26 無二の大罪
先に動いたのはカルロスだった。ワイヤーテイルを使用した縦の動き。相手の間合いの外で視界から消えて上から攻撃する。
だが先手を取ったのはレグルスの側。その不条理にカルロスは跳躍するタイミングを逃して踏鞴を踏んだ。既にエフェメロプテラはグラン・ラジアスの間合いに入っている。
大剣が振り下ろされた。何の機法も施されていない。ただの一閃。だが早い。エフェメロプテラよりも遥かに早い動きの正体は何の事はない。ただの機体性能の差と言う残酷な現実。まるで細枝の様に自在に振るわれる大剣が致命傷を負わせてくるなど悪い冗談にしか思えない。
小型の台風の様な斬撃の塊。それを避けるべくカルロスは必死で機体を左右に揺らす。止まっていたら確実にやられる。その直感がエフェメロプテラを小刻みに動かし、一瞬たりとも動きが途切れさせない様にしていた。
「ぐっ……」
背後からの呻き声にカルロスははっとした。今の動きならばカルロスにとってもやや辛いが耐えられない程ではない。だが後ろに乗っているクレアはどうか。根本的に魔導機士に乗る訓練をしていない彼女にとってその動きは肉体に相応の苦痛を与えていた。
クレアを気遣って、機体の動きが緩む――が、それはレグルスからしてみれば隙でしかない。
「どうした、動きが鈍ったぞ!」
大剣がエフェメロプテラの左肩を捉えた。頑強な肩装甲があっさりと切り裂かれて地面へと落ちていく。関節部への損傷は無かったが、機体を衝撃が揺らす。
「くそっ……!」
「カルロス、私の事は気にしなくていい!」
そう言われてもカルロスは頷けない。エフェメロプテラの全力運動は生身の人間に耐えられる物では無い。クレアがそこまで悟ったのか分からないが、だったらと言葉を続けた。
「足手まといになるくらいなら降ろして!」
「出来るか馬鹿!」
今この場で降ろすという行為が途轍もない隙である事はもちろんだ。だがそれを抜きにしてもここで降ろしては戦闘に巻き込まれる可能性が高い。何とか退避しても再度アルバトロス帝国に確保されてしまうのは確実だろう。ここまで来てそんな結末を了承する訳には行かない。
「でもこのままじゃ共倒れになる!」
その指摘は正しかった。両方を取ろうとして挙句に取りこぼすかもしれない。それでも。
「ここでクレアを見捨てたら、意味が無い!」
全て拾うと決断したのだ。その最終目的を捨て去ってまで長らえるつもりはなかった。
「やはり機体の基本性能は新式の枠からは逸脱して居ていない様だな。魔導炉が特別性か? 多少出力は増している様だがそれだけか」
大剣を肩に担がせて。レグルスは今の攻防からエフェメロプテラの性能をそう評した。敵ながら中々の観察眼だとカルロスは認めざるを得ない。魔導機士への知識が深い為政者が上に立っているというのは技術者にとってはやりにくさとやりやすさの双方があるだろうとカルロスは思う。ほんの少しだけ、この国が羨ましい。
自分たちが襲われたのがレグルスの差し金だというのは分かっている。それはそれだけ自分たちの新式魔導機士の技術に重要性を見出したという事だ。ログニスが悪いとは言わないが、より重要性を認識していればもっと他の結末があったのではないかと。そう思わずにはいられない。
「なるほど。未だ侵食が初期段階か」
その言葉にカルロスはびくりと肩を震わせた。その反応を知った訳ではないだろうが、レグルスはしたり顔で続けた。どこか残念そうな響きが含まれている。
「大罪を受け入れて日が浅いか? それとも、変わる事を恐れて拒絶しているか……その程度では余が求める能力には達していまい」
その言葉に反応したのはクレアだった。眼を見開いて、「大罪機」と小さく呟いた。
「大罪を受け入れた者として、先達からのアドバイスだ。気にするな。どうせそんな物はあの邪神が我々の心理の中から尤もらしく理由を付けてこじつけで与えた権能に過ぎない。一々気にしていたら潰される」
「お前……?」
その言葉は、カルロスにとっても意外な程気遣いがあった。仇敵からかけられた気遣いが予想外過ぎて疑念しか浮かんでこない。何故そんな事を言うのか。
「さて採点の続きと行こうか」
レグルスの発言にカルロスは四年前を思い出す。ヘズンもそんな事を言って試作一号機の性能を見極めようとしていた。
その考え方は主従関係によって移ったのか。
だがそれによってカルロスの中にも戦意がみなぎってきた。あの時と同じとは思うなと言う反発心。ここで自分が敗れれば、それは即ち下してきた義兄にも土を付ける事になる。
「……クレア。この機体に活法の魔法道具は無い。エフェメロプテラの魔力を使って良いから自分に掛け続けていてくれ」
クレアの活法は然程高い位階の物では無い。位階の3では全力で身体機能の維持に努めても辛い時間になるだろう。
彼女自身もそれは承知だった。それでも躊躇いも無く頷く。
「分かった。私の事は本当に気にしないで良いから」
そう言ってクレアは自分の手元からエフェメロプテラの魔力を僅かに持ってくる。人一人の魔法など中型魔導炉の魔力量からすれば些細な物だった。しっかりと歯を食いしばって、今度は声一つ出さない様に身構える。自分がカルロスの足を引っ張っている。それはクレアにとっては屈辱的とさえ言える事実だった。彼と並び立ちたいと思っていたのがこれでは自分を絞殺したくなるほどだ。
せめてこれ以上は負担にならないとクレアは決意を固める。
「舌噛まない様に気を付けてろよ!」
エフェメロプテラが疾駆する。身を低くしての突進。当然レグルスはそこに攻撃を合わせた。下段から振るわれるグラン・ラジアスの大剣。その切っ先に合わせてエフェメロプテラは跳躍する。刃をエフェメロプテラが踏み台にした。
愚かな、とレグルスはいくらかの失望と共に大剣を振るった。既に一度この大剣の威力は見ているはずだった。碌な装甲の施されていない足裏など肩装甲よりも容易く断ち切る。――はずだった。
「何?」
奇妙な手応えにレグルスは困惑する。鉄を断つ感覚では無い。この感触は岩。まるで下駄を履く様にエフェメロプテラの足裏には厚い岩が張り付いていた。どこから、と言う疑念。言うまでも無く地竜の能力を継承した結果得た土の操作能力で生み出した物体だ。それを仮初の盾として、エフェメロプテラは自身が切り裂かれるまでの時間を稼ぎ、もう一段階跳躍した。
「貰ったぞ!」
「させんよ!」
頭上からの攻撃。それは長い戦歴を持つレグルスにとっても余り経験のしたことが無い物だった。
自由落下だけでは良しとせず、ワイヤーテイルで地面へと自機を引き寄せるエフェメロプテラはグラン・ラジアスの頭部を破壊すべく鉤爪を振るう。高圧で噴き出た水と右腕から生み出された土。重機動魔導城塞に見せた最大の貫通力を持つ魔法。それが先行する。
だがレグルスはその一撃目を防いだ。振るわれた大剣が魔法に触れた瞬間、形を成していた魔力が霧散する。漆黒に飲み込まれた攻撃にカルロスは瞠目するが、まだ二の矢がある。エフェメロプテラ自身による直接攻撃。大剣を振るった直後のグラン・ラジアスでは対処できないはずだった。
その対処不能のはずだった攻撃。レグルスは迷うことなく大剣を手放した。そのままカルロスが見ている目の前でグラン・ラジアスの上体が倒れて行く。それと連動して下半身、脚部が大きく振り上げられ――。
衝撃。エフェメロプテラの正面装甲が大きく歪む。殆ど一回転する様なグラン・ラジアスの蹴りは回避と攻撃を同時に成し遂げて見せた。
一度地面を転がってエフェメロプテラが立ち上がる。今の落下で幾つかの装甲が脱落していた。
今の様な動きを魔導機士にさせる。それはカルロスには容易い事だ。他に出来るのは同じように機体への侵食制御を行っているアリッサくらいな物だと思っていた。そんなカルロスの思考を見透かしたのかレグルスは言う。
「舐めるなよ? これでも戦場に立ってから十八年だ」




