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小夜の家は、小夜にとって居心地の良い家ではない。
小夜の母は、小夜が幼い頃に流行病で天に召された。小夜の父は、母を失った悲しみで落ち込んでいたが、五年も経つ頃には別の女性とその子供を家に招き入れた。
そして小夜の母が亡くなって十年が経つ。小夜が十七歳になろうとする頃、家の中は父と継母、そして二人の血のつながっていない姉と小夜が共に住んでいる。
小夜の家は退魔師として有名な鬼三津家の分家だ。
世の中が科学技術によって明るく照らされる反面、退魔師は陰から生まれる妖魔を祓うことを生業としている。
鬼三津家は退魔師を代表する五家の家格であり、その家と身に宿す能力は退魔を生業とする者にとって誇らしく、頼りになる存在だ。
ある日、そんな小夜の家に一通の手紙が届いた。鬼三津本家からの手紙だった。
此度、次期当主である蒼都に嫁を探すこととする。
ついては当家に相応しい嫁候補を家の内外より募る。
推薦に相応しい者がいれば本家まで伝えること。
継母と姉二人は興奮した。継母は姉二人を推薦しようと。姉二人は我こそはと推薦してもらおうと父にねだった。
小夜を気に掛ける人はいなかった。
退魔師は妖魔と闘い祓い、帝都に住まう人民を守ることが使命だ。
そのため、政府より厚い支援を受けており、比較的裕福な暮らしをしている者が多い。ましてや、代表格である五家の本家当主となれば、貴族に負けず劣らずの暮らしが約束される。
継母と姉二人はその暮らしに栄華の夢を見て嫁候補になろうとしているのだった。
小夜はどうでもよかった。
むしろ、早く姉たちの婚姻を機に己の暮らしを取り戻せないものかと思っていた。
というのも、継母と姉二人は小夜の家に入り込んでからというもの、小夜に対して横暴の限りをつくしていた。
「小夜!奥様がお呼びだよ!」と侍女長に呼ばれて小夜が継母のところに伺えば、
「小夜!ご飯はまだなの!?ノロマ!」
「小夜!あんたは掃除もろくにできないのね。この役立たず!」
など叱責され罰を受けた。
継母は、侍女達がいるのにも関わらず小夜に炊事から掃除まで家事をやらせ、暇があれば小夜を呼び出し使いっ走りとしてこき使い、機嫌が悪ければ手を挙げることもあったのだ。
姉二人は直接なにかをしてくるわけではないが、常に遠巻きに小夜を見て、クスクス笑い、都合の良い者は奪い、都合の悪いものは小夜に押し付けてくるのであった。
「小夜さん、女学校の宿題でね、袴を縫わなければならないの。小夜さんはこういった下女の仕事が得意でいらっしゃるでしょう?わたくしを助けてくださらない?明日の朝までに、よろしくね。」
そう言って渡された反物を夜なべして仕上げたこともある。
「あら、そのハンケチ素敵ね。お父様からもらったの?ズルイわ。それはわたくしが使って差し上げますわ。」
父が小夜にプレゼントした、舶来のレースに飾られたハンケチを姉にとられたこともある。
唯一、小夜のことを気にかけてくれる父は退魔師としての仕事で家を不在にしがちであった。
生きてくことが辛く、死を選ぶほどのことはなかった。
ただ、真綿で首を絞められるように、ゆるやかに尊厳を奪われ、孤独にさせられる日々だった。
姉二人のうち、どちらかでも嫁げば首を絞める真綿は減る。そして婚姻によって父の退魔師としての立場が改善されれば遠征を中心とした仕事は減るのではないか。そうしたら、小夜を愛してくれる父が小夜を守ってくれるのではないか。
小夜は本家からの手紙に温かい未来を想像した。
しかし、温かい未来よりも前に辛い現実が小夜を苦しめた。
姉二人が花嫁修行に精をだしはじめ、そのストレスを小夜への加害という形で発散し始めたのだ。
廊下を曲がった小夜の胸に水がかかった。
「あら、ごめんあそばせ。あなた、急に出てくるものですから驚いてしまいましたわ。」
そう言いながらクスクス笑い立ち去る姉の手には空のコップがあった。
人に水をかけて何が楽しいのだろう。
別の日には、使用人の住まう別館の中に用意されている小夜の部屋が荒らされていた。
「いったいなにが…どうして…。」
呆然とした小夜は、部屋の中に茶色の明るく、長い毛が落ちているのを見つけた。
この屋敷の中に茶色の明るく長い毛を持つのは継母と姉二人だけだ。
姉二人のどちらかが、もしくは二人が小夜の部屋を荒らしたのだろう。
小夜は屋敷のなかに、敷地のなかに、自分の居場所がないことを感じた。
「そうだわ。お姉様達が落ち着くまで、この家を出て行ったら、どうかしら。」
姉二人は女学校に通っていた。しかし、小夜は通っていない。
継母が父に「かわいい末の子を外に出すのは危険ですわ!」と主張したためだ。
もちろん、継母に小夜を可愛いと思う意図はない。小夜が上流階級の子女が通う女学校へと出入りするのが許せなかっただけだ。
しかし、父は小夜を可愛がるあまり、継母に説得されてしまい、小夜は女学校に通うことが叶わなかった。
日々において顔を出している面々は、この屋敷のなかの人間関係だけである。小夜の事情は使用人達もみなわかっている。
本家の花嫁が決まるまで、姉たちの婚姻が決まるまで、小夜がいなくなっても不都合はない。
ほとぼりが冷めたらまた戻ってきても良い。その頃には父も家にいるだろう。
小夜は家を出て行く判断をした。
草木も眠る真夜中、小夜は身の回りのものをまとめると屋敷を抜け出した。
万が一、使用人や継母、姉達に見つかっては出て行くことを妨害されるかもしれない。しかし真夜中なら大丈夫だ。
普通は、真夜中に人は活動しない。人間としての機能的な理由もあるが、なにより夜は妖魔の時間だった。妖魔に見つかれば良くて呪われ、悪ければその身を八つ裂きにひきさかれてしまう。
夜は結界の施された家の中で休養を取る。それが世の当たり前だった。
しかし、幸いなことに、小夜には退魔師としての才能があった。
退魔師としての教育は継母の妨害もあり満足に受けていない。それでも、並大抵の退魔師より妖魔と闘える力を持っていた。小夜は本能で力の存在を知っていた。
「怖くないわ。大丈夫よ。」
小夜は自身を勇気づけるように呟くと夜の闇に紛れるのであった。
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