侵攻
アルバトロスがメルエスへ侵攻した。その一大事とも言える報は、重要度とは裏腹にハルス本国へ届けられることは無かった。
中央山脈と無明内海によって東西に分割されたラーガンデ大陸。侵入不可能な無明内海を除けば、行き来できる箇所は限られる。アルバトロスはそこにも部隊を展開し、徹底した斥候つぶしを行ったのだ。その結果として、大陸東部の情報は西部に届けられることが殆ど無かった。
皮肉なことに、この情報の封鎖はカルロス達に味方した。もしもこの段階でアルバトロスが東征を再開したという情報がハルスに入ったのなら、猶予の無さを深刻視した四王家によって選考会は途中で切り上げ――その場合はまず間違いなく量産性と、未完成さを鑑みてケルベインの採用が決定していただろう。だがそうはならなかったお蔭で、デュコトムスは命を繋いだと言えるだろう。
それはさて置き、この段階ではアルバトロスは計画通りに作戦を進めていたと言える。アルバトロスにとって一番避けたかった展開はメルエスとハルスの二正面作戦だ。一度はその状況を想定もし、敢えて持ち込もうとしていた時期もあったが、約一年前の帝都での損害がそれを避けさせた。物的被害は回復したが、人的被害についてはまだ途上だ。四年間の経験値を積んだ貴重な操縦兵を多く失い、今のアルバトロス帝国は数こそ在れど、かつて程の質は見込めていない。尤も、ハルスと比べれば操縦者の質はまだまだ優位性を保っている。
それ故に、レグルス・アルバトロスはメルエスも短期間で落とす事を望んでいた。ハルスの介入があるよりも早く、メルエスを落とす。
第一親衛隊、第二親衛隊と魔導機士大隊六個大隊を投入した過去最大の侵攻。魔導機士だけでも四百機近い。歩兵隊、後方支援部隊も含めれば総数は一万人近い。嘗てのログニス侵攻がその半分であった事を考えれば、ログニスの三分の一程度の国土であるメルエスへの警戒度合いが伺える。
その警戒も当然の事と言えた。メルエスに住まう長耳族。彼らは例外なく強力な魔法の使い手だ。一流ともなれば古式の機法に匹敵する程の魔法を扱える。また人間とは違い、体内に魔力を精製する器官を持っている。事実上エーテライト不足による魔力切れと言う物が無く、魔法の打ち合いともなればアルバトロス側の不利は必至だった。地の利があり、歩兵でもある彼らは逃げ隠れる事が容易い。どうしたって行動を秘匿できない魔導機士と比べれば互いが得られる情報には大きな差がある。神出鬼没な奇襲を行える魔導機士級の火力。相手にするとなれば悪夢でしかない。
その背後には現存する最後の龍族。龍皇イングヴァルドが控えているのだ。嘗て人間族が多大な犠牲を払い、滅ぼした種族。ただ一頭人間に味方した龍族の仔。人龍大戦時の龍族と比べれば若輩という事もあって能力的には劣っていると見られているが、それはあくまで龍族同士で比較した場合の話だ。眷属である魔獣の竜種でさえ手を焼くのだ。その上位ともなれば種としての性能は隔絶している。極論、どれだけ攻め上がったとしてもイングヴァルドが前に出れば一頭に押し戻される。その可能性があるのだ。
そうした事情からメルエスはオルクスとは違った一種聖域の様な扱いを受けていたのだ。それはこの国に眠るある遺物によって共存の神権、その残滓が残っているからかもしれなかった。
無謀にしか思えない侵攻。だというのにアルバトロス帝国軍の士気は高い。彼らは知っている。自分たちを率いるレグルス・アルバトロスが勝利を積み重ねてきた将である事を。常勝と言う訳では無い。約一年前の帝都での大損害を始めとして敗北も多く重ねている。だが、彼から動いての敗北が無い事もまた事実。大陸統一と言う偉業に乗り出した次代の君主。アルバトロスの人間はそれを歓迎していた。東へ、東へ。熱狂した国民はそう叫んで遠征軍を見送った。
「皇子も相変わらず無茶をする」
「言うな、ヤン。これが最後だ」
「むしろ最後じゃないと困るのう」
両親衛隊の将であるヘズンとヤンがそれぞれの愛機の中でそう会話する。
「イングヴァルドは若龍とは言え龍族だ。確かに我らの機体は龍族と戦ってきた物ではあるが……」
「数が少なすぎるからの。某が幾ら十機分の働きをするとは言っても分が悪い」
「何よりそのやり方では損害が大きすぎる。古書によれば一頭の龍族を仕留めるために古式が百機程投入されて帰還した機体はその三割程度だという話だ」
「まあその資料の信憑性も怪しいがの……だがまあ尋常の相手でない事は確かだ」
やり合いたいの……と呟いた同輩の言葉をヘズンは聞かない事にした。良くも悪くも、ヤンは求道者だ。一番興味があるのが己が強くなる事。次が強い相手と戦う事。三番目にレグルスの戦いの結末を見る事。そうして並べると到底忠誠を誓っている様には思えないのだが、当人曰く最上級の忠義を捧げているらしい。なら第一にレグルスの事を考えろと言った事はあるのだが「そこは性分だ。許せ」と言われてしまった。何よりレグルスがそれを認めているのでヘズンはそれ以上は言えない。
「だからと言って、イングヴァルドを誘き出してグラン・ラジアスで仕留めるというのはの」
「主殿はやると言ったらやる方だ。我らに出来る事はその際にフォローに努める事だろう」
「分かっておるよ。それに某も皇子にはカグヤが付いているから心配はしておらん。あの娘なら命に代えてでも皇子を守るだろうよ」
「だろうな」
人生の半分以上の付き合いになる相手の事を考えてヘズンは小さく溜息を吐く。例え相手が龍族であろうと。カグヤが居ればレグルスを守るという事は分かっている。それが嫌なのだ。こんな道半ばで残り少なくなった同志を失いたくないのだ。
「あの日……」
「うん?」
「レグルスが理想を語って、皆でそれを誓い合ったあの日から、随分と減った」
「そうさな……今でもレグルスが熱っぽく平和な世界を語っておったのを思い出せる」
「皆、その理想に殉じて死んだ。これ以上は減らしたくない物だな」
「同感じゃな」
そう言って男二人、顔は見えずとも笑みを交わす。互いの意思を確認し合った所で、今回の遠征の総大将であるヘズンが小さく咳払いした。
「第一特殊大隊。前進」
その言葉と同時。無言のまま四十八機のアイゼントルーパーが整然と立ち上がった。




