キャットフード
にゃん丸とクラ。
一人と一匹はいまひとつの机を挟んで向かい合って座っている。
より正確に言えば、にゃん丸は机の上に乗っているのだが、その前には数枚のお皿があった。
「これ、なに?」
「キャットフード」
「ですよね~」
お皿の上には小山のように積まれた茶色い物体。
たいして、クラの目の前のお皿には湯気をあげるスープと、これまた焼きたてのお肉がおかれていた。
「ねえ、俺もそっちみたいな普通のがいいんだけど」
「だめ。これ、猫には悪いもの」
にべもなく断られる。
キュルル
かわいらしい音が猫のお腹から聞こえる。
「ほら、お腹すいたんでしょ?」
早く食べましょ。
そういわんばかりにさっとフォークらしきものをつかみ、クラは肉に突き刺す。
そしてそれをそのまま口に運ぶ。
「あ、あー、あ、あーぁ」
その一挙手一挙手に反応するにゃん丸。
そして、クラはといえば、そんな嘆きにもきずかずパクパクと食事を進める。
(はぁ、しかたない、のかなぁ)
クラの言葉にも一理ある。
人間ように味付けされた料理はほとんどの動物にとって塩分などが過剰に含まれているのだ。
そんな、とうでもいいようなことばかりが残っている記憶に嘆息しつつ、仕方なく目の前のキャットフードに頭を埋める。
(あ、これ以外とうまいや....)
☆☆☆
「さて、お風呂も入ったし、食事もした」
「次はお話だな」
そうね、とクラはうなずく。
「でも、その前には食器洗ってくるから少し休んでて」
そういってクラは、机に並べられていた皿をかき集める。
「ふぁっ、了解。できるだけやはめに~」
気がついたら見知らぬ世界に放り出されて、心労が耐えなかったのか。
強い睡魔が襲ってくる。
「あらら」
シンクから戻ってきたクラが見たのは机の上で、自分の足を枕にして眠るにゃん丸だった。
「ここで眠ると風邪引くわよ?」
そういってにゃん丸に声をかけるも、反応はない。
「仕方ないわね....」
クラとしても、突如現れ悪魔をも退けたこの猫、にゃん丸について色々聞きたいことはあったのだか、
「これはまた明日ね」
そっとにゃん丸を起こさないように抱える。
そのまま猫を抱え、近くの扉をくぐると、備え付けられていたベッドに横たえる。
「私も今日は疲れたしこのまま寝ようかしら」
タンスの中から寝巻きをとりだし着替える。
脱いだ服はそのまま床に放置し、ベッドに潜り込む。
この部屋、ベッドはひとつしかない。
となれば二人が眠ったのが同じところだというのは簡単に想像がつくだろう。
「....暖かい」
クラは近くに眠るにゃん丸をだきよせ、そのまま静かに眠りについた。
☆☆☆
どこからか漂ってきたかぐわしい臭いで目を覚ます。
回りを見渡せば、床一面に脱ぎ捨てられた服が散らばる、とても整理されたとはいえない部屋であることが分かる。
普段感じないような強い匂いが鼻をつく。
バターのような、ロウズのような甘い匂い。
(あぁ、そういえばたしか猫って人間の何万倍も嗅覚が優れてるんだったか)
と、同時に、からだが猫になったことを思い出す。
(どうやら、夢とかじゃあないみたいだな)
記憶を遡ってみるが昨日の川のところからしか思い出すことができない。
(しっかし、これはなんの匂いだ?)
少女特有のミルクの匂いが少し混ざった甘い空気のなか、確かに香ばしい匂いがする。
(あっちの方からか)
ドアが少し空いていた。
体を使って隙間を広げ、潜り抜けると、そこはなんとも言えないほど散らかった部屋があった。
「あ、にゃん丸、起きたんだ。おはよう」
「うん、おはよう」
そこにはエプロンをつけたクラがフライパンを握っていた。
「もうすぐで朝ごはんできるから昨日のとこで待ってて」
言われた通り、昨日夕食を食べた机に向かう。
あまり時をおかずしてくらがお皿を持ってくる。
「やっぱり俺、今日もキャットフード?」
「もちろん」
机の足元には袋につめられた茶色い物体があった。
「安心して。私がブレンドして、栄養面にはなんの問題もないから」
そういってはこの中からじゃらじゃらとお皿に移す。
「それじゃ、いただきましょ」
「....いただきます」
昨日発見したことだか、以外とこのキャットフードなかなかに美味しい。
しかしそれにしても喉が乾いてしまう。
「なあ、飲み物かなにかないか?」
「あ、そっか。ちょっと待ってて」
そういって席をたったクラが持ってきたのは一枚の深皿にくまれた牛乳だった。
「これでいい?」
「あぁ、ありがとう」
舌を出してピチャピチャおとをたて飲む。
そして再びキャットフードの皿に顔を移す。
それをじっと見つめるクラ。
「ねえ、あなたって本当にもと人間なの?」
まるで生まれたときからそうであったかのような自然な食べ方に疑問を覚えてだ。
「もちろん人間だけど。なんで?」
「なんだかその体になれてるようだったから」
普通、さらに注がれた飲み物を口だけでのもうとすると、案外これは難しく、こぼしてしまうこともままある。
「うーん。言われてみればそんな気もするけど、なんかからだが勝手に動くんだよね」
「ふーん」
聞いたクラとしてもそこまで興味があったわけではなかった。
「「ごちそうさまでした」」
二人揃って食事を終える。
そして、昨日と同じようにクラが食器を洗いにいく間、にゃん丸はおとなしく机の上で待っていた。
ほどなくしてクラも洗い終わり戻ってくる。
「じゃあ、始めようか」
「そうだね」
両者とも何をするかは明言していない。
しかし、両者とも何を始めるかはきちんと理解している。
「まずは改めて自己紹介ね。
私はクラ。魔術師よ。
昨日は助かったわ。ありがとう」
「いや、たいしたことはしてないよ。俺にも何がなにやら全然わかってない状態だし。
とりあえず、俺はにゃん丸、とでも名乗ればいいのかな?」
軽めに自己紹介から始める。
まずに質問をしたのはクラだ。
「あのとき悪魔を追い払ったとき、何をしたの?」
悪魔に首を捕まれ、視界も狭くなっていたが急に光が悪魔をつかみ、そこから自由になったのは覚えていた。
「あ~、あれな。俺もよくわからん」
「よくわからないって....」
「わからんものはわからんよ。
だっておれ、なにもかんがえずに叫んだらいつの間にかあの変態が消えてたんだもん」
「....変態?」
いくつか突っ込みたいところがあったクラだが、一番気になったのはにゃん丸の言う変態が指す意味だった。
「だってあんな、全身黒タイツの男見たら変態だって思うだろ」
「....ねえ、悪魔って知ってる?」
クロタイツなるものが何を指しているのか、クラにはわかりかねたが、どうやらあのときの悪魔のことを変態だといっているらしい。
そう理解した。
「知ってるよ?あの、よく物語のなかで出てくる悪者でしょ?」
「そこはわかってるんだ」
「あ、もしかしてあのクロタイツが悪魔だって言うのか!?」
「....そうよ」
「うへ~、もしかしてこの世界、そんなんがうようよしてるのか?」
「いえ、ありえない、と思うけど」
そこから、クラは大雑把にこの世界について説明を始めた。
とくに、悪魔については念入りに。
「へ~、じゃあなにか?絶滅したはずの悪魔ってのに襲われてたって訳なんだな」
説明をきき、質問をするにゃん丸。
そしてそれに答えるクラ。
「ええ。本来はあり得ないはずなんだけどね」
しばらく無言が続く。
「じゃぁ、今度は私から質問するわね」
「あぁ、いいぞ。俺に答えられることならなんでも聞いてくれ」
「あなた、どうやってここにかたのか分かる?」
「分からん」
「....一番最初に覚えてる記憶わ?」
「あんたが悪魔とかいうやつに首を絞められていたところだ」
「そのからだ、猫よね」
「確かにいまは猫のなりをしているがもとは男の人間だ」
「どうしてわかるの?」
「うーん、そう聞かれると弱るんだが、うまく説明できんのだが....
ほかに質問はないか?
なら今度はこっちから質問したいんだが」
どうぞ、とクラがうなずく。
「どうしてあんなところに一人でいたんだ?」
街から少しどころか結構な距離が離れていた。
帰る途中だった。
それならばはじめからあのグリフォンをつかえばよかったはずだ。
そういったことを並べて尋ねる。
「....少し場所を変えましょう」
クラはその質問に答えず、席をたつ。
しかし、けしてはぐらかそうとしているわけではないみたいだ。
説明に必要なものがあるのだろうか。
素直にそのあとをついていく。
☆☆☆
「こっちよ」
クラにつれてこられたのは外にでて、すぐ隣りにあった建物。
しかし、開かれた扉の先には地下に通じる階段があった。
「ほへー、なんかすごいなここ」
周り一面に本が並べられている。
パッと見だが、どれも小説などでなく、研究書や指南書、技術書らしきものばかりだ。
階段を下りきるとそこにはもう一枚の扉があった。
クラはそこの扉をあけ、なかに入っていく。
すかさずにゃん丸もあとを追いかける
「こりゃまたなんとも....」
階段となりにおかれていた本の数には及ばないものの、それでもかなりの数の本が並べられ、床には魔術に使うであろう、見慣れない模様が一面に書かれていた。
「まずはこれを見てほしい」
そういってクラが空中から取り出したのは大ぶりの水晶だった。
覗き込んでみると、猫の顔がうつる。
「ちょっと待ってて」
すぐに呪文を唱え始める。
すると、歪んでいた水晶の中の映像が、たしかな平面を持ち始める。
☆☆☆
「なんだよ、いまの....」
見せられた映像、クラの記憶にもとずくものらしいのだが、とても悲惨なものだった。
「あれが、この世界で起こり得る未来。
私はそれを阻止するための調査をしてたの」
「そして、その途中であの悪魔に出会った、と....」
「そう」
「なあ、なにか俺に手伝えることはないか?」
「え....」
自分では全く歯が立たなかった悪魔を追い払うことができるにゃん丸。
どうやって手伝ってもらうか、悩んでいたときだ。
「こんなの、放っておけるわけないよ」
「でも、あなたには直接関係ないものだよ?」
だから、にゃん丸の言葉はまさに渡りに舟と言ったところだったのだが、
「んなもんそれこそ関係ない」
「命の保証はないんだよ?」
つい、耳を疑ってしまう。
つい、言葉を疑ってしまう。
「それはクラ、お前もだ」
「わ、たし、も?」
そのにゃん丸の言葉を。
「あぁ。だってあんな、悪魔みたいなやつと戦うんだろ?
昨日だって死にかけてたじゃないか」
「そ、それは....」
本当に頼っていいのか。
「あ~、もう、はっきりしないな!
ならもう、俺が勝手に決めるぞ?
俺は、お前を助ける。これは、決定事項だ!」
「どうして、助けて、くれるの....?
どうして、そんなに優しいの!?」
心では、一人では無理だ、助けてほしい、と
そう思っているはずなのに。
街のみんなを助けるためにどうすればいいか
悪魔には自分ではどうやっても叶わない。
でも、このにゃん丸なら....
「クラ、お前はまだ子供なんだ
いくらなんでもできるからって、魔術師だからってそんなのは関係ない
もっと、周りを頼ってもいいんだよ?」
まるで人間のように話すにゃん丸。
その言葉はいつか感じた、父親、魔術師として育ててくれたあの人の温もりが感じられた。
「あ、ありが、ありがとう....!」
「いいってことよ」
泣きじゃくるクラを見つめるにゃん丸。
その顔は、もし人間の表情を表現できたなら、きっととても優しい顔をしていただろう。
しかし、猫の顔であっても。
その瞳は温もりに溢れていた