光の罠
幻「げん」
光の罠の真相はいかに!?
己の信じる道の中、必ずや光の道が立ち塞がる。一言で言うならば、光=罪深きものと例えよう。光の道は、一見華々しく見えるものだが、繊細故に他ならない。
辿る道の中、どうしても見えなくなる、光にも出逢う。いつになればこの光から、抜け出せるのか?まるで、暗闇の中を、辿っているみたいに。
必ずしもの答えがない道の中、枝分かれになる光を、自らが、選択し生きていく。そう、光の罠にいる時、360度から、光が差し込む。
道そのものが、迷宮になり、光が見えたり途切れたり。そんな中、僅かに見える光もある事。真剣に生きれば生きるほど、光の数は、増していく。逆に、何にも囚われない方が、光は、一本道を差す。
鍵を握るのは、光の罠に出逢った時、いかに、己を信じる事が、出来るかだ。夢に踊っている時程、案外、道を歩みやすい。
必ずしもがないなら、後は己を信じるのみだ。行けば分かるけれど、行かなきゃ分からない光の道。いつも感じる、無数な星は、平等たるものかと。この世の光は、罠で隠せられ続けている。
だが、その中でも、一番熱くさせる光がある。それは、自光。自分自身が光になる事である。それが何の為だっていい。光であること。光の罠にかからない為には、己が、光である事。そこに、本当の愛がある。
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