35.アイルーン様への報告
すかさず部屋の扉に防音魔法をかけたアイルーン様が、厳しい眼差しで向かいに座る僕を見つめた。
壁際で置物のように黙ったままの侍従にチラリと視線を走らせた後、コホンと咳払いする。
「先ほどの、リカルどのの指笛は、その報せですかな」
お妃様の私室から城中に響かせた魔力の指笛。あれで襲撃を察知して、魔王様とカイダル様が地下から上がって来てくださったのだ。
「はい。妃殿下の私室で、ジフジ様とお茶を楽しまれているところへ、襲撃がございました」
いくらジフジ様がおいでだからと、簡単にお妃様のお傍を離れるべきじゃなかったんだ。あの場に僕がいても、何の役にも立たなかったとは思う。それでも、お妃様の盾くらいにはなれただろう。
唇を噛む僕に何を思ったのか、アイルーン様が重々しく息を吐き出した。
「それで、王妃殿下が攫われた、と?ジフジ様がおいでだったのにか」
「時間差による、二度の襲撃だったようです。ジフジ様が襲撃者を制圧されている隙に、別働隊が妃殿下を捕らえ窓から逃げた、と」
じっと僕の話を聞くアイルーン様から、目を逸らさない。ここでうだうだと、自分の失態を悔いていたってお妃様が戻るわけじゃない。
「して、襲撃者の正体はわかっておいでか?」
「ジフジ様が撃退されたのは、有翼族の者たちでした。それと、以前からジフジ様に付き纏っていたと思われる、麝香族の男」
地下牢で魔王様に放り投げられた男のフードが外れた顔には、だらしなく開いた口から長く伸びた犬歯が覗いていた。
「有翼族に、麝香族か……」
頭を抱えてしまったアイルーン様が、頭痛を振り払うように紅茶に口をつけた。
「それに、魔王陛下の居住区である最上階の守衛を担う者の一人が、有翼派閥に与しておりました」
「何じゃとっ!?」
バッと音を立てそうな勢いで立ち上がり、アイルーン様が脱力したように座り直した。
「それで、アイルーン総務官長様にお尋ねしたいのです。近頃の有翼族に、怪しい動きがあったかどうかを」
「再び、魔王陛下に反旗を翻すような愚を犯すとでも?」
「わかりかねます。表立って謀反を起こさずとも、妃殿下の御身に危害を加えて……考えたくもありませんが亡き者にすれば、サヴィーナ老のご息女を王妃にと押し付けることができるとの考えかもしれません」
勿論、これは最悪の場合を考えた僕の推測だ。
サヴィーナ老は娘に甘い。それに、娘が王妃になれば、有翼族は外戚として今以上に権力を振るえる。
一つ息を吐いて、言葉を続けた。
「陛下は御前会議の名目で、有翼族と他の重臣の方々を招集するようにとの仰せです。それと、ハミリア・サヴィーナ嬢とその取り巻きも、一階の小部屋で待機させるようにと」
「あの三人娘か。報告は上がっている。……そうか、守衛を取り込んで最上階に入り込み、城の秩序を乱すか」
呟かれた一言は、底冷えするような冷気を孕んでいた。そう、この方は何より秩序を重んじる生真面目な方なのだ。可愛らしい見た目に、決して騙されてはならない。地味な文官の長だなどと、軽んじている傲慢娘たちは痛い目を見るかもしれないな。
「それと、麝香族か。それはまた、厄介な」
「ジフジ様に付き纏っていたなどとは私も知らなかったのですが、襲撃時に魔封じの手枷をジフジ様に嵌め、あろうことかそのお体に抱きついておりました」
「……それを、カイダル様は?」
「ご覧になりました」
あぁ、と天を仰いだアイルーン様の気持ちはよくわかる。
「カイダル様の逆鱗に触れた男には、ご本人が死にたくなるほどの尋問を加えると仰せでしたから、背後関係が掴めるとよいのですが」
「あのご夫婦の苛烈な愛を知らぬ者など、セレスリーアにはいないと思っておったのだがな」
疲れたように呟いた後、アイルーン様は立ち上がって机へ戻った。
「招集状はすぐに準備しよう。陛下の署名は必要か?」
「陛下の印章で封をされれば十分と思われます。それよりも、急ぎ登城させた方がよろしいでしょう」
「相わかった。すぐに用意する。しばし待たれよ」
正式な招集状に使う便箋を取り出して、アイルーン様が猛然とペンを走らせ始めた。
お妃様、どうかご無事でいてください。




