第十一話 夏美の本当
翌日。
学校では何事もなかった。特に事件も騒動もなく、静かで平凡な一日が過ぎた。
だが、放課後――
俺は、いつもなら真っ直ぐ家に帰るところを、今日は別の目的のために外へ出ていた。
その目的とは――夏美を尾行すること。
彼女がどんな人物なのか、自分の目で確かめてみたかった。
今日も、詩織から「一緒に帰らない?」と誘われたが、やんわりと断った。
(ごめん、詩織……今日はちょっと外せない用がある)
学校の裏手から出て、制服姿の夏美の背中を確認する。
一定の距離を保ちながら、気配を悟られぬようについていく――そのつもりだった。
「……あれ? 花月ちゃん?」
不意に、すぐ横から声をかけられた。
「……っ!」
驚いて振り返ると、そこには詩織がいた。
「どうしたの? さっき帰るって言ってたのに、こっそり出て行くから……気になって、つけてきちゃった」
まさかの“逆尾行”。
「え、えーと……ちょっと、買い物……みたいな……?」
適当な嘘をでっち上げたが、詩織は首をかしげるばかりだった。
そのやり取りをしている間に――
(……しまった)
夏美の姿を、見失ってしまった。
街中を探してみたが、どこにも彼女の姿は見当たらなかった。
(……完全に逃した)
時間も遅くなり、一緒にいた詩織とは途中で別れた。
「また明日ね、花月ちゃん!」
詩織が手を振って去ったあと、俺は独り、人気のない商店街の裏通りを歩いていた。
そのときだった。
(……あれ?)
少し離れた場所に、見覚えのある男子高校生の後ろ姿が目に入った。
服装も違うし、顔もはっきりとは見えない――だが、なぜか「わかってしまった」。
俺はゆっくりとその背中に向かって、声をかけた。
「……夏美」
男子生徒は一瞬、ぴくっと反応したが、すぐに言った。
「……私は夏美ではありません」
だが、その言葉には決定的な“違和感”があった。
「普通さ、後ろから呼ばれても、自分の名前じゃなければ反応なんてしないよ? それに“否定”から入るってことは、自覚があるってことだよね?」
しばらくの沈黙のあと、男子生徒は静かに息を吐いた。
「……案外、諦めは早いんです。認めます。私が、夏美です」
やはり――遠山夏美。
だが、今目の前にいるのは、“男の姿”だった。
「このこと、誰にも言わないでください」
夏美――いや、“彼”は、そう頼んできた。
「……言わない代わりに、ひとつ教えて」
「なんですか?」
「……なぜ、男装しているの?」
その問いに、夏美は一瞬、目を伏せた後、静かに答えた。
「逆ですよ。私の体は――男です。でも心は、女。つまり、私は“性同一性障害”なんです」
(……!)
「私は男の姿はあまり好きではありません。なので学校では女子の制服を着ています」
心の底から、少しだけ息を飲んだ。
「じゃあ……研究室に盗聴器を仕掛けたのも、“性転換の薬”が目的?」
俺の問いに、夏美は迷いなく答えた。
「……そうです」
そして、さらに続ける。
「今、確信しました。あなた……性転換薬の関係者ですね?」
その言葉に、心の中で警報が鳴り始めた。
(……やばい)
あの薬の関係者だと気づかれてしまった。
今この場で、彼女がこれを誰かに話せば、俺の立場が失われるかもしれない。
社畜時代のように、築き上げた信用や生活――それが、すべて崩れるかもしれない。
「……そうだよ。」
夏美は小さく笑ってそう言った。
「…あなたが入学した目的ってその薬が目的?」
「そうです。私は求めていたものとは違うこの体を変えるために、この学校の研究室で研究している性転換薬を手に入れるためにこの学校に入学しました」
「そしたらどうやって研究していると分かったの?」
「……」
俺の心の奥に、不安と緊張が、静かに、しかし確実に積もっていった。