第十三話 薬の作用 +おまけ
今日は休日だったが、研究室に行く必要があったため、俺は学校に足を運んでいた。
グラウンドや校舎内には部活の生徒たちがちらほら見える。活気のある声が、休日の校舎に響いていた。
そんな中、俺だけが大学棟へと向かって歩いていた。
(……ん?)
ふと横目に映った体育館では、帰宅部のはずの詩織が、バスケの試合形式の練習に混ざっていた。前に本人から「バスケだけはプロ並みに上手いから、よく手伝いに呼ばれる」と聞いていたのを思い出す。
(あいつ……本当に万能だな)
そう思いつつ、俺は大学棟の扉を開けて研究室に入る。
案の定、中では流麗と琉生がまたしてもアイスを奪い合っていた。
「それ私が冷凍庫に入れたやつっ!」
「先に見つけたのは僕ですってば!」
「――やめなさいって!」
俺の声に流麗が振り返り、ようやくアイスの争奪戦が止まった。
「やっほ、花月ちゃん。何かあったの?」
椅子に腰を下ろし、俺は昨日の出来事を簡潔に話した。
夏美の正体、目的、そして交渉の内容――。
話を聞き終えた琉生は少し黙り、やがて低い声で言った。
「……あげない方がいい」
「どうして?」
「そもそも、あの薬は“試験薬”だ。リスクが非常に高い」
彼はさらに続けた。
「花月さんの場合、元が成人で、免疫も精神力も成熟していたから安定したんだと思う。未成年と比べて、影響を受けにくい」
「けど、夏美さんはまだ未成年。精神的にも、肉体的にも未熟な部分がある。下手をすれば、命にも関わるかもしれない」
そこへ、静かに研究室のドアが開いた。
「……そうなのですね」
女子の姿の夏美が、研究室に入ってきていた。
「分かりました。この件からは手を引きます。ご迷惑をおかけしました」
短くそう言い残し、彼女は踵を返して研究室を出て行った。
「……じゃあ、俺も失礼するよ」
俺も立ち上がり、研究室を出た。
だが――
数メートル歩いたところで、背後から突然、口を何かで押さえられた。
(……っ!?)
甘い匂い――すぐに意識が遠のいていく。
……気がつくと、そこは薄暗い倉庫の中だった。
おそらく学校内の一角。手足はロープで縛られ、口にはガムテープが貼られていた。
隣を見ると、夏美がいた。彼女は縛られてはいたが、口にガムテープは貼られていなかった。
視線を前にやると、成人男性が2人、俺たちを見下ろしていた。
「……起きたか」
片方の男が言う。
「騒ぐなよ。騒いだら殺すからな」
もう一人が低く脅しをかける。
その男が俺に近づき、スカートの中に手を伸ばそうとした。
(くそっ……!)
俺はとっさに膝を振り上げ、その手を蹴り飛ばした。
「ちっ、抵抗しやがって!」
男は顔を歪め、俺の顔を蹴り飛ばした。
「やめてください! やるなら、私にしてください!」
夏美が叫んだ。
だが、男はニヤリと笑って言った。
「お前は男だからな。だが顔はタイプだ。後でたっぷり遊んでやるよ」
男が再び俺に詰め寄る――
(……終わりか?)
スカートに手をかけられたその瞬間――
「花月ちゃんっ!!」
ドアが勢いよく開き、金属バットを持った詩織が立っていた。
「誰だ!?」
「私の友達を離せッ!!」
もう一人の男が詩織に向かって詰め寄るが、詩織は構わず腹に拳を叩き込んだ。
「ぐっ……!」
男はそのまま気絶。
もう一人の男が身構えようとした瞬間、詩織はそのわずかなスキを突いて接近し――
「せいっ!!」
一本背負いで男を地面に叩きつけた。
詩織が息を整える間もなく、物陰から3人目の男が飛び出してきて、鉄の箱を詩織にぶつけた。
だが、詩織は微動だにせず――
「うおおぉおぉお!!!」
金属バットを男の股間めがけてゴルフスウィング!
「ぎゃああああああああああああっっっっ!!」
男はその場で転げ回り、動けなくなった。
見ていた俺も夏美も、思わず体をすくめてしまった。
「……もう大丈夫」
詩織はゆっくり近づき、花月と夏美の拘束を解いてくれた。
「……ありがとう」
「……私も、ありがとう」
花月と夏美は小さく頭を下げた。
「でも、どうして私がここにいるってわかったの?」
詩織は金属バットを肩に乗せながら答えた。
「野球部の手伝いで使ったバットを返しに来たら……ちょうど、聞き覚えのある声がしたの。で、扉を開けたら――あの状況だったってわけ」
詩織は倒れた男たちをきっちりと縛りあげた。
「さ、帰ろ?」
「うん……」「ああ」
帰り道、夏美がふと詩織に言った。
「改めて……ありがとう。そして……危ない目に合わせてごめん」
詩織はにこっと笑って答えた。
「いいの。だって――自分のためだもん」
夏美は目を見開いた。だがすぐに、いつもの冷静な表情に戻ると、静かに言った。
「……私と、友達になってくれない?」
「もちろん!」
詩織は満面の笑みで答えた。
そのやり取りを聞いていた俺は、ふと微笑んだ。
(……こんな世界でも、こういう繋がりがあるって、悪くない)
新たな絆が生まれた瞬間に、心が少しだけ、温かくなった。
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おまけ
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暗い。痛い。体が……動かない。
コンクリートの冷たさが、背中にずっと貼りついている。
……ここは、あの倉庫だ。
あの女に一本背負いを食らってから、気がついたら倒れていた。
そして、縛られたまま――ずっとこの暗闇の中で待っていた。
(……誰か、助けてくれ……)
そのとき――
ギィィ……
ドアがきしみ、ゆっくりと開いた。
「っ……助けっ……!」
思わず声が漏れた。だが、そこに立っていたのは知らない**大学生**だった。
白衣を羽織り、眼鏡をかけたその男は、冷たい目で俺たちを見下ろしていた。
「詩織を傷つけた奴は、誰だ?」
声が低く、響く。背筋が凍った。
俺たちは揃って、何度も首を振った。
「そうか……じゃあ、全員にやるしかないか」
彼は懐から注射器を取り出し、無言でこちらに近づいてくる。
「……や、やめろ……まだ、俺は……死にたく――」
チクッ
悲鳴は喉の奥でかき消された。
薄れゆく意識の中で、俺は静かに、絶望という言葉を理解した。