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失ったもの


早良楓の亡くなり数ヶ月後、

川色歩夢は、楓のご両親の計らいで、彼女の仏壇へお線香をあげに訪れた。


愛する人を失った。


歩夢の人生で、初めて心から


求め、光を与えてくれた女性が、


もうこの世にいない。


通常であれば、胸が張り裂けるような


悲嘆に暮れるはずだった…。


しかし、歩夢はそこで、自分の中にある

異変が起きていることに気づいた。


楓の位牌の前に座り、手を合わせる。


ご両親に深々と頭を下げる。

全ては機械的な動作だった。


歩夢の心からなにも生まれてこない。


悲しみも、寂しさも、喪失感も、


何も湧き上がってこないのだ。


愛への恐怖から無意識のうちに


心を完全に閉ざしてしまったのか…。


目の前の楓の穏やかな遺影の写真を見て、

涙一つ溢れず、なにも浮かばない。


空っぽになった、自分が恐ろしくなった。


その日から、歩夢は毎晩、

悪夢にうなされるようになった。


それは、幼少期に起きた父親の

暴力の再現だった。


ただし、父親ではなく、夢の中の自分が、

愛する母親と妹たちに手をあげ、首を締めているのだ。


あの時、父親が残した

「裏切り者」という言葉、

が自分の中でこびりつく。


「父親の血」が、ついに暴走を始めたのか。


不安に駆られた歩夢は、

精神科にかかる。


しかし、そこで新たな恐怖が

歩夢を襲った。


診察中の事だった医師は口を開いていない。


しかし声が聴こえる。


歩夢は、耳をすますと


(この患者は、重度のトラウマと

解離性障害かいりせいしょうがいを抱えているな。)


といった言葉が、

まるで自分の思考のように、

歩夢の頭の中に流れ込んでくるのだ。


「とうとう気がふれた。」

歩夢は、自分の精神が崩壊したと思い悩み、誰とも話すことをやめた。


人と話せば、その人が発していない言葉が

頭に流れ込み、

それが相手の真意なのか、

自分の妄想なのか確かめる術がないからだ。


次第に歩夢から人は離れ、孤立し、

追い詰められていった…。



歩夢が孤立する一方で、

妹の奈緒にも異変が起きていた。


菜緒は、人に対して何の感情も抱かないようになっていた。


それは自分自身に対しても当てはまる。


しかし、ある日の事、歩夢が

目にしたのは、菜緒が自分の手を針で刺し、流れ出る血をじっと見つめて遊んでいる姿だった。


「どうしてそんなことをするんだ?」


歩夢が聞くと、菜緒はただ

一言、こう答えた。


「落ち着くから。」


愛の欠乏なのか、

施設での地獄によってなのか

理由はわからない。


しかし菜緒の心もまた、

どこかで壊れていたのだ。


このままでは、自分も菜緒も、そして母と

同じく精神を病んでしまう。


いや、「父親の様になりたくない」という

強い想いこそが、歩夢に残された最後の理性だったのかもしれない。


歩夢は、凍りついた心を取り戻す

努力を始める。


まず、「自分にとって何が楽しいか」を、

ひたすら自分自身に問いかける事から

始めた。


最初は何も答えが出なかった。


しかし、諦めずに、

何度も、何度も、何度も、何度も、何度も

考え続けた。


すると、幼少期に孤独な施設生活を送る中で、いつも歩夢の頭の中で傍にいてくれた

沢山の人物やキャラクター達が、

再び頭の中で一緒に考えてくれるように

なった。


その中の一人の者が、歩夢に声をかけた。


「小説を書いてみろ」


その一言に導かれ、歩夢は心を取り戻す為に、小説投稿サイトにて、物語を書き始めた。


物語を紡ぎ、様々な者たちと

対話することで、

歩夢は楓を失くしてからの。


完全に失っていた

様々な感情の欠片を、

少しずつ取り戻し始める。


そして、小説を読んでくれる

読者の反応を見た時。


「嬉しい」という、温かい感情を再び取り戻すことができたのだった。


歩夢の心の欠片を取り戻す旅は、始まった

ばかりだった。




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