第一話 両親の罪 男の娘の誕生のヒミツ
7月の初めに白夜が始まって、今日で13日が過ぎた。
極地特有の環状風が強くなると、海の水を吸い上げた大気が連峰に突き当たり、大量の雨を降らすようになる。雨季の始まりだ。乾季には硬く閉じていた艶鉄色の木の葉が開き、沈まない日の光を追う。
いつのころからか、アーサー以外の彼の家族は、古い大気プラントの保守作業のために東海岸の仮設基地まで引っ越してた。後を追って家族のところに行くには、出来れば天候が安定している乾季のうちに出発したかったのだが、
ここの居住区の配水管がつまったのを父の代理で直すことになったせいで、遅れが出てしまったのだ。
パイプの修理が終わり、自室になって久しいメンテナンスルームに帰ってダクトに寄りかかる。一人だけの住処だ。家具や生活機材の類は最低限しか存在しない。日が落ちて冷え込んできたら、お気に入りのダクトに入り込んで暖を取る。動力炉の熱がちょうどいいくらいに狭い空間を包んでくれる、お気に入りの寝床なのだ。
最近は毎朝、調理区画の中でバーベキューをするようになった。だからここ数日というもの、アーサーの食事の全てには、焼いた肉が追加される。もともとの素材は、動物を殺して作った肉ではなく微生物の粉末を加工して肉っぽくした有機ペーストと呼ばれる人工の簡易食料だ。本当は水を加えて水分を吸わせることで十分に柔らかくなり完成するのだが、一手間加えて焼くことで、肉特有の旨みを引き出すことが出来た。この調理法の裏技はバーベキューを趣味にしていた父が教えてくれたものだ。
限られた食材でも、工夫次第でいいものができる。
母と姉は、むこうの居住区でも元気に過ごしているだろうか。母と姉は顔を合わせれば泣いてしまうといって、とうとう出発の挨拶をすることが出来なかった。
AM-178星系第二惑星ニューエウロは70家族、300人たらずの人員で構成される小さな入植地である。調査とテラフォーミングの歴史は古く、70年以上前から大気プラントが稼動し、バイオマシンによる土壌改良が行われている。本格的な移民が行われる前に、アーサーの家族のような小規模な入植が行われ、惑星環境の調整を行うのはよくあることだ。開拓が本格化すると、先行入植者はいくつかの特権が与えられ、豊かな生活が約束される。
小さな開拓地では、親の仕事を子供が継ぐことが、当然とまではいかないが、ごく普通のこととして考えられていた。生まれてくる子供には基本的な教育が施される。だが高度な技術を学ぶ専門学校などは存在しない。だから多くの場合、専門的な職業知識は親が教師となって自分の子供に教育を行うことで受け継がれた。親の職業が子供の職業になるのは、ごく自然な流れであった。アーサーの家族は、祖父の時代からエンジニアとしてこの開拓事業に従事していた。その仕事は多岐に渡り、プラントの出力調節からトイレの水漏れ修理までなんでもこなす優秀な便利屋であった。
子供の頃は、それでいいと思っていた。問題が起こるとさっそうと工具を背負い、あっというまに解決してしまう父には憧れていたし、機械弄りも嫌いではなかった。小学校の頃、父の見よう見まねで、壊れた学校のモニターの修理をやってのけた時は、入植地の監督官から表彰を受けたりもしたのだ。集団の中で自分の能力が認められ、今後を期待されるのは大きな喜びだった。だからアーサーは一人の時間の多くを、学習に費やすようになった。10歳で基礎物理学の共通単位を取り、12歳になる頃には図書データにあった最新の宇宙物理学書の殆どを読破するに至った。だがそれらの先端宇宙物理学の書物は同時に、アーサーに宇宙への憧れを植え付けていた。エンジニアが嫌いになったわけではなかった。しかし、アーサーは開拓民として、生涯を敷地面積1キロ平方に満たない小さな住施設の中で一生を過ごすことに、疑問を持たせるようになっていた。
ある日、アーサーは両親にこのことを話した。自分はエンジニアではなく、宇宙物理学者になりたいと言ったのだ。そのために、この開拓地を出て勉強したいと打ち明けた。アーサーの願いや彼の能力が本物であることを知っていた両親はだが、アーサーの願いを適える術を持っていなかった。この時代、恒星間移動の権利を持つのは、連邦市民権を持つ人々に限られており。植民地で生まれた両親とアーサーにはこの星の先行入植者の特権はあっても連邦市民権がなかった。
連邦市民権を獲得するには、両親のどちらかが連邦市民であるか、生まれた場所が連邦政府の直轄地でなければならない。アーサーの祖父母は母方の祖母を除いて皆属州ソラーンの出身であり、残りの一人も連邦市民権は持っていなかった。
ただ、生まれた後に連邦市民権を獲得する権利が無いわけではない。後天的に市民権を獲得する方法は幾つも存在した。人類の発展に功績があった人物に連邦市民権が与えられるのはいい例である。ただ、アーサーがそうなるのは確実に壮年期を過ぎた頃の話であるだろうし、アーサーはそれまで待つことはできなかった。
なにか他に方法が無いか調べていると、トムからいいことを聞いた。植民地生まれのアーサーが若いうちに連邦市民権を獲得する他の手段として残された方法は、連邦防衛軍に士官するか、アカデミーの生徒として秀才たちの集う学校を卒業することであった。軍人に自分が向いていないと思ったアーサーは、アカデミーの入学試験を受けることにした。
トムはプラントの技師としてパパの助手をするために派遣された大柄な男の人だ。トムは物知りで、なんでも良く知っている。トムが言うには、全ての人間には、試験をパスすることで連邦アカデミーへの進学が認められてるという。アカデミーで一定の研究成果をあげて卒業することができれば、そのまま市民権を課得することができた。
さらにこれらの学校卒業後にその専門技術を生かした職業につくことによって、それまでに掛かった学費も半額免除されることになっている。さらに、もし就職先が軍関連ならば、残りの半分も免除されるのだ。アーサーの目はこのアカデミー進学に釘付けになった。
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経歴324.77
フリーマインド社の開拓惑星ニューエウロでの人権監視任務の記録を個々に残す。依頼者であるフリーマインド社は1年前ある夫妻に会社で開発された改良素体を提供した。夫妻は事故で子供を失っており、開拓地の閉鎖性という限定された環境での養育は不確定要素を廃し、素体の成長観察にとっても理想的であった。しかしここ最近状況が一変した。夫妻には定期的に素体の状況を報告するとの約束が成されていたはずなのだが、ここ数ヶ月連絡が無いと言う。調査対象は夫妻の元で養育されている改良素体、個体識別番号Y23、シンシア。
シンシアは今から120年前、完全なヒトとして人の母体から生まれ、育った。しかし不幸な事故で両親と自身の脳の半分を失った。当時の神経工学では完全な人格回復が困難とされ解決策がみつかるまでコールドスリープ状態にあった。5年前、ソラーンのコールドスリープ医療部門を委託されたフリーマインド社は補助脳の研究の先駆的会社でもあり、人格や性格を中立的に補填し、治療困難とされていた中枢神経系の再構築を可能としていた。この技術をもってすれば、失った脳を大型の人工脳で補填することによって、人格の変化を最小限に抑えることができる。
技術的な検証が進み、標準人権法の求める基準を満たすとして、コールドスリープ状態の患者に医療的な中枢神経補填措置が行われた。多くの患者の手術は順調に行われ、脳スキャンの結果も良好であり、意識の回復も解凍システムを起動すれば問題なく行われ、社会復帰も順調であった。
一方Y23は状況が違った。なにより年齢的に若いため、扶養者の存在が不可欠であったのだ。両親は事故で亡くなっており、兄弟ももうこの世にはいない。そこでフリーマインド社は自社の社員の中から適格者を選別することになった。そこで前述のような条件から、クリントン夫妻が選ばれることと成る。だが始めの数ヶ月は問題なかったが、ここ最近になって突然連絡が途切れてしまったのだ。私は調査員としてニューエウロに派遣され、クリントン夫妻の足跡を追った。だが夫妻は開拓地のどこにもおらず、密航によって外宇宙の自由コロニーに逃れて行ったことが判明した
開拓地からの密航は珍しくは無い。開拓後に特権が得られると判っていても、限られた居住空間に耐えられず契約を放棄して逃げ出してしまうのだ。密航と言うかたちをとるのは、契約不履行による膨大な違約金を支払うのを恐れるからだ。Y23もそれに伴って連れて行かれたのだろうか・・・?だが他の開拓者の話によると、夫妻は二人だけでこの地を離れたと言う。
大気改良プラントの排気ダクトにソレはいた・・・。顔はダストと砂で薄汚れており、纏っているものは無いも同然のボロキレ。狼に育てられても、もう少しまちょうな格好だっただろう・・・。しかしソレには物語に出てくる狼少女のような野生や粗暴さは感じられず、どういうわけか極めて礼儀正しく社交的であった。
「はじめまして。ボクはアーサー。このプラントに住んでいるんだ。」
私は何が起きているのかわからなかった。
「おじさんの名前は何ですか?ああ、おじさんっていう言葉が間違いだったら訂正します。ここにいる大人は僕の両親の二人だけだから・・・初対面の大人の人になんて話しかけたら良いのかわからなかったんです。」
ソレに大きな違和感を感じた。
この素体は今だ自分が夫妻に捨てられているとは気付いていなかった。そう錯覚することで、捨てられたというショックから自身を保護していたのだ。このようなケースは初めてだ・・・。自分が誰かわからず、認知の歪みが酷く拡大している・・・。素体は自分をアーサーと名乗った。そして自分をボクと言った。上半身は裸のまま、隠す様子は無い。
精神の防護機能だとしても、一個の人格としては明らかな不具合を生じさせている。
だとしたら・・・問題だ。フリーマインド社に回収されれば会社は事態を隠蔽し、素体Y23には再度の・・・そして永久的なコールドスリープが待っている。でも私にはそんなことは出来なかった。それに興味もあった。最新の研究成果を詰め込まれた素体を観察するには、絶好の機会だったからだ。だから、さしあたってはソレの世界に話をあわせることにした・・・。
「よう坊主。俺はトム。プラントの技師さ。」
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一ヶ月の間Y23の動向や様子を探っていた。そしてその間はいったいどうしてこんなことになってしまったのか・・・を追求する期間でもあった。今尚不明な点は残るものの、この調査により事件の全貌が少しずつ明らかになり始めていた。
かつて・・・このコロニーでは大きな事故があった。軌道衛星のステーションを見学するために子供28人と教師を乗せて出発した小型シャトルが、成層圏で爆発事故を起し、乗員全てが死亡するという痛ましい事件があったのだ。殖民惑星の開拓は数世代にわたる大事業だが、このコロニーは一瞬にしてその後継者の過半を失ってしまった。この重大な事件に対してソラーンは、遺族の両親の心理的ケアと後継者の補充の意図を込めて、失った子供にそっくりで、両親の遺伝的特徴を継承した最新型のアンドロイドであるスタンダードを送ることを約束した。
幸い、遺族のほとんどはそれに同意し、高額の一時金とともに新しい我が子を受け取った。ただ一組の夫妻がそれを拒否した。クリントン夫妻。死亡した彼らの一人息子の名前は・・・アーサー。夫妻はアーサーに執着するあまり、一切の代替を拒否した。
それは理解できる。自分たちの継承権を放棄しても、代わりの子供などいらないというのは、ある意味自然な感情だと思う。しかしその高潔な精神は時と共に歪んでいった。多くの隣人の元に次々と赤ん坊が送られ、彼らが失われた子供とそっくりに成長する様子を見て、そして再び幸せな家庭を取り戻しつつある隣人たちを見て、クリントン夫妻は焦った。
自分たちは絶好の機会を逃したのだと・・・
既に特例処置の期限はとっくの昔に切れており、なにか別の手段を探す必要があった。アーサーを取り戻したい・・・その思いに夫妻は狂った。そこにフリーマインド社の素体養育の話しが舞い込んだ。それは天使の贈り物でもあり、悪魔の囁きでもあった。
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中枢神経系医療の先駆的存在であるフリーマインド社は、病気や老齢、事故などによって低下した脳機能を人工細胞から成る補助脳で代替する研究を行ってた。Y23はその実験体の23番目にあたる。Y23の脳以外の他の失われた体は、シンシアの遺伝情報を元に自然細胞を増殖させて作られている。全体が人工細胞によって作られているアンドロイドとここが違う。Y23は脳の半分がアンドロイドで、他の部分は人間の少女のものなのだ。そういう意味では、ほぼ自然人間とも言える。
Y23にはトリガー式記憶回路が組み込まれている。基本的で中立的な知識や認識の仕方はシンシアのものであるが、初期段階ではそれらを認識することが出来ない。生活の中でエピソードを体験することでトリガーが降りて、インプットされた記憶回路との接続が行われ、人格と融合していくという仕組みだ。
・・・たとえばリンゴというものの認識を例にとろう。
色、匂い、そして食べたときの味覚、触覚。
そういった基本的な情報はシンシアのもので、既にインプットされている。
これらの記憶はリンゴに関する中立的な情報と言い換えることも出来る。
しかしリンゴに伴うエピソード・・・皮のむき方を誰に、どのように教わったか・・・など
そういったものが白紙になっているのだ。
白紙になった部分は養父母となるべき人物と過ごすうちに埋められ、シンシアの人格へと統合されていく。
この仕組みのお陰で、Y23・・・シンシアは「親から物を教わる」ことが可能になる。既にある知識を、エピソードを経験することで親から教わったと認識するのだ。そうすることで、シンシアとしての基本人格を維持し、同時に養父母との絆も深まってゆき、新たに親となる人物との関係を円滑に構築できる・・・はずだった。
だが、このエピソードとトリガーのシステムには脆弱性があった。エピソードにあたる白紙の部分に強引に別の人格を植えつければ、元の人格であるシンシアを別の誰かに強引に書き換えることが出来てしまうのだ。
悪魔がこの部分の脆弱性を夫妻に囁いたのだろう・・・上書きされやすいエピソード記憶に、自分たちの死んだアーサーの記憶をインプットできないだろうか・・・?
クリントン夫妻は、自分たちの記憶からアーサーに関する情報を抽出し、そしてその情報を白紙となっていたY23のエピソード記憶の上に上書きして、一種の刷り込んみを行った。無論、情報が断片的なため、完全なアーサーとしての記憶を持たせる事はできない。だが自分たちをパパ、ママと呼ばせることはできる筈だった・・・。
違法な刷り込みの果てに目覚めたY23の肉体が少女のものだと知ったのは後の祭りであった。断片的な情報を刷り込まれた少女は、新たな養育者を両親だと信じて疑わなかった。そして自分がアーサーであることも。
クリントン夫妻は怖くなった。自らの犯した取り返しがつかない罪の重さに耐えられず、そしてそれ以上に愛しい息子の記憶を語りかけてくる、あどけない少女の声に耐えられなかった。両親は身元を伏せ開拓惑星から姿を消してしまった。最後の定期報告が行われて数ヶ月が過ぎ、異変を察知したフリーマインド社が私に調査の依頼をした・・・というわけだ。
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本名トムソン・クラーク
開拓団の人たちは彼を酔っ払いのトムという
でもボクが見る限り、彼が酔っているところを見たことがない
彼はいつもシラフなのだ。
トムはプラントの技師だという
つまりはボクのパパと同じ職業だ。パパ以外の技師からどんなことが学べるかわくわくしていたが
彼が技師として働いているのを見たことが無い。
トムがよくすることは、ボクについて、わたし自身に語らせることだ。
どうして一人でいたのか、どうして両親と長い間あっていないのか
どこで知識を身につけたのか
・・・ボクが困ることばかり質問する。でも嫌じゃない。それはわたし自身が知りたかったことなのだから。ボクに語らせることでわたしも情報を確認できる。
トムとの対話を重ねる中で、ボクの中の何かが消えていく。
ある日、ボクは自分の身体に、男の子だったら当然あるべきものが無いのに気付いた。
ボクは真っ青になった。
こういうときの疑問は全てトムが聞いてくれる
この日もそうだった。
こんな変なことを話して、トムに嫌われるんじゃないかって思った。
でもトムはにかっと笑うと、彼のバッグからくすんだ色の合成皮のスカートをボクにくれた。
怒られる、嫌われる・・・そうビクビクしていたわたしは、トムが嬉しそうにしているのを見て安心できた。
でも、どうしてボクはスカートをもらって嬉しかったのだろう。
スカートは女の子の服なのに。ボクがそれをつけるのは、いけない事のはずなのに・・・。
トムにそう話すと
別に変じゃないさ。スカートは元々、地球に有るスコットランド地方の男の服だからな。
そう言ってくれた。
さっそく身に着けようとしたけれど、
部屋にトムがいるのが気になって、一度ダクトに帰って着替えた。
鏡に写る姿が、女の子ぽくてボクは恥ずかしかった。
でもトムは、似合うよ。と言って、わたしの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
恥ずかしいのが9割、嬉しいのが1割。
頭の中で何かがグルグルまわる。そしてボクは気を失ってしまった。
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