52.甘い二人
結局、魔王様とミサキ様の蜜月は三か月にも及んだ。
セレスリーアの長い歴史の中でも、これほど寝室に籠られた例はない。お二人の相性がこれ以上ないほどいいということで、国民は沸き立っていた。
そろそろ出られるだろうと寝室に呼ばれ、果実水や汗を拭く布などミサキ様の世話をするためのものを手に、最上階の廊下を歩く。
階段に立つ守衛は、あれから魔王様が直々に選び直された。厳しい尋問のような面接の後に任じられた武官が直立不動で立っている。
軽く会釈して通り過ぎ、最奥を目指す。
寝室の扉の前に立って、深く呼吸した。蜜月の間、ここには数えるほどしか足を踏み入れていない。中に入っても、ミサキ様には魔王様が頭から掛け布を被せて隠した上に天蓋のカーテンも引いておられたから、ほとんどお顔は見ていなかった。
扉を三回叩く。中からの返事を待って扉を開いた。
「失礼致します。果実水と、お召し替えをお持ち致しまし、た……」
礼をした後で頭を上げた僕は、ソファにゆったりとくつろぐミサキ様の姿に釘付けになった。
「あら、リカちゃん。何だか久しぶりに会ったような気がするわねぇ」
いつもと変わらないミサキ様の姿だ。お顔も、お声も、記憶にあるものと何も変わらない。なのに、何だろう。別人のような感じがする。
「リカちゃん?どうしたの?」
動けない僕に、ミサキ様が首を傾げて問いかけた。
「失礼致しました」
ハッとして、慌てて室内をソファまで進む。
魔王様は大きな窓の傍に立ち、外を見下ろしていたようだ。チラリとこちらに目を向けて、窓から下を睨んでいる。
ソファの前のテーブルに、果実水が注がれたグラスを置いた。
「ありがとう」
お礼の言葉を言われる笑顔も、以前と変わらない。何が違うんだろう。
「ふふっ、美味しい」
一口飲んだミサキ様が、嬉しそうに微笑んだ。
窓際から歩いて来た魔王様が、ミサキ様のつむじに唇を落としてからソファに座った。
途端に頬を染めたミサキ様が、それでも微笑みは浮かべたまま魔王様を熱く見つめる。魔王様がミサキ様の艶めく黒髪の毛先を一房つまんで、口元に近づけるのを照れたように眺めておられた。
……あぁ、そうか。魔王様に愛されて、内側から輝くような美しさを放っておられるんだ。
「すぐにお召し替えなさいますか?」
「着替えは置いておけ。後で俺がやる」
「あら、自分で着替えくらいできるわよ?」
僕から受け取った果実水の杯を空ける魔王様に、ミサキ様が視線を向けた。
「俺がしてやりたい。二人でいる時は甘やかすことに決めたからな。それとも、ベッドに逆戻りがいいか?」
「ちょっ、リカちゃんの前で、そんなこと……っ」
耳の先まで真っ赤に染まったミサキ様を愛おしそうに見つめて、魔王様がミサキ様を抱き寄せた。
「ちょっと、シュヴァンダルっ?」
「他の奴の名を呼ぶな。ここは、夫婦の寝室だぞ」
ミサキ様の赤い耳元に唇を寄せて、魔王様が囁いた。
ビクッと体を跳ねさせたミサキ様が、涙目になって魔王様を下から睨んだ。
ぐぅっと呻いて、魔王様がミサキ様の細い肩に頭を乗せる。
「……ミサキ、誘っているのか?」
「そっ、そんなワケないでしょうっ!?」
ペチリと音を立てて、ミサキ様が魔王様の頭頂部を叩いた。そんな可愛らしい反撃では、魔王様には何の効果もないと思うんだけど。
あれ、まだ蜜月は終わっていないのかな。僕は何故呼ばれたんだろう。
心の中で自問していると、ようやくミサキ様の体を離した魔王様がソファから見上げてきた。
「今日から執務に戻る。本当はまだ、いやずっと、ここに籠っていたいんだが」
「お仕事、ちゃんとしなきゃダメじゃない。貴方がいないと皆さん困ってるわよ」
ミサキ様には、窘められても嬉しそうだな。魔王様のとろけそうな顔なんて、この蜜月の間にようやく見慣れてきたけど、初めて見た時は腰が抜けるかと思った。カフカにはとても見せられない。きっと、あまりの恐ろしさに気絶する。
一つため息を吐いて、魔王様が渋々といった顔でソファから立ち上がった。
「リカル、ミサキの支度を手伝ってやれ。後でジフジもこちらへ寄越す。朝食までには一度戻る」
「御意」
名残惜しそうに寝室を出て行かれる魔王様の背中を見送って振り返ると、ミサキ様が寂しそうに魔王様が出て行った先を見つめていた。




