27.ショーユではなかったらしい
魔王城で饗される食事は、朝から晩まで豪勢だ。
魔族は総じて健啖家だ。その肉体と高い魔力を維持するためには、それだけの糧が要るのだろう。お城に務める者たちの胃袋を賄うために一階にある厨房は広々としているが、魔王様のための最上階の厨房はそれほど広くはなかった。
「これは、ヒギリという黒い豆を煮詰めて作ったソースです。妃殿下が仰せだった、ショーユという黒い調味料に見た目は似ていると思うのですが、いかがですかな」
小皿に黒い液体を注いだ料理長が、お妃様に恐る恐る尋ねた。
首を傾げ、お妃様が細い指で小皿の液体をすくい取った。指先を鼻に近づけ、香りを嗅いでいるようだ。
「あまり、匂いはしないわね?」
ペロリと細い指先を赤い舌で舐めるお妃様に、厨房が少しざわついた。
「……」
お妃様の言葉を、厨房中が固唾を呑んで待っている。
しばらく口内で調味料を味わった後、お妃様が困ったように眉を下げた。
「ごめんなさい、コレは思っていたものとは違うみたい」
がっくりと、料理長が肩を落とす。
「左様ですか……これは、人族の大陸でも鄙びた土地で好まれているものだそうで、セレスリーアでも中々手に入らないものなのです」
「そんなっ!ごめんなさい、貴重なものなのね」
「いえいえ、妃殿下のために取り寄せたものですが、普段とは違う珍しい料理を作ることができます。陛下のお気に召すものができるかはわかりませんが、腕の見せ所ですぞ」
お妃様の腰くらいはありそうな腕を振り回し、料理長が力こぶを作ってみせた。
目を丸くして固まったお妃様は、クスクスと笑い出す。
「ふふっ、楽しみね。それで、お昼に一品作らせてもらえるのよね。食材を見てもいい?」
「勿論です。さあ、こちらへ」
大きな体を縮こませるようにしてお妃様の顔を覗き込みながら、料理長が食料庫へと案内を始める。
厨房の入口から中を覗き込んでいるジフジ様の姿に気づき、厨房で働く者たちが動きを止めた。
「あぁ、すまないね。あたしは妃殿下の護衛だから、気にしないでくれ」
ジフジ様と僕を交互に見て、料理人たちは小さく頭を下げて作業に戻っていく。
ふうと息を吐いたジフジ様を見上げる。
「生き生きしてるねぇ」
視線の先を追うと、にこにこと料理長と話しながら小麦粉を捏ねているお妃様の姿があった。
今日の献立に合いそうなのはパスタよと叫んで、料理長に身振り手振りで作り方を説明していた。
「妃殿下がお料理をされることに陛下はいいお顔をされませんが、お気持ちが晴れるなら仕方がないと思っておいでのようです」
「あんなにいい笑顔で作ってるところ見りゃあ、陛下だって喜ぶだろうに」
「ですが……」
声を小さくした僕に、ジフジ様が耳を寄せる。
「有翼の姫君のような例もございます。攻撃される隙はお作りになりたくないのだと思います」
「ああ」
ふんと面白くなさそうに鼻を鳴らして、ジフジ様が口角を上げた。
「あんな小娘ども、妃殿下に手を出そうってんなら容赦しないさ。甘やかされて育った、戦い方も知らない世間知らず、この爪と牙で引き裂いてやる」
ニヤリと笑うジフジ様は、それは恐ろしい。この魔王城で、決して敵に回してはいけないお方なのだ。
「妃殿下には、ジフジ様がおいでで本当によかったと思います」
つい、本音が零れた。慌てて口を手で覆ったけど、ジフジ様の耳にはしっかり届いてしまっていた。
目を丸くした後で、豪快な笑い声を響き渡らせる。
「そりゃあ光栄だね。一番傍近くに仕えるあんたにそう思われてるなら、これからも妃殿下の傍にいられる」
「妃殿下は……このまま陛下のお傍にいてくださるでしょうか」
ジフジ様の声が優しかったから、聞くつもりのなかった言葉が漏れてしまう。きっと、ジフジ様なら聞いてくださるから。
ぽん、と頭に大きな手が置かれた。視線を上げる。
銀灰色の瞳が射抜くように僕を見ていた。
「それを、あたしも願ってるよ。でも、無理強いはできない。妃殿下が、自分でそう決めてくれることを祈ろう」
「……はい」
情けなくも、答える声が震えた。




