34.カイダル様我慢できず…
お妃様の私室に戻ると、床に転がった襲撃者をそのままに、見張りの武官を残してカイダル様とジフジ様の姿がなかった。最上階には厳戒態勢が敷かれていたけど、肝心のご本人がいない。
どこに行かれたのかと首をひねっていると、魔王様が呆れたように笑った。
「下の階の客室だろう」
「客室……」
お二人が魔王城に宿泊される際に使う部屋だ。
「あんな男がジフジに触れたんだ。カイダルに許せるはずがない。二人で籠って上書きしてるんだろう」
上書きって……。
「ということで、リカル。ジフジの世話はカイダルの役目になったようだからな。今のうちにこいつらを、地下牢に運ぶ」
「では他の者を呼びます。陛下が御自らあんなモノに触る必要はございません」
「いや、今はこの階にこれ以上誰も入れたくない」
そう言われてしまうと、もう何も答えられなかった。
「では、せめて私が」
室内に入ろうとする僕の襟を、魔王様が掴んだ。
「待て待て。何のために魔縄で縛ったと思ってるんだ。こうすれば簡単だ」
魔王様が立てた指を軽く振ると、床に倒れていた男たちの体が引っ張られるように宙に浮かんだ。
「これは……」
「お前は見たことがなかったか。あの魔縄で縛り上げた相手は、こうして魔力を流すだけで触れずに動かすことができる」
「なるほど。初めて見ました」
感嘆したように声を上げた僕に小さく笑って、魔王様が私室から廊下へ出た。
途中ですれ違ったカフカが、ゆらゆらと浮かぶ襲撃者たちを見て目を丸くしていたけど、魔王様は何も気にしていないように地下牢へ戻った。
一つの牢にフードを被っていた男を投げ入れ、残りの牢に有翼族たちをまとめて放り込む。
「このまま尋問してもいいんだが、カイダルの権利を奪うわけにもいかん。水も食物も与えず、じわじわと弱らせておくか」
魔族は食事をしなくても、一週間くらいなら死ぬことはない。それでも、この薄暗い牢に込められて水も与えられず、誰も尋問にやって来ないとなれば気力は奪える。
「カイダルが満足するまで出て来ないのは困るんだが……。とりあえず、リカル」
「はい」
「御前会議を開くという名目で、有翼族の長と他の重臣たちに招集をかけておけ」
「御意」
そして、気になったことを聞いてみる。
「サヴィーナ老のご令嬢はどうなさいますか」
あの傲慢娘が今回のことに関与しているかはわからないけど、襲撃してきたのは有翼族なんだ。何も知らないかどうか疑わしい。
僕の言葉に、心底厭わしいという表情を浮かべて、魔王様が答えた。
「ハミリア・サヴィーナとその腰巾着二人にも使いを出せ。城の一階の、重要な客人には使わせない小部屋があっただろう。あそこで待たせろ」
「承知致しました」
今度こそ頭を深く下げて、招集状を依頼するために、総務官長の元へと僕は走り出した。
魔王様の執務室の隣の部屋で、セレスリーアの文官の頂点である総務官長が毎日書類を捌いている。
扉を三回叩き、中からの返事を待って扉を開けた。
「失礼致します」
「リカルどの、申し訳ない。今は手が離せないので、急用でなければ少々お待ちを」
今代の魔王様になってから就任された総務官長、フェドック・アイルーン様が魔族用の大きな椅子に小柄な体を埋めて書類仕事をしていた。
皺が深く刻まれた顔の中で、細められた青灰色の瞳が丸眼鏡の向こうに見える。額に生えた山羊の角は体と同じように小さく、黒い燕尾服でその身を包んでいた。ちんまりと座るそのさまは可愛らしく見える。
だが、国の予算を把握し軍事力にも精通し、規律と秩序を非常に重んじている方だ。時に魔王様でさえ頭を下げる、このセレスリーアの重鎮だった。
そんなことを考えていた僕の耳に聞こえていた、書類にサインを書くペンの音が止まった。
「ふぅ、お待たせしましたな。ようやく、今日の分は終えましたぞ」
「ご多忙の際に申し訳ありません。魔王陛下より、招集状を認めるようにとのご命令をお伝えに参りました」
僕の言葉に、アイルーン様がはて、と首を傾げた。
「招集状とな?この時分に、一体どなたを?」
アイルーン様についている侍従が紅茶を淹れてくれた。促されてソファに腰を下ろす。
「魔王陛下にお話する許可をいただいておりますが、これはここだけのお話にしていただきたいのです」
声を潜めると、アイルーン様も表情を引き締めて僕に顔を寄せた。
「王妃殿下が、拐かされました」
「っ!」
端的に告げた僕の報告に、アイルーン様の細い瞳が極限まで見開かれた。




