第七話 トラブル後、そして不穏な噂
「……妹を守ってくれて、ありがとう」
研究室のベッドで詩織の様子を確認していた琉生が、ふと私の方を向いてそう言った。
やっぱり、と思った。さっきのやり取りや空気感から、彼女が琉生の妹だということはなんとなく察していた。だから驚きはなかった。
「いえ、私のためにしただけですから」
俺は静かにそう答える。
「……ごめんね、巻き込んじゃって」
ベッドに横たわる詩織が、申し訳なさそうに目を伏せて言った。
「大丈夫。ほんとに、私のためだったから」
俺は柔らかく微笑みながらそう返した。
詩織はしばらく黙っていたが、ふと顔を上げて言った。
「そういえば、なんで琉生と花月ちゃんが顔見知りなの?」
俺は一瞬、言葉に詰まりかけたが、すぐに誤魔化すことにした。
「今朝、迷っていたところを助けてもらったんです。だから……少しだけ、顔を知っていたって感じで」
「へぇー、そうだったんだ」
詩織は納得したように頷いた。
傷の手当てが終わり、琉生が私の方に向き直った。
「……よければ、一緒に帰ってくれないか」
「もちろん。最初からそのつもりでしたから」
俺は自然と微笑んで、そう答えた。
研究室を後にして、校門に向かって歩いていると、隣を歩く詩織がぽつりと呟いた。
「……ねえ、なんで助けてくれたの?」
俺は少し考えてから、穏やかに答えた。
「私のため、です」
「……?」
「それに、ここまで好意的に接してくれた人って、あなたが初めてだったから」
俺がそう言うと、詩織は驚いたような顔をしてから、少し照れたように笑った。
「ありがとう。でも……ちょっとしつこかったよね」
「……やっぱり?」
「うん。ちょっとだけ」
私は小さく笑ってから、少しだけ顔を斜めに傾けた。
「私が……会話の練習相手になってあげようか?」
「……いいのっ?!」
詩織は目を輝かせてこちらを見つめた。
俺は小さく頷きながら呟いた。
「今まで会ってきた人の中で、あなたが一番……なりたいって思えたから」
その後は何も言葉を交わさずに、ゆっくりと帰路についた。
家に帰った俺は、制服を脱ぎながら、今日の出来事を思い返していた。喧嘩もあったけれど、いい人に出会えた――そんなふうに思いながら、一日を終えた。
翌朝、登校すると、なんだか妙な空気を感じた。
校門の前で、すれ違う生徒たちが私の顔を見ては、小声でひそひそと話していた。
(……何か、あった?)
教室に入っても、その空気は変わらなかった。誰も何も言わないが、明らかに注目を浴びている。
そんな中、一人の女子が私の席に近づいてきた。
「ねえ、伊藤さんって……中学のとき、麻薬で逮捕されたって本当?」
「……は?」
あまりに突拍子もない言葉に、思わず声が漏れた。
けれど、俺はすぐに気づいた。……この噂、心当たりがある。
俺はゆっくりと席を立ち、昨日の女子グループのもとへ歩いていった。
彼女たちの前に立ち、静かに、けれどしっかりとした口調で言う。
「この噂……あなたたちが広めたんでしょ?」