プロローグ 心を重ねて、世界を救う?
「リディア、髪の毛、ここがハネてるよ……えいっ。ぺちぺちって、ね」
「ちょっ、セリア、いきなり触らないでくださる? わたくし、今この世界一の気品でお茶を淹れていたのよ?」
「うん、でも今日のリディア、ちょっと“ふにゃふにゃ”してる。すっごく可愛い」
……朝からこの調子である。
王都の片隅、魔導騎士団本部の一角に用意された私室で、わたくし――リディア・アルヴェインは、今朝も“聖女様の甘やかしモード”に包囲されていた。
「……セリア。あなた、あの日以来、わたくしへのスキンシップの頻度、急上昇しているのだけれど」
「うん! だって、あの時……すっごく怖かったんだもん」
セリアは、紅茶のカップを両手で包みながら、わたくしをまっすぐに見つめる。
「魔導城で、リディアが帰ってこなかったらって、考えたら……胸がぎゅーってなって、変な夢まで見て。だから……今はこうして触れていたいの。リディアがここにいるって、確かめたいの」
そんな風に、真顔で言われてしまったら、わたくしもなにも言い返せなくなってしまう。
「…………あら。まあ……すこし、だけなら」
そっぽを向きながら、指先をセリアの手にそっと重ねる。
どきん。
なぜか、わたくしの心臓が跳ねた。
(セリア……本当にあなた、前世でなにをしてきたの? どうしてこんなに……乙女ゲーム主人公みたいに可愛いの)
「おい、二人とも。仕事中だってこと、忘れるなよ」
……その声に、わたくしたちはビクッと背筋を伸ばした。
「ル、ルーファス!? いつから……?」
「さっきからずっとそこにいる。っていうか、朝からずっと、俺が紅茶を淹れてた」
テーブルの隅で湯気を上げるポットに、静かに添えられた銀のティースプーン。完璧な温度の紅茶。……って、これ、ルーファスが?!
「ちょっと待って、それってつまり――」
「……お前ら、イチャつきながら“俺が用意した紅茶”を飲んでたってわけだな」
「ぎゃーっ! ち、違うの! リディアがふにゃふにゃしてて、それをぺちぺちしてただけでっ!」
「ぺちぺちってなんだよ……」
唖然としながらも、ルーファスは小さくため息をつき、わたくしたちの間にそっと一枚の書簡を差し出した。
「――精霊庁から、異常報告。南部の神域で、“精霊との接続断絶”が発生した」
その言葉に、空気が変わる。
セリアの笑顔がすっと消え、わたくしは紅茶を置いて身を乗り出した。
「接続断絶……? まさか、“死んだ”わけでは……」
「いや、まだ断定はできない。ただ、精霊契約者たちが次々に“声を聞けなくなっている”そうだ」
セリアも唇を引き結んだ。
「精霊界とこの世界の接続が……薄れている?」
「そう。それも、どうやら“強制的に断たれている”」
わたくしの紅霞の瞳が、鋭く輝いた。
「――つまり、何者かが意図的に精霊界を“遮断”しているということ?」
ルーファスは無言でうなずいた。
「これは……ただの魔障じゃない。誰かが、精霊そのものを“道具”として扱おうとしている……!」
「そんなの、許せない……!」
セリアの拳が、ぎゅっと握られる。
「フィーネに聞いてみるわ」
わたくしは心の中で契約精霊の名を呼んだ――が、返事はなかった。
(……フィーネ?)
何度呼んでも、あの虹色の声は返ってこなかった。
「……わたくしの精霊とも、接続が切れている。まさか……これは、わたくしたちを狙った……?」
「可能性はある。“精霊契約者”であるお前が狙われてるなら、当然……そのパートナーも」
「わたしも……!?」
セリアが顔色を変える。
「これは、もう“私事”じゃない。――魔導騎士団を動かすわ。セリア、ルーファス、準備して」
「……了解」
「リディアのために、何でもするよ」
――その瞬間、空間が揺れた。
部屋の窓が、まるで風もないのに、ガタリと軋んだ。冷たい気配。鋭い感覚。
「……感じる? この気配、まるで……精霊界の“入り口”が、歪んでる」
「侵食……されてる?」
ルーファスが剣に手をかけ、セリアはわたくしの腕を掴んだ。
(これは、ただの事件じゃない……)
「わたくしたち、精霊界へ行くわ。真相を、確かめましょう」
ふたりの顔を、わたくしは交互に見た。
精霊の声なき今、頼れるのは、この手を握ってくれる“絆”だけ。
わたくしたち三人の物語が、今――
《精霊世界》という“異界”へと、踏み出す。
――次なる運命の扉が、音を立てて開かれようとしていた。