エピローグ わたくしの手は、誰かのためにあるのなら
王都に広がった“紅き光”と“七彩の羽”は、いまや“伝説”として語られている。
だがそれは、わたくしの中に残った記憶と、まったく同じものではなかった。
あの日――
魔族の“真なる王”は、確かに目覚めた。
瘴気ではない。炎でも、呪いでもない。
あれは、人の“心”に直接入り込み、信仰を歪ませる存在。
「なぜ、涙を流しているの?」
「……どうして、あなたはその冠をかぶるの?」
王都の人々は、ほんのわずかのあいだ――その“問い”に答えられなかった。
その“隙”こそが、魔王の力。
わたくしは、確かに力を解き、封を閉じ、王都を守った。
けれど、魔王が残した“囁き”は、まだ人々の耳に、心に、爪を立てていた。
◇
「……やっぱり、明るすぎるわね」
祭りの後のような静けさが、王都を包んでいた。
街は笑顔で彩られているのに、どこかで冷たい風が吹いている気がする。
リディア・アルヴェイン。
悪役令嬢だったはずの少女が、精霊の冠を戴いた“精霊の花嫁”として知られるようになった。
けれど――
「……ねえ、リディア。苦しくはないの?」
静かに寄り添ってきたのは、フィーネ。
虹の髪をたなびかせ、まるで風そのもののように、優しく佇んでいた。
「……苦しくなんてありませんわ。今のわたくしは、“誰かを救えた”ことに、確かに誇りを持っています」
「でも、あなたの瞳には、まだ“問い”が映ってる」
「問い……?」
「“誰かのために在る”ってことは、誰かの“手段”になる可能性も孕む。
あなたの優しさは、時に刃になるわ」
「……それでも。わたくしは、“選びます”。この手で、誰かを守る未来を」
ふっと、フィーネの目が細められる。
それは、祝福と不安の混ざった、大精霊としてのまなざし。
「なら、あなたはもっと強くなる必要がある。
“彼”は――まだ終わっていない」
「……“彼”?」
「“王”として名乗りを上げた、魔族の主。
彼の目覚めは、不完全だった。
でもそれだけに、“不安定なまま拡がる”の。人々の不安や、嘆き、疑い――そうした心の隙間から」
「……っ」
思わず、手に力が入る。
まだ終わってなどいない。
これは“始まり”だったのだ。
◇
「リディア」
その声に振り返ると、ルーファスがいた。
訓練服に着替え、剣を背負った姿は、いつにも増して頼もしく映る。
「……王都の見回りを?」
「いや……お前の顔が見たくなっただけだ」
「……なにを、さらっと……!」
「言っておく。俺は、決めたからな」
「……なにを、ですの?」
「これからの人生、ずっとお前の傍にいると」
(……!)
「騎士としてでもいい。男としてでもいい。……お前が望む形で構わない」
「…………」
返事が、すぐにできなかった。
(……そんな真っ直ぐな目で言われたら、わたくし……)
「……手、貸してくださる?」
「……ああ」
ルーファスの手が、わたくしの手に重なる。
いつか、誰かに握られたかった手。
拒絶され、裏切られ、孤独に震えていたあの頃――
わたくしは“ただ温もりを知りたかった”だけだったのかもしれない。
でも今は、違う。
「この手は、誰かのためにあるのなら――」
「……あなたと、歩むために使いますわ」
小さな囁きに、彼の手がきゅっと強くなる。
そして、もう一人。
「ねえねえ、あたしは!? リディア、今日も大好きよ~~~!!」
「……セリア、少し黙っていなさい」
(……でも、あなたがいてくれて、本当に良かったと思ってるわ)
わたくしたちは、三人で歩き出す。
――まだ続く、この“運命という物語”の先へ。
◇
夜空の下、王宮の塔にて。
誰もいないはずの聖堂の奥、封印の間で、一つの石が震えた。
“選ばれし冠”の波動に応じて、
“古き神々の門”がわずかに開いたのだ。
そこに潜むは、精霊すら知らぬ――“神域の禁忌”。
それが次に牙を剥くとき、リディアの歩む道は、再び“愛”と“信仰”を試されることとなる。
でも今はまだ、知らなくていい。
なぜなら――少女は今、確かに“愛される光”の中にいたのだから。