わたしの願いと希求の塔
流血描写がございます
苦手な方はご注意下さい
願いごとを叶えたいとき、あなたはなにをするだろうか。
ひたすら努力?神頼み?お金で解決?
努力であるいはお金で、解決出来る願いなら、きっとそれで良い。努力だけで叶わなそうなら、神頼みしてみるかもしれない。
じゃあ、なにをしても叶いそうもない願いだったら?
それでも努力する?それとも、諦める?
努力すればなんだって出来ると思う?それとも、そんなのは嘘っぱちだと思う?
わたしが生きるのは、努力すれば願いの叶う世界だった。
なぜなら、希求の塔があるからだ。
希求の塔の最上階に辿り着いたものは、なんでもひとつ好きな願いを叶えて貰える。
それがこの世界では、子供でも知っている常識だった。
とは言え、なんでも願いの叶う塔に、そう簡単に辿り着けるかと言えば、そんなことはないわけで。
「お前、馬鹿なことはやめろよ」
希求の塔を目指すと言ったわたしを、幼馴染みは止めた。
「希求の塔を目指して、何人が帰って来なかった?何人が、希求の塔に行って行方知れずになったよ。願いを叶えて戻って来れたのなんて、一握りじゃないか。一流の商人が一流の護衛を付けて、ようやく行って帰って来れたような場所だぞ?お前になんか、無理だ」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃない」
わたしは幼馴染みを振り切って、故郷を旅立った。
「お嬢ちゃん、悪いことは言わない。お家へ帰んな」
同行を頼んだ商隊の頭は、厳しい顔で首を振った。
「希求の塔なんて幻みたいなもんだ。何年もかけて、ようやく辿り着けるような場所だよ。華の盛りを、そんな馬鹿なことに費やすのはおやめ」
「わたしは、馬鹿なことなんて思いません」
引き下がらないわたしに、頭は渋々と同行を認めた。
「可愛らしいお嬢さん、危険なことはおよしなさい」
旅の途中で出会った年若い富豪は、わたしの手を取って言った。
「金も銀も宝石も、欲しいものは私がなんでもあげよう。だからお嬢さん、旅などやめて私の隣に落ち着きなさい」
「わたしの欲しいものは、あなたの隣では手に入りません」
わたしは富豪の手を抜け出し、彼の許から去った。
「いやいや、無理だって」
共に行かせて欲しいと頼んだ、冒険者は笑った。
「あんたみたいな女が、行ける場所じゃないよ。何人も挑戦して、失敗してるんだ。死人だって出てる。軽い気持ちで、行ける場所じゃない」
「死ぬのは覚悟の上よ」
きっぱりと言ったわたしの目を見つめて、冒険者はため息を吐いた。
「なにを願いたいんだか知らないけど、無謀だと思うなぁ」
「なにがあったって文句は言わないわ。きちんと役立つから、連れて行って」
押し問答の末に、彼は同行を受け入れた。
そうして希求の塔の前に立ったときには、故郷を旅立ってすでに七年が経過していた。それでも、悔いはない。なんとしても、願いを叶えたいのだ。
「本当に行くのかい」
「ここまで来て、引き下がるわけないじゃない」
旅の間にずいぶんと打ち解けた冒険者は、ため息を吐いて首を振った。
「なにがそこまできみをかき立てるのかねぇ」
「あなただって、目指す場所は同じじゃない」
「おれみたいな命知らずと、きみは違うと思うけどねぇ。故郷に親も恋人も、いたんじゃないのかい?」
「恋人なんていないわ」
戻る気のないわたしを見て、冒険者は行こうか、と呟いた。
希求の塔は、深い森の中にある。
一番近い街までも、馬を半月走らせてやっと辿り着くような場所だ。
森は深く、道は険しく、凶暴な獣も数多く住んでいた。
毒の湖や底無し沼、土砂崩れに悪天候、旅人の行く手を阻む危険も、たくさん存在した。
希求の塔に向かうときはたいてい、多くの人間で協力し合う。
わたしも、百人を越える人間と共に旅立った。
けれど希求の塔に着いたとき、その人数は半数に減っていた。
「ずいぶん減ったのね」
塔に入り、歩き始めてから呟いたわたしの言葉に冒険者が周囲を見回す。
「これくらいならまだマシな方だろう」
冒険者の彼は肩をすくめた。
「酷いときは誰ひとり希求の塔に入れない。百人挑んで半分も残れば、上出来さ」
「誰ひとり入れないなんて、誰が証明するのよ」
眉を寄せて見せると、彼は苦笑して言った。
「おれの師匠の友人の話さ。塔に着いたときには三人しかいなくて、諦めて戻って来たんだ。街に着けたのは、ひとりだけだったけどな。命からがら帰って来て、すっかり危険に嫌気がさしてしまったらしい。腕の良い護衛だったんだが、廃業して今は農夫だよ」
「そんなに、危険だったかしら…?」
「だから今回は運が良いのさ。危険な獣に、ほとんど遭わなかっただろう?」
そうなのだろうか。
危険も、苦労も、あったと思うけれど。
「…商隊にいたころは、獣なんてほとんど遭わなかったのに」
「そりゃ場所が、…いや、きみがいた商隊って」
「はじめは宝石商、次は塩と香辛料を扱う商人よ。鉱石の商人とは、海も越えたわ」
故郷近くの鉱山から、はるばる宝石を売りに行く商人に同行させて貰ったのだ。大陸を横断し、海を越えた。彼らの目的地はそこだったから、それからべつの商人を紹介して貰ったのだけれど。
「海」
「白砂の海よ」
「だよな…そこではさすがに、なんか遭っただろう?」
「いえ、とくに…ああ」
知らぬ間に注目を集めていて、とくに、と言った瞬間まさかと言う顔をした周囲のひとびとが、ああ、と言った瞬間に頷いて耳を澄ます。
ひとの不幸が聞きたいのだろうか。
「大きな鯨には会ったわ。ほら、噴く潮が宝石になる…あれ、当たると痛いのね」
「虹鯨?」
「そんな名前だったわね。船に向けて潮を噴かれて、商隊のみんなは喜んでいたけど、濡れるし痛いし、災難だったわ」
でもひとつぶ、おこぼれを貰った。首に掛けたその石を、取り出して見せる。
虹鯨の潮は、持っていると海の事故を防いでくれると言う。
「ほら、これ。海にはそんなに行かないから、宝の持ち腐れになるって伝えたんだけど」
「本物だ…じゃなくて、え?白砂の海を越えて、遭遇は鯨だけ?嵐とか、鮫とか、海蛇とかは?」
「追い風は強かったみたいだけれど、雨は少ししか降らなかったわね。水が足りなくなるほどの晴れ続きではなかったけれど、暑かったわ。鮫にも海蛇にも、遭わなかった。と言うか、けっこう長く、その、虹鯨が並走していて、何度も潮を噴くから、鮫どころか魚も海鳥も寄り付かなかったのよ。当然よね、痛いもの」
虹鯨の潮は珍しくて高く売れるらしいのだが、あの感じだとどうも珍しくは思えない。あいつときたら、わたしが甲板にいるときを狙ったかのように潮を噴くのだ。最初に遭遇したときに釣りをしていて、偶然リリースしようとしていた魚をやつにぶつけてしまったのを、根に持ったに違いない。
あのとき釣れた魚は大きくてグロテスクだったから、わたしとしても申し訳なく思ってちゃんと謝ったのに、狭量な鯨だ。でも、投げ捨てたところに飛び込んで来たのはやつの方なのだから、わたしはそこまで悪くないと思う。
「いや、何度もって…あ、や、次の商人のときは?」
「次は、港から香辛料と塩を運ぶ商人よ。白砂の港から、ずっと北上して、黄櫨の街まで」
「それじゃ、ずいぶん迂回したんだね」
「迂回?いいえ、黄櫨の街のお得意様から急かされていたらしくて、最低限の買い出し以外は脇目も振らずに真っ直ぐ北へ向かっていたわよ?」
わたしとしてはありがたかったけれど、護衛たちは嫌がっていたなと目を細める。
と言うか、よくもまあ、そんな急ぎの旅にわたしを同行させてくれたものだ。
なにやら宝石商の頭が、巧く口利きしてくれたようだったけれど。
きっともう会わないと思うが、宝石商の商隊のひとたちは、とても良いひとたちだった。最初は渋っていたけれど、だんだん優しくなって、最終的には、ずっとこの商隊にいないかとまで言ってくれた。
わたしはやりたいことがあったから、断ってしまったけれど。
「白砂から黄櫨まで真っ直ぐって、それじゃあ、惑わしの森を?」
「惑わしの森?」
「ああ、通ってないのか。そうだよな、鐵の森なんてわざわざ通るわけが、」
「ん?鐵の森なら通ったけど?」
聞き覚えのある名前を出されて首を傾げる。惑わしの森は知らないが、鐵の森なら突っ切った。
「え?」
「あの森、本当に黒いのね。昼間でも暗くて、びっくりしたわ」
「は?え?鐵の森を?突っ切った?」
「?なにかおかしいこと、言った?」
暗くて深かったが、それ以外は普通の森だった。入り組んではいるが整備された道がちゃんとあって、商隊の馬車でもすんなりと森を抜けることが出来た。
「あの道、もう少し整理すれば良いのにね。わたしたちは一度も迷わなかったから良いけれど、うっかりすると迷いそうだわ」
「迷わなかった?惑わしの森で?一度も?」
「惑わしの森じゃなくて、鐵の森よ。森の入り口近くで怪我をした女の子を見付けてね、行き先が同じで森に詳しいって言うから、手当てして馬車に乗せる代わりに、案内して貰ったのよ。獣にも遭わなかったし、怪我した子には悪いけれど、運が良かったわ」
ただの手当てなのにすごく喜んで、お守りをくれたのよね、と右手を上げて手首を見せる。綺麗な赤い木の実を編み込んだお守りは、彼女の手でくくり付けられて以来ずっと着けているのに綺麗なままだ。
「それ、妖魔のミサンガじゃ…」
「妖魔のミサンガ?へぇ、そんな名前だったの」
少しつり目で尖った耳をしていたけれど、とても可愛い子だった。別れ際、いつか必ずまた逢いましょうと、抱き締めてキスされたのが印象に残っている。
「森から街までの間にも、遭ったと言えば狼くらいで、それもひとに警戒して近づく前に逃げてくれたのよね。だから、二つ商隊にお世話になったけれど、大して危ない目には遭っていないのよ」
二つ目の商隊のときも最後、ずっとこの商隊にいないかと言われたけれど、黄櫨の街では街の富豪に目を付けられたので、ろくにお別れもせずに立ち去ってしまった。
「災難なら商隊に同行している間よりも、そのあとに起きたわ。黄櫨の街で若い富豪に捕まって、なんでも願いを叶えてあげるから妻になれって。お金でどうにかならない願いだから希求の塔を目指しているのに、良い迷惑だったわ。はっきり断ったのに、しつこいんだもの」
むっとするわたしに、冒険者の彼は問い掛ける。
「ん?商隊とは黄櫨の街で別れたの?でも、おれと組んだのは緑鎖の街だったよね?」
「そこまでは、ひとりで行ったのよ。その辺りは街も多いから、安全でしょう?」
「いやいや、女の子がひとりで旅出来るような場所じゃないよ」
「でも、とくに問題もなかったわよ?慣れてないし、徒歩のぶん時間は掛かったけど、これと言って困ったことはなかったもの」
ふたつの商隊の頭が、なぜかそれぞれ別れ際にけっこうな路銀を渡してくれたので、お金に困ることもなく、平穏な旅路だった。一度くらい絡まれるかと思ったがそう言うこともなかったし、さすがひとが多い街道か、故郷のように獣と出会うこともなかった。
「ちなみにどんな経路を使ったのか、訊いても良い?」
「真っ直ぐ北上」
「だと思った…!」
なんでそんな、頭が痛いとでも言いたげな反応をされないといけないのだろう。真っ直ぐ道はあるのだから、真っ直ぐ進むのが正解じゃないのか。
「言われてみればきみと組んでからこの大隊に混ざるまで、危険な目に遭うことがほとんどなかったよ。誰かしら幸運持ちがいるだろうと思ってはいたけど、きみか。きみか!」
「幸運持ち?」
首を傾げたわたしの肩を、同行する隊のひとりが抱く。
珍しい、流れの女性護衛だ。
「いるのよ。同行するだけで災難が逃げて行く、福の神みたいな人間がね。そう言う旅では死人も少なくなるし、降って湧いたような幸福にぶち当たったりするのよ」
「へぇ」
「なによ、反応悪いわね。あなたのことなんだから、もっと誇れば良いのに。あなたきっと、塔の最上階に着けるわよ」
塔の最上階に着けるなら、それに越したことはない。それだけを目標に、いままで生きて来たし、ここまでやって来たのだから。
けれど自分が幸運持ちとやらだと言うのは、どうにも実感が湧かなかった。
わたしが幸運だと言うなら、それは、わたしがもう一生ぶんの不幸を使いきってしまったからではないだろうか。
幸運なのではなくて、不幸でないだけなのだ。来るはずの不幸が来ないから、あたかも幸福なように見えるだけ。
「…そうね、なら、わたしのそばにいれば、あなたも最上階に辿り着けるんじゃない?」
わたしはそう言って、肩をすくめた。
塔に着いたからと言って、それで終わりではなかった。
きっと百人集まって手を繋いでも外周を囲えないような太い塔は、見上げれば上の方が霞んで見えないほどに高くそびえ立っていた。
塔の中にも、ふんだんに罠が仕掛けられていて、獣もいて。
「…減ったわね」
うんざりするほど登って、ふと見回せば、女は私だけになっていた。人数も、塔に入ったときのさらに半分以下になっている。
入り口近くで声を掛けて来た女性護衛は脱落したらしい。知らない間に、姿が消えていた。
「改めて見てて思ったけど、きみ、本当に危険な目に遭わないね」
「危険な目なんて、もう、遭い尽くしたのよ」
壁から降って来た分厚い刃が、わたしのすぐ横を通り過ぎる。
襲い掛かる獣はなぜか、わたしを見ると踵を返した。
「遭い尽くしたって、旅の前に、かい?」
「ええ」
「なにがあったのか訊いても?それがきみが希求の塔を目指したことと、関係あるのかい?」
目を閉じて、開く。
「生まれてから、十歳になるまでに、五回、わたしは住処を追われているの」
「そりゃまた、どうして」
うおっ、と焦った顔で毒矢を避けながら、なかなか図太い冒険者の彼はわたしを見た。
ため息を吐いて、語り出す。
最初は、流行り病だったらしい。無事な子どもをどうにか逃がして、逃げる子どもに付き添った一握りの大人以外は全滅した。わたしが、まだろくに喋れもしなかった頃の話だ。父は死に、母と兄弟たちが生き残った。
次は、盗賊だ。流行り病から命からがら逃げ出し身を寄せた集落が、盗賊の夜襲に遭った。見目の良い女と子どもを残して住人はみんな殺された。わたしが、ようやく五歳になった頃の話だ。一番上の兄が、殺された。
三度目は、火事。その盗賊に連れ去られた先で山火事が起きて、盗賊は全員焼け死んだ。捕らえられていた女と子どもも大部分が死に、なんとか逃げおおせた者もろくな装備なしで山の中だ。母と、すぐ上の姉が炎に飲まれて死に、真ん中の姉も逃げる途中で力尽きた。
四度目は、火山の噴火だった。山火事から逃げた先で保護された町ひとつ、まるまる火砕流に飲み込まれた。わたしとすぐ上の兄だけ、暴れ馬に運ばれて逃げ延びた。噴火の予兆でも感じたか、厩舎から逃げ出した馬を追い掛け、やっと捕まえてふたりで乗ったところで、爆音が轟いて馬が再び駆け出したのだ。わたしが、八つの時だった。
五度目は再び、流行り病。兄とふたり新しい町に逃げ込み、そこの町長の家に拾われた。お使いを頼まれてひとりで隣町に行っていたところ、帰って来るなと便りが届いた。仕方なく知人の家に身を寄せ、次に届いたのは町が全滅した報せだった。あとひと月で、十歳になるときだった。
「十人兄弟の末子だったのに、もうわたししか生きてないわ。みんな生き延びたことを幸運だと言うけれど、わたしには、とてもそうは思えない」
簡単に。呆気ないほど簡単に、みんな、死んでしまった。兄弟みんな、死にたくなくて逃げ出したはずなのに、わたししか生き延びなかった。兄弟に手を引かれただけで、自分で生き延びたいなんて思っていなかったわたしだけが、生き延びた。
転々としたせいで来歴は知られておらず、旅立つ前にいた町、流行り病のあとで引き取られ、十歳から六年を過ごした町では、同情されど気味悪がられはしていなかった。
きみだけでも助かって良かったと、慰められた。
良かった?良かったの?本当に?
わたしの話を聞いて、冒険者の彼はしばし言葉をなくしていた。
思えば、誰かに身の上を話したのは、初めてだった。
塔の最上階が近付いて、わたしも気が高ぶっているのかもしれない。
「…なにを、願うの?」
「不老不死になりたい」
間髪入れずに答えた言葉は、予想外だったらしい。
冒険者の彼は目を見開いて、わたしを見つめた。
「…家族を取り戻したい、とかじゃなくて?不老不死?」
「老いも死も、自分勝手なのよ。わたしは老いと死に、復讐してやりたいの。あんなやつに、負けたくないのよ」
一番上の兄は盗賊に殺され、それ以外の兄は生かされた。一番上の兄は、兄弟の中でもとりわけ見目が良かったはずなのに、年を取り過ぎていたから、殺されたのだ。
べつに老いたくて、年を取ったわけじゃないのに。
老いは、理不尽だ。そして死は、もっと理不尽だ。誰にでも平等に来る振りをして、本当はちっとも平等じゃない。
同じ年のはずなのに、元気で動き回る婆さんと、腰が曲がって杖なしで歩けない婆さんと、寝たきりでろくに喋れもしない婆さんがいる。耄碌爺になっても生きているやつもいれば、 生まれたかもわからないうちに死ぬやつもいる。
そっちがその気なら、わたしは絶対に受け入れたくはない。老いも死も、やつらの自由になんてさせてやらない。
きっぱり言ったわたしを、冒険者の彼は困ったように見つめた。
家族の情が薄いとでも、思っているのかもしれない。
でも、死後の世界とやらがあるのなら、もう兄姉たちはそこで幸せになっているかもしれないのだ。
それを無理矢理引き戻すなら、それは老いや死と同じ勝手な行為だろう。やつらと同じ屑に、なってはいけない。
「…変わってるね、きみは」
冒険者の彼は苦笑して、毒矢を避けながら頬を掻いた。わたしの足下でなにかを踏んだ音がしたが、壊れていたのか不発だった。
そうして最上階に向かう階段に辿り着いたとき、仲間はとうとう三人になっていた。
わたしと彼と、もうひとり。
「おれの身の上とか、願いごととか、訊かれるかなって思ったんだけどなぁ」
最後の階段に足を掛けながら、冒険者の彼は苦笑いを浮かべた。
「おれなんかに興味ないのか。そうか…」
「…涙拭けよ」
もうひとり生き残った冒険者が、彼の肩を叩く。
たくさん護衛を連れた大富豪がいたはずだが、いつの間にか脱落していたらしい。
「こんなに、減るものなのね」
少し感慨深くなって、しみじみと呟いた。
「…あんたももう少し、相方を気にしてやれよ」
「感謝してるわ。ここまで連れて来てくれて」
「おれがいなくてもきみなら辿り着けたと思うけどね」
「それはどうかしら」
冒険者の彼はわたしを買い被っているようだが、わたしはそんなたいそうな人間ではない。
そんな会話を交わしている間に、最上階に辿り着いた。
いかにも、な雰囲気の重厚な扉が目の前に現れる。さすがにここまで来ると、罠もないらしい。獣の姿も、見当たらない。
「開けるよ」
「おう」
冒険者の彼が深呼吸して、大きな扉に手を掛けた。
開いた扉の隙間から、まばゆい光が射し込む。
「げっ、三人もいんの?いま、ひとの願いとか叶えてる気分じゃないって」
光に目がくらみ、思わずかざした腕の向こうから、年若そうな男の声が響く。
湿った打撃音と、なにか重いものが落ちる音が聞こえた。
やっと慣れて来た目で、辺りを確認する。
冒険者の彼ともうひとりが、石の床に倒れ込んでいた。
…このようすだとたぶんもう、生きていない。
「あれ?なんでキミ、生きてんの?」
外見はわたしと同じくらいの歳の男が、わたしを見てきょとんと目を瞬く。
つまり、冒険者の彼ともうひとりを殺したのは彼で、わたしも殺すつもりだったのだろう。
「…さあ」
またわたしだけ、生き延びたのか。思いながら、冒険者の彼が生前開けてくれた扉の先に、歩み入る。
高く昇っただけあって、最上階の床面積は最下階の床と比べて格段に狭くなっていた。この部屋ですべてではないだろうから予測だが、たぶん最下層の五分の一の面積もないのではないだろうか。
部屋にいるのはひとりきり。年若く、見目麗しいが軽薄そうな男だった。
男はわたしを眺めて、大袈裟にため息を吐いた。
「あー、入っちゃったか。んー、ま、良いや、キミ、美人だし。出血大サービスで、願いごとを叶えてあげる」
「それはどうも」
どうやら、この部屋に入れるか否かが、勝負の分かれ目らしい。
冒険者の彼ともうひとりは部屋に入れずに死に、わたしは生き残り部屋に足を踏み入れた。
やっぱり、死と言うやつは理不尽だ。
男を見つめながら、ゆっくりと歩み寄る。
真っ白な石の床に、それよりかすかに灰色がかった石の壁。装飾もなければ家具もないその部屋は、部屋と言うより牢獄のようだった。天井近くに開いた明かり取りの窓から射し込む光が、白い室内に乱反射してひどく明るくしている。
もっと、神々しい空間を想像していた。
でも、以外とこんなものなのかもしれない。
「もっと、喜んだら?なんでも願いが叶うなんて、普通ないよ?」
「そうね。ええ、嬉しいわ」
「白々しいなぁ。それで?」
「それで?」
首を傾げると、男は呆れたように、調子が狂うなぁと呟いた。
「願いごとだよ。そのために来たんじゃないの?」
ああ、本当に叶えてくれる気なのか。
彼は何者なのだろうと思いながら、ずっと抱き続けて来た願いを口にする。
「不老不死になりたい」
「あー、なるほど。了解了解」
自分の態度を棚に上げて、軽いな、と思った。
思ったと同時に、動いていた。
「…痛い」
「だろうね」
わたしの心臓の真ん前に、鋭いナイフが突き出している。
あと五インチ、ナイフが進んでいれば、わたしは大嫌いな死とやらの餌食になっていただろう。
実際には右手が犠牲になって、ナイフの進行を防いでいるのだが。
ぎりりと込められたお互いの力で、ナイフは手に吸い付いたように留まっている。
ぽたり、ぽたりと、手から溢れ出した血が床に落ちた。
他人事のように、綺麗な白い床なのに、汚れるのは勿体ないなと思った。
「反応したのは初めてだなぁ。キミ、なかなかすごいね」
「なんでわたしは殺されかけたの」
「だって、不老不死になりたいんだろう?」
男は悪びれもせず、そうのたまった。
その間もナイフには、わたしを貫かんと力が込められている。
「死んだらもう、それ以上老いも死にもしないじゃないか」
なるほど。
希求の塔から不老不死になって戻った者の噂は聞かなかった。
単に伝わらないだけ、あるいは、その願いで登頂に成功したものがいなかっただけかと思っていたが、こう言う裏があったらしい。
世界は理不尽で、優しくない。
ため息を吐いて、口を開いた。
「わたしの言い方が悪かったわ。ごめんなさい。訂正はまだ効くかしら?」
「ははっ」
笑った男が、力を抜いてナイフから手を離した。わたしも離したいところだが、残念ながら手が強ばってしまって離せない。と言うかこの状況でナイフを手放すなら、傷を拡げる覚悟で引き抜かなければならないだろう。
「ここで文句じゃなく謝罪が先に出るんだぁ。良いよ良いよ。キミのその度量に免じて話を聞こう。手も治してあげるね。あ、これはボクの個人的な気遣いだから、願いごとには含まないよ」
「含んだら詐欺だわ」
「確かに。それで?」
今度は願いごとを訊かれているのだと一度で理解して、わたしは口を開いた。
男がわたしの手を取って、ナイフを取り上げる。嘘のように、痛みが消えた。
すごいな。
思いながら、どう言えば正確に伝わるだろうかと考える。
「あのね、死ななくなりたいんじゃなくて、死にたくないのよ。一度だって、死は受け入れたくないの。この違い、わかる?」
「えーと、つまり、キミは不老不死になりたいんじゃなくて、死にたくも老いたくもない、と」
「そうよ。わかってくれて嬉しいわ。そう言うわけだから、殺されるのは困るの。他の方法で不老不死にしてくれると助かるわ」
男が不意に、難しい顔をした。
彼がなんだか知らないが、やはり不老不死にするなんて言うのは難しいのだろうか。
しかし男の発言は、わたしの予測の斜め上を行った。
「キミさ、物怖じとか、しないの?」
「えぇ?」
「その態度だよ。ボクってこう見えて偉い神さまのひとりなんだけど、普通にタメ口で話してるよね」
…神さまなのか。なるほど、言われてみればとても神さまらしい。こう、無邪気に理不尽なところが。なんとも殴りたくなる相手だ。
「へぇ、神さまって案外簡単に会えるのね」
「え、いや、ここまで来るの、結構大変なはずなんだけど、って、これ!」
神さま(自称)が、握りっぱなしだったわたしの右手を持ち上げる。示したのは、女の子に貰ったお守りだ。
「妖精王の守護じゃないか!え、キミ、妖精王と知り合いなの?」
「妖精王?いえ、それをくれたのは鐵の森にいた女の子よ」
「赤金の髪に、金緑の瞳の?」
「そう。つり目の可愛い子よ」
「それが妖精王だよ」
「まぁ…!」
なんてこと…!と左手で口許を覆う。
神さま(自称)が、したり顔で頷いた。
「あいつはひとを驚かせたり騙したりするのが趣味だから、」
「あの子、男の子だったのね。気付かなかったわ!」
「気を付け、って、え?そっち?」
あんなに可愛いのに男の子なんて、びっくりだ。
でも、言われてみれば確かに、服装は男の子っぽかった。
「申し訳ないことをしたわ。もしまた会ったら、謝らないと…」
「ああ、うん、わかった。そう言う子なんだね」
なぜか呆れた目をした神さま(自称)が、うんうんとなげやりに頷いた。
「と言うかなんかキミ、海の匂いもするね。海を越えて来たの?」
「海を渡ったのは、五年も前の話よ?あ、でも、これからは海の匂いがするかも」
虹鯨の潮を取り出して見せる。男が目を見開き、次いで疲れたようにため息を吐いた。
「海神の加護まで持ってるのか…まったくもう、なんなんだいキミは。ちょっと、失礼するよ」
男がわたしの右手から手を離し、代わりに額へと手を伸ばす。とん、と額に触られて、思わず目を閉じてしまう。
突然ひとをぶっ刺すような神さま(自称)相手に、ずいぶんと油断したものだ。
「…あー…うん…なるほどねぇ…」
指先が離れるのと同時に目を開くと、打って変わって同情的な眼差しになった神さま(自称)が、こちらを見つめていた。
「愛され過ぎるのも考えものと言うか、なんと言うか…。それで不老不死ね。うん、気持ちはわかる。でもって、うっかり殺さなくて良かった…」
「ええと、なんだか、ごめんなさい?」
「いや、うん、キミは悪くないよ。うん」
ぽりぽりと頭を掻いた神さま(自称)が、腕組みして片手で自分の顎に触れる。
「希求の塔を登り詰めたからねぇ。キミはボクに願いごとを叶えさせる権利がある。だけど、不老不死となるとなかなかに骨でね。不老不死と言ったやつは殺すってのが、ここの基本マニュアルなんだけど…」
「不老不死は間違った選択肢なのね」
「まあそうだね。そもそも人間ってのが、流転すると言う前提の存在だから、自身の存在意義を否定するなら、一度リセットしないといけないんだ」
つまり、死と老いこそ、人間が人間たるゆえんなのか。
わたしが人間である以上、老いと死からは逃げられない、と。
「ああ、そんな不満そうな顔しないでよ。キミ、殺されかけても微動だにしなかったのに、そんなに死ぬのが嫌なの?」
「老いと死に屈服するのが嫌なのよ。あいつら、自分勝手過ぎるじゃない」
「そうだったね。うん。本来ならそう言った時点で殺さないとなんだけど、キミの場合特例が許されそうなんだ」
そう言ったあと、神さま(自称)は思い付いたようにテーブルを取り出した。どう言う原理か知らないけれど、お茶の用意がなされたテーブルセットが、ぽこん、と現れた。
「立ち話もなんだし、座ろうか。あのね、どうやら各方面に、キミを欲しがってるひとがいそうでね」
「わたしを、欲しがって?」
「ん。突然言われても困るだろうけどね。とりあえず、天使と悪魔と、神さまが数人?あと、妖精王と精霊も数人かな、そんな感じ」
座ってお茶に手を伸ばしながら、首を傾げる。ここしばらく節水生活をしていたから、飲み物は大歓迎だ。
だが、そんな感じ、と言われても。
いまひとつ自分の置かれた状況が掴めないまま、神さま(自称)の話に耳を傾ける。
「死んだ場合は天使と悪魔で取り合いだったんだけど、幸い生きてるし、死なないならこの二勢力は除外だね。で、もしこの二勢力以外、神さまか、妖精王か、精霊の誰かを受け入れるんなら、平たく言うとその誰かの妻になるなら、彼らと同じ存在になることになるよ」
「えっと…つまり?」
「つまり、すごく死ににくくて老いない身体と、半永久的な命を得られるってこと。死ぬ以外で不老不死になりたいなら、これが現実的なんだよ」
「へぇ…」
神さまって、人間の奥さんを貰えるのか…。
「反応薄い。大丈夫?理解出来てる?」
「んー…?」
「あっ、駄目っぽい。いやうん。会わずに選べとかは言わないよ。そんなことしたらボクが文句言われそうだし。ちゃんとお見合い期間は儲けるから、じっくり選べば良い」
わたしが、選ぶ側だと。
いや、え?待って。神さまが、妻?じゃなくて、神さまの、妻?
「…そんな馬鹿な」
「あ、ロード終了した?そうそう。ボクとしても、マジかと言いたい話なんだけど、マジなんだよね。なんかキミ、やたら人外を惹き付ける体質みたい」
「ええ?や、普通に不老不死になる方法は」
「死ぬ?」
「死なぬ」
「じゃあ、結婚だね」
「なにその究極の二択」
死ぬのはごめんこうむるが、神さまやらとの結婚だって、許容範囲を越えている。
「いや、うん。たぶん大事にして貰えるよ?ボクが引くくらいベタ惚れだから」
「惚れられるようなこと、してない」
「…まあ、神さまや精霊、妖精なんて、ある意味ストーキングの天才だからね」
ああ、やっぱり世界は理不尽だ。
「わかった」
「お、決断した?」
「あなたと結婚する」
「は!?」
神さま(自称)は、唖然とした顔でわたしを見つめた。
うん。好い気味だ。
「うぇっ!?いや、ちょっと、待っ。ボク、まだ刺されたくないって言うか!!」
「わたしのことは刺したくせに。あー、お見合いなんかしたら、うっかり全員に、あなたにキズモノにされたとか、漏らしちゃいそうだなぁ」
「はぁっ!?いや、待って 待って待って!キズモノって、治したじゃん!よく見て、傷ひとつない綺麗な身体だから!!」
「見かけの怪我は治っても、心の傷は消えないわよ。えげつないモノで貫かれて、押し広げられて、無理矢理ぐいぐい押し込まれて、すごく痛かったって、泣きながら言うわ」
嘘ではない。えげつないモノ(ナイフ)で(手のひらを)貫かれて、(手のひらの傷を)押し広げられて、(心臓狙いで)無理矢理ぐいぐい押し込まれて、すごく(手が)痛かったのだから。
神さま(自称)は数秒絶句したあとで、思い出したようにテーブルを叩いた。
「キミ、神さまを脅迫する気!?図太いとは思ってたけど、とんでもない図太さだね!」
「好いじゃない多少の意趣返しくらい。可愛いものでしょ。自分勝手な相手に諾々と従うのは、嫌いなのよ」
「自分で言う…!!」
わなわなと唇を震わせる神さま(自称)に、胸のすく思いがした。
そう。これだ。わたしの求めていたものは。
「うわーうわー、なにその満足げな顔ー。ほんっと、見かけによらずイイ性格してるね!」
「それほどでも」
「褒めてないよっ!!」
あーもうなんてジョーカーだよ…!!頭を抱える神さま(自称)の肩を、そっと叩く。
「どんまい」
「誰のせいだと!?」
「自業自得じゃないかしら?」
この男は、とても自分勝手だと思うのだ。わたしの嫌いな老いと死に、匹敵する程度には。
「ああそうボクも嫌いだと」
「あら、そんなこと言ってないでしょう」
「顔に書いてあるよ。意趣返しのためだけに、嫌いな相手と結婚しようって言うの?」
「…神さまなんてみんな嫌いだもの。あなただろうが誰だろうが、わたしから見れば大して変わらないわ」
「うわ…」
神さま(自称)が、呟いて片手で口許を覆う。
「それ、あんたに惚れてるやつらの前で言わないでよ?傷心で千年くらい駄目神さまになりそうだから」
「あなたたちは、人間を軽んじ過ぎなのよ。なにがしたいか知らないけど、馬鹿の一つ覚えみたいに、殺して殺して殺して殺して。勝手にどんどん増えるからって、死んだ人間は二度と戻って来ないのに」
「いや、天使や悪魔に気に入られて捕まらない限りは、流転して、また現世に戻るよ?死んだからって、消えてなくなるわけじゃない」
見返して来る瞳は、ひどく純粋無垢で、だからこそ余計腹が立った。
「そうね。その通りだわ」
目を細めて、排水溝に澱んだごみでも見つめる目線で吐き捨てた。
「あなたたちにとっては、ミライもリセリナもアルフもジョンも、みんな同じ人間だものね。いいえ、それだけじゃないわね。犬も猫も木も草も、みんな神ではないものだものね。なら、わたしなんかじゃなくもっと従順で妄信的な子でも捕まえて、妻にでもなんにでもすれば良いんだわ。死んでも流転して元通りになる、同じ人間なんだから」
商隊や冒険者に付き添いを頼んだとは言え、自衛手段を持たないわけではない。
腰に差していた片手剣を抜き、両手で握って自分の首に突き付ける。
「流転して戻るなら、死んだって不老不死になんてなれないんじゃない。この、大嘘吐き。良いわ。お望み通り死んでやるから、流転したわたしを誰の妻にでもすれば良いじゃない。戻るなら、問題ないでしょう?」
神さま(自称)が慌てて手を伸ばして来るのを、椅子を蹴倒し立ち上がって避ける。ついでに手が滑って、少し喉が裂けた。
つう、と垂れた血に神さま(自称)がぎょっとして、冷や汗をかき始める。
「ちょ、ちょちょちょちょちょ!?待って待って待って!落ち着いて!!キミをみすみす死なせたりしたら、ボクが大目玉喰らうんだって!」
「…好い気味だわ。死に甲斐があるってものね」
「うわ、目が本気。いや、死にたくないんでしょ?死んでどうするの。ここまで努力して来て、本末転倒じゃない!」
迂闊に手を出すと、さくっ、と逝きかねないと気付いたのだろう。中途半端にこちらへ手を伸ばして、神さま(自称)がおどおどと交渉しようとする。
ああ、なんて気分が好いんだろう。
「むかつく相手に嫌がらせ出来るなら、矜持なんてドブに捨ててやるわよ。そもそも、わたしの大っ嫌いな老いも死も、神さまが生み出したんでしょう?なら、神さまなんて老いや死よりも大、大、大、大っ嫌いだわ。おぞましい。そんなやつに嫁入りするくらいなら、死んだ方がずっとマシじゃない」
「うわぁ…」
神さま(自称)が、途方に暮れたように頭を抱える。
「いや待ってボクなんか悪いことした?運命の神さまに嫌われるような…って、ボクが神さまじゃん。ああもうだからこの役目は嫌だったんだよ!早く出世したい!」
「来世でまた遭いましょう?」
ひとりとは言え諸悪の根元を、ここまで追い込めたならもう良いだろう。
握った剣に力を込めたわたしの剣先に、神さま(自称)が自分の手を割り込ませた。
今度は神さま(自称)の手が切れて、なんだかキラキラしたものが零れ落ちる。
ああ、神さま(自称)の血は、赤くないのか。道理で人間への気遣いなんて無理なはずだ。
と言うか、さすが神さまを自称するだけあって、なんだかわからなかったけれどすごい動きだった。いつ動いて手を差し込んだのか、わからない。
「待って」
さっきまでの軽薄そうな声が嘘みたいに、低く真剣味のある声で男が言った。
「わかった。キミの願いをちゃんと叶える。死なない身体でしょ?それくらいあげるよ。ただし、さっきも言ったけど死ななくなる以上、キミは人間じゃなくなるよ?」
「結婚なんてごめんよ?」
「わかってるよ。結婚は要らない。冥府の王さまが補佐を欲しがってるんだ。その補佐を、ボクの権限でキミにする」
冥府。死後に人間が行く、天国と地獄のある世界か。
「なんでわたしが、神さまの補佐なんてしないといけないのよ」
「いや、ちゃんと聞いて。冥府の王さまってのは変わりもんの神さまでね、気遣いもなくぽんと記憶を消してすぐ生まれ変わらせれば良いって言うほかの神さまに反対して、一生ぶんの記憶を緩やかに昇華させる場所、冥府を創った神さまなんだよ。どんな短命なひとも長命なひとも、どんな悪人も善人もひとりひとりと向き合って、自然に新しい始まりに向かう形を、創り上げたひとなんだ」
痛いのかぷるぷると震えながら、神さま(自称)が言葉を重ねる。
「自分たちの勝手で生かし殺し生まれ変わらせるんだから、もっとひとりひとりを大切に扱うべきだって。変わってるでしょ?」
変わってると言うか、
「その考え方の方がまともだわ」
「まあキミならそう言うよね」
したり顔で頷く神さま(自称)。殴りたい、この笑顔。
「でもボクらの中では圧倒的少数派なの。だから、仲間もいるけど少なくてね、最近流転する生き物が増えたし、苦労してるらしいんだ。あんまり流転が滞ると、強硬派が冥府なんてやめちまえとか言いかねないし、キミ、人間が大事なら補佐してあげてよ」
なんだか、巧いこと言いくるめられてる気がする。
でも、理不尽な死がこれ以上理不尽にされるのは、確かに許し難い。
「…その、冥府の王とやらに会わせて。それから考えるわ」
剣から力を抜くと、神さま(自称)はわたしから剣を奪って満面の笑みを浮かべた。
「うんうん。それじゃ行こう!今すぐ行こう!」
結局わたしは、半不老不死の身体を手に入れた。
冥府の王さまの、補佐官として。
冥府の王さまはわたしを、問答無用で獣担当に回した。
曰く、
「美人が人間を担当すると、のちのち面倒臭くなる」
だそうだ。
わたしに人間を担当させない代わりに、獣の処理をわたしに押し付けて空いた時間ぶん、人間に長く費やしてくれるらしいので、まあ、悪くない話だろう。
冥府の王さまは罪人に厳しく、善人に優しかった。
その科も善も、彼なりの基準でひいきなく審査する。
情状を酌む彼の裁き方は、わたしにも納得が行くものだった。
「…また、言い寄られたらしいな」
「邪魔になる前に叩き返したわ。こっちはあいつらが殺した獣の対応で忙しいってのに、ほんと、良い迷惑」
冥府になんてそうそう来ないはずの神さまやら精霊やらが、なぜかわたし目当てでよく降りて来るようになった。
どうやら口説きに来ているらしい彼らを、わたしは手酷く追い返している。
誰のせいで忙しいと思ってるのだろう。忌々しい。
顔をしかめて吐き捨てたわたしの頭を、冥府の王さまがぽんぽんと撫でた。
「悪いな。しかし、お前のお陰でずいぶん楽になったと、みな感謝している。もちろん、わたしもだ」
人間上がりのわたしを、たいていの神さまは下に見ている。それは口説いて来るやつらも一緒で、そんなだから余計嫌悪感が募ると言うのに、神さまとやらは馬鹿なのだろうか。
やつらは心底、人間もほかの生き物も軽んじている。
ところが冥府にいる神さまや精霊たちはべつで、わたしはもちろんのこと、人間もほかの生き物も、対等に扱う。
冥府でいちばん偉いはずの王さまでさえ、この対応なのだ。ほんとうに、出来た神さまたちだと思う。
「だが、働き過ぎではと心配もされている。辛くはないか?必要ならば補佐を回す。お前が獣を一手に引き受ける必要はないからな、無理はしてくれるなよ。お前が倒れでもしたら、困る。もう冥府は、お前なしには回らない」
「それは、買い被り過ぎよ」
「そんなことはない。お前が対応するようになって、獣の裁きが滞らなくなったし、裁きのあとの揉め事も格段に減った。しかも、お前がはっきり叱るから、行動を反省して理不尽な行動を控える神や精霊まで出始めた。妖精も近頃は大人しいし、ほんとうに、お前さまさまだ」
そんなに褒められると照れるのだが。
うつむいて照れをやり過ごそうとしていると言うのに、冥府の王さまは追い討ちを掛けに来た。
わたしの頭を優しく撫でながら、しみじみと言う。
「希求の塔の馬鹿から、不老不死を望む人間がいるから補佐にしてやってくれと言われたときはなにを馬鹿なと思ったが、本当に良い補佐を紹介してくれた。仕事が丁寧で早いし、真摯だ。お前に裁かれて良かったと言う声もしばしば聞けて、わたしとしても気分が好い。なにより、生き物を愛し神にも物怖じしない、その人柄が好ましいな」
あー、無理だ。うん。
「褒めても、なにも出ないから!仕事に戻るわ!!」
赤くなった顔を片腕で隠して、わたしは冥府の王さまから逃げ出した。
冥府は裁判の間と、天国、地獄に分けられる。
わたしがいる裁判の間は、完全なる治外法権で、冥府の王さまに仕える者以外の一切の力は受け入れられない。
天使も悪魔も神も精霊も、わたしが冥府の王さまの補佐としてここにいる限り、手出し出来ないのだ。…口出しは出来るけど。
だから、幼いわたしを襲ったみたいな避け難い不幸や、理不尽な死を、ここでは恐れる必要がない。
好きでもない相手に言い寄られて逃げ出す必要も、大っ嫌いな神さまに媚び諂う必要もない。
ただ、目の前にいる、理不尽な死に倒れた獣のことだけを、考えていれば良いのだ。
それは、わたしが長年望んで来た状況で。
「うん。そうね、アネモネはあなたを美味しく食べたみたいよ。ええ、感謝していたわ。そう。もう悔いはない?じゃあ、天国に行くと良いわ」
いつの間にかわたしの補助として集まっていた妖精たちに手を引かれて去る雄牛を、手を振って見送る。
さて、次は…、
「君のその笑顔は、こんな暗くて地味臭いところじゃなく明るいところでこそ輝くよ。さあ、こんな下らないことにかまけてないで、僕のところへおいで」
「失せろ、×××××、ひとや獣の価値も理解出来ないお前のみたいな屑の声を聞かされる方が、なん無量大数倍も下らないわ。叩き出して、塩まいといて」
「はいはーい。かしこまりましたぁ。おら、行くぞ屑が。冥府の姫さまの前に、汚物が出て来んじゃねぇよ」
わたしに愛想好く返事をしたあとで、妖精たちが屑を蹴り出す。
相手は一応神さまなのだが、冥府ではわたしたちが法律だ。構いやしない。
次の死者を呼ぼうとしたところで、ふと気付いて問い掛ける。
「わたし、笑ってた?」
「?、納得して出て行く死者を見送るときは、いつも笑っていらっしゃいますよ?わたくしたち、姫さま補佐隊の癒しです!」
「…そう」
そうかわたしは、笑えるようになっていたのか。
いつからかほとんど笑わなくなっていた自分が、知らず笑顔を取り戻していたと聞いて、少し感慨深い気持ちになる。
いつまた目の前の笑顔が消えるのかと、心配する必要のなくなった世界で、わたしの行動で誰かが笑う。
そんな環境に身を置けば、つられて笑顔にもなるものなのだろう。
冥府の王は変わり者と言われているが、自分の行動に文句を言わせないだけの力がある神さまだ。彼の庇護下にあれば安心だと、素直に思える。
「冥王陛下も喜んでおいででしたよぅ」
「は…?」
思い浮かべた相手の名を出され、ぽかんと間抜けな顔をしてしまった。
妖精たちがふふふと笑って、口々に語り出す。
「冥王陛下はお優しい方ですから」
「なかなか笑わない姫さまに、もしや冥府になんて連れて来られたからではないかと」
「心配しておいでだったんですよぅ」
…それは、申し訳ないことをした。
わたしが笑わないのは冥府に来る前からのことで、決して冥府に来たからではないのに。
「それは、」
「でも、だんだん姫さまが笑みを見せて下さるようになられたから」
「冥王陛下もお喜びなんです」
「この頃は、姫さまの笑顔を見るのが楽しみだそうですよぅ」
冥府の王さまが。
いや、そんなまさか。
妖精たちが好き勝手言っているだけだ。きっと。
でも、もし本当なら。
いやいや、そんなはずはない。
「うふ。良かったですねぇ、姫さま」
「え?なにが!?」
妖精の言葉に、ぎょっとして問い返す。
妖精は余裕の笑みで、ゆるりと首を傾げた。
「冥王陛下のこと、お好きでしょう?」
「いや、それは、上司として、尊敬してはいるけど」
安心出来る居場所と、死を恐れなくて済む身体。ついでに、嫌いな神に逆らえる身分も。
わたしの望みが叶ったのは、冥府の王さまのお陰だ。
それだけ。それだけだ。
恩人で、上司で、尊敬する相手だから、それで親愛の情を抱いているだけ。
「上司として、だけ、ですかぁ?」
「それだけよ。ほら仕事に戻るわよ!」
疑いの目を向けて来る妖精にきっぱりと答え、ぱんぱんと手を叩いて、空気を切り替える。
冥府の王さまは冥府の頂点に君臨するひとで、わたしはただの補佐だ。それ以上でも、それ以下でもない。
…頭を撫でる手が、心地好かった、とか。
ち、違う。ああもう。調子が狂うなあ!
わたしはバリバリと役目をこなし、言い寄って来る屑どもをばっさばっさと切り捨てた。
神さまを手玉に取る人間出身の冥王補佐官の話は、知らぬ間に有名になって、人間のために神さまに立ち向かう冥府の姫として、神話にされるのはそれから数百年後の話。
冥府の姫だなんて、わたしには分不相応な呼び名だけどね。
でも、いろいろと駒も手にしたし、これだけははっきり言おう。
この世界では、努力で叶えられない願いなんてない。
不老不死を、望まない限り、ね。
ё ё ё ё ё
|д・)コソ
うふふ。姫さまはいませんねぇ
|*・∀・)ニョキ
もぅ、姫さまったらぁ、謙遜が過ぎるんだからぁ。
姫さまは、名実ともに冥府の姫さまですから、間違えないで下さいねぇ!
わたしたちはもちろんのこと、冥府のほかの神々も、冥王陛下だってお認めですからね、これはぁ!
さてさてぇ、ねぇ、みなさん?気になったんじゃありませんかぁ?我らが姫さまと、冥王陛下がどうなったのかぁ!
うふ。姫さまは姫さまで冥王陛下にそんなことを思うのは畏れ多いって変に遠慮するしぃ、 冥王陛下は冥王陛下で超の付く奥手だしでぇ、ほんっとぅ、じれったいったらなかったんですよぉ?
もぅ、千年間もジレジレジレジレぇ…
(´・д・)?
ちょっと、なにしてるのよ?
(;* ゜Д゜)!?
いぃえぇ?姫さま、ちょっと壁の汚れが気になっただけですぅ
(´・д・)?
そう?もうすぐあなたは休憩終わりだから、ちゃんと次に休憩の子と交代してあげてね
(*・∀・)
はぁーい、今行きまぁすぅ
(*´・д・`)
呼ばれちゃったぁ。じゃあ、このあとはみなさんのご想像にお任せぇ。えへへ。ばいばぁい。また、死後に逢いましょうねぇ
(*・∀・)
姫さまぁ、あなたの右腕が参りましたよぅ~
拙いお話をお読み頂きありがとうございました
…最後はお遊びです
もしご不快に感じられた方がいらっしゃったら
申し訳ございません