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いじめの紋章

掲載日:2026/05/12

 

 最初に痒みを感じたのは、六月の蒸し暑い朝だった。制服に袖を通した瞬間、右肩に焼けつくような痛みが走った。鏡を見ると、そこには奇妙な紋章が浮かんでいた。炎のような線が渦を巻き、その中心に、亀がいた。亀は甲羅を燃やしながら、こちらを睨んでいるようにも見えた。母は


「皮膚科行く?」


 としか言わなかった。父は新聞を読んだまま、


「思春期だろ」


 と笑った。とりあえず、数日間、様子を見ることにした。何でもなければいいがと、学校へ行くと、空気が変わった。


「なんだそれ」

「きも」

「呪われてんじゃね?」


 最初は冗談だった。笑いだった。しかし、笑いはすぐに制度になる。机に落書きが増え、上履きが消え、給食の牛乳に消しゴムのカスが入るようになった。教師は気づいていたと思う。でも、誰も何も言わなかった。


 唯一、健司だけは違った。放課後、河川敷で自転車を止め、彼は言った。


「……その紋章のせいかもな」


 夕陽が川を赤く染めていた。風で草が揺れている。


「でも、俺はいじめないからな」


 健司はそう言って、ぎこちなく笑った。私は少し泣きそうになった。救われた気がしたのだ。


 しかし、不思議なことが起こったのだ。翌日、健司は、憎々しげな顔つきで、教室の真ん中で、私の肩を見て笑っていた。


「おい、燃える亀来たぞ!」


 みんなが笑った。彼は笑いながら、私の机を蹴った。その瞬間、私は理解した。人間は、自分の意思で残酷になるのではない。もっと大きな何かに、引っ張られているのだと。


 紋章かもしれなかった。空気かもしれなかった。あるいは、集団そのものが、一つの巨大な生き物なのかもしれない。


 医者に見せてもわからないと言われるだけであった。この無限の地獄がいつまでも続くのかと思ったら、数日後、紋章は消えた。皮膚は元通りになっていた。炎も亀も跡形もない。


 クラスの連中も何事もなかったかのように、私に接してくるのだった。炎とか亀とかそういう言葉も一切使ってこない。


 その代わり、健司の首筋に、それは現れていた。炎と亀の紋章。刻印が。まるで焼印みたいに赤黒く。そして今度は、健司が笑われ始めた。


「うわ、移った」

「感染すんじゃね?」


 誰かがそう言った瞬間、教室は安心したように笑った。次の獲物が決まったからだ。


 放課後、健司は泣いていた。公園のベンチで、肩を震わせながら。


「ごめんな。お前も、こんな気持ちだったんだよな」


 彼は何度もそう言った。


「俺、怖かったんだよ。虐められるのが。とっても嫌だったんだ。でも、こんな目にあっている。多分、お前を裏切ったからだよ。親友だったのにな」


 私は黙っていた。夕闇に、太陽が沈もうとしていた。神社の森は、蝉の声だけが大きかった。やがて私は口を開いた。


「……いじめないから」


 健司が顔を上げる。


「この前のことはとっく許しているから」


 私はそう誓った。健司は安心したみたいに泣いた。私は、絶対にこいつを虐めないと、強く念じて眠ったのだった。周りに流される、そんな浅はかな人間になりたくなかったからだ。


 翌日。私は金属バットを持って学校へ行った。理由は、自分でも分からない。ただ、教室へ入った瞬間、笑い声が聞こえた。誰かが健司の肩を指さしていた。健司は縮こまっていた。


 その時、胸の奥で何かが燃えた。気づくと、私は光り輝くバットを振っていた。


 一回。


 二回。


 三回。


 誰かの悲鳴。窓ガラスの割れる音。赤いもの。床に転がる椅子。教師の怒鳴り声。


 私はその全てを、妙に遠く感じながら見ていた。健司だけは、分かったような顔をして見つめていた。


「うおおおおお!!!」


バットを投げると、私は健司の首筋に噛み付いた。そして、私の肩に【紋章】が移っているのを確認すると、そのままダッシュでジャンプして、窓の下のプールに飛び込んだ。


「ドボーン」


 プールは渦を巻いて沸騰する。水が全部消えると、私は気を失って寝転んでいた。


「大丈夫?」


目が覚めると、保健室にいて、とても色っぽくて、背が高くて、モデルのような体型で、意思の強そうな目をした、白衣の女の先生が私を見つめていた。


「肩に紋章はないですか」

「ないわよ。どうしたの」


と先生は笑ったのだった。そして、舌舐めずりをしてから、私の耳元で、甘やかな声で、こう言ったのだった。


「安心して。あれは、あなたのあそこに刻印されているから、今度は、クラスのみんなからには、虐められないわよ。フフフフ」


 保健室の先生は邪悪な笑みを浮かべていた。

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