プロローグ
白い肌、長い黒髪。
まるで人形のような細いからだ。
どこかあどけなさを残した小さな顔。
何処から見ても、美少女と言えるような女の子。
クラは、暗い部屋の中にいた。
周りは数多くの本に囲まれ、埃っぽい空気が満ちている。
少し冷たくも感じる空気。
しかしクラにとってはそれは母のぬくもりのようになれたものだ。
「****、******」
判別不能な、不思議な響きをもった音が彼女の、柔らかく、小さな唇から紡ぎだされる。
音は外に出た途端微小ながらも確かな質量、存在を持ち始める。
この世界ではそれを魔力の第一形態、コロイドと呼んでいる。
コロイドは次第に集まり、粘性をまし、ゾルとなる。
そしてゾルの次にはゲルとなり、ゲルは、その目的によってさまざまな形態を持つ。
いま、彼女が作ろうとしているのは一枚の鏡。
「***、*****」
だんだんとその密度を増やすコロイド。
それはだんだんと円形の形を持ち始め、ゲルとなり鏡となった。
「で、できた…」
そう、クラがつぶやくけれど、もちろんそれにこたえる人はこの部屋にはいない。
まわりを本に囲まれた部屋。
その中にはクラ一人だけだった。
☆☆☆
今日はスーパーの特売日。
卵の大売り出しだ。
一人暮らしの貧乏大学生としてその魅力的なたんぱく質を逃す手はない。
本来ならまだ講義の時間だけれども早退して、今は目的のスーパーの前にいる。
今日、この時を持って、このスーパーは戦場と化す。
たとえ、俺のような貧乏学生でなくても、今回のセールはとても魅力的なものだ。
すでに何人ものライバル(客)が現地入りしている。
時計を確認する。
「…あと10分か」
その10分の間に、卵と一緒に使えそうな食材を選ぶことにする。
コンビニを出る。
右手には確かな重みをもった卵のパックとほうれん草が入っている。
正直、今回の戦争は楽勝だった。
てっきり数多くの猛者たちが来ているかと思っていたが、何と今回はトーシロ―ばかりだった。
白いレジ袋を握り、帰り道を進む。
空は少しオレンジ色に染まりかけ、といったところで、これから買い物にに行くのだろうか、エコバックをもった主婦たちを多く見かける。
ふと、得もいえぬかぐわしいにおいが漂ってきた。
においの元をたどってみればそこにはコロッケ屋があった。
右手に白いレジ袋。
左手には白い蒸気をあげるコロッケがあった。
「ま、たまの贅沢ぐらいいいよな」
そういって、日頃節約生活に身をやつしている自分にご褒美を与える。
一口、口に入れればまるで油の飲んだかのように口いっぱいに豚肉の油が広がる。
そして何よりものスパイスはその温かさだ。
まだ冬到来というわけではないが、そこそこ冷えるなか、これのおかげで何倍にもおいしく感じられる。
食べ終わった後、コロッケの包み紙を近くにあったごみ箱に捨てる。
そのとき、近くにゴミが落ちていたので拾って捨てる。
「…べつになんか文句があるっていうわけでもないけど、ここにゴミ箱があるんだからちゃんと捨てろよな」
文句はないと言っているのに文句を言いているのはご愛嬌。
そして今度こそ一直線に我が我が家へと向かう。
☆☆☆
クラが作った鏡。
それには限定的にだが、未来を予測する力がある。
場所、時などを選べたらその価値はとても高まるだろうが、そんな都合のいいことはもちろんなく。
見ることができるのはランダムに映し出される光景。
しかもそれは場所、時などおおよそのことは分かっても、鮮明さには問題があるものだ。
しかし、クラがそれをつっくったならば鏡はある程度クラの希望に沿った光景を見せることがある。
先日、とても縁起の悪い夢を見た。
普通の人にとってはだからなんだという話だが、魔力をもったものならば少し話が変わってくる。
クラはその夢を調べるためにこの鏡を作ったのだ。
そうっと、目の前に浮かんだ鏡を覗き込む。
未だその表面には何も映っていないけれど、クラの吐息がかかったのか、少し波打つ。
「分岐点、ターニングポイントを希望」
抑揚のない声。
少しあどけなさの残った声が鏡に触れると、その表面はさらに浪打、ある映像を映し出した。
「っう…!?」
真っ赤に染まる部屋。
クラは思わず吐き気を催す。
鏡に映ったのはとてもこの世のものとは思えないような光景だった。
大地には数多くの死体が転がり、川は血で赤く染まっている。
上流からは時たま老若男女を問わず死体が流れてくる。
ほとんどの死体には欠損が見られた。
腕の無い者、足の無い者。
そんなものはまだ序の口だった。
探そうとしなくてもそこにはどうと頭の切り離されたもの、それどころか人間の死体かもわからないほどめちゃくちゃにされたものがゴロゴロと転がっている。
クラはとっさに鏡の映像を切ろうとする。
しかし理性がそれをとどめる。
鏡が見せるのはまやかしなどでなく、記された未来だ。
そこに映るのは、いまでなくとも、近い未来、確実に起こることなのだ。
一度鏡を消せば、同じ場面をもう一度鏡が見せてくれる保証はない。
魔力が続く限り、鮮明にその光景を脳裏に焼き付ける。
と、同時に、その光景にどこか手がかりはないかと探す。
確かに鏡に映るのは未来の光景だけれども、それは今現在、最もあり得る可能性の一つだ。
ここらへんは細かく語ると長くなるので割愛するが、どうにかして、この未来を退けられる可能性がある。
たとえそれが無理でももっと被害を少なくすることもできるかもしれない。
部屋がいつもの薄暗い空気に包まれる。
クラは額に浮かんだ玉のような汗を袖口で拭う。
そっとため息を吐く。
「…もう吐く!」
下呂下呂下呂ッ
トイレから出てイスに深く腰掛ける。
一度吐いた分、今は頭がすっきりとしている。
「とにかく、何が原因だったか考えないと」
頭の中で先ほどの光景を何度もリプレイする。
一度はいてしまったのですでに胃の中は空っぽ。
吐き気を催すことはあっても、踏みとどまることができる。
「やっぱり原因は悪魔…?」
はっきりと見えたわけではないけど、空に浮かんでいた豆粒のように小さな飛行体。
そして、死んでいた人々のあまりにひどい損傷。
もし、戦争ならばあそこまで人の尊厳を貶めるような兵士はいない。
ならばこその“悪魔”という考えだ。
しかし、その悪魔という考え方も甚だ非現実的だ。
今日、悪魔はすでに絶滅したと考えられている。
存在していたという話も、数百年も前のことだ。
…それでも、やはり一番悪魔、というのが現実的だ。
クラは最近起こった事件事故、魔族の行動などについて調べることにした。
することが決まれば後は行動するのみ。
すぐに街に繰り出そうとする。
…が、ふと思い直す。
スンスンと自分の服を匂ってみれば少しすっぱいにおいがする。
「まずは、お風呂いこ」
そういってクラは着替えのローブを持って浴室に向かった。
☆☆☆
食べ終わった食器をシンクに運び、洗剤を付けたスポンジでごしごしとこする。
貧乏学生に全自動食器洗い機などというぜいたく品はもちろんない。
今日は卵と他にコロッケという高いカロリーを摂取したため自然と鼻歌を口ずさんでしまう。
「フフーンフフー♩」
数枚の食器を洗い終え、乾燥棚におく。
そのあとは足の低い食卓の前に座り、テレビをつける。
すこし小さめだが、どちらにせよ狭い部屋の中では自然と近くから見ることになる。別に問題はない。
何の気なしにつけたテレビだったがそこに映った映像はあまり気持ちの良いものではなかった。
「…現在こちらは○○国の紛争地帯に来ています!
あ、いま激しい銃撃戦が始まりました!」
どこか遠い国で行われている紛争、その生中継映像。
映像の端には少年兵だろうか、まだ13歳ぐらいの子供が鉄砲を抱えていた。
昔なら絶対に放送されるようなことはない映像だったが、5年前ぐらいだろうか。
新しく可決された法案でこういった映像はむしろ率先して放映されるようになった。
いわゆる、戦争をさらに詳しく知ることで戦争をしないようにするため、らしい。
…それからというもの、災害地や難民への寄付金がとても増えた。
言葉、知識としては知っていたけども、実際に映像で見るとやはり自分の尺度で測っていたのだな、と思ってしまう。
すぐにチャンネルを変える。
例えチャンネルを変えたところで現実が変わるわけではないけど、あまり見ていて気持ちいい物ではない。
それも、自分よりも年下の子供が銃を抱えて殺し合いをしているのだ。
やはり、あまり直視できるものではない。
別のチャンネルではお笑い芸人が一発芸をやっていた。
あまり面白くなかったのに笑えてしまったのはどうしてだろうか。
スイッチ一つで代わる光景。
それなのにその二つには目に見えないあまりにも強固な壁があった。
布団を敷く。
あまり今日はもう何かをしたいという気にはなれなかった。
大学で提出するレポートもあるけれど、まだ期限はある。
カチカチッとひもを引っ張り明かりを消す。
暗闇の中、どうしても浮かんでくるのは先ほどの映像、一人の少年の姿だった。
しかし、不憫に思えても実際自分にできることは限られている。
今度また募金しよう…
そう思ってそっと、意識を閉じる。
☆☆☆
外に出てクラは目を細めた。
普段暗い部屋にこもることの多い彼女にとって、外の光はとてもまぶしかった。
「やっぱり、たまには外にも出ないと駄目ね」
そういってクラは街へ向かった。
自宅の研究所からでて30分ほどすると開けた場所が見えてきた。
クラの家は周りを深い森に囲まれて、その研究所も地下にある。
もし、そこから歩きだけで町まで行こうとすれば一日や二日では聞かないだろう。
しかし、クラは魔法使いなのでもちろんそんな愚は犯さない。
開けた、と言ってもそこまで広くはないのだが、その中心に立つとクラは呪文を唱えだす。
鏡の時に紡がれた時とはまたちっがった響きを持つそれは土の中にしみ込むように沈んでいく。
しばらくするとクラの詠唱が終わる。
すると、クラの足元、魔力がしみ込んでいたところが盛り上がる。
すぐにそれはある動物の形を作る。
色、材質など差はあれど、それはどこからどう見てもグリフォンだ。
ヒラリ。
まるでそんな擬音が付くかのように身軽にクラは土グリフォンにまたがる。
するととたんにそのグリフォンの翼がはばたき始める。
ふわりと、その体が浮かぶ。
とても土からでき後は思えないしなやかな翼のはばたきで一人と一匹は空へと飛び立った。
街、その少し外れたところに到着する。
クラはそこから歩いて街に行く。
土グリフォンはいつの間にか再び土くれに戻っている。
トントン。
城壁の、少し小さな扉をたたく。
すると、衛兵だろうか、中から一人の中年が出てくる。
「おや、こりゃまた珍しい。クラちゃんじゃないか」
クラの顔を見るなり笑顔を浮かべる。
「通ってもいい?」
「ああ、もちろんいいよ。買い物かい?」
「そんなとこ」
この中年、クラとおなじぐらいの娘がいるが、家に帰ればその娘からひどい扱いを受けるためか、クラにはめっぽう甘い。
「そうか、ならちょっと待ってな。・・・ほれ、許可証」
本来なら長い手続きが必要な書類をポンッと簡単に渡してしまう。
クラはそれを受け取り、会釈をしてそのまま部屋を出ていく。
後ろを振り返ればまるでわが子を見守るような男の顔がそこにはあるのだが、クラはそれにきずかづ過ぎ去ってしまう。
街についてクラがまず行ったのは掲示板のチェックだ。
もしあの映像に悪魔が関係しているのなら、そしてそれが近い将来なのなら、魔物の討伐以来などが多くなっているはずだ。
「多いか少ないかわからないわね」
掲示板をひとにらみするとクラはすぐにその前を立ち去った。
そもそも街に行くことからして少ないのだから、掲示板を見たってその量の基準が分からない。
ならば、と思い、すぐ隣にあった組合に顔を出すことにする。
この掲示板もその組合が出しているので、そこの受付嬢にでも聞けば早いだろうと思ってのことだ。
カランコロンッ
ドアを開けると取り付けられていたベルが鳴る。
「いらっしゃいませ~」
どこか間の抜けな声が届く。
中にはそれなりの人がいて、なかには昼間からお酒らしきものを口にしている者もいた。
「あれ、クラちゃん?」
そういって近寄ってきたのはこの組合の受付嬢、キルケだ。
「お久しぶりです、キルケさん」
「うんうん、久しぶりだね~。で、どったのこんなところで」
「ちょっと聞きたいことがあってきたんです」
この組合、あるところではギルドとも呼ばれ、剣士、術士、冒険者などに仕事を斡旋するところでもある。
「さいきん、変わったこととかないですか?」
「変わったこと?なんか具体性のない質問だね。
そりゃ何かあったかって言われれば、いくつかあるけど…」
「たとえば以前に比べて魔物退治の依頼が増えたとか、猟奇的事件がなかったか、とかです」
「う~ん、ちょぉっとまってね~」
そういってキルケは台帳をぱらぱらとめくり始める。
その間クラは回りをうかがう。
先程から幾人かからの視線を感じていたのだが...
見渡してみても誰とも目が合わない。
「...クラちゃん?」
「あ、すみません。それで、どうでしたか?」
「うーん、軽く見てみただけだから断言はできないけど確かに例年に比べてすっこーしだけ、多くなってきてるかな?」
「...そうですか」
「それにしても、こんなこと聞くなんて珍しいね。
なにかあったの?」
「いえ、何となくです」
そういうとクラは不思議そうな顔をしたキルケをおいて足早に組合を抜け出した。
「うーん、ま、クラちゃんだからかな?」
いつも奇行を繰り返し、周りを驚かせるクラ。
しかしその容姿は整ったものだから周りには優しく見守られている。
まぁ、それが先ほどクラが感じた視線の状態なのだが。