さようなら大好きなひと
大好きな人とさよならすることにしました。
だって、私の存在はあの人にとって迷惑でしかないから。
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「というわけで、婚約解消をお願い致します」
「どういうわけだ!!」
思いっきり怒鳴られてしまいました。おかしいわね?ちゃんと説明したはずなのに。
「ですから、今説明した通りですわ、お父様」
「その説明に納得いかないから言ってるのだ!なんだ、その言い分はっ!このまま婚約していたら、殿下の重荷にしかならない、だから婚約は解消したい……だと!?」
「ええ、何一つ間違っていませんわ。私、何かおかしなことを言っているかしら?」
「全てがおかしいわーっ!!」
はぁはぁと荒い息を吐きながらお父様が怒鳴った。
そんなにカッカしていると血圧上がってしまうわよ?最近お医者様にも注意されていたわよね。心配だわ。
「……何か見当違いのことを考えているようだがお前が変なことを言い出さなければ私はこんな風に怒鳴ったりなどせずにすむのだわかっているのかオリーチェ」
「……ええ」
変なこと扱いはとても不本意だけれど、若干血走った眼差しで息継ぎもせず一息で迫られたら反論も出来ないわ。
我が家の筆頭執事が絶妙のタイミングでお父様に紅茶を提供すると、ぐいっと一息に飲みきって大きく息を吐き出した。……流石だわ、お父様が一気飲みするのを察知して温めの紅茶を用意したのね?
「ともかくだ。お前の言い分は通らぬ。オリーチェ、お前は我が侯爵家の長女にして我が王国の第一王子殿下ツヴァイ様の婚約者で、再来月には婚姻の儀を控えている身だということをよ~~~く念頭に置いて行動しなさい。わかったな」
「……畏まりました」
よく考えたからこその提案でしたのに。
でも、これ以上は何を言っても無駄のようね。私は一度引き下がることにした。
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私、オリーチェと申します。
この国の侯爵家の娘として生まれ、幼少期に第一王子殿下の婚約者に指名されました。え、家格が低くないか、ですって?そうですわね、第一王子殿下とあれば、他国の王女殿下や公爵令嬢などさらに上の家格との結び付きがあってもおかしくありませんわ。私も当然そうなるだろうと思っていたのです。だって、年齢や家格に見合う令嬢は私以外にもいたのですもの。
それにツヴァイ様はとてもおモテになるのです。さらさらと光を浴びて輝く金色の長髪をいつも束ねて肩から流し、優しい瞳は空の青をそのまま切り取ったような碧眼で容姿だけで惹かれる女性は数知れず。それだけに留まらず頭脳明晰でいらっしゃるのだから、どのような身分の女性だって憧れる存在でしょう?
では、何故私が婚約者に指名されたのかって?そうですわよね、誰もが疑問に思われるでしょう。
その理由はただ一つ。
第一王子殿下ツヴァイ様が私を指名したから。
……ええ、皆様の仰りたいことはとても、よくわかりますわ。
私ごときが選ばれる価値があるのか、と思っていらっしゃるのでしょう?私自身が未だに価値を見出だせないのですもの、皆様がそう思うのは至極当たり前のことだと思います。
私についても、少しお話させて頂きますわ。
そしてぜひ一緒に考えて欲しいのです。何故こうなってしまったのか。
私は侯爵家の長女に生まれました。私の他に兄が一人。両親は健在です。王都近くに居を構え、昔から国の中枢を担う文官として役職を頂いている家系です。大きな野心もなく、質実剛健とでも言いましょうか。王に忠誠を誓ういたって普通の貴族家ですわ。侯爵家を継ぐお兄様もいらっしゃるし、私はいずれ家格が同程度のお家に嫁入りするものだと思っていました。
王家筋というわけでもなく、政略の旨味もたいしてありません。私も王家に嫁ぎたいなどと大それたことを考えたこともなく、年も近いので将来良き学友としてお話をする機会があるかしら?と想像するくらいの存在でした。
だって、私は別に絶世の美女というわけでもなく、可憐な妖精のような容姿でもなく、可もなく不可もなくな平凡な容姿なのです。髪色は良く言えばハニーブラウンとでも言いましょうか。金髪とまでいかない明るめの茶色で、瞳は薄紫色。紫色は比較的珍しいのですが、なんと言っても薄紫。そう、ぼんやりとした色合いなのです。宝石のような濃い紫は美しいと評され、私の母は大層モテたそうですわ。けれど、お父様は一般的な茶色の瞳。掛け合わせたら、何故か薄ぼんやりした紫色の瞳になったのです。そんな私のお兄様は濃い紫色をしています。……ええ、羨んだこともありますわ。今はもう受け止めていますけれど。
殿下が婚約者を決められると噂のお茶会にも年の近い貴族令嬢は軒並み呼ばれていましたし、お父様に聞いたお話によると近隣諸国のご令嬢方も密かに参加していたそうですわ。
ですから、私は密やかにでしゃばらずかといって卑屈にもならない程度に近くの席に座った方々と他愛ない会話をして交流を深めていたのです。
殿下のお側には沢山の可愛らしいご令嬢達が、未来の妃候補と呼べる容姿や地位をお持ちの方々がご挨拶に行く姿が見えます。私は側近候補となるだろう三才年上のお兄様が挨拶に行くタイミングで一緒に挨拶して早々に立ち去ろうと思いました。
何故なら、殿下はとてもお疲れの様子でしたから。ここにいる何十人ものご令息ご令嬢の全ての挨拶を受けなければならないなんて、本当に王族というのは大変ですのね。……やはり私にはとても荷が重いですわ。
「殿下、本日はお招きありがとうございます。リオネルです」
「あぁ、リオネルか。お前が参加しているのは珍しいな」
どうやらお兄様は殿下とは気安い間柄のようね。ご子息方の集まりで親しくなられたのかしら?
「ええ、今日は妹の付き添いです。さぁ、ご挨拶を」
お兄様に促されて、私は一歩前に出た。
「はい。初めてお目にかかること光栄でございます。私はファフナー侯爵家のオリーチェと申します」
「こちらこそ、今日は私のために集まってくれて、感謝する。最後まで楽しんでいってくれ」
習いたてのカーテシーをして、言い慣れない言葉遣いに緊張感が増す。たった一回でこんなに気疲れをするのに、殿下は本当に凄い。私のようなものにも笑顔を崩さず、気遣ってくださる。これこそが王族なのでしょう。
ぜひ、殿下にはその苦労を共に背負って下さる優しくも強い方を婚約者様に見つけて頂きたいわ。一人で背負うにはとても重いものだもの。
殿下のもとを去る直前、テーブルに置かれたものが気になり給仕の者に声を掛ける。
殿下は挨拶が忙しいあまり、手元の紅茶を全く手をつけていなかった。あれでは殿下の喉が心配だし、何より折角のお茶会を楽しんで欲しい。とても美味しい紅茶にお菓子がたくさんあるのだもの!それを私が直接言うのも烏滸がましいので、覚めた紅茶を入れ替えるついでに給仕係に声を掛けて貰えればと考えて提案した。
私が元の席に戻ってお茶を飲んでいると、先程の者が新しい紅茶と共に出来立てだろう新しいお菓子を持って現れた。殿下は笑顔で受け取り、それを見た周囲の令嬢令息達もようやく本格的にお茶会を楽しみ始めた。
ほっとしながらこちらのテーブルにも新作ケーキが来るのをワクワクしながら同じテーブルのご令嬢たちとお茶を楽しんだ。
……その流れのどこに私が婚約者に見初められるエピソードがあるのかしら……
それは、まぁね。給仕に声を掛けたのが私だと知り気遣いが出来ると思って頂いたという可能性はあるわ。でも、私は殿下と会話したのはたった一言。それ以降も特に交流することなくお茶会は終了したのよ?テーブルは決められていたとはいえ、途中で自由に移動も出来るから皆様殿下の元へとお話しに行かれていたけれど、私はお友達とお話していただけ。
お話を積極的にしている方もいらっしゃったし、庭園へお誘いする方、菓子や紅茶を勧める方もいて皆様沢山殿下にアピールしていたわ。
押しの強い方が苦手だというのなら、私以外にも穏やかにお茶会を楽しんでいらっしゃる高位貴族の方だっていた。
それなのに何故私だったのか。
不敬だと思いながら、婚約内定後のお茶会で殿下に訊ねたわ。
そしたら……
「貴女の隣が一番落ち着くと思ったから」
毒にも薬にもならない……ということかしら?
未来の王妃がそれでよいのかしら。
そう思うものの、選ばれたからには王子妃として最善を尽くしてきましたわ。勉強は嫌いではなかったけれど、そんなに頭が良いわけではないから必死に学んだし、社交も頑張ったわ。
辛い日々も殿下とのお茶会があれば乗り越えられた。
殿下が落ち着くと言って下さったけれど私にとっても唯一の安らぎだったわ。
いつも美味しい紅茶と毎回違う各領地の名産や近隣国の珍しい菓子まで飽きさせないレパートリーで美味しいものが好きな私にとって本当に至福の時で。そんな私を優しい眼差しでいつも見守ってくださる殿下。殿下と過ごす穏やかな時間が私にとって何よりのご褒美だった。
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けれど、そんな日々ももう終わり。
私の存在は殿下にとって、迷惑でしかなかったのだから。
つい先日のこと。
隣国から王女様が留学してこられた。
三年時の終盤に差し掛かる今になって何故……と、思ったけれどそれはすぐに解消された。
「貴女、身分を弁えなさい。ツヴァイ様に相応しいのはこのわたくしマリアンナなのですから」
「え……あの、殿下からは何もお伺いしていないのですが……」
「これだから、下位の娘はいけませんわね。それくらいご自身で察してくださらないと。王家筋でもない侯爵家の娘が王族に嫁ぐなんて分不相応だと言っているのです。貴女の方から辞退なさい、わかったわね」
「あっ……」
王女様は反論する隙すら与えず、立ち去っていった。
周囲の令嬢からヒソヒソと話す声が聞こえた。
「やっぱりあの噂って本当なの?」
「王女様が王族に嫁ぐ為に来たって話でしょ?私も聞いたわ!」
「だって、そうじゃないとわざわざこの時期に編入してくる理由なんて他に思い付かないものね」
「……それに私どうしてオリーチェ様が殿下に選ばれたのか未だに納得していないもの」
「わかるわかる。別に階級的にも能力的にも悪くないけど、特出してるわけでもないし」
「可もなく不可もなく……てやつ?ふふっ。だったら、私だって候補になれたんじゃない?」
「それなら私だって!」
王女様は人目を憚らず私に宣戦布告をしてきたものだから、多くの学生たちに見られてしまった。その結果、便乗するようにご令嬢方は私のことを次々と口にしていった。
悪意の中に晒されて私は耐えきれなくなってその場を抜け出した。
(貴女達に言われなくても、私自身が誰よりもそう思っているわよ!!)
何故、殿下に選ばれたのか。
何故、私は平凡なのか。
何故、何故、何故……っ!!
そうして家に帰りつき、私が見た夢はこれから起こる未来を形にしたような内容だった。
優しい殿下は王女との婚姻などあり得ない、私の婚約者は貴女だと私に告げてくれた。でも、王女から隣国との外交を条件に婚姻を迫られ、それを覆してまで私と婚姻した殿下は隣国との外交問題で宰相や外交官から苦言を呈され、有力貴族方からは何故私を選んだのかと私を選んだ殿下を見下すような発言がされた。更には王太子には弟殿下の方が良いのではないかと派閥争いにまで発展し、国全体を揺るがす問題にまで発展していった。
そして、私はその騒動の最中、派閥争いに巻き込まれて殺された。
そこで目が覚めた。
私はこれは起こりうる未来だと思った。昨日殿下から速達の手紙を貰ったのも影響しているかもしれない。
あれだけの騒ぎを起こしたのだから、当然とはいえ殿下にも伝わっていた。速達で夜に届けられた手紙にはこう書かれていた。
『王女殿下との話はただの噂に過ぎない。私の婚約者は貴女だけだ。どうか私のことを信じて欲しい。貴女との婚姻を心から待ち望んでいる』
やっぱり殿下は優しいわ。私のことを気遣って下さってこのような心配りをしてくださる。でも、それは私が至らないから。
私が夢のように殺されてしまうことなど、些末なこと。それよりも、私のせいで殿下が悪く言われるのだけは耐えられない。
誰よりも優しくて優秀で、思いやりに溢れた方。容姿も、勿論整っていらっしゃるけど、それよりもその心が誰よりも輝いている人。
私がこのまま隣にいることは、迷惑にしかならない。
だから、お父様からなんとかお断りをして貰えないかお願いしたのだけれど、上手く伝えられなかったわ。
それならどうすれば良い?
穏便に、かつ速やかに婚約を解消するには。
……そうだわ、修道院はどうかしら?いつも妃教育の一環で訪問させて頂いている修道院は程よく王城からも離れているし!何より院長様がとても親切でお優しい方だから、お願いすれば修道女にして下さるかもしれないわ。
遠く離れた地で子供達に勉強を教えながら、殿下の治世が続くよう祈るの。それが一番良いかもしれないわ。
それなら、早速相談しにいかなくては。
お手紙を見る限り近いうち殿下がお話をしたいと訪問されるようだから、その前に行動を起こしたいわ。……だって、殿下が優しく諭して下さったら、私は性懲りもなく今の現状に甘えてしまいそうだもの。
思い立ったが吉日。私は出掛ける準備をし、なるべくお父様にも気付かれないように執務室に籠られている隙をみてそっと家を抜け出した。
流石に街馬車に乗って行くのは警備上問題があるので我が家の馬車とで御者と護衛数人に声を掛けて出して貰ったけれど、今までもこうして修道院に出掛けることは珍しくはなかったから、御者も護衛の皆さんも快く引き受けてくれた。
街郊外に抜けて少し経った時、後方から馬が単騎で駆けてくる音が聞こえると護衛に言われ、絶対にここから出ないで下さいねと険しい表情で言われて私は硬直してしまった。
もしかして、夢の中の出来事は思っていたよりも身近に迫っていたの?まだ、何かをしたわけでもないけれど、私の存在が既にもう許されないものなのだとしたら……私はこのままここで命を落とす運命なのかもしれないわね。
さっきは殺されることなんて些末なこと、なんて言ったけれどいざ死を前にすると身体の震えが止まらない。
あぁ、確かに私はなにもかも平凡で至らないけれど、それでもやっぱり……あの方と幸せになりたかったのだわ。
ガタッと大きな音がして馬車が止まると、ガチャッと音がして、扉が開いた。
この後に来るだろう衝撃に耐えるべく身体をぎゅうっと引き寄せていたら、ぐいっと強い力で引き寄せられ目の前の人の腕の中にとらわれていた。
ふわりと香る嗅ぎ慣れた優しい香りに私は動揺を隠せなかった。
「ど……どうして」
「間に合って……っ、はぁ、良かった……」
息を切らせながらそう呟く殿下の声を聞いて、涙が溢れて来てしまった。
「な、ぜ……ここにいらっしゃるのですか……?私、何も言っていないのに」
「侯爵家に行ったら、君がいないと大騒ぎになっていてね。……あの騒動の後に責任を感じた君が行くとしたら修道院しかないかなって思って」
そんなことまで殿下にはわかってしまうのね。
本当に優秀な方だわ。
「それで、修道院に行って懺悔してそれで終わり……ってことはないよね?その後はどうするつもりだったの?」
優しい声だけれど、間近で見つめてくる殿下の瞳はぞくりと寒気がするほど圧を感じて私は知らず知らず身体が後退していく。けれど、抱き締められたままの状態ではどうすることも出来ず、むしろ壁側に追い詰められていく。
……もしかして、怒っていらっしゃるの……?
「あ……その、私はやはり殿下の婚約者には、相応しくないと……。なので、修道女に、なり……殿下の治世を、見守ろうと」
息が詰まって途切れ途切れでしか、言葉が出てこなかった。言えば言うだけ圧が強くなる気がしたけれど、有無を言わせぬ雰囲気が私の言葉を聞くまで離さないとばかりに抱き締める腕に力が入っているのがわかって、殿下に直接言うつもりのなかったことまで口にしてしまった。
「私の治世を見守るのは、すぐ隣でだって出来るよね?というか、二ヶ月後にはそれが実現するはずなのに、何故わざわざこんな遠い場所に、しかも他の男がすぐ傍にいる環境に愛しい人を渡さなくちゃいけないの?おかしいよね?オリーチェは私のものだろう?」
「で、殿下……っ!!落ち着いてください」
「私は至極落ち着いているよ。……いや、冷静でいられない気持ちは少なからずあるけれど、ちゃんと現状は理解している。理解していないのは、オリーチェ貴女だろう?」
「……わたくし……が?」
私が何を理解していないというのだろう。私のことも環境も、頭が足りないながらも十分理解していると思っているわ。だからこそ、婚約を解消すべきだと考えていたのに。
やっぱり何もわかっていないね。
そう呟いた殿下は、そのまま私を更に引き寄せて口付けを落とした。え、と呆然としている隙に二度、三度と続けて唇に寄せられる熱に翻弄されながら私は殿下の身体にしがみつくことしか出来なかった。
「ねぇ、これで少しはわかってくれた……?私がどれだけオリーチェを愛していて、婚姻出来る日を本当に待ち望んでいたんだって」
熱を孕んだ眼差しで見つめられて深い口付けをされて、それで否定できるほど私は鈍くないつもりだ。上手く口に出来なくて、こくこくと頷くことしか出来なかったけれど、真っ赤になっている自覚があるので、恐らく殿下には伝わっていると思う。何より嬉しそうな顔で私を見下ろす殿下の顔を見たらもう何も言えないわ……。
「……良かった、漸く伝わった」
……私はいつから間違えていたのだろう。
そんな不安定な気持ちが伝わってしまったのか、まずはちゃんと話そうと殿下に言われ、殿下の指示に従い修道院とは違う方角に向かっていった。郊外にある王家の別荘に向かっているのだと途中で気付いた。応接間に通され、殿下と二人対面で話すかと思ったのに、何故か隣に座らされていつもより近い距離に動揺が隠せなかったけれど、迷惑をかけた身として何も言えなかった。
「まず、一番大きな問題として。今回の騒動の原因である王女殿下だけれど、婚約者選定のパーティーの時から今現在に至るまで毎回ちゃんと婚約の申し込みをしっかりはっきりお断りをしている」
「え、あ、はい」
殿下のあまりにもな言い方に思わず、変な返事になってしまったわ。お顔も、その……とても嫌そうなお顔で、私は殿下の何を見ていたのかしら?と思わず思ってしまうほどだったけれど、公式の場ではお顔に出されることはなかったから、気付かせなかったのは殿下の教育の賜物とでもいうのかしら?
「更に言えば、かの国との婚姻による結び付きなど、あってもなくても害はない。いや、むしろ害にしかならないな」
「え。そう……なのですか?」
隣国とは友好国で外交も頻繁に行われている。王女殿下との婚姻でより深い結び付きになるのではないのかしら?
そう伝えれば、その必要性がないのだと言われた。
「あちらの王太子とは昔から顔馴染みでね。腐れ縁とでもいうのかな。色々と長い付き合いなんだ。国のことや人付き合いのこととか色々愚痴を言い合う仲なんだ。私がオリーチェを愛していることもあいつは知ってる。そして、互いに王女殿下のことを煩わしく思っていることも、ね」
「互いに……?」
まさかの隣国のお家事情を聞いてしまい、内心ひやりとした。これ、絶対に私が聞いていい内容ではないわよね!?
「そう。だから、あいつが即位した暁には厄介払いをするつもりでいたんだ。……それをあのおん……王女殿下の母方の身内が色々と余計なことをしでかしてね。その結果があの留学とイカれた動機だよ」
私は開いた口が塞がらなかった。
私の想像していたこととは何もかもが違っていたから。
私は王族とは高貴で清廉な者ばかりだと思っていた。だって殿下はいつもお見本として私の目の前でそのお姿を見せてくれていたから。だから王女殿下の言い分も、言い方こそキツいけれどそういうものなのだと思っていた。
殿下のことだって、こんな風に毛嫌いする姿なんて見たことなくて、いつも穏やかで優しい日だまりのような人だったから、とてもビックリした。……それくらい、王女殿下には迷惑をかけられたということよね。私ったらこんなに長く近くにいたのに何にも気付いていなかったなんて……一体何を見ていたのかしら。
(やっぱり私は殿下には……)
「こんな私は嫌い……?もう隣に居たくない……?」
「え」
私の手を握る殿下の手は微かに震え、見下ろす眼差しは今までに見たことがないほど不安そうに瞳は揺れていた。
違うの、こんな表情をさせたかったのではないわ!
「嫌いだなんて、そんなことありえません!!むしろ、私の方こそ相応しくないと何度思ったことか……っ」
「相応しいかどうか他者の基準なんてなにも意味はない!!私が必要なんだ。それ以外の意味などいらないっ!」
殿下の腕の中に引き寄せられた。まるですがり付くかのように包まれて、私はどう反応すればよいのかわからなくなってしまった。そのままぽつりぽつりと殿下は語り始めた。
ちゃんと、私にだけは知っていて欲しいと言って。
「あのお茶会でたくさんのご令嬢に話しかけられて、私は正直うんざりしていた。皆同じことの繰り返し、私が私がと迫ってくる者ばかり。主催側として、一人一人と向き合う義務感だけでこなしていた。だから、侍女長が紅茶を入れ直しに声を掛けて来たとき、ようやく一息つけて礼を言ったんだ。そしたら、貴女のことを教えて貰った」
「やはりご存知でしたのね」
「そうだよ。……でもね、私が貴女を婚約者に選んだのはそれだけが理由じゃない。その後なんだ」
「その、後……ですか?ですが、私はただお友達とお茶をしていただけですのに」
「そう、それ。私にわからないように気遣うその姿も素敵だったけれど、貴女はそれを私にアピールするでもなく、話し掛けるわけでもなく、一瞬こちらに視線をよこしただけでまた友人方と楽しそうにお茶を飲んでいたよね。最初はそういう作戦なのかとも思ったけれど、全然違った」
「それは……その、申し訳ありません」
「謝らないでよ。ただの自信過剰の人みたいでしょ?……あの頃のオリーチェが私のことを別に好きでもなかったのは仕方ないよ。私のことを何も知らなかったんだから。でも、遠くから見守ってくれるくらいには無関心ではなかったよね」
「それは当然ですわ。我が国の誉れ高き王家の方ですもの。皆の相手をしてとても疲れていらっしゃると思ったから」
「……それに気付いたのは、オリーチェ貴女だけなんだよ」
「……え?」
「だから、私は貴女の隣がいいと言ったんだ」
貴女の傍でなら、息が出来る。落ち着ける。癒される。王族という重責の中で、心から安らげる場所は必要だ。この人だと思った。友人方とお茶を楽しんでいる時の表情も本当に可愛らしくて、あぁ、私の手であの笑顔を引き出したい。すぐ隣で見ていたいと思った。だから婚約者に指名した。
そう思ったから、お茶会の度に各地の名産の菓子や茶葉を取り寄せてはオリーチェに食べさせた。楽しそうに嬉しそうに笑う顔を見て、婚約して本当に良かったと思った。
それと同時に、早く私のものにしたいと思った。誰にも見せず、誰にも知られずオリーチェを一人占めしたい。たくさん愛して私だけを見て欲しい。他の者に笑いかけないで。
……けれど、それは一生懸命王太子妃教育をしているオリーチェを否定するようなものだ。私のためにと頑張っている姿を私利私欲で止めるような真似はしたくないし、そんな醜い心を知られたくない。
オリーチェの前でだけは、完璧な格好いい男でありたいと。
「これが、私の全てだ。オリーチェが思うほど完璧でも清廉でもない。欲にまみれた嫉妬深いただの男だ。……それでも、どうしても貴女だけは諦められなかった。本当は王太子妃など荷が重いと、嫌だと言われないように必死だっただけだ」
「殿下……」
「それも」
「え?」
「殿下呼びのことだ。ずっと寂しかった」
「あ……っ違うんです!!そんなつもりじゃ……っ」
「わかってる。私に遠慮していたのだろう?それなら、今なら言える?」
想いを確かめ合った今なら。
オリーチェはこくりと頷いて頬を赤らめながら口にした。
「ツヴァイ様。こんな私をずっと見守って下さってありがとうございます。私もツヴァイ様のことを心からお慕いしております」
「……あぁ。ようやく聞けた」
そう言って再び腕の中に抱き寄せた。肩を震わせオリーチェにすがり付く。瞳からは綺麗な涙が流れていた。
それから私達はお互い落ち着くまで別荘で一緒の時間を過ごした。多くは語らなかったけれど、すれ違っていたこれまでのこと、これから過ごす日々のこと、婚姻を楽しみにしてるということ、そんな些細な気持ちを確かめ合った。
そろそろ帰ろうかと殿下に……いえ、ツヴァイ様に促されて漸く動き出した。殿下を優先すべきだと思ったけれど、無言の圧力で侯爵邸へと促されてしまった。
いつの間にやってきたのか、ツヴァイ様の近衛騎士の方々が別荘にやってきて護衛について下さり、私は我が家へと帰ってきた。
そして、去り際にツヴァイ様に告げられた。
「婚姻式、楽しみにしている。……だから待っていて?」
「……っは、はい!私も楽しみにしております」
ほんの少し、ツヴァイ様の表情が曇ったような苦しそうな顔をした気がしたのですが、きっと気のせいでしょう。……いえ、今回私が勝手をしたことで悲しませてしまったからかもしれません。
これからはそんなことがないように、ツヴァイ様にとって少しでも癒しの時間を感じて頂けるように頑張りますわ!
それから2か月後、婚姻式は無事盛大に開かれたのでした。
**********
隣で穏やかな寝息をたてる愛する人を見下ろしながら、私は呟いた。
「……ごめんね、私に見つかったばかりに逃がしてあげられなくて。それでも、貴女を愛していることは嘘偽りないんだ。……だから、どうか私のこの醜い気持ちに気付かないで、私の愛しいオリーチェ」
私は本当は優しくなんてないんだ。冷酷非道で笑顔の影で人を平気で蹴落とすような、そんな男なんだよ。
君を見つけたのはほんの偶然。奇跡、といっても良いのではないかな。
何にも心動かされることがなく、人付き合いは最低限国を回す為に必要だから、当たり障りなくこなすだけ。それで困っていなかったし、当たり前だと思っていた。婚約者を選定する為のお茶会だって、将来私の利になるかどうか。煩わしくないかどうか。その程度の判断基準だった。
けれど、なかなか女性というものは厄介でその程度すら基準を満たす者は多くない。仕方なくそのなかから、一番都合が良い者を選ぼうかと思っていたときにやってきたのは側近候補リオネルが連れてきた妹オリーチェだった。
でしゃばらず、それでいて爵位や容姿も悪くない。主張が強すぎる者や容姿に自信のある者は、人間関係に不安があるし、国庫の無駄になる可能性がある。その点を考えても、控えめな態度、容姿、気遣いの出来る器量の良さもある。合格点ではないかなと思って見ていた。
そんなオリーチェは挨拶だけ終わると、すぐに友人の集まる席に戻ってずっと楽しそうにお茶と菓子を口にしていた。
一度だけ私と目が合ったけれど、それ以降はこちらのことなど気にする様子もなく、純粋にお茶会を楽しんでいた。
……いいな。私もそのなかに混ざりたい。
そんな欲が生まれた。
その感情に気付いてしまったら、目の前にいるお喋りな令嬢が煩わしくて仕方なかった。だから、人脈作りをするふりをして貴族子息の集まるテーブルに声を掛けに行った。
その後は早かった。父上にオリーチェとの婚約の話を進めて貰い、侯爵家にも根回しを始めた。侯爵は王家に忠誠を誓っているが、野心がなく真面目な性格だ。だから、オリーチェを王族に嫁がせるつもりなど元よりなかったというのは調べがついていた。それはオリーチェ自身もそうなのだろう。だから、私は逃げられないよう、逃げ道を全て塞ぐ必要があった。
まず、しつこく婚約を申し入れてくる隣国の姦しい王女に対抗すべく、隣国の王太子と手を組んだ。どうやら私の容姿と身分に惚れているようだけれど、国のためにも私にも何一つ役に立たないむしろ迷惑でしかないお荷物を抱える気はさらさらない。何か我が国で問題を犯したら、即隣国に送り返す。密かに盟約は組まれていた。
更に国内の適齢期の令嬢を持つ貴族家。私が相手を決めたのにも関わらず、しつこく娘を押し付けようとしてくる者達には後ろ暗い秘密を隠していないか徹底的に調べあげ、黙らせた。
令嬢に関しては何か手を出す前に、オリーチェが自らの力で黙らせた。本人に自覚はないのだろうが、私に相応しくあろうと必死に勉強をし完璧な教養を備えた侯爵令嬢に勝てるものなどいないだろう。……私のために、というのが嬉しくて頑張り過ぎる傾向があるオリーチェを止められず、追い込んでいたと気付くのはずっと後。
一部の令嬢がオリーチェの容姿が平凡だとバカにして蹴落とそうとしているのは知っていたが、オリーチェは決して不美人などではない。着飾り派手にすれば美しいと考える令嬢が目立つだけで、元々の素材の良さは誰にも負けないだろう。華美な色の髪や瞳、化粧でないからそう見えないだけで、オリーチェは美しい。
むしろ、あの淡い紫が私を写すときに色味を濃くし、頬を赤らめる姿が愛らしい。何度唇を奪おうと思ったかしれない。激情のままにオリーチェの全てを奪ってしまいかねないので、自制しているが、早くオリーチェを私のものにしたいと婚姻までの道のりは最短で予定を組んだ。
「お前がそんなにも心を捧げる相手に出会えたことは奇跡だな」
「私もそう思っています」
幼い頃から覚めた子供であることは自覚していたし、父上にも知られていたから、安堵したような表情で私の後押しをしてくれたのは助かった。説得する相手は一人でも少ない方が効率が良い。
そうして漸くあと2ヶ月で結婚できるとなった時に、あの女が乗り込んできた。向こうで何かやらかしたというのは聞いていたが、まさか卒業シーズンの学園にまで乗り込んできて、問題を犯すとは思ってもいなかった。
この機会にあの女を引きずり下ろせると思って野放しにし過ぎた。そのせいで私はあと一歩のところで大切な人を失うところだった。
──いや正確には、大切な人の心を。
私があの日学園から連絡を受けたとき、ひやりと背筋に冷たいものが走った。自分に自信のないオリーチェはあの女の言葉でも素直に信じて自分を責めるだろう。その行き着く先は……。
私はすぐに動き出した。先駆けて手紙だけは送ったが、目の前の政務を睡眠時間を削って終わらせていく。最短で訪問したつもりだったが、オリーチェの行動の方が僅かに早く入れ違ってしまう。
必死に謝る侯爵を横目に私は侯爵家の馬を一頭借り、直ぐ様追い掛けた。オリーチェがこの状況で行くならばあそこしかないだろう。
王太子妃教育の一環で通っていた修道院。
あそこには王家に連なる公爵家の男が修道院長を兼ねている。以前からオリーチェに好意を寄せていたのは知っている。そんな場所にオリーチェをやるわけにはいかない。
もしも、オリーチェが本気で私の前からいなくなろうというのなら、二度と逃げ出せないよう、力ずくで私のものにする。
そう……思っていたのに。
やっぱりオリーチェはオリーチェだった。
どこまでもまっすぐで純粋で、こんな打算まみれの私のことも優しい王太子だと言うんだから。完璧ではない私でも良いと言ってくれるオリーチェ。
ならば、オリーチェにこれからも好きになって貰えるように私は最大限の努力をしよう。
きっと私はこれからも冷酷非道な王族であることは変わらない。優しいだけでは国は守れないから。それでも、愛しい人がいつも笑って楽しそうに隣にいてくれる未来のために、私は優しい王太子であり続けよう。
『ツヴァイ様が優しいだけの方ではないのは知っていましたわ。私の見えないところで何をしているかも。そんな貴方だからこそ、私は強くて優しいツヴァイ様を愛しているのですよ?』
──数年後に愛する妻にこんなことを言われる未来など、そのときの私は思いもしなかったのだった。