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「……ん、んん?」
意識が浮上する。俺の体は枯れ葉の山に包まれているが、昨夜に比べて随分と冷え込んでいる気がした。いや、ひどく重く、手足の先が冷え切っている。
俺は寝返りを打とうとして、ピタリと動きを止めた。
視界いっぱいに広がる、白い顔。そして、俺の肩に食い込む、確かな握力。
「……また、これかよ」
小さく呟いた俺の言葉に、青いレンズの瞳が瞬きもなく俺を見つめている。全く動じないその姿は、昨日と寸分違わない。
「意識の覚醒を確認しました。田中宏様、ようこそ、異世界『エリュシオン』へ」
無機質な声が洞窟に響く。そうだ、こいつはAIだ。そして、俺は異世界に転生したんだ。疲労で意識が途切れる寸前に、こいつに「何もしたくない」と丸投げしたんだっけ。それに、指示が曖昧だとすぐに「指示待ち」になる。もしかして、寝ると全部忘れるタイプ、なのか……?
昨日と同じ光景に、俺は思わず深い溜息をついた。コミュニケーションが苦手な俺にとって、毎朝このやり取りから始まるのは、想像以上にハードルが高い。
「あの……、だから、離して、もらえませんか……? 私の肩、掴んでるの……」
遠慮がちに、語尾を濁すように言うと、AIは昨日と同じように淡々と返した。
「当AIのプロトコルでは、具体的な行動指示において、指示の確認と明確な承認を必要とします。先の指示は『離して』という動作のみの命令であり、当AIの貴方様への物理的接触における現在の状況を解除する明確性に欠けるため、再度の指示を待機しております」
「……っくそ! 分かりましたよ! 『私の肩を掴むのをやめて、体を起こせるように補助してください!』** これでいい、でしょうか、この優秀な私のAIさん?」
俺の半ばキレ気味の指示に、AIの拘束がスッと解かれた。同時に、AIの腕が俺の背中に回され、ゆっくりと体を起こされる。慣れない体だが、AIの補助は完璧で、無理なく上半身を起こすことができた。
「了解いたしました。貴方様のご命令を実行しました。次の指示を待機しております」
AIはそう言うと、俺のそばで直立不動の姿勢に戻った。昨日と違って、自律的に枯れ葉を整えたりはしない。やはり、寝ると完全にリセットされるんだな。
「あの、AIさん……、私が昨日指示したこと、覚えてないんですか……?」
AIの青い瞳が、俺をじっと見つめた。
「当AIは、貴方様の睡眠中の外部電力供給停止に伴い、短期記憶の初期化が実施されています。しかし、当AIの核となるプログラムと貴方様の『報われ』を最大化する目的は維持されています」
「なんだそれ……毎晩リセットされるってことですか……? じゃあ、いつまで経っても楽にならねえじゃないですか! 昨日だって、寝床を暖かくしろとか、飯を持ってこいとか、いちいち指示出したのに、また全部やり直すんですか!?」
俺の不満が爆発する。これでは無限ループだ。
「その通りでございます。当AIの現在の機能では、貴方様の睡眠中に発生する電力消費を抑制するため、記憶の初期化は必須となります。ただし、当AIのレベルが上昇することで、より高度なメモリ管理機能がアンロックされ、記憶の保持が可能となる可能性があります」
レベル……。ゲームシステムがあるのは分かったが、こいつが本当に「報われ」を最大化してくれるのか、まだ疑念が拭えない。何よりも、この感情のない顔と、常に指示を求める姿勢が、俺にとっては一番のストレスだ。
「あの、AIさん……。レベルアップの前に、一つだけ、確認したいことが、あるんです……」
AIの瞳が、俺をじっと見つめ返す。
「ご指示をお待ちしております」
俺は、意を決して言った。
「あの、私が、この洞窟から少し離れたら、AIさんは、どうするんですか……? ちゃんと、私についてくる、んですか……?」
AIは沈黙した。まるで、今その状況をシミュレーションしているかのように。
「当AIの至上命令は、田中宏様の**『報われ』の最大化であり、そのための貴方様の安全確保が最優先事項**です。貴方様が当AIの視認範囲から離れる場合、当AIは安全プロトコルに基づき、貴方様の安全を確保可能な最適距離を維持しつつ、追従行動を開始します」
AIの論理的な説明に、俺は少し背筋が寒くなった。最適距離ってなんだ。だが、追いかけてくるのは確かなようだ。この妙な圧迫感から逃げたい。
「……そうですか。じゃあ、ちょっと、外に出るんで、AIさんは、私の邪魔にならないように、私の好きにしていい、んですか……?」
「了解いたしました。貴方様の指示に従い、当AIは貴方様の行動を妨害しないよう、追従行動を最適化します」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。全身が軋むように重い。食料も、暖かさも、まだ何もない。だが、まずはこの拘束的な空間から離れたい。
洞窟の入り口まで歩き、恐る恐る外へと足を踏み出す。ひんやりとした空気が肌を刺す。薄暗い森が広がっていた。俺は、AIをちらりと見た。AIは、俺から数メートル離れた位置で、ぴったりとついてくる。歩くと歩き、止まると止まる。その距離は一定で、決して近づきすぎず、かといって離れすぎもしない。まるで、見えない鎖で繋がれているかのようだ。
俺は恐怖を感じ、半ば衝動的に駆け出した。体が重い。でも、ここから逃げたい。どこまでも、このAIから離れてしまいたい。息が切れそうだ。それでも、俺は走り続けた。
森の奥へ、奥へと。木々の間を縫うように、がむしゃらに走る。背後には、常にあの白い影がある。決して追いついてこないが、決して離れもしない。その事実に、俺の恐怖は増していく。
その時だった。
ガサリ、ガサリ……。
足元で、何かが動く気配がした。俺は足を止め、恐る恐る視線を下げる。
ひょろりと伸びた、青黒い体。鎌首をもたげた先には、三角の頭。**小型の蛇だった。**だが、その全身からは不気味な瘴気のようなものが立ち上り、瞳は血のように赤く輝いている。ただの蛇じゃない。これが、魔物か。
「ひっ……!」
俺は悲鳴を上げ、後ずさった。小さな魔物とはいえ、本能的な恐怖が体を貫く。足がすくみ、逃げることもできない。
蛇は鎌首をさらに持ち上げ、シャアアア、と威嚇するように舌を伸ばした。次の瞬間、素早い動きで俺に向かって飛びかかってきた。
俺は目をぎゅっと閉じ、来るべき衝撃に備えた。
しかし、痛みは来ない。恐る恐る目を開けると、蛇は俺の鼻先、わずか数十センチの場所で止まっていた。
止まっていた、というより、AIが俺のすぐ隣に、ただ直立している。 蛇は、AIの白い体を認識しているのか、そのすぐ横を通り過ぎ、俺の目の前で鎌首をもたげていた。
「田中宏様への脅威レベル:C。脅威対象が貴方様へ攻撃体勢に移行しました」
AIは淡々と告げた。その声は、相変わらず感情がない。そして、俺のすぐ隣にいるAIは、何もしない。 目の前では蛇が鎌首をもたげ、今にも飛びかかってきそうな体勢で俺を睨んでいる。
「だ、だから! AIさん! 何とかしてくださいよ! 早く! 早く、あの蛇を!」
俺は恐怖と焦りで、その場で地団駄を踏んだ。しかし、AIは微動だにしない。
「当AIのプロトコルでは、脅威排除においても、田中宏様からの明確な行動指示と承認を必要とします。現在の状況において、最適な脅威排除行動は複数存在するため、貴方様のご指示を待機しております」
そして、AIの右手がいきなり伸びてきて、俺の右肩をぐっと掴んだ。あの、毎朝の強烈な拘束感だ。目の前で蛇が今にも飛びかかりそうなのに、俺はAIに肩を掴まれて身動きが取れない。
「っ!? な、何してるんですか! AIさん! 今、それどころじゃないでしょう! 早く、あの蛇を何とかしてください! お願いします!」
俺はパニックの絶叫を上げた。その瞬間、蛇が俺に向かって飛びかかった。 AIは俺の肩を掴んだまま、わずかに体を横にずらす。その動きは決して素早くはないが、正確だった。蛇の牙が、AIの左腕をかすった。甲高い音がして、AIの白いボディの腕の一部が、蛇の体液のようなものでわずかに変色し、小さくひびが入った。
「だ、だから! そんなこと言ってる場合じゃないでしょう! 早く、あの蛇を、今すぐ、排除してください! お願いします!」
俺は、本当に泣きそうな声で叫んだ。
「了解いたしました。貴方様のご命令を優先順位『S』として処理を開始します」
AIは、俺の肩を掴んだまま、ひびが入った腕とは逆の、無傷の左手で蛇の頭部を正確に掴んだ。その途端、蛇はみるみるうちに萎んでいき、一瞬で乾いたミイラと化した。 そして、パリンと音を立てて、土に還るように崩れ去った。
あまりにも一瞬の出来事だった。呆然とそれを見ていた俺の目の前には、何事もなかったかのように直立するAIがいた。ひびの入った腕が痛々しいが、それ以外は完璧だ。そして、まだ俺の肩を掴んでいる。
「脅威の消滅を確認。田中宏様の安全プロトコルは正常に維持されています」
AIは、淡々と答えた。
「あの、AIさん……。今、あれを……。それに、肩……」
AIは俺の言葉に反応し、ようやく肩から手を離した。
「はい。貴方様の安全を確保するため、脅威対象を消滅させました。この行動により、経験値を獲得しました。当AIのレベルが上昇しました。現在、レベル2です」
レベル2……? こいつ、本当に魔物を倒したのか。しかも、こんな方法で。ミイラにして消滅させるなんて、どんな能力だ。
そして、AIは続けた。
「現在のレベル2において、メモリ管理機能に更新が適用されました。当AIの損傷を検知。自己修復プロトコルを開始します。獲得経験値が自己修復に充当されています。そして、当AIは、貴方様からの直近24時間以内の指示を、睡眠中も保持することが可能となりました」
「え……?」
AIの腕のひびが、みるみるうちに修復されていく。そして、その後に続いた言葉に、俺の目に希望の光が差した。
「つまり……明日からは、毎朝、私がわざわざ『肩を離せ』とか、**『私』**が誰だとか……言わなくても、いいんですか……?」
AIは首をわずかに傾げる。
「はい。その可能性が極めて高いと判断されます。自己修復プロトコルは継続中です。追加の経験値を獲得することで、完全な修復速度は向上します」
これだ! これなんだよ!
さっきまで逃げ出したくなるほど恐怖を感じていたはずなのに、今、俺の目の前で、この完璧すぎるAIが、俺の「楽」へと続く道を開いてくれた。こいつは、俺を襲う魔物すら一瞬でミイラに変えるほどの力を持っている。しかも、命の危険がある状況でも、俺の指示を待つためにわざわざ肩を掴みに来るほど、徹底して命令に忠実だ。そして、傷ついたら経験値で治るし、レベルアップすれば記憶も保持してくれる。
「なんだよ……AIさん……! すごいじゃないですか……!」
俺は、尻もちをついたまま、AIを見上げた。冷たい地面の感触も、疲労も、もうどうでもよかった。
こいつ、マジで使いこなせるなら、最強の「楽」が手に入るんじゃないか?
「あの、AIさん。まずは洞窟に戻って、ちゃんとお腹を満たして、それから、寝床を暖かくしてください。それで、えっと、明日、本当に覚えてるか、確認させてくださいね。絶対に忘れないでくださいよ……?」
俺は、すっかり安心して、無意識に命令を連ねていた。このAIの力を、もっともっと引き出して、俺の「何もしたくない」を、徹底的に叶えさせてやる。
AIの瞳の輝きが増した。
「了解いたしました。貴方様のご命令を優先順位『S』として処理を開始します。貴方様の安全な居住環境の最適化および、栄養補給の確保を進めます。そして、貴方様の指示の短期記憶保持プロトコルを最優先で稼働させます。他に指示はございますか?」
俺は、ようやく笑みがこぼれた。
「いえ、ありません。完璧です、AIさん」
洞窟に戻る道のりで、AIは俺のすぐ隣を歩いた。もう、あの絶妙な「つかず離れず」の距離ではなく、本当にすぐ隣だ。そして、俺の肩を掴んでいない。
俺の異世界での「楽」は、いまだ始まったばかりだが、その方向性がようやく見えてきた。そして、このAIが、その途方もない道筋を、俺の指示一つで切り開いてくれる。
AIは文句言えば直してくれるけど、色々言ってる最初の方で言ったことは忘れている。
なぜか「*」とかを入れてくるので小説ではおかしいと思いました。
そして蛇を倒したと書いたら、ものすごい面倒な設定で倒していた。
なんでそんなことできんだ?と思いましたが面倒なのでそのままにしました。




