ひノわ之鑑 零の段
本編を読む前に、こちらからお読みいただけると幸いです。日和国の世界観をなんとなく感じ取っていただければと思います。
お暇つぶしに、どうぞ!本編はまだ投稿していないけどネ………
本書『ひノわ之鑑』を読み始める前に、読者の皆々様にはぜひとも、我らが母国 日和国の三千年の歴史を、今から三分に凝縮しておさらいして頂きたい。
無論、今日に至るまでの荒波のごとき怒濤の歴史など、日和国民であれば誰もが存じあげていることだろう。それを踏まえた上で、ここは一度振り返る方が、より本編をお楽しみいただけるかと思った所存。
たった三千字の文量である。ザっと目を通してくれると、記録者として幸いだ。お願いします、どうかお読みください。これでもかなりガンバって削りました。
………どうしてもと言うならば、スクロールして明らかに章タイトルだと思う場所まで読み飛ばそう。
今は昔、我らの暮らす日和国が、まだ日和王国と呼ばれていた頃よりも、はるかに昔むかし。
【それ】は、いずれの御時からか、存在していた。
最も古い呼び名は「神秘」とされ、後世には、「超能力」「呪い」「マジック」「鬼術」、その他十種類以上の呼び名が確認されているが、これより先は【五神力】と、表記を改めさせて頂く。
ごく一部の限られた人間があやつる【五神力】は、人々の畏怖と憧憬を集めた。彼らはやがて祕の民と呼ばれ、日和王国の祖となる大和族の右腕となり、涹の民と区別された一般国民と王国の安寧を、陰日向から護ってきた。
しかし、ある時から、祕の民たちは王国中から厭われていくようになる。涹の民の間で生まれた「科学技術」の台頭だ。
それまでは王国の秘刀として頼りにされていた祕の民の【五神力】は、瞬きする間も無く、涹の民の「科学技術」と挿げ替えられた。
当然、祕の民は猛反発した。大自然の崇拝あって【五神力】を用いてきた彼らは、だからこそ科学技術のもつ爆発的な恩恵と代償が、全ての国民だけでなく王国をのちのち崩壊させてしまうのではないかと危惧を抱いたからだ。現に、科学技術を取り入れた初期の段階で、深刻な問題が起こってしまっている。
そう何度も進言しては、王族たちと対立し、ついには追い出されてしまった祕の民は、科学技術の恩恵に目がくらむ涹の民にまぎれ、再び【五神力】が日の目を見る日を待ち続けた。
機械文明という大舞台、長らく花形を誇っていた科学技術が栄華の絶頂にあった頃、王国の権威もまた天井に達していた。
しかし、頂点に昇り積めたものは、いずれ沙羅双樹の花の色となる運命。
斯くして、審判の時代はやって来た。大規模な自然災害、エネルギー問題、国家間の長い戦争。
春の夜の夢から覚めた国民たちは、科学技術への依存を脱却し、自給自足が可能で、自然環境と共存するのにもっとも適した「過去」の復興運動に傾倒していく。破滅の未来回避よりも現状維持にこだわる王政の在り方にも、不信が高まっていった。
一方、王族は権威の拠り所としていた科学技術が失われつつあるのに焦り、風前の灯火を目前にして新たな御璽をギリギリ探し当てた。
それこそが、かつて日和王国中が忌避して忘れ去った、祕の民の【五神力】である。一昔前のある王国研究員が発表した論文に、こう論述されていたのを発見したからだったそうだ。
【ゴシンリキ】とは、誰にでもあつかえる現実的な超能力であった。理解さえすれば仕組みは簡単であり、もう少し詳しい研究を続けていけば、機械に代わる生活をより便利に発展させていく道具として、大いなる活躍が期待できるだろう。
(「ゴシンリキ考」素五位世灯『王立大学屋倍大学研究紀要』第1巻 p.8‐15 王立屋倍大学 3×××)
この論文を命綱とした王国は、数百年ぶりに祕の民の招集を命じたが、とうに王族を見限っていた祕の民は拒絶。祕の民が与した反王国主義の新体制側と、壊れかけの絶対王権にしがみつく王国主義の旧体制側で、とうとう戦争が起こった。
のちに前黒鉄戦争と呼ばれる戦いで、日和王国は科学文明もろとも塵となって吹き飛ばされた。名前が登場してわずか五十行いったかいかなかったか、二千年にわたる歴史は祇園精舎の鐘の声のように遠のいて聞こえない。
勝利した新体制側は、国名を日和国と改め、科学技術と機械に依存しきっていた国民の暮らしは、自給自足を可能としていた「過去」へと目まぐるしく逆行していくことになる。
ところが、人々が大自然との共生を図るさなかの事。のちに、後白紙戦争と呼ばれる戦いが勃発する。
きっかけは、名を【五神力】と改めた超能力の在り方についての論争だった。
祕の民の主張は、有事の時以外は必要最低限の使用にまで制限し、人間がなにもかも自力で生活していくこと。
涹の民の主張は、機械や科学技術のように乱用しないよう法律を厳しく定めた上で、【五神力】を日常生活に役立てること。
ほんの些細な認識の食い違いは、やがて社会の断絶までも生み、今日まで続く歴史的遺恨へとつながっていくのである。
長い歴史のご一読、まことにご苦労様でした。……えっ、まだ続くのかって?
一体いつから本編開始と錯覚していた?という冗談はさておき、それでは本文に突入しましょう。
そう、コレは本編ではない。なんでと思ったら、作品詳細のタイトルだったり前書きをもう一度読み返すのである。
零の段 「拝啓 ―― 片割れのKにささぐ」
本書『ひノわ之鑑(以後、略称ひノわ)』は、ドキュメンタリー形式の民話にあたる。
その舞台となるのは、廃藩置県が施行された煉県(旧 照の都)、雲衣県・寿吹県・幸地県・梢重県・雫玖県の本土と、出海の小さく豊富に散らばった島群から成る、我らがふるさと日和国。
主人公は、後白紙戦争から五百年経過した時代を生きる人々と云ったところだろうか。
人々の衣食住が、王国時代から百八十度ひっくり返り、歴史的遺恨が残酷に影を落とす社会で生きる人間は、個人として見る限り、そう変わりはない。
喉が渇けば水を飲む。
楽しくなれば腹をよじらせて笑う。
身を焦がすような怒りに吠えて傷つく。
喜びにはち切れそうになる胸から、そっと深いため息をこぼす。
どうにもできない現実に、苦い涙が止まらなくなる。
こうした経験は、きっと誰にだって一度はあるに違いないだろう。
そして、次に挙げたような人物らも、古今問わず必ず存在した。
野望を胸に、人生を謳歌していく者。
ただ大切なものを護りたかっただけの者。
しがらみに苦しみ、もがいて挫折した者。
いちどは諦めた夢を、もう一度見るようになった者。
復讐を誓い、握った剣を離せなくなる者。
己の進む道に迷い、立ち止まり、そして覚悟する者。
この民話は、【五神力】が文明の華として開花する時代より少し前、各々の信念を胸に、個人がどう生きていこうとしたのか。
実際の証言と取材に基づき制作した、日和国民の生きた記録書なのである。
そして――…………。
――これは、○○○○○が本書を執筆する前に書かれた文である。特に深い意味はない。
しかし、記録者は後にこう語った。全てはここから始まった。まだ終わりではない。




