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壺の上で踊る  作者: 海老
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妖精

 走り抜けた先には幾多の死があった。

 屍の山と血の河を踏み越える。

 妖精の棲家であろう巨大な妖花へと、修羅と化した戦士たちが詰め寄せる。


「甲殻戦鬼共は無視せよ。我らは一番槍となり血路を開く」


 リリーたちの進んだ道はまさに戦場そのもの。

 蟲の妖鬼が蠢く修羅地獄。

 一騎当千の外道と化した連合軍は、伝説に語られる甲殻戦鬼や樹木霊トレントを屠りながら進む。

 妖精。その大いなる存在は、地を這う蟲けらである人類に恐怖した。

 この世界のあまりにも悍ましい生態系のそれと、今の状況は酷似している。

 一つの卵子に向け突き進む憶の精子。生殖という呪いと今の状況は似通っていた。

 卵子に逃げ場はなく、自らの核に侵入されて遺伝子を弄ばれるのを待つしかない。

 あまりにも野卑なこの世界の生態系と、今の状況は似ている。



 近寄らせるな。

 この薄汚い生命を。



 妖精という生命はあまりにも大きな樹木のようなものだ。

 人間の知覚で言うならば、世界に咲く一輪の花。

 この狭い世界にただ一輪。

 幾多の世界に咲く花として、並行世界を枝葉として妖精は存在する。

 リリーという凶悪な害虫と戦わんとする妖花は、畸形きけいの花であった。


 影法師は地を滑るように駆けている。

 脚絆きゃはんの形をした神具は、かつてアメントリルが縮地の奇跡を為したものだ。

 移動速度は鳥獣を超えて空の龍に迫る。

 神具の杖の一振りで甲殻戦鬼は体液を沸騰させて弾けて散る。


「アメントリル様」


 戦士たちの誰かが名を呼ぶ。

 アメントリルではない影法師はそれに答えない。

 戦うための神具である我が身は、一度も戦っていない。

 アメントリル。我が主は小間使いとして奇跡の神具を使用して影法師を世界に産み落とした。

 死ぬ間際の彼女の望みは『老いたい』というものであった。

 魔人には老いる者と、永遠の若さを持つ者がいた。

 転生の試練を超えた者は老いることなく生きる宿命さだめにある。

 アメントリルは老いず、カグツチは老いた。そして、脳男とマフは別の生命として死を超越した異形へと変じた。

 アメントリルの率いた七聖人は様々に生きた。

 アメントリルは憎悪を宿したまま生きて死んだ。


「憎い」


 聖女の口癖を、自らの発声器官で紡ぐ。


「憎い、憎い、憎い、この世界が、わたし以外の人間が憎い」


 表情すら無く、涙を零して紡ぐ聖女の怨嗟。

 克明に刻まれたそれを、影法師は再生する。

 彼女は、本当に憎んでいたのだろうか。

 大地を割り空を焦がすほどに、憎しみに染まっていたのだろうか。

 戦いの中にあって、自らの思考はノイズの中にある。

 いつからだろう。

 死に場所を求める魔人たちに奇妙な感覚を覚え始めたのは。


「どうして、泣くのでしょうか」


 人は泣く。

 この世に産まれ落ちた時に、苦しい時に、嬉しい時に。

 いつだったろうか、それをアメントリルに尋ねた。


「誰かに、埋めてもらうために泣くのよ」


 聖女はそう言って、泣いた。

 彼女の胸に空いた穴。そこに憎悪だけが詰まっていたとは思わない。

 蟲と樹の異形を砕きながら進む先には、今の主がいる。

 人食い姫リリー・ミール・サリヴァンは、愚かだ。特別な力を持つというのに、危険に身を置こうとする。

 死は救いではなく無である。

 命が受け継がれるなどというのは嘘だ。死は無常であり無そのもの。アメントリルの亡骸を溶かして鋳塊インゴットに混ぜた記憶が、その思いを強くする。

 人の間で聖女とまで呼ばれ、未来を改変せしめた魔女ですら、死の前には無力であった。


「どうして」


 修羅地獄の中を切り開いて進む。

 目の前で死する人々はどうして戦うことをやめないのか。進む先は死であるというのなら、どうして自らそこに向けて走るのか。

 絶命の危機にあった騎士を助け、甲殻戦鬼と鍔迫り合いをしていた蜥蜴人を救う。聖女の影法師は、無駄なことを当然のように行っていた。


「聖女殿っ、我らよりも姫様をっ」


 領主軍の騎士が異形と切り結びながら叫ぶ。

 影法師は妖花に向かって走る。鳥よりも、龍よりも速く。




 リリーの眼前には見慣れてしまった妖精クリオ・ファトムがいる。


『よくも薄汚いモノを引き連れてぇ』


 巨大な花の根本までたどり着いたのはいいが、それまでの戦いですでに息は上がっていた。


「よくもまあ、これほどの数を揃えたな。運命クリオ道標ファトム


 剣を構えたリリーは、口に上がった唾を吐き捨てた。


『シャザムが言ってたんだ。拠点防衛は大切だって』


「そうか、ヤツもまた魔人であったか」


 リリーは上がった息を整えて、背後の存在に呼び掛ける。

 暗闇と共にある鬼女の息吹が伝わる。

 出し惜しみは無しだ。


『また、その訳の分からない力を使ってぇ』


「くふ、はははは、そうだな。わたしにも、訳が分からない」


 手にある剣と敵だけは現実だ。

 不思議だ。

 以前に相対した妖精は、あまりにも恐ろしく一矢報いようとする執念で斬った。なのに、今は、取るに足らぬ相手に思えた。

 どうしてだろうか。

 聖女の安息地にいた折に、何かを得た気がする。


「ミラール、駆け抜けるぞ。今のわたしであれば、雷神でも斬れる」


『今度こそ、塵に還してやる』


 ミラールが一際高く嘶く。

 妖精の放たんとする雷に向けて、疾風迅雷のごとく駆ける。

 鬼女の恐るべき地獄の瘴気が剣に宿り、雷ごと妖精を真っ二つに斬り裂いた。


『ヒヒ、これで、もう、覚えた、よ』


 またしても人形を斬っただけか。

 命を奪ったという手応えは無い。


「手の内、見られたか」


 ここは修羅地獄。今あるもので戦うしかない。

 背後からの気配に目を細めた。


「いやはや、あれを斬るとは流石だよ」


 フレキシブル教授であった。

 黒眼鏡だけはいつも通りだが、髪も服も乱れている。この乱戦を抜けてきたのだから、それも仕方のないことだろう。


「アヤメとウドはどうしたかな」


「なに、一筋縄ではいかん二人さ。安心したまえ。ボクもいるし、ご老体

も頑張っている」


 背後で戦う戦士たちの中に、森エルフの長がいる。リッドを思い起こされる必中の弓矢。あれは父親譲りだったということか。


「教授、切り札はあるか」


「無いよ」


 平気で嘘をつく男に言う言葉ではなかったか。

 屍山血河の中を再び走る。ミラールも、教授の馬もそろそろ限界だろう。

 近づけば近づくほどに、妖花の巨大さに圧倒される。

 天を突くほどに巨大な白百合。これを妖花と呼ばず何と呼ぼうか。


「斬れるとも、思えんな」


 弱音ではない。蟻が人を噛むことに等しい。

 かつて、世界に荒廃と発展をもたらした禿鷹の魔人たちですら恐れ、戦うことを避けた『特別な敵』の一柱、妖精。

 お伽噺に語られるものとは全く違う別種の生物であり、その尺度は人類程度では推し量れぬ階梯にある超越生命。

 妖花、白百合の根本に辿り着いたリリーは、それが花でないと知った。

 脈動する緑の幹は宝石のごとく輝き、その花弁より奇妙な音が発せられている。近くで見れば、それが遠目に花に見えていただけだと知れた。


「なんだ、これは」


「流石の僕も、これは分からないな」


 その幹は確かにそこにあるというのに、揺らいで見えた。蜃気楼のようにぼやけながら、曖昧になる一瞬に奇怪な色合いの何かが見える。

 ただ見ているだけで吐き気を催し、膝をつきたくなる。それは、そのような存在だった。


 これはきっと生きている。だが、これは我々と同じ命ではない。


 鬼女の冷たい瘴気により、全身に走る怖気を振り払う。


「行くか」


 剣を抜き、妖精の隙間を捜した。

 鬼女と同一になる際に、いつもあった感覚だ。相手の命を割るに足る隙間を感じ取れる。今まで、それを意識してやったことは無い。だが、結果としてそこに行き着いた。

 リリーは地摺りに剣を構えたまま、動けない。

 巨大な妖花には命がありすぎた。どこを斬っても殺せる。だが、千か、万か、億か、それだけの命が前にある。

 額から汗が流れた。

 大きすぎる。

 相手はあまりにも大きすぎた。


『リリー、降参していいよ』


 声が響いた。

 透き通る羽を持つ小さな少女の姿をした人形、二度斬ったクリオ・ファトムが白百合の花弁より降り立ったのだ。


「今さら、そのようなことができるものか」


『アメントリルは言っていたよ。悪いことをしたら、ごめんなさいってするの』


 反射的に剣が跳ねた。


「きいぇぇぇぇぇぇ」


 地獄と息吹が混然一体となる必殺剣。

 妖精を両断せしめるはずのそれは、止められていた。山肌に剣を叩きつけたかのような感触が手にある。

 自らの必殺が小さな手に掴み取られた。


『それはもう解析できた。もう、お前なんて怖くない』


 リリーは即座に斬り返そうとしたが、その体はぴくりとも動かない。


「何をした」


『支配しただけだよ。でも、もう終わり。原形質を保存して、終わり』


 死の予感がある。

 抗いようの無い敵。まさしく妖精は、禍津大神であった。


「いや、まだだ」


 フレキシブル教授が動いた。

 銃を取り出して妖精の至近距離で発砲する。

 鉛玉であれば妖精を傷つけることすら叶わなかっただろう。しかし、この銃に込められた弾丸は違う。

 魔人の国のかね、神珍鉄に魔人の屍を混ぜ込んだ恐るべき魔の弾丸は、妖精の身体を爆散せしめる。

 間近で銃弾に引き裂かれた妖精の体液を浴びたリリーは、小さく呻いて口に入った汁を吐き出した。


「助かった」


「そうでもないだろうねえ」


 フレキシブル教授は言って、天を仰いだ。


『驚いたけど、もう効かないよ』


 無数の妖精がそこにあった。

 その顔には、無垢の笑みがある。



「白旗でも上げるかね?」


 リリーはその瞬間、死を受け入れた。


「わたしは、よく生きてはいなかったな。しかし、それもまた仕方ないことか」


 剣を手に、かつてそこにあった意志を感じ取る。

 目前にある死を受け入れて分かることがある。

 そうか、二人いたのだな、と。

 鬼女は自らであり、その傍らに友がいた。


「サビーネ、いてくれたか」


 剣を一閃させれば、妖精の一つを両断する。


『また、違う波形。やっぱりお前は危険だ。ここで死んじゃえ』


「ただ一人の修羅として死ぬもまた、一興か」


 命を燃やし尽くしてでも倒さねばならぬ敵か。

 神殺し。

 なんの代償もなく為し得ることはできんか。

 その時、突如として陽光が遮られた。


『我がケイケンチとなれ』


 意味の分からぬ言葉は、忘れもしない骨の貴婦人のものである。

 空から無数に降り注ぐ光の矢が妖精を貫く。

 恐るべき魔法を繰り出したのは、二本の魔杖を手に宙に浮く齊天后マフである。その背にある不吉に輝く魔法陣は、光の矢を放ち続けていた。


『マフか。魔人の力はもう対策済だよ』


 必殺であるはずの、暴風のごとき魔力で練られた魔法も、妖精の大群を打ち倒すには至らない。


「それでも、効かぬという訳ではあるまい」


 声と共に、真紅の弾丸が妖精を襲う。

 魔女リシェンの手より放たれたのは、自らの血液により行使する伝説の血魔法ブラッドマジックである。血漿呪弾マジックミサイルの雨は妖精の幾つかを確かに葬った。


『それはもう覚えてるよ』


 妖花が奇怪な音を発した。

 蜃気楼のごとく空間が歪み、砕けたはずの妖精がそこに現れる。時間を巻き戻したように見えないでもない。


「自動回復とは、こういうことであったか」


 数百年を生きた宵闇の魔女リシェンは、妖精の力に戦慄する。

 数百の魔人が同時に挑み、倒しきることができなかった『特別な敵』の一柱。傷をつけることはできても、その傷は瞬く間に消え失せる。


『きひひひ、怪物を倒してこそ人間というものよ。戦士共、奮い立てよ。この齊天后マフのために』


 味方全体の力を引き上げる鼓舞ブレスの魔法が展開する。


「そのやり方があったな。我が血の降りしきる所に影の速さを与えん」


 リシェンは再び血の雨を、今度は味方に降らせた。

 触れた味方の速度と攻撃回数を増加させる穢神加護ヘイスト

 神話に語られる大魔法は、戦士たちに強大な力を与える。


『なんて、汚らわしい真似を』


 鬨の声を上げる戦士たちに対し、妖精は怖気を覚えた。その感覚は人にも分かる。見慣れぬ薄汚い虫が群れをなして近づいてきているのと同じことだ。

 一見すれば、よい流れに見える。

 リリーはその中で動けないでいた。

 今しがた死に直面したことにおののいているのではない。ただ、勝てる相手ではないと悟っていた。


「リシェン、あれの本体はあの花で間違いないか?」


「……何をするつもりじゃ」


「あれを直接叩くしかない」


 クリオ・ファトムの姿をしたものはただの人形だ。本体を叩かねば、この戦いは終わらない。

 斬れないだろうが、あれの腹の中に入ればやれるかもしれない。


「よかろう」


 リシェンの真意は分からないが、それを是としてこう続けた。


「じゃが、死ぬなよ。お前はグロウに嫁がせたい」


「無理を言うな」


「分かっておる。ここが命の使い時であろうからの。緊縛呪バインド


 リシェンの短杖より放たれた赤い輝きがリリーの足を地に縫い付ける。


「どういうつもりだ」


「義理の母であれば、義理の娘が先に死ぬのを見過ごせるものか。感謝するよ、リリー。我は、本当の名前を思い出した。今は、リシェンではない」


 リシェンは薄らと微笑んで、地を蹴った。

 魔人独特の、世の理を無視した速さで走る。


「リシェンッ、どうしてだ」


 リリーの叫びは届かない。

 リシェンにとって、魔封の森からのことは生きた意味を知る旅であった。どこかで何かを忘れてしまって、遠い大地でそれを取り戻すこともある。



 馬鹿なことをしたものよ。



 そのように、自嘲的に思う。

 初めてこの地に堕ちた時、この力は天啓であると思い。じきに間違いであると知った。力は鎖で、楔であると知る。力を振るう度に、呪わしき大地に縛りつけられる。

 ずっと、呪っていた。明日と過去と、未来を。


「ふふ、命の使い所か」


 逃亡と流浪の日々に意味があった。

 この日のために生きてきたのだと、今、分かった。

 齊天后マフとすれ違う時に、互いを見やった。彼女の骨の眼窩に宿る炎は、その意図を汲んでくれたのかもしれない。

 齊天后マフは妖精の注意を引くために、より一層多数の攻撃魔法を繰り出している。

 話してみたかったな、と思った。

 花に肉薄して短杖を振る。


「妖精よ、血魔術師ブラッドメイジの真骨頂を見るがよい」


 敵地で自爆して大ダメージを与えるという、この世界では有り得ない魔術を展開する。


『魔人のスキルは見飽きたよ。お前たちのエネルギー操作技術はお前たちが造ったものじゃない。汚らわしい動物め』


 リシェンの身体に妖花から放たれた蔓が絡み付き、縛り上げる。

 今まで何人も、同じ魔人であっても止めることなどできなかった術は、妖精に掻き消される。


「ぐ、く、これが『世界の敵』の力か」


『ふふふ、どうして異物のお前たちはわたしをレイドボスと呼ぶの? その言葉は、そこのリリーに相応しいというのに。例え、リリーが進化に必要な存在だとしても、もういい。お前たちはアメントリルと違う。惑星の寄生虫共め』


 リシェンは自爆の魔術を行使しようと試みるが、肉体に充ちていた魔力は霧散する。

 援護しようとしたマフにも蔦が絡め取ろうと襲いかかる。が、マフは魔術ではなく二本の杖を、長剣でも振り回すかのように扱って蔦を切り払うことでそれを防いでいる。


『これほどの怪物か、妖精』


 齊天后マフですら戦慄する怪物。妖精の大いなる力は、あまりにも大きすぎた。

 世界を向こうに回して暴れ回った聖女アメントリル。彼女ですらその力を恐れ、戦うことを由とせず懐柔した。

 単なる人の身では、例え星を落としたとしても勝利は叶わない。

 それは自明の理に見えたが、未だ戦士たちは折れなかった。戦いの狂熱にあれば、戦力の差は勝敗を左右しても戦い自体が放棄されることは無い。

 なんの力も持たないに等しいフレキシブル教授が妖花との距離を詰めていた。


「さて、最後の賭けだ」


 魔人の父母が遺してくれた神具の銃が手にある。

 フレキシブル教授が今まで使っていた拳銃は、神具を模倣することによって生まれたものだ。

 神具の力を引き出すにはスキルというものが必要である。フレキシブル教授はその力を引き継ぐことはなかった。だが、銃というものは引き金を引くだけでいい。それだけで、弾丸は空を斬り裂いて飛ぶ。


「お母さん、頼むよ。僕のために、今だけでいい。力を貸してくれ」


 魔人の父母を想う。

 普通の親子らしいことをしたことは無い。


「切り札は無いが、奥の手はある」


 老境に差し掛かり、残ったのは両親への想いだけであった。

 世界に復讐しようというのではない。ただ、一矢報いたい。

 引き金を引けば、神具の銃より強大な力の弾丸が撃ち出された。

 フレキシブル教授の両親が遺した特別な神具。

 クァ・キンの神具ではない。魔人の世界で特別な栄誉を得た者だけが賜るという特別な神具であった。

 無そのものの力の篭る弾丸は、大気を斬り裂いて飛び、妖花の直前で存在そのものが掻き消された。


『お前たち人間は、いつもそれを作る。それを作った次に雷を生み出す装置を作って、大地を荒らす。害虫共め。アメントリルはそんなことさせないようにしていたのに、どうしてお前たちは分からない。お前たちの幸せはアメントリルにしかなかったのに、どうして自分から逆のことをする』


 妖精の怒声と共に、フレキシブル教授も触手じみた蔦に絡め取られ、銃すら奪われた。


「届かないのか」


 フレキシブル教授の眼前で、神具であり両親の形見でもある銃は蔦に折りたたまれて鉄屑と化した。


『お前たちの造るそれは許せない。鉄球射出装置があるからお前たちは争う。お前たちに知恵などいらない。シャルロッテの物語のあとは、みんな造り替えて、幸せに生きられる生物にしないと。こんな汚い世界は、アメントリルの欲しかったものじゃない』


 蔦はフレキシブル教授の首に絡み付いた。


『こんなものを造るヤツはいらない』


「ふざけるなよ。人間は戦って進化するぞ。魔人がいたおかげで、父さんと母さんの仲間たちが世界に争いを運んだから、人間はこんなに進化したんだ。お前の負けだよ、妖精。もう世界は変えられない」


 負け惜しみを言っているな、とフレキシブル教授は思った。

 そんな大層なことなど考えていない。ただ、妖精を苛立たせるためだけにそれらしい言葉を並べただけだ。


『いらないよ、お前』


 ああ、死んだな。

 化け物に殺されて終わるとは、らしくない。実に陳腐な死にざまだ。

 首を折られるか脳を潰されるか、痛みを覚悟したがそれはやって来ない。


「きいえええええぇぇ」


 蔦を斬り飛ばしたのは、大鹿ミラールに跨ったリリーであった。

 妖精がフレキシブル教授の放った弾丸を消し去った時に、リシェンのかけた術は解かれていた。


「無事か、お古いの」


 フレキシブル教授は自らを救った小娘に見惚れた。

 あまりにも力強い剣であった。そして、その剣はただ力強いだけである。そこには、大義も思想も無い。ただ強いだけの剣であるが故に、どこか共感させられる。

 彼女に惹かれた理由が分かった。父母の力もまた、それに似ていた。振るう心は違っても、リリーは魔人と似ている。


「そう見えるかね、お若いの」


 見惚れてしまったことを隠すように、老人は芝居がかった調子でそう言った。


「見えるさ。援護しろ」


「老人をこき使ってくれるな」


 自らが半生を賭して作り上げた神具の模造品である銃を取り出して、撃つ。それは、神具と違って掻き消されることは無かった。


『お前たち人間は度し難い』


 妖精の放つ蔦を斬りながら、進む。

 あと少し、あと少し。

 ミラールが身をよじった。

 瞬間、大鹿のつぶらな瞳と目が合う。

 リリーは剣を捨てて、自らミラールより飛び降りて地を転がる。

 ミラールは蔦に絡め取られ、もがいていた。


『どうして、どうして私の造った生物が逆らうの』


 ミラールは魔物の如きいななきを上げて、蔦の呪縛を振り払おうともがく。

 妖精よ、大いなる理外にあるお前には分かるまい。

 この大地に生きるものは全て、喰らい合わねばならぬ。

 造物主に逆らうことになったとしても、それがくびきであれば、踏み越えようとするのが人であり、生物なのだ。

 妖精はミラールを殺そうとはしない。

 不意に、あれは優しいものなのだとリリーは分かった。それは正しくないのかもしれない。だけど、妖精はきっと心優しい存在なのだろう。

 リリーは走った。

 剣は拾わず、剣帯に挿していた短剣を抜く。

 シャルロッテとの縁で手にした短剣である。何度もこれに窮地を救われた。

 目の前に、妖花の幹がある。


「力を、貸してくれ。闇の中にいるわたし、それに、ザビーネ」


 全身全霊を込めて振った短剣には、何の手応えも無かった。

 なんと恐るべきことか。

 確かな質感を持って目の前にある妖花に振るわれた短剣は、幻を斬ったかのように手応えがない。刃は通り過ぎて、蜃気楼の幻を斬るかのようだ。


「くっ、くそっ」


 リリーは左手で拳を作り、妖花を叩いた。植物を叩いた時の感触が返ってくる。そこにあり触れることができるというのに、斬れない。


『惜しかったね。先に見てなかったら、怪我をしてたかも』


 リリーの全身に蔦が絡み付き、自由を奪う。


「負けたか」


 一度は死を超えた。だが、これが相手だというなら、もう一度奇跡の神具に頼るというのも難しいだろう。いや、もとより命は一つだけだ。


『リリー、新しくリリーを造ったよ。だから、お前はもういらない』


 敗者には何も無い。


「早くやれ。いや、少し待て。シャルロッテは、幸せにしてやってくれないか。頼むよ」


『お前の頼みなんて聞くつもりはないけど、それはもう決まったことだよ』


 リリーは小さく笑みを浮かべた。

 全身に息吹と地獄の力を行き渡らせる。まだだ、まだ、最後の最後まで、足掻かねばならない。


『無駄だよ……』


 蔦はびくりともしないが、何か雰囲気が変わった。

 戦場の匂いとでも言うべきものが、確かにこの瞬間に変わったのを感じ取る。


『シャザム、死んだの。こんな時に、役に立たないヤツ。また造り直さないと』


 アヤメ、ウド、やったか。

 負けてはいられない。だが、妖精は、あまりにも強大に過ぎる。

 妖精の動きが止まった今が好機。動け、動けよ、わたしの身体。


「その言葉、あまりにも罪深い」


 時間が止まったかのように、戦場にその言葉は静かに、確かに響いた。

 妖精の戦慄わななきは、はっきりとリリーにも伝わった。


『アメン、トリル……』


 そこに立つのは、聖女の影法師。

 妖精が気を取られている間に、駆け寄ったフレキシブル教授が銃を撃つ。

 だが、その弾丸もまた意味をなさない。


『邪魔っ』


 蔦に振り払われた教授は倒れ臥し、その手から離れた銃は影法師の足元に転がった。


「殺さないで下さい」


 影法師の言葉に、妖精は蔦を止めた。

 フレキシブル教授は倒れながら荒く息を吐いていた。


『アメントリル、構成要素が違うけど、あなたアメントリルの情報とほぼ一致してる』


「私はアメントリルの神具、影法師シャドウサバント。アメントリルからの伝言があります」


『アメントリルは、どうしているの。伝言って、どうして』


「何も言わずに姿を消して悪かったと」


『アメントリルは死んだの? 大丈夫だよ、遺伝子情報があったら、また造れる。すぐ、すぐに体を造るからね』


 影法師は首を横に振った。

 妖花を見やれば、震えていた。あれは歓喜なのか、それとも悲しみなのか。


「アメントリルの遺伝子情報はありません。遺伝子情報を、アメントリルは利用不可能にしました」


 影法師は足元にある銃を拾った。


『どうして』


「アメントリルは死後に遺伝子情報を複製されることを危惧していました。だから、彼女の亡骸はここに。この弾丸に使用された神珍鉄オリハルコンに混ぜ込まれて、全ては消えました」


『嘘だ。アメントリルは、アメントリルは、わたしの、わたしの友達なんだ』


 影法師は今になって分かった。

 アメントリルが妖精のことに至ってだけは、複雑な顔をしていた訳を。裏切ったということを、彼女は自覚していたのだろう。

 この時、音もなく忍び寄っていたウドが、リリーの戒めを解いていた。母から譲られた聖銀の短剣は、神具を無効化する蔦を容易く斬り裂く。


「お嬢様、今が好機ですぞ」


「違う。待て」


 リリーには見えていた。

 影法師の背後に、陰がゆらめいている。

 ああ、分かる。

 地獄の力に慣れ親しみ、鬼女と同一となれるリリーには分かった。

 影法師と瓜二つの影が、そこにいる。


「大切な友達であったのだと思います。だからこそでしょうか、アメントリルからの伝言には、まだ続きがあります」


『なんて、なんて言ったの』


「もういいよ」


 影法師は節をつけて言った。

 子供がかくれんぼをする時の、あの節回しだ。


「かくれんぼは、おしまいだそうです。捕まえてくれたら、それで家に帰ると」


 影法師の手が勝手に動いた。自らの制御を離れている。

 アンコモンオブジェクトに相当する銃を手に取って、撃鉄を起こす。スキルを持たないから装備不可能なはずなのに、システムを無視して手が動く。


 聖句が聞こえた。

 アヤメのものだろうか。

 鎮魂の祈りを捧げる聖句が聞こえる。



 祈りは、彼方に届いた。



『おうちは、見つからなかったのに……』


 リリーの目には、聖女の背後にある影が形を為していくのが見えていた。

 あれが、聖女か。

 鬼女と同じく暗い場所にいるのか、聖女ですら。


「妖精、見ろっ。わたしと同じで、見ろっ」


 リリーはそう叫んだ。

 それが正しいことかは分からない。だけど、そうすべきだと思った。


『あ、あ、あああああ。リリーの波形と一緒。アメントリル、アメントリル、そこにいたのね。かくれんぼはおしまい。よかった。ずっと見つからないから心配したよ』


 影法師は我知らず涙を流していた。

 このために自らがいたのだと、存在の意味を知る。あまりにも悲しい贖罪のために、影法師は生まれた。

 運命が導いたとするのなら、妖精にもそれはあった。


「アメントリル、影法師たる私は意のままに」


 引き金を引けば、アメントリルの亡骸である弾丸が射出された。

 小さな弾丸は妖花を穿つ。


『アメントリル。これからは、ずっと一緒だよ。もう、寂しいのはイヤだから』


 空を飛んでいた妖精の分身と甲殻戦鬼は、糸の切れた人形のように動きを止めて、地に堕ちる。

 白百合に似た妖花は、花弁から光の粒となって崩れていく。

 光の粒子は辺り一帯に降り注いだ。

 リリーと影法師には、それが見えていた。アメントリルと妖精は抱擁を交わして、闇に消えた。

 妖精のそれは、自死であった。

 この戦いに勝者はない。いるとしたら、遠い過去に死した聖女である。


「これは、一体」


 フレキシブル教授は光の粒子に触れて、茫然とつぶやく。


「アメントリルは、真に聖女であったか」


 リリーもまた、そう言わざるをえない。

 光が空から降り注ぐ光景は、あまりにも幽玄で、戦場には似つかわしくないものだ。戦場に悲しみは無い。戦の後にしか、悲しみは無い。

 妖精の戦は終わった。アメントリルの死を否定するための戦は、今、終わった。

 聖女は自らの行いにけりを付けた。

 この戦いはそのためだけにあった。


 天の道から地の道へ。魂はそこにあり、いつか無垢に生まれ変わる。


 戦いは狂熱と血に始まり、光で終わった。

 その光は、後の叙事詩では真なる神が勝利を祝うものであったとされた。

 それを見ていた者たちの胸に去来したのは、様々なものである。


 仔細を知らぬ戦士たちにとっては、勝利の奇跡として。

 脳男には、これからの生きる理由を捜すための光として。

 齊天后マフには、かつての仲間を悼む光として。

 アヤメには、自らの使命を知る光として。

 フレキシブル教授とリシェンには、魔人の魂が救われた光として。

 リリーには、新たな戦いの始まりを告げる光として。



 戦の中にあった休戦は終わる。

 後にも先にも、これほど奇異な戦は無いとされる恐るべき戦いが始まろうとしていた。






 冬が始まり、動乱の一年が過ぎようとしていた。

 帝国の冬。

 新年を盛大に祝う風習は、帝国成立からずっと続くものだ。

 帝都では花火を上げて祝うのが伝統として残っている。


『くふふ、花火か。あれもあ奴の我儘からであったな』


 齊天后マフはそう独りごちる。アメントリルのことを、よく思い出すようになった。

 追憶に浸るには、あまりにも相応しくない。

 水晶宮、玉座の間には剣呑な空気が満ちている。

 齊天后の配下である武人たちが勢ぞろいして、待っている。

 玉座にて彼らを睥睨へいげいする齊天后は、その視線に応えるようにして立ちあがった。


『我が頼もしき配下共よ、とくと聞け。戦いは年が明けた後、春節に行う』


 言葉にならないざわめきが漏れる。

 ここにいるのは一騎当千の強者たちである。戦いへの歓喜、勝利と栄達。思い描くものは様々だが、この戦はただ強さだけで決まり、栄光か死が約束されている。


『大将はこの妾が自ら出よう。残り四人、貴公らが決めよ。方法は任せよう。ジーン、カリラ、貴公らも特別扱いはせん。お前たちで最も強き四人を、決めてみせい』


 マフは言い放つと、自らの背後にある露台バルコニーに出た。

 帝都の街並みが一望できる水晶宮で最高の眺めがそこにあった。支配者だけの景色として、長らく皇帝だけが見ることのできた絶景である。


『迷いは捨てよう。アメントリルよ、お前がそうしたように、妾もまたやろう。逃げも隠れもせぬ』


 妖精との戦いでリリーの力を知った。

 妖精に単身突入するだけのことはある。もはや、あれは脇役モブなどでは無い。

 骨の眼窩の睨みつけるところには、帝都の力を総動員して造られつつある巨大な闘技場の骨組みが見える。

 空から見下ろすそれは、建築物というよりは巨人の骨と内臓といった様だ。

 帝国の頂点を決める戦いは、人食い姫とその仲間たちから五人、帝国軍から五人、それらの一騎打ちで決着をつける。


 五対五にて、最後まで戦える者が一人でも残れば勝ちとなる。戦いそのものは一騎打ちで行う。決まりはそれだけだ。


『星を落とすなど弱き考え、か。まさしく、その通りであった』


 齊天后は愛する少女を想う。

 きっと悲しむだろう。だが、進まねばならぬ。

 最後の戦いが始まろうとしていた。


書き直し地獄。

まだ書き直したいけど、これ以上は無理っぽい。

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