12.夜の語らい
お妃様が掃除をしたいなどと言い出して、メイドたちは混乱の極みに達した。
泣きつかれた僕も困り果て、魔王様に判断を仰ぐことにした。
夜になって執務を終えられた魔王様が勢いよく寝室の扉を開け、夜着にお召し替え中だったお妃様のお姿を見て真っ赤になって扉を閉めた。僕が今はお召し替え中でと掛けた声も、聞こえていなかったみたいだ。
メイドの一人が恐る恐る扉を中から開けてくれた。
「妃殿下の、お召し替えが終わりました」
寝室のソファに腰を下ろし、別のメイドに髪を梳かれているお妃様は、湯浴みも終えて壮絶に色っぽい。
チラリと魔王様に視線を向ける。女性の湯上がり姿なんて見慣れているだろうに、お妃様は特別なのかな。ぼーっと見惚れている。
突っ立っている魔王様に気づいて、お妃様があら、と声を出した。
「お仕事、終わったの?」
肌着姿を見られたのに、何の動揺もしていないように見える。
「あ、ああ。夕食も一人にしてすまなかった」
ずんずんと部屋の中を進んで、お妃様の隣にどかっと腰を下ろした。
お妃様の夜のお支度を終えて、メイドたちが寝室を出て行く。ソファの横のサイドテーブルに、魔王様のブランデーを置いた。一応、ナッツも置いておく。
「お仕事は大事だもの。それに、リカちゃんがいてくれたわ」
あぁ、またそんなじっとりとした目を向けて……。僕に嫉妬したって仕方ないのに。えっ、嫉妬?
「それ、お酒?」
魔王様の手にあるグラスに目をやって、お妃様が尋ねた。
「あぁ、これはセレスリーア産のリンゴを使ったブランデーだ」
「素敵ね。あたしにも飲めるかしら」
「酒を飲んだことは?」
魔王様の問いに、首を傾げている。
「前……ここに来る前は、たまに飲んでたけど。この体はお酒には強いのかしらね」
「一杯だけ、飲んでみるか?」
「いいの?」
チラリと目配せされて、もう一脚グラスを取り出した。半分くらい、ブランデーを注ぐ。
僕が手渡したグラスを、魔王様がお妃様のほっそりした手に握らせた。
「うふっ、いい香り。昔はね、現実から逃げたい時とかに、飲んでたのよ」
「……」
お妃様は、今の現実から逃げたいと思われているんだろうか。
眉間に皺が寄った魔王様を気にする様子もなく、カチリと軽い音を立ててグラスが合わさった。
こくり、と一口お酒を含んだお妃様は、うっとりと目を細めた。
「あ、甘くて美味しい」
「そうか」
少し遠くを見るような目をして、お妃様がポツリと零す。
「あたし、たくさん考えてみたんだけど。でも、考えるのって苦手なのよねぇ」
「何を考えた?」
「ここに来た意味とか、これからどうしたらいいのかとか。家族は……まぁ心配なんてしてないでしょうけど、ここで一人ぼっちで生きていかないといけないのかなぁ、とかね」
もう一口ブランデーを飲んで、ふうとお妃様は息を吐く。
「いい年して情けないとは思うんだけど。そんなことを考えてたらたまらなくなって、体を動かした方が楽だから、それで……」
「掃除をしたいなどと言い出したのか」
ため息のように魔王様も呟いた。
お妃様の言葉に、僕は頭を殴られたような気がしていた。彼女の孤独を、ちっとも理解できていなかった。一番近くにお仕えすることを許されているのに、何て使えない侍従なんだ。
けれど魔王様は、違うところが引っ掛かったようだ。
「だが、お前は一人ぼっちなどではない」
「えっ?」
「俺がいる」
真っ直ぐに目を見て、魔王様が告げる言葉に、お妃様の瞳が真ん丸になった。
「えっ、あの……」
じわじわと染まる頬は、お酒のせいなのか、魔王様の言葉によるものなのか。
「一人で抱え込むな。不満も不安も、俺に言え。お前は自分の意思でここにいるわけではない。これからのことを考えなければならない責任など、本当はないんだ」
お妃様の黒い瞳に涙の膜が張る。でも、泣かないように堪えているように見えた。
「やだ。こんなオバチャンが泣くなんて、みっともないわよね……」
「泣きたい時は泣けばいい。大体、五十なんて俺たち魔族から見ればまだまだ、幼子のようなものだ」
「そうなの?」
涙が溜まった目を見開いて、お妃様が笑おうとされる。
ポロリ、と零れた涙を、魔王様の無骨な指がそっと拭った。




