「帰還と、新たなる騎士団」
――光の渦の中を、落ちていく感覚だった。
わたくしたち三人は、精霊界の最深でフィルグレアとの契約を果たし、再びこの世界へ戻ってきた。
「……ここ、は……」
わたくしが目を開けると、見慣れた天井が広がっていた。
王都の“聖域”――精霊祝祭に使われる、神聖な神殿の一室だった。
セリアが隣でわたくしの手を握ったまま眠っている。反対側には、ルーファスの腕がわたくしを庇うように伸びていて、彼もまたぐっすりと眠っていた。
「ふふ……安心しすぎよ、あなたたち……」
わたくしは微笑んで、そっと指を絡めた。
……夢ではない。
確かにあのとき、“願い”を伝えた。心を見せ合い、絆を結んだ。
――だから、戻ってこられた。
そう信じた瞬間、部屋の空気がふわりと揺れた。
「……リディア」
その声は、風と光が溶け合ったように透き通っていて、けれど、どこか懐かしい響きを含んでいた。
「……フィーネ?」
「うんっ!」
空間がきらめき、光の粒が集まり、やがて少女の姿を象った。
虹色に揺れる銀髪。七色の瞳。そして、いたずらっぽく笑うその表情。
「フィーネ……!」
わたくしは思わず抱きついた。あたたかい――ちゃんと、戻ってきたのだ。
「ごめんね、リディア。あのとき守れなかったこと、ずっと後悔してた。でも、あなたの願いが、わたしを引き戻してくれたの」
「もう……何も言わないで。あなたが帰ってきてくれた、それだけで……」
フィーネの体温が、涙を誘った。
わたくしは今、確かに“帰ってきた”のだ。
世界の終わりを越えて、“わたくし自身”として。
セリアが目を覚ました。
「……フィーネ……! 本当に……!」
「ただいま、セリア。ずっと見てたよ。あなたたちがくれた言葉も、想いも……全部、届いてた」
ルーファスも瞼を開けて、すぐにフィーネの存在に気づいたようだった。
「……精霊が、実体を伴って……これは、完全なる再契約……?」
「うん。わたしは、もう一度リディアと心を結んだの。精霊王との契約が、その道を開いてくれたのよ」
フィーネが嬉しそうに笑い、わたしの肩に頬をすり寄せる。
「リディアは、やっぱり“選ばれた人間”だったんだね」
「違うわ。ただ……誰かのために、祈りたいと思っただけよ」
わたくしがそう言うと、扉が静かに開かれた。
中に入ってきたのは、王都魔導会議の筆頭であり、現王の信任厚き実務家――アシュレイ・モルドンだった。
「ご無事で何よりです、アルヴェイン嬢」
「……わたくしはもう、そう名乗るつもりはありません」
「では――リディア・アルヴェイン、《精霊契約者》としてお迎えします」
アシュレイは恭しく頭を垂れ、さらに続けた。
「王命により、あなたを“精霊騎士団”の長に任命いたします。新たなる脅威に対抗しうる者――世界の灯火として」
その言葉は、重く、けれど……わたくしの胸を震わせた。
「……精霊騎士団、ですの?」
「はい。王都を護るため、精霊との共闘を前提とした精鋭部隊。あなたをその象徴とし、創設されました」
わたくしはフィーネと目を合わせる。
「どうする? リディア」
「――引き受けましょう。これは、わたくしたちの“居場所”を守るための戦いだから」
わたくしは静かに立ち上がり、ルーファスに向き直った。
「副団長には、あなたを任命したいのだけれど?」
「……いいのか?」
「当然でしょう? この道を、共に歩むと決めたのだから」
ルーファスの瞳が、一瞬だけ揺れた気がした。だが、次の瞬間には真っすぐ頷く。
「……承知した。俺は、お前の剣になる」
「頼りにしてるわ。あなたの、優しさも、強さも」
セリアがぱちぱちと拍手した。
「わたしは……団の“癒し担当”ってことで!」
「ふふ……それ、重要ね。特にルーファスには」
「なんだと」
そんなやりとりに、フィーネがくすくすと笑った。
「大丈夫。わたしがついてる限り、きっとどんな困難も乗り越えられるよ」
「ええ。わたくしたちはもう、一人じゃないから」
その瞬間――空が、再びざわめいた。
“瘴気”――だが、それはこれまでのものとは違う。
まるで、意志を持ってこちらを見据えるような、明確な“敵意”の気配。
そして響く、不気味な“声”。
《ようやく……扉が開かれる。我が“王”の眠りを妨げた者たちよ――》
わたくしの紅霞の瞳が、空を捉える。
「来るわ……“真なる魔王”が――」
それでも、わたくしは恐れなかった。
「わたくしの手は、誰かのためにあるのなら」
精霊の力と、仲間の絆を携えて。
わたくしは“魔導騎士団団長”として、歩き出す。
“世界を救う”その瞬間に向かって――。
ーーーーーーー
わたくしが団長として歩み出そうとしたその瞬間、神殿の扉がふたたび開かれた。
響く足音は、何かをかき乱すような静けさを孕んでいる。ゆったりと、しかしすべてを見透かすかのような優雅な気配――その主を、わたくしの心はすぐに察した。
「ずいぶんと眩しくなったな、リディア嬢」
その声――甘く響き、どこか皮肉めいて、そして抗えない魅力を含む声。
「……アレン王子」
神聖な空間に、王子の白銀の髪が光をはね返すように揺れた。金の狐眼が、まっすぐにわたくしを射抜いている。微笑みはいつものように柔らかく、けれどどこか“寂しさ”を含んでいた。
「おや、そんなに警戒しなくてもいいだろう? 僕がここへ来た理由は、剣でも陰謀でもない」
「なら、何のために?」
「――君を迎えに来た。いや、違うな……“お願い”に来たんだよ」
「……お願い?」
アレンはゆっくりと歩み寄る。背後でルーファスの気配が硬直するのを感じる。けれど、彼は剣を抜かなかった。わたくしの意思に、すべてを委ねると決めてくれたのだろう。
「リディア。君は今や、この王国で最も“世界に触れた者”だ。精霊王との契約を成し遂げたその存在は、もはや一国の枠では語れない。だからこそ――僕は君に問いたい」
彼の手が、わたくしの指先へと伸びる。
「“世界を救う”つもりはあるかい?」
その問いに、わたくしの胸が小さく脈打つ。
「……また、そうやって。わたくしを試すようなことを言って」
「違うよ。これは試練でも計算でもない。……願いだ」
アレンの金の瞳が、ふと翳りを帯びる。
「君のその力と在り方が、王都だけでなく、全世界を変えうる鍵になる。……それを理解している者は、僕を含めてそう多くはない」
「……あなたは、わたくしをどうしたいの?」
「“君の物語を、君の手で終わらせないでほしい”」
その言葉に、わたくしは一瞬、息を呑んだ。
まるで、わたくしの“弱さ”を見透かされたようだった。
「……わたくしは、まだ誰の手も、きっとちゃんとは握れていない」
「なら握ればいい。僕の手でもいい、ルーファスの手でもいい、セリアの手でも。けれど、その手が誰かとつながるなら……」
アレンの声は、珍しく熱を帯びていた。
「“君”はもう、独りきりじゃない」
「……あなたは、本当にずるいわ。そうやって誰より先に、わたくしの心を見抜く」
アレンは静かに笑った。
「ずるいのは、君だよ。こんなにも美しくなって……僕の中の“好き”を揺らすなんて」
「っ……」
ふいに頬が熱を帯びた。
横でセリアがむぅっとした顔で睨み、ルーファスの目が明らかに刺すような冷気を放っている。
「あの……王子、リディアは今、団長としての責務を――!」
「わかってるとも。だからこそ、“いずれ”に備えて言っておきたかっただけさ」
アレンはくるりと踵を返し、扉の向こうへと歩き出す。
「君を好きでいる資格が、僕にないとわかっていても――“君の選ぶ未来”に、僕も触れたいと思ってしまうんだ」
去り際、振り返りもせずそう告げた彼の姿は、妙に脆く、でもどこか温かかった。
扉が静かに閉じられ、沈黙が訪れる。
わたくしの胸には、言葉にできない想いが残っていた。
セリアがそっと袖を引く。
「リディアは……どうするの?」
「わたくしは、選ぶわ。自分の心で。けれど……もう独りじゃない」
ルーファスが無言のまま近づき、わたくしの手をとった。
その大きく温かな手は、何も言わず、ただ“側にいる”と告げてくれていた。
フィーネがふわりと微笑んだ。
「みんなが、リディアの居場所になるよ」
そうね。わたくしには、もう帰る場所がある。
それが“騎士団”であっても、“恋心”であっても。
――わたくしは、きっと、見つけたのだ。
“居場所”を。




