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「気になるなら、本人に直接確認してみればいいじゃん」
アルフレードとミスティーアの噂を知ってしばらくした頃、弟に何気なく噂の話をすると弟はミスティーアへそう返した。
紅茶を片手に簡単な事だと言い放つ弟に、エレオノーラは口をキュッと結んでスカートを握りしめた。
確かに、婚約者という立場を考えれば相手の不誠実な噂は問い詰めるべきなのかもしれない。
弟の言っていることは至極真っ当だ。
しかし、エレオノーラはそうすることが出来なかった。
「そんなことを聞いて、本当に事実だったらどうするの?お父様に伝えて婚約を破棄する?そんな事出来るわけないじゃない・・・」
アルフレードとエレオノーラの婚約は貴族間の均衡を保つため政略的に結ばれたものだ。
例え本人たちの気持ちが互いの方を向いていなくても、この婚約が破棄されることはない。
「それに、アルフレード様はミスティーア様と二人で会っているわけではないわ。ただの友人関係だったとしたら、交友関係に口を出してくる女だと思われて、それこそ嫌われてしまうかもしれないじゃない・・・」
エレオノーラは俯いて、今の思いの丈を吐き出した。
両親や周りの大人達が決めた婚約だったが、エレオノーラはこの婚約をそんな冷たいものにはしたくなかった。
何故なら、初めて婚約者として紹介された時からずっと、エレオノーラはアルフレードのことを一途に愛していたからだ。
当時は幼いながらに大人びていたアルフレードに対し、愛と言うよりは憧れのような感情を抱いていたのかもしれない。
しかし、時が経つにつれてそれは確実に愛へと変わっていった。
今のエレオノーラにとって 、アルフレードは唯一の人なのだ。
だからこそ、真実を確かめることも、追及して嫌われることも耐えられないと思った。
「・・・それにミスティーア様は私と違って可愛らしいから・・・」
エレオノーラが少し離れた化粧台の鏡に目を向ける。そこには、こちらを自信なさげに見つめる少女が写っていた。
きつい印象を与えるつり目にシルバーがかった瞳。笑顔のない堅い表情。
光が反射すると紫がかる黒い髪はエレオノーラの肌の白さを際立たせ、その白さに人間味がないと気味悪がられることもあった。
ヒールを履くとアルフレードとほぼ目線が変わらなくなる長身がそれに拍車をかけ、エレオノーラは見た目で高圧的に取られることが多い。
柔らかな印象を与えるアルフレードとは対照的な見た目をしている自分を、エレオノーラはいつも卑下していた。
「お姉様は気にしすぎだと思うけどね・・・アルフレード様も噂のこと聞かれたからって別にお姉様のこと嫌いにならないと思うよ」
「・・・そうかしらね・・・」
曖昧に笑って誤魔化す姉を弟は納得がいかない顔で見つめ、小さくため息をついたーーー。
「ですから!ヴィラルーシェ様はお礼を受け取ってくださらないので、婚約者のファルクロード様がお困りならお助けしたいんです!!」
ミスティーアの声にエレオノーラははっと現実に引き戻された。
どうやら色々と考え込んでしまっていたらしい。
未だに手を握っているミスティーアを見ると、これ以上は時間の無駄だと悟ったエレオノーラは短くため息をついた。
「分かりました。ではお言葉に甘えてもよろしいですか?」
「っっ!はい!もちろんです!」
エレオノーラの返事にぱぁっと顔を明るくしたミスティーアは自分の従者へ声をかけに行った。
ミスティーアが馬車の手配を始めると、エレオノーラの言葉を後ろで黙って聞いていた従者が慌てて声をかける。
「おっお嬢様!旦那様から許可が下りていない馬車でご帰宅されるのは・・・!」
「ファルロス王太子殿下の婚約者で聖女のミスティーア様がここまで言ってくださっているのよ?これ以上お断りするのは失礼だわ。お父様にはあなたはきちんと止めたと伝えておくから」
「でっですがっっ・・・!」
「従者の方も後ろの馬車に乗ってください!私の従者も乗っていて少し狭いかもしれませんが、一緒に帰りましょう!」
突然話しかけられた従者はびくっと飛び跳ねて振り返る。振り返った先でニコニコと笑っているミスティーアと無表情のエレオノーラを交互に見て、最終的にはエレオノーラを一人にするわけにはいかないと判断し無言で頷いた。
「決まりですね!それでは行きましょう!」
2人に笑顔でそう言うと、ミスティーアは2人を先導するように馬車へ向かう。
そして、そんなミスティーアの後ろ姿を2人はなんとも言えない表情で見つめたーーー。
「ファルクロード様の使われている馬車に比べると乗り心地が悪いかもしれませんが、ご容赦くださいね」
「そんなことありませんわ。助けてくださってありがとうございます」
前方の馬車にミスティーアとエレオノーラ、後方の馬車にそれぞれの従者が乗り込み、エレオノーラの屋敷に向かって馬車を走らせていた。
エレオノーラは馬車の窓から外を眺め、乗り込んだ時からずっと気になっていたことを口に出す。
「それにしても、護衛の数が少なくありませんか?先代の聖女様はもう少し護衛をつけていた気がするのですが」
馬車に乗り込む前に確認したが、特に馬車を警護するような騎士はおらず、後方の馬車にも戦闘要員を思えるような従者はいなかった。
先代の聖女様は、何処へ行くにも必ず護衛騎士を連れていたことを知るエレオノーラにとって、この状況は異様だった。
「あぁ、いつもはいらっしゃるのですが、今日はファルロス様がなんだかお忙しいご様子で騎士の方々は皆さんそちらに招集されてしまいましたの。ファルロス様には騎士が戻るまで待つよう言われていたのですが、今日は教会へ行くことになっていたので先に帰っているんです」
なんでもないように話すが、エレオノーラの頭には嫌な予感がよぎり、額に冷や汗が滲んだ。
「それって、あまり良くないのでは・・・」
「そうですか?」
エレオノーラは少し考え込んだが、すぐに顔を上げてミスティーアに学園へ引き返すよう伝えた。
「ミスティーア様、すぐに学園へ戻りましょう」
「えっ?!なんでですか?!」
「ミスティーア様は聖女様でありファルロス王太子殿下の婚約者でもあります。いつ誰に狙われるかも分からない状況で騎士も連れずに外を出歩くべきではありません。今すぐ学園に引き返しましょう」
「そっそんな・・・心配しすぎでは・・・」
ミスティーアが顔を引き攣らせつつ、胸の高さで両手をきゅっと握りしめた瞬間、馬車が急停止した。
ガタンッッ!!
「きゃぁっ!」
バランスを崩したミスティーアが体を馬車にぶつける。
「ミスティーア様!大丈夫ですか?!」
すぐにエレオノーラがミスティーアに近づき、ぶつけた腕を確認する。
ミスティーアは自分の腕を擦りながら、エレオノーラに笑顔で問題ないことを伝える。
「だっ大丈夫です。少し腕をぶつけただけですわ」
「そうですか・・・一体何事ですか!」
特に外傷がないことを確認し、外の御者に向かってエレオノーラが声を上げた。
すると次の瞬間、馬車の扉が勢いよく壊される。
ドカァンッ!
「きゃぁ!」
「っ!」
馬車の隅でミスティーアを守るように立ち、エレオノーラは壊された扉を見つめる。
すると、壊された扉から大柄な男がゆっくりと中に入ってくると、隅に身を寄せている2人に粘着質な笑顔を向けた。
「どうも~・・・ん?聖女は一人で帰ってるんじゃなかったのか?おぉい!女がもう一人いるぞ!!」
想像していた状況と違ったのか、男は外に向かって確認するように声を上げる。
「知らねぇよ、どこぞのご令嬢サマだろ。とりあえず一緒に連れて行てこい」
馬車の外から声が返ってくると、それもそうかと納得した男はエレオノーラとミスティーアの腕を掴み乱暴に引き寄せた。
「やっやめてくださいっ!!」
馬車から引っ張り出されたエレオノーラとミスティーアは、外で待っていた男達にあっさり拘束される。
突然の出来事にミスティーアは必至に抵抗するが、男に対抗する力は持ち合わせておらず、男達には気にも留められていなかった。
(どうしましょう・・・ここで抵抗しても良いですが・・・)
エレオノーラは腕を拘束されながら、周囲を見渡した。
賊の数は見えているだけで10名。恐らく、草むらの中に見える馬車にも待機している仲間がいるだろう。
対してこちらは非力な令嬢と非戦闘要因の従者数名。
(せめてミスティーア様だけでも・・・あら?)
何とかこの場からミスティーアだけでも助け出す方法を考えている時、エレオノーラは自分の従者の姿が見てないことに気がついた。
「お嬢様!!お逃げください!!!」
突如後方から声がしたのでそちらを振り向くと、そこには姿が見えなくなっていた従者がいた。
襲撃された瞬間に身を隠していたのか、従者は物陰から飛び出してくると護身用に隠していたナイフでエレオノーラを拘束している賊を切りつけた。
「いってぇ!なんだこいつ!!」
切りつけられた賊は咄嗟にエレオノーラから手を離し、切りつけられた傷口を押える。その隙に賊の手から解放されたエレオノーラはそのまま従者へ駆け寄った。
「あなた!何をしているのですか!」
「いっいいから逃げてください!お嬢様に何かあったらここで生き残っても私は殺されます!」
エレオノーラを賊から庇うように立つ従者はエレオノーラに逃げるよう促した。
賊から目を離さない従者のナイフを握るその手はガタガタと震えている。
「おいおい兄ちゃん震えてるぜ。危ないもんは捨てろよ」
「うっうるさい!お嬢様!私がおとりになりますから、その隙に・・・!」
従者が賊へ襲い掛かろうとしたその時、横から伸びてきた手が従者の頭を鷲掴み、思いっきり地面に叩きつける。
「がっっ!」
「敵は一人じゃないんだぜ、もっと全体を見ないとな兄ちゃん」
従者を抑えつけた男はそのまま従者の手からナイフを奪い取るとそれを従者に向けて振り下ろす。
「お前はここでくたばってろ」
「うわぁぁぁぁぁ!」
従者が己の死を確信した瞬間、小さな石が賊の握っていたナイフを弾き飛ばす。
カキンッ・・・カランカラン・・・
賊は握っていたナイフが地面に落ちるのを見ると、ニヤリと口元を緩めてゆっくりと石が飛んできた方を向く。
「…どういうつもりだ?」
そこには周囲に数十個の石を浮かせたエレオノーラの姿があった。