魔物襲来と、最初の英雄譚
「リディア、急いで! このままだと、村が――!」
フィーネの声が震えていた。
それは、ただの精霊の警告じゃない。
彼女が“人として”わたくしに縋った、最初の叫びだった。
「……わかったわ」
ドレスの裾を掴み、わたくしは踵を返す。
目指すは、昨日立ち寄った小さな村。
辺境にひっそりと佇む、魔導の遺跡に最も近い集落。
「まったく……最初に挨拶したおばあさま、わたくしの手を握って泣いてたのよ。
その村を燃やすなんて、趣味が悪すぎるわね」
森を抜ける風が、焦げた匂いを運んできた。
木々のざわめきに混じって、悲鳴も聞こえる。
心が、冷たく締めつけられる。
「フィーネ、敵は?」
「瘴気を纏った中型魔物が二体、周囲に小型種が多数!
たぶん“瘴気召喚”系の禁呪が近くで使われた……!」
「禁呪?」
「うん……この世界の“バグみたいな魔法”だよ。対価に命や魂を使うから、
普通は誰も使いたがらない。でも……」
「でも?」
「でも……“わたしたちの存在”が目覚めたせいで、
何かが呼び寄せられてる気がするの」
……最悪ね。
けれど、最悪だからこそ、わたくしが動く意味がある。
「フィーネ。戦うわよ」
「うん!」
◆
村は燃えていた。
瓦礫と炎の合間から、小さな子どもが泣き叫ぶ声。
母親が我が子を庇って倒れ、男たちは農具片手に必死で抗っている。
──絶望。
この世界には“本当に、どうしようもない絶望”が存在していた。
けれど、その中で。
「――――やめて」
わたくしの声が響いた。
それだけで、空気が変わる。
炎が静かに揺れ、小型魔物たちが一瞬ひるむ。
「……誰だ、おまえは!」
「ここは魔族領になるのだ! 退け、女……!」
「ふふっ」
わたくしは、笑った。
「ごめんなさいね。“女”という種族には、ね。
こう見えて、わたくし――“傾国の美少女”って呼ばれてるの」
魔物たちがぎょっとしたような顔をした……気がする。
「だから、ちょっとだけ覚悟して?
この顔に傷ひとつ付けられないような、
“圧倒的勝利”で沈めてあげるわ」
◆
「《アルカ・コード》、起動」
光が走る。
わたくしの足元に、紅と紫の魔法陣が展開される。
情報の奔流。魔素構造、敵性種解析、戦場条件最適化。
「解析完了。《風刃障壁・双重展開》──!」
まずは、防御。
風の刃で構成されたドーム型障壁が、村の人々を包み込む。
「つづけて、《雷火連斬・螺旋結界》──」
空に電光が走り、地を這うように火焔の柱が伸びた。
攻撃魔法を、“命令語ひとつ”で構築・発動できる。
それが、《アルカ・コード》の本領。
「や、やばいぞこいつ……! こ、こんな魔導、見たことない……!」
「ふふ、見たことがないでしょうね」
わたくしは前へ出た。
そして、魔物の目前で、わざと一歩踏み出す。
ドレスの裾がひるがえり、炎と雷が背を照らす。
「でも、あなたたちに教えてあげるわ」
紅霞の瞳が、魔物を射貫いた。
「これは、“わたくしの魔法”よ。
世界にひとつだけの、わたくしの誇り。
そして、“守りたい”と願った人々のためにあるものよ」
その瞬間。
すべての魔法陣が、共鳴した。
◆
戦いは、一瞬だった。
精霊魔法と古代術式の融合。
雷と氷の連撃で中型魔物を討ち、小型たちは逃げ出した。
「や……やったの……?」
「……ふう。フィーネ、大丈夫?」
「うん! リディア、すっごくかっこよかったよ!」
「ふふ……当然ですわ」
誇らしげに言ってみたけれど、手が震えていた。
これが、**“人を助ける戦い”**なんだと、初めて実感したから。
村の人々が駆け寄ってくる。
「お嬢さん……あんた……」
「助けてくれて、本当にありがとう……!」
「い、いえ、わたくしはただ――」
「あんたのお名前を、教えてくれないかい?
わしら、あんたのことを……忘れたくないんだよ」
「……リディア。リディア・アルヴェインですわ」
その名を言うのに、ほんの少しだけ勇気がいった。
“断罪された名”を、胸を張って名乗ることが、こんなにも重くて、
けれどこんなにも――誇らしいなんて。
「……ありがとう、リディア様」
「リディア様……!」
次々と、声が響く。
ああ、この響き。
誰かに必要とされることの、こんなにも優しい温度。
それは、前世でも、この世界でも、
一度だって“本気でもらったことのないもの”だった。
「……フィーネ」
「うん」
「わたくし……この力を、正しく使いたい。
誰かを押しのけるためじゃなくて、
本当に……“守りたい人”のために」
「大丈夫。リディアなら、できるよ」
フィーネがそっと手を重ねた。
その小さな掌の温もりが、
わたくしの胸にある“なにか”を、静かに、解かしていった。
◆
この日、辺境の村に現れた銀の令嬢のことは、
やがてこう呼ばれるようになる。
“紅霞の魔導姫”――リディア・アルヴェイン。
でも、まだこのときのわたくしは知らなかった。
その名が、王国中を揺るがすことになるなんて。
けれど。
「ふふっ。いい名前ね、“リディア様”って」
今はただ――
その響きに、心から微笑めたことが、
何よりも嬉しかったの。