19.お節介のゆくえ
一度グラスを洗うために取り替えると伝え、お妃様の果実水の杯を下げて厨房へ入った。
どうしよう、ドキドキしてきたぞ。でも、ジフジ様の仰せも理解できる。少しのお酒の力を借りて、魔王様とお妃様の仲が進展するなら、セレスリーアにとってもいいことのはずだ。
お妃様に差し出すグラスにブランデーを一滴、垂らした。いや、思い直してもう三滴。すぐに上から果実水を注いだ。
ふぅ、と息を吐いて、談話室へ戻った。
お妃様に差し出す手が震えないように必死だった。じっと見つめるジフジ様の目が怖い。
「ありがとう、リカちゃん」
いつも、僕が何かする度にお礼を言ってくださるお妃様は、何の疑いもなくお酒混じりの果実水を一口飲んだ。
「それで、その時にはね。もう家の中にはあたししかいなくて。家族はそれぞれ好きなことをするようになってたから、何か習い事でも始めようかと思ってたのよ」
楽しそうな口調とは裏腹に、お妃様の瞳が少しだけ寂しそうに揺れている。再び、果実水を口に運んで、溜息を零した。
「お見合い結婚だった夫とは冷え切ってたし、多分浮気もしてた。子供も、大学生にもなったら、母親より優先する付き合いの方が大事よね」
「浮気?」
見たこともないほど怖い魔王様の顔は、この世の終わりを見たのかと錯覚するほどだった。
底冷えするような冷たい光を血の色のような赤い瞳に宿して、魔王様がお妃様を見つめる。
「お前の夫という男は、お前という妻がありながら、他の女にうつつを抜かしていたのか?」
「あっ、えっと……そんな、大したことじゃないわよ」
顔の前で慌てたように両手を振るお妃様のその細い手を、魔王様が掴んだ。
「あ、あの……」
「俺は、浮気などしない」
じっと見つめられて、お妃様の頬がじわじわと染まる。
「そ、そりゃあ、貴方はそうかもしれないけど、今のはあたしの、その、前のあたしの話で」
「シュヴァンダルだ」
「えっ?」
「自己紹介したはずだな?俺の名は、シュヴァンダル。何故、呼ばない?」
魔王様も飲みすぎたかな。いや、魔王様が酔ったところなんて見たことがない。これは、お妃様の身の上話が琴線に触れたということか。
「ま、待って、あの……いきなりそれは、ハードルが高いというか」
「ハードル?」
「そりゃ、あたしはオバチャンだけど、こんなイケメンさんにそんな、こと言われたら……」
イケメンって何。真っ赤になったお妃様は、手で顔を隠そうとしてその手を掴まれていることに気づいたようだ。眉を下げて魔王様を見て、縋るように向かいのジフジ様に目を向ける。その顎を掴んで、魔王様がお妃様の視線を自分に戻させた。
「ミサキ、俺の名を、呼んでみろ」
「あぅ……」
「何を、躊躇う?」
カイダル様とジフジ様は、置物のように黙りこくったままだ。僕も必死に、気配を消す。今存在感なんて出したら、僕の命はそこまでな気がする。
「ミサキ、ここにいる間だけでもいい。俺を見ろ。俺の名を呼べ」
「……っ」
「調べると約束した。お前がどうしたいかは、ゆっくり考えればいい。だが、今お前はここにいる。この、セレスリーアの城で、俺の傍に」
視線をうろうろとさせ、お妃様が泣きそうな顔になった。
「そんなに、優しくしないでちょうだい」
「何故?」
「……縋りつきたく、なるから……」
か細い声は、いつもの明るいお妃様とは別人のようで、胸が痛くなった。
そうだ、表情には出さないようにしているけど、お妃様は不安なはずなんだ。
「泣いてしまう……情けない」
「泣いたら抱きしめて眠ってやる。俺の体温には慣れただろう?」
細い手首を掴んだまま、魔王様がそっとお妃様の体を大きな胸に抱き寄せた。
「お前はもっと、甘えたらいい。そんなに必死に、気丈に振る舞わなくていい。だから、何もかも諦めたような瞳で、無理に笑うな」
決壊するように、お妃様の美しい瞳から涙が零れた。
魔王様の広い胸に顔を埋め、吐息のような声を漏らした。
「……シュヴァンダル」
カイダル様とジフジ様が、満足げにブランデーをあおった。




