7.どうしてお妃様はここに?
耳に痛いほどの静寂が流れる。
ゆったりと足を組んで座ったまま、魔王様が果実酒を口に含む。ナッツには手を伸ばされないな。お妃様に気を取られている。
たっぷりと沈黙した後、お妃様が恐る恐る、といった感じで魔王様を見た。
「えーっと……だから、貴方はあたしの夫だって言ったの?」
気になるのはそこなのか。
「そうだ。俺と結婚するために人族の国から来たんだ」
当然だろう?と魔王様が胸を張ってみせるけど、お妃様は何か考え込んだままだな。
「それで、リカちゃんも他の人も、あたしのことを王妃殿下って呼んでるのね」
何かに納得されたように頷いて、お妃様が僕を見つめる。と、その黒い瞳の前に、魔王様が大きな手を翳した。
「えっ、なに?」
「侍従といえども、他の奴をあまり見つめるな」
えぇー……。魔王様、そんなこと言う方でしたっけ。
いや、やっとお嫁様に存在を認識されたんだ。浮かれているのかもしれない。
「それで、ユーティリアであるはずのお前が、そのミサキだというのはどういうことなんだ?」
瞳の前に翳していた手でお妃様の頬に触れ、自分の方に向けさせている。あれ、魔王様って独占欲強かったっけ。
そんな魔王様の反応には気づかない様子で、お妃様が頬に触れられた手を払い除けて肩を竦めた。
「そんなの、あたしが知りたいわ。気がついたら豪華なベッドで、目の前に貴方がいて覆いかぶさろうとしていたんだもの」
それで、気を失ったのか。いや、その時点で気がついたということは、それまではユーティリア様だったということだ。
払い除けられた手を、魔王様が面白くなさそうに見つめて口を開いた。
「初夜か。俺も驚いた。まさか泣き叫んで気絶するとは思わなかったからな」
王女として、隠されながらもきちんと教育は受けていたはずだ。人族だから魔族を嫌悪していたとしても、国交樹立の証として送り出されたからには覚悟して来たとこちらも思っていたんだ。
「あたしには、あたしの記憶しかない。でも、貴方たちの反応を見るに、この体はそのユーティ、リアちゃんのもの、ということよね?」
「ちなみに、お前の記憶とはどういうものだ?」
「あたしは、普通の主婦だったわよ。毎朝夫と子供たちを仕事と学校に送り出して、家の掃除をして。スーパーの特売に並んで……」
「待て!夫と子供だと!?」
立ち上がりそうな勢いで魔王様が叫んだ。僕も、何とか声を抑えられたけど、衝撃を受けた。深窓のお姫様であるはずの彼女に夫?いや、そのミサキという女性の記憶なのか。
「だって主婦だもの。まぁ、関係は冷え切ってたと思うけど。五十にもなろうっていうんだから、普通でしょ」
彼女の普通がよく理解できない。えっ、人族の五十歳ってどのくらい?
魔王様がお妃様の肩に両手を置いてガクガクと揺らしている。待って待って、お妃様が壊れます!
「今のお前には夫も子供もいないだろうな!?」
「えっ、だって貴方が夫なんでしょ?初夜だったってことは、子供もいないんでしょ?」
あっけらかんと返ってきた言葉に、魔王様が脱力したようにお妃様の肩に乗せた手から力を抜いた。そのまま、頭まで乗せてしまわれた。気持ちはわかる。
「でも、最後に憶えているのは……あの日は朝からちょっと体調が悪くて、あぁ病院に行かなきゃなぁ、でもしんどいなぁ、って思ってて」
少しずつ、お妃様の声が小さくなる。
「変な風邪でも引いたかなぁって思って。とりあえず常備薬飲んで寝てたのよね」
何かを思い出そうとするように、お妃様の眉間に皺が寄った。
「窓の外から聞こえる選挙カーの音がうるさいなぁ、って思って。窓を閉めようと思ったのよ。それでベッドから立ち上がろうとして、急に酷い頭痛がして……眩暈がして……」
センキョカーって何。でも、話の腰は折れない。
「ふら~ってベッドに倒れ込んだんだと思うんだけど、憶えてるのはそこまでだわ。気がついたら、ここにいたもの」
疲れたように目を閉じて、お妃様が息を吐いた。
いや、僕も疲れたけど。魔王様も頭を抱えて……いや、鋭い視線で天井を見上げているな。何か思いつかれたんだろうか。
「……魂の、入れ替わり……」
ポツリ、と魔王様が呟いた。なんて?




