【番外編】エラルド・ファルクロード(下)
昨日の朝ぶりに姉の姿を見たエラルドは姉から視線を外さず、ゆっくりとベッド横まで移動した。
エレオノーラは頭部を包帯で巻かれた状態ですぅすぅと寝息を立てている。
そして、目の前で寝ている姉の姿をエラルドは注意深く観察した。
(思っていたよりもひどい怪我だったのかな・・・頭か・・・後遺症が残らないといいけど・・・手首も赤くなってる・・・手錠でもされていたのか・・・可哀そうに・・・顔色も良くないし、まだ魔力が回復していないんだろうな・・・)
エラルドはそっとエレオノーラの顔の上に手をかざす。
掌に姉の寝息が弱弱しく当たり、エラルドは漸く安心することができた。
そのまま手を包帯の巻かれた頭の方へ移動させ、包帯の巻かれていない部分に優しく触れる。
ふわふわと柔らかい髪を何度か撫でた後、エラルドはその手を離した。
「医師の話では命に関わる外傷はなく、傷も聖女様の力があれば傷跡が残ることはないそうです。ただ、魔力が一定程度溜まらないことには意識は戻らないだろうと・・・その魔力も自然に回復するのを待つしかないのでいつ目が覚めるかはまだ分からないそうです」
メイドの言葉に耳だけ傾けていたエラルドは姉の体に傷が残らないことに安堵のため息を小さく零し、そのままベッド横に置かれている椅子に腰かける。
「お姉様、無茶しすぎですよ」
エラルドは小さな声でそう姉に話かけるが、もちろんエレオノーラからの返事はない。
そこからしばらくの間、エラルドは特に言葉を発することなく姉の寝顔を眺めていた。
そろそろ退室しようかとエラルドが腰を上げかけた時、エレオノーラの部屋の扉がノックされた。
コンコンコン
「アルフレードです。エレオノーラの様子を伺いに来ました」
廊下から聞こえてきた声にエラルドは腰を椅子に下ろし、メイドに部屋へ入れるよう伝えた。
メイドに通されて部屋に入ってきたアルフレードはベッドで寝ているエレオノーラを一瞥した後、すぐに横で座っているエラルドに気が付いた。
「エラルド様、お久しぶりです」
「僕に敬称は不要ですよ、アルフレード様」
アルフレードはエラルドの言葉に笑顔を返すと、エラルドの横まで歩いてきた。
「今日の昼過ぎには聖女がこちらにきて治癒魔法を施します。魔法がかけ終わればこの包帯もとれますよ」
「・・・」
自分の言葉にエラルドがピクッと反応したのをアルフレードは見逃さなかった。
「何か言いたいことがあるようでしたら、遠慮なく仰ってください」
「・・・」
促しても何も返してこないエラルドを見下ろしながら、アルフレードは黙ってエラルドが話し始めるのを待った。
やがて、エラルドはぼそっと一言だけ零す。
「包帯が取れても、お姉様がお怪我をした事実は変わりません」
エラルドは椅子から立ち上がり、アルフレードと向き合った。
身長差が頭三つ分はあるアルフレードを見上げ、エラルドはアルフレードにある誘いをする。
「アルフレード様、お時間があるようでしたら僕の部屋でお茶を飲みませんか」
真っ直ぐにアルフレードを見つめるエラルド。
そんなエラルドをじっと見つめ返していたアルフレードはにっこりと笑ってエラルドの誘いを了承した。
「是非」
エレオノーラの部屋を出て自室に戻ってきたエラルドは、アルフレードにソファへ座るよう促した。
エラルドが出て行った後、アギトが部屋の中を綺麗に片付けたようで山積みにされていたはず本は全て本棚へと戻されている。
アルフレードはソファに座りながら、目の前の本棚を見上げる。
「・・・相変わらず、本がお好きなんですね」
「そうですね。何もしていないと頭の中がうるさいので」
何でもないように話すエラルドを横目にアルフレードは目の前の本の壁に視線を戻した。
エラルドの部屋は壁の一面が丸々本棚になっている。
屋敷には書斎があり、そこに侯爵家が管理する蔵書があるが、この部屋の本に関してはエラルドが趣味で集めている本になる。
決して狭くないエラルドの部屋の壁一面を埋め尽くす本棚は数千冊は余裕で入るが、すでにほぼ埋まっている状況だ。
コンコンコン
「紅茶をお持ちしました」
廊下からアギトの声が聞こえ、エラルドは扉を開けた。
アギトは二人分の紅茶セットをトレイに乗せて扉から現れたエラルドに一礼する。
そしてエラルドは何も言わずにアギトが持っているトレイに手を伸ばした。
「熱いのでお気をつけください」
「分かっている。話し終わったら声をかける。それまでは誰も入れないでくれ」
「承知いたしました」
アギトはトレイをエラルドに渡すとお辞儀をしてゆっくりと扉を閉めた。
トレイを持ったエラルドは紅茶が零れないように慎重に歩き、ローテーブルにトレイを置くとソーサーごと紅茶をアルフレードの前に置いた。
「ストレートでお飲みになりましたよね」
「えぇ、ありがとうございます」
エラルドはそのままアルフレードの斜め前の椅子に腰かけ、自分の紅茶に角砂糖を5つ入れティースプーンでくるくるとかき混ぜた。
その様子をアルフレードは興味深そうに見つめる。
「・・・甘いのがお好きなんですか?」
「え?・・・あぁ、別に嫌いではないですが特段好きでもないです。ただ、僕は燃費が悪いので糖分がすぐに足らなくなるんですよ」
紅茶に視線を落としたままそう言うと、エラルドはティースプーンを置いて紅茶を一口飲んだ。
それを見たアルフレードもソーサーを手に取る。
カップの取っ手を手に取りゆっくりと傾けて紅茶を口に含み、それをゆっくりと味わった。
「いい茶葉ですね」
「ありがとうございます。僕の好みに合うようにアギトがブレンドしてくれているんです」
「先ほどの従者の方が・・・いい腕をお持ちですね」
「本人に後で伝えておきます」
再びカップに口を付け味を楽しんだアルフレードは、カップをソーサーに置いて本題を切り出した。
「・・・それで、ご用件の方を伺ってもいいですか?」
アルフレードはそう言ってエラルドに視線を投げかけるが、その問いにエラルドは反応しない。
変わらず紅茶を飲み続ける様子を見たアルフレードは言葉を足した。
「エレオノーラの拉致事件について、私に言いたいことがあったのではないですか?恐らく、エレオノーラの前では言いにくいようなことが」
「・・・」
エラルドは黙ったままカップをあおり、飲み干して空になったカップをソーサーに戻した。
そして、手を太ももの上に揃えて置くと顔を上げてアルフレードに向き合った。
「お姉様のあのお怪我は何ですか」
「捕まっていた際、賊に殴られたようです」
「何故お姉様が殴られたのですか」
「本人から聞かないと正確なことは言えませんが、恐らく聖女を逃がした際に暴行を受けたのだと思います」
「何故お姉様が聖女様を逃がす必要があったのですか」
「エレオノーラの中で聖女を逃がすことが最優先事項だったからだと思います」
「・・・何故お姉様は捕まったのですか」
「元々狙われていたのは聖女のようですが、聖女の馬車で一緒に帰宅していたことが原因で巻き込まれたようです」
「何故お姉様は聖女様と一緒に帰っていたのですか」
「・・・エレオノーラの馬車に不具合があり、帰宅する足がなかったようです」
「では、お姉様があんな目に遭ったのは馬車の不具合が原因だったとお考えですか」
エラルドはまっすぐアルフレードを見つめる。
アルフレードはエラルドから視線を外し、ソーサーの上のカップに残った紅茶を見つめた。
その水面に映る自分の顔を見つめたまま、顔を上げることなくエラルドの問いに答える。
「根本的な原因、という話になると馬車の不具合はきっかけに過ぎないと思います。学園に残って待つことも出来た中で、最終的に聖女の馬車に乗って帰ると決めたのはエレオノーラですから」
「・・・お姉様自身の自業自得だと?」
「そこまでは言っていません。ただ、何故あの決断をしたのかは疑問が残ります」
アルフレードはそう言ってカップを持ち上げると、再び紅茶に口をつける。
その様子をじっと見つめていたエラルドは太ももの上に置いていた手をぎゅっと握り込んだ。
「・・・僕は、お姉様があんな目に遭ったのはアルフレード様が原因だと思っています」
エラルドの言葉を聞いたアルフレードは傾けていたカップをピタッと止めた。
そして、カップを口から離し、視線をエラルドの方へ向ける。
「・・・私の?」
そう問いかけるアルフレードの顔からは笑顔が消え、エラルドはその言葉から底知れぬ圧を感じた。
(年下の子供相手に圧かけるなよ・・・)
アルフレードの圧に冷や汗をかきつつ、エラルドは引き下がることはしなかった。
「・・・そうです。お姉様は確かに自分で聖女様の馬車に乗ることを選びました。ですが、その選択に至ったのはアルフレード様の言動や学園に流れている噂が原因だと思います」
「・・・」
黙って自分を見つめるアルフレードの視線に、エラルドは耐えきれずに視線を外した。
そして握り込んだ手をさらに強く握り、声を振り絞る。
「アルフレード様、少し前から学園で噂が流れているのをご存知ですか?『アルフレード様は聖女ミスティーアに恋をしている』っていう、いかにも学生が好きそうな噂です」
「えぇ、くだらない噂です。私には婚約者であるエレオノーラがいるというのに」
「そうですね、僕もただの噂だと思っていました。ですが、お姉様はその噂の真偽を気にされていました」
「・・・エレオノーラが・・・?」
エラルドの言葉に少し眉を顰めるアルフレード。
「はい。お姉様は少し前から僕に不安を吐露していました。お姉様は自分に自信を持っているタイプではありませんが、アルフレード様からの好意を疑ったことはありません。ですが、今回は聖女様と自分を比べ、アルフレード様が聖女様に思いを寄せてしまっても仕方がないといった口ぶりでした」
エラルドは自分に話をしてくれた時の姉の様子を思い出していた。
少し離れた化粧台に映った自分を見つめ卑下する姉を見て、エラルドはどうしようもなく悲しくなった。
自分自身を客観的に見つめ、そこから目を逸らさずに努力し続けるエレオノーラをエラルドは心の底から尊敬していた。
魔力が多くないと知った時、アルフレードの婚約者として情けないと泣いていた姉を知っている。
魔力量を補うために誰よりも正確な魔力操作を身に付けると言って泣きながら訓練していた姉を知っている。
外見に自信がなくてもアルフレードの婚約者として下を向いてはいけないといつも自分を鼓舞していた姉を知っている。
姉は自分を大切にしてくれるアルフレードのために出来ることをいつも探していた。
そんなエレオノーラが信じて疑っていなかったものを疑い、自信を無くしていく姿をエラルドはただ見ていることしかできなかった。
自分には、姉の不安を取り除くことができないと知っていたから。
「アルフレード様、聖女様が来てからお姉様と一緒に行動しなくなりましたよね?お姉様は僕に何も言いませんでしたが、何かお姉様に言ったのではないですか?学園では近づくな、とか」
「・・・」
エラルドの言葉にアルフレードは何も返さない。
アルフレードの無言を肯定と捉えたエラルドは下を向いたまま唇を噛んだ。
「・・・アルフレード様にも事情があったんだと思います。第一王子に何か頼まれていたとか、聖女様を警戒されていたとか・・・ですが、そういった事情をお姉様には伝えていなかったのではないですか?言わなくても大丈夫だろうと・・・」
「・・・」
「お姉様は聡明な方です。噂だけであればきっとあなたにすぐに確認をしていたでしょう。ですが、お姉様はそれをしなかった・・・いや、できなかった」
エラルドは自分の瞳に涙が溜まっていることに気が付き、服の袖口で乱暴に拭った。
「お姉様にとって、あなたに言われた言葉が全てなのです。あなたに距離をとられた状態で、あなたの心移りの噂を一蹴できるほど、お姉様は強くありません」
「・・・えぇ」
「きっと、そんな不安定な時に噂の相手と鉢合わせ、馬車の提案をされたんでしょう。相手の腹の内を探ろうと思ったのか、直接真偽を聞こうと思ったのかは分かりません。ですが、お姉様は自分自身の不安を払拭するために馬車に乗ったんだと、僕は思います」
「きっとそういった思いもあってのことだったのでしょうね・・・」
アルフレードの言葉を聞いたエラルドは椅子から立ち上がり、アルフレードとローテーブルの間に立った。
ソファに座っているアルフレードは目の前のエラルドを少し見上げるように見つめる。
見上げた先のエラルドの顔は目の辺りが擦って赤くなっていた。
アルフレードは無意識に赤くなった目元へ手を伸ばす。
「・・・その目、早く冷やした方が・・・」
「僕は、お姉様の婚約者はアルフレード様以外いないと思っています」
エラルドの言葉に伸ばしていた手を止め、アルフレードは目に涙が溜まっているエラルドを見つめる。
エラルドはズボンをぎゅっと握りしめながらアルフレードに言った。
「ずっとお二人を見てきたから分かります。お姉様が幸せになれるのは、アルフレード様の隣です。ですが、逆を言えばアルフレード様はお姉様を不幸にすることもできるということです」
「・・・」
「今回のこと、ご自身に非がなかったのかどうかお考えください。そして、二度とこのような事態を引き起こさないと約束してください」
エラルドの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
それを拭おうとエラルドが腕を上げると、アルフレードはそれよりも先に自分の胸ポケットからハンカチを取り出しそれをエラルドの目に当てる。
「乱暴に拭ったら更に赤くなってしまいますよ」
アルフレードはそう言ってエラルドの涙を優しく拭った。
「私といるとよく泣かせてしまいますね」
「・・・アルフレード様はいいんです。昔からお姉様以外に無関心で僕が泣いても動揺しないので・・・侯爵家の人間は、僕が泣くと必要以上に動揺するので、要らない心配をかけてしまいます」
エラルドはそう言いながら抵抗することなくアルフレードに涙を拭わせた。
やがてアルフレードの手が離れていくと改めてアルフレードを見つめる。
「約束、していただけるんですか」
「・・・」
エラルドの言葉にアルフレードはすぐには返答せず、ハンカチを丁寧にたたみ直して胸ポケットに仕舞った。
そして目の前に立つエラルドを改めて見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「約束します。今後、同じようなことが起きないように誠心誠意エレオノーラに向き合うと」
「・・・起きないようにではなく、起こさないと約束してください」
「ふふっ手厳しいですね。分かりました、二度と同じことは起こしません」
笑ってそう言うアルフレードに、エラルドは最後の念押しをした。
「もしまたお姉様に何かあったら、死んでも許さないし死ぬほど後悔させますからね 」
どこかで聞いた覚えのある言葉に、アルフレードは困った顔をして笑ってみせた。
「・・・相変わらず、君は末恐ろしいですね」