いじめの紋章
最初に痒みを感じたのは、六月の蒸し暑い朝だった。制服に袖を通した瞬間、右肩に焼けつくような痛みが走った。鏡を見ると、そこには奇妙な紋章が浮かんでいた。炎のような線が渦を巻き、その中心に、亀がいた。亀は甲羅を燃やしながら、こちらを睨んでいるようにも見えた。母は
「皮膚科行く?」
としか言わなかった。父は新聞を読んだまま、
「思春期だろ」
と笑った。とりあえず、数日間、様子を見ることにした。何でもなければいいがと、学校へ行くと、空気が変わった。
「なんだそれ」
「きも」
「呪われてんじゃね?」
最初は冗談だった。笑いだった。しかし、笑いはすぐに制度になる。机に落書きが増え、上履きが消え、給食の牛乳に消しゴムのカスが入るようになった。教師は気づいていたと思う。でも、誰も何も言わなかった。
唯一、健司だけは違った。放課後、河川敷で自転車を止め、彼は言った。
「……その紋章のせいかもな」
夕陽が川を赤く染めていた。風で草が揺れている。
「でも、俺はいじめないからな」
健司はそう言って、ぎこちなく笑った。私は少し泣きそうになった。救われた気がしたのだ。
しかし、不思議なことが起こったのだ。翌日、健司は、憎々しげな顔つきで、教室の真ん中で、私の肩を見て笑っていた。
「おい、燃える亀来たぞ!」
みんなが笑った。彼は笑いながら、私の机を蹴った。その瞬間、私は理解した。人間は、自分の意思で残酷になるのではない。もっと大きな何かに、引っ張られているのだと。
紋章かもしれなかった。空気かもしれなかった。あるいは、集団そのものが、一つの巨大な生き物なのかもしれない。
医者に見せてもわからないと言われるだけであった。この無限の地獄がいつまでも続くのかと思ったら、数日後、紋章は消えた。皮膚は元通りになっていた。炎も亀も跡形もない。
クラスの連中も何事もなかったかのように、私に接してくるのだった。炎とか亀とかそういう言葉も一切使ってこない。
その代わり、健司の首筋に、それは現れていた。炎と亀の紋章。刻印が。まるで焼印みたいに赤黒く。そして今度は、健司が笑われ始めた。
「うわ、移った」
「感染すんじゃね?」
誰かがそう言った瞬間、教室は安心したように笑った。次の獲物が決まったからだ。
放課後、健司は泣いていた。公園のベンチで、肩を震わせながら。
「ごめんな。お前も、こんな気持ちだったんだよな」
彼は何度もそう言った。
「俺、怖かったんだよ。虐められるのが。とっても嫌だったんだ。でも、こんな目にあっている。多分、お前を裏切ったからだよ。親友だったのにな」
私は黙っていた。夕闇に、太陽が沈もうとしていた。神社の森は、蝉の声だけが大きかった。やがて私は口を開いた。
「……いじめないから」
健司が顔を上げる。
「この前のことはとっく許しているから」
私はそう誓った。健司は安心したみたいに泣いた。私は、絶対にこいつを虐めないと、強く念じて眠ったのだった。周りに流される、そんな浅はかな人間になりたくなかったからだ。
翌日。私は金属バットを持って学校へ行った。理由は、自分でも分からない。ただ、教室へ入った瞬間、笑い声が聞こえた。誰かが健司の肩を指さしていた。健司は縮こまっていた。
その時、胸の奥で何かが燃えた。気づくと、私は光り輝くバットを振っていた。
一回。
二回。
三回。
誰かの悲鳴。窓ガラスの割れる音。赤いもの。床に転がる椅子。教師の怒鳴り声。
私はその全てを、妙に遠く感じながら見ていた。健司だけは、分かったような顔をして見つめていた。
「うおおおおお!!!」
バットを投げると、私は健司の首筋に噛み付いた。そして、私の肩に【紋章】が移っているのを確認すると、そのままダッシュでジャンプして、窓の下のプールに飛び込んだ。
「ドボーン」
プールは渦を巻いて沸騰する。水が全部消えると、私は気を失って寝転んでいた。
「大丈夫?」
目が覚めると、保健室にいて、とても色っぽくて、背が高くて、モデルのような体型で、意思の強そうな目をした、白衣の女の先生が私を見つめていた。
「肩に紋章はないですか」
「ないわよ。どうしたの」
と先生は笑ったのだった。そして、舌舐めずりをしてから、私の耳元で、甘やかな声で、こう言ったのだった。
「安心して。あれは、あなたのあそこに刻印されているから、今度は、クラスのみんなからには、虐められないわよ。フフフフ」
保健室の先生は邪悪な笑みを浮かべていた。




