情熱1号
私の夢は小説家になること。そのために私は今まで長い年月をかけてある作品に着手してきたの。その名は情熱一号。本のタイトルではなくてコードネームのことよ。私の将来小説家になって活躍するというひたむきな情熱が初めて形になったものだから、この名前をつけたの。この記念すべき第一号はこれから出版社に提出され、私を文壇の寵児へと押し上げるの。この作品は批評家たちに絶賛され、私の小説家としてのながいキャリアの第一歩となるのよ。この作品を読んだ出版社の人はどんな顔をするのかしら。きっと感涙にむせび泣くに違いないわ。だってその目で私の形となった情熱を、つまり形となった奇跡を目にすることになるんだから。
「着いたわ。」
彼女は出版社に到着した。これから手渡しで作品を届けにいくのだ。彼女は社内へと進入し、受付に向かった。
「このたびはどのようなご用件でしょうか・・・」
「この会社で一番偉い人に会わせてください。」
「ですから、いったいどのようなご用件で・・・」
「この会社の一番偉い人に会わせて欲しいんです。私の”情熱”を届けにいくのよ・・・」
「受付で女性がもめているそうです。何でも情熱がどうとか・・・とにかく編集長に会わせて欲しいそうです。」黒いスーツを着た物静かな男が言った。
編集長はフンと鼻を鳴らし、原稿に目を通しながら言う。
「さっさと追い払ってくるんだ。どうせ小説家志望とかいうふざけた奴に違いない。この忙しい中そんな馬鹿の相手をしていられるか。」
そのとき、ドアがまるで蹴破られたかのような勢いで開かれた。
「失礼します。雑誌○○の編集長さまはおられるでしょうか。小説を書いてきたんです。ぜひご一読ください。」
ドアから小柄な女が飛び出してきて、原稿を渡してくる様子を二人はしばらくあっけに取られて見ていたが、やがて落ち着きを取り戻し、スーツの男が切り出した。
「じゃあ、とりあえず読んでみましょうか・・・」
「いや、その必要はない。」
編集長が遮った。
「君の小説を読むより必要なことがある。君は小説家になりたいのかね?」編集長は聞いた。
「はい!」彼女は期待に目を輝かせながら答えた。
「君にはまず私から現代の雇用問題について話さなければならないようだね。君はまだ学生だろう?周りの友達は今一体何をしてるんだね?」
「何って・・? もちろん学生なので勉強をしています。」
「もちろんそうだろうね。そのなかでもやはり公務員になりたくてがんばっている人も多いだろう?それでなくても何か資格を取ったり皆がんばっているはずだ。それなのに君は小説家になりたいってのかい?一体今まで何を見てきたんだ!皆明日の我が身を憂い、確固たる職の安定を求めて永い時間をかけて努力しているんだ。それなのに君はその限られた若い時期の時間を小説家になりたいなどと言って浪費しているのだ!君になれるのかね?慢心だな。私にはそうとしか思えない。仮になれたとしても”消費”されるだけだ。今まで人知れず消えていった奴らの数を知っているかね?早くこれを家に持って帰って捨ててしまいなさい。おそらく他人には小説家になりたいなどと言ったことはないはずだろう?そんな恥ずかしいこと、この職が不安定な時代に吹聴するのは私はばかげた幻想を抱いて生きていますと他人に公言するみたいなものだからな。さあ、うちに帰って資格を取るために勉強をしなさい。若いといっても分別ぐらいある年頃だろう?一度でも失敗は許されないということぐらい君にも分かっていたはずだろう?」
編集長の言葉の勢いはすさまじかった。彼女の当初の勢いは消え、うなだれたように視線は下を向いていた。このようにして”情熱”は突き返されたのだった。彼女は小さな声で一言詫びを入れて帰っていった。確かに彼女は失敗をせずにすんだ。しかし、その場にはある種の言い表せない違和感が残るのだった。おそらく彼女も同じ違和感を感じたのではないだろうか。