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派遣シリーズ(短編)

パート・タイム・ラヴァー

作者: 大原英一

 鳩 大夢(ひろむ)はいま、ちょっとしたチャンスを掴もうとしていた。

 それは後で触れるとして、まず彼のめずらしい苗字から行こう。鳩だ。鳩だけど人間だ。っていうか苗字だ。

 彼は自分の親族以外に鳩姓の者と出会ったことがなかった。が、とある企業に派遣されたとき、ついに出会ってしまった。彼は派遣社員だった。

 その鳩さんとはまだ一度も話したことがない。彼女は部署が別で、ついでに言うと正社員だった。

 彼女はきっと鳩のことなど気にも留めていない、そう彼は思っていた。ちなみに彼が掴もうとしているチャンスと彼女は、まったく関係ない。


 鳩には夢があった。それは小説家になることだった。専業、兼業は問わない。実際彼は派遣社員といういまの仕事にもそこそこ満足していた。いつか成れたらいいな、くらいの勢いだった。

 ところがだ。彼の朧げな願望は、にわかに現実味を帯びつつあった。それが冒頭にあるチャンスというやつである。

 鳩は二年くらい前からネット上で小説を発表していた。いまは小説の投稿サイトも充実しており、利用者もそれこそ何十万人といる。

 彼の作品には、すべてではないが、いくつか人気を博したものがあった。なかでも最も評価が高かったのが『パート・タイム・ラヴァー』だった。

 この作品は鳩が小説投稿サイトに掲載しているもので、現在も連載中ですでに二〇万字を超えている。二〇万字といえば四〇〇字詰めの原稿用紙で五〇〇枚にあたる。まあ、本になるくらいの分量である。


 本になる。鳩の書いたものが本当に、本になる。彼のところにいま出版の話がきていた。『パート・タイム・ラヴァー』を書籍化しようというのだ。

 ネット上で人気を博した作品が本になって売られるのは、昨今ではめずらしくない。むしろ流行トレンドだった。

 ネット上で無料で読めるものを、何故わざわざ出版するのか。むろん出版社側からすればお金を取るためだが、はたしてそれを買ってくれる読者がいるのか。

 鳩には、わからなかった。まさか自分の作品が商品化されるなどと、思ってもみなかったからだ。ちなみに、鳩自身はネット小説が書籍化されたものを買ったことはない。今後もきっとないだろう。

 ともかく、これは鳩にとってチャンスだった。自分の書いたものが売れたならば、これはもう、れっきとした小説家の仲間入りである。しばらくは派遣業務との兼業になるだろう。でもヒットとかしちゃったら、どうしよう。夢は果てしなく広がる……。


 さて今回、書籍化の話がきた経緯はこうだ。ネット小説を対象とした懸賞があり、鳩が応募したところ、彼の『パート・タイム・ラヴァー』が見事大賞をゲットしたのである。

 むろんそれほどデカい賞ではない。が、懸賞の内容は賞金一〇万円と書籍化の「可能性」だった。賞金は指定の口座にきちんと振り込まれた。となれば、もうひとつのほうも期待できるというものだ。

 あくまで「可能性」であって書籍化が確定したわけじゃない。そこがミソだ。鳩はこれから、自分の夢のために能動的に行動し交渉しなくてはいけない。正直めんどくさい。


 三鷹の喫茶店で担当者と打ち合わせすることになった。出版社の編集担当だ。出版社はメトロポリスという社名だった。

 なぜ三鷹かというと、鳩と担当者の双方にとってちょうど中間地点にあたる場所だったからだ。鳩がメトロポリス社に出向くというスタイルではなかった。

「弊社はウェブ・コンテンツが主流ですから、社屋は狭いです。はっきり言って雑居ビルです」

 担当者は名刺を差し出しながら、そうはっきり言った。彼の名は広井といった。

 鳩が指定された喫茶店に着くと、広井はすでに店内にいた。鳩に席をすすめると立ち上がって名刺を渡し、ついでに店のお姉さんを呼んで、

「アイス・コーヒーでよろしいです?」と彼に確認した。

 鳩は黙って頷いた。広井の前にはすでに半分くらい減ったアイス・コーヒーが置かれていて、グラスにめっちゃ水滴が付いていた。店内は涼しいが、外はまだ残暑がきびしかった。


 鳩は事前に鳩大夢が本名であることを広井に告げていた。賞金を口座に振り込んでもらう際に本人確認が必要だったのだ。

 だから広井は筆名ではなく「鳩さん」と彼を本名で呼んだ。筆名はまだ重要じゃなかった。出版されるかまだ決まってないし。

「単刀直入に行きます。書籍化するには、お金が必要です」

「うっわー、やっぱり」鳩は思わず額に手を遣った。「……そりゃ、そうですよね」

 覚悟はしていた。例のメトロポリスさんの懸賞は、年に数回催されているが、大賞を獲ったからといってそのすべてが出版されているわけではない。むしろ実現している例のほうが少なかった。やはり、こういう仕掛けだったか……。


「お金の話をした途端、拒否反応を示される作家さんもいます。だから最初に断っておきます」

 広井は悪びれもせずに言った。それからタバコに火を点けると、ゆっくりと紫煙を吐き出した。

「けっして悪い話じゃないと思います。はっきり言って、市井に数多あまたある自費出版とは段違いです」

 広井は続けた。

「鳩さん、あなたの作品は弊社のウェブ小説大賞を獲得し、そのうえで出版されるんです。触れ込みが違いますよ。それにもともと、小説投稿サイトのほうでもこの作品は人気がある。この機会を逃すのはもったいないです。あとはお金を準備するだけです」


「……で、お幾らなんです?」

「三〇万円です」

 即答だった。

「うーん」

 鳩は唸った。微妙な金額である。すでに賞金で一〇万円もらっているから実質は二〇万円ともいえる、はたしてこれが高いのか、安いのか。

 これで夢が買えるのなら安いといえよう。だが、たいして効果も得られず、いたずらにメトロポリスさんだけを儲けさせるには惜しい金額だ。

 正直、あやしかった。メトロポリスさんがウェブ小説大賞をぽこぽこ量産しているのも、この二〇万円の利ざやを稼ぐためではないかと勘ぐりたくなる。

 そんなもん、ふつうは賞金だけ貰ってハイさよならに決まっている……本当にそうだろうか? 夢のために二〇万くらい捨てるサムライがいても、いいのではないか。

 むこうは一勝二敗でトントンである。それに万が一、書籍化した作品がヒットすれば出版社は大儲けできる。そんなヒット作を一勝二敗のペースで待てるのだ。 

 このシステム考えた人、すごくない?


「ちょっと考えさせてください」

 それだけ言って鳩は席を立った。背中で広井がなにか言っていたが、もはや彼の耳には届かなかった。フラフラだった。



 はあ、と鳩ひろ美はため息をいた。ともかく書かないと、はじまらない。

 彼女は小説投稿サイトのユーザページにログインすると、「新規小説作成」のボタンをクリックした。彼女が温めていた作品のタイトルは『パート・タイム・ラヴァー』。

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