8.元に戻りたいか
残りの果実酒を一息にあおって、魔王様がグラスをこちらに差し出した。慌てて、お代わりを注ぐ。
「遠い昔に文献で読んだことがあるな。生きることに絶望した魂が、最後の魔力を振り絞って共鳴できる魂を呼び寄せることがある、と」
「共鳴できる魂……生きることに絶望……」
魔王様の言葉を繰り返し、お妃様が首を傾げた。
「何か心当たりがあるか?」
「何だか、ここで気がつく直前のことは朧気で……でも、そうね。貴方に聞かれて思い出したわ。あたし、この子に会ったような気がする」
自分の胸元あたりを手で押さえ、お妃様が呟いた。
「ユーティリアに会った?」
「何だか合わせ鏡の前に立ってるみたいな感じだったわ。鏡のこちらはあたし。向こう側にこの子。ぼんやりとした白っぽい空間だったと思うんだけど」
自信がなさそうなお妃様に、魔王様がふむ、と考え込む。
「ねぇ、鏡はある?あたし、今の顔をまだ見ていないのよね」
そう言えば、この一週間メイドたちに世話をされている間も、どこかぼんやりとされていたな。瑞々しい肌には化粧の必要もないと言って、髪や肌を整えるだけだったはず。
そうか、お姿をご自身で確認されていなかったのか。
ベッド脇のチェストの引き出しから、手鏡を取り出してお妃様に手渡した。
「ありがとう」
すうっ、と深く息を吸い込んで、お妃様が手鏡を顔の前に持っていった。
時間が止まったかのように、誰も何も言わなかった。
手鏡を凝視するお妃様を見つめる魔王様。
お妃様が取り乱されても大丈夫なように、身構える僕。
そして、鏡の中に映るご自身を、じーっと見続けるお妃様。
ほうっ、とお妃様がため息を零した。魔王様の肩が跳ねる。世界で最強の魔王が、そんなにビクビクとしないでいただきたい。
「可愛いじゃない」
何とも気の抜ける感想をいただいた。
「えっ、いやだ。なんて綺麗な肌なのっ?シミ一つなくて、唇なんてプルプルじゃない!」
じっくりと、鏡を近づけたり離したりしながら、自分の姿を確認している。
「それがユーティリアの顔だが、お前が会ったのは確かに彼女か?」
魔王様の問いかけに、ハッとしたようにお妃様が手鏡を膝に乗せた。
「そうね。彼女だったと思うわ。もっと、顔色も悪くて、生きる気力もないみたいな目をしていたけど」
「生きる気力……」
「泣くことももうできない、すべてを諦めたような表情をしてたと思う」
可哀想になっちゃって、とお妃様は続けた。
「多分、娘を見てるような気持ちになったのね。頭を撫でてあげたくて、鏡に手を伸ばしたのよ。そしたら、吸い込まれたような気がするわ」
「むすめ……」
魔王様、呆然と繰り返さないでください。
「そして、気づいたらここにいた、と」
「では、魂の入れ替わりはその時だな。ユーティリアは隠されて、忌避されて冷遇されて育った娘だ。さらには、道具のようにここに嫁がされることになった。何もかも諦め、死を願ったとしても不思議はない」
腹は立つがな、と魔王様が呟く。
「冷遇されていた?」
お妃様の疑問に魔王様は頷いた。
「お前は鏡で見て、今の容姿をどう思った?」
「えっ?すごく可愛くて、とても綺麗だと思うけど」
「髪や瞳の色は?」
「夜空みたいで綺麗な色よね。あたしは色素が薄い方だったから、羨ましいくらいだわ」
お妃様の感想に、なるほどと魔王様は首肯した。
「共鳴する魂、か。
ユー……ミサキ、この世界では黒い髪黒い瞳は嫌悪される象徴のような色だ。人族の世界ではな」
「えっ?」
「お前はユーティリアの容姿を受け入れられる魂だったのだろう。生に絶望したユーティリアの願いによって呼び寄せられた、肉体から離れかかっていた魂」
魔王様が、お妃様の顎をそっと指ですくった。
「だから今、お前はここにいる。元に戻せるかはわからんが……調べてみるか?」
じっと見つめられて、お妃様の瞳が見開かれる。
「元に……片桐美咲に戻れる、ということ?」
「確約はできん。方法もわからんからな。だが、お前はユーティリアではないのだろう?ここに縛り付けるわけにはいかん」
「……少し、考える時間を貰える?」
魔王様の瞳を真っ直ぐに見つめて答えたお妃様の声は、震えていた。




