追憶(4)
「・・・中沢」
中沢だよね、あれ。
けど、雰囲気が学校とはぜんぜん違う。
「マサキ、最近、いい感じじゃない?」
「そうよね~。カノジョでもできたのかなァ」
「とっくにいるんじゃない?あれだけカッコイイんだしさ」
違う学校の女子高生たちが言ってる。
確か、中沢の下の名は雅樹─マサキ─。
ということは、中沢はいつもここにいるのか。
中沢は、中沢じゃなかった。
ここにいる中沢を、おれは知らない。
いつも無表情で無口で人を近寄らせない中沢。
その中沢が今はせつなそうに目を閉じて歌い続けてる。
一曲歌い終えて、中沢は照れたように笑って頭をさげた。
あげたとき、おれと目が合った。
とたんに中沢の表情は「無」になった。
おれから目をそらすと、また笑みを浮かべた。
おれは気まずくなって足早にその場から離れた。
商店街を抜けて、ふと気がついた。
なんで逃げてンだろ。
自分で自分の行動が理解できないが、これは明らかに逃げてる。
きわめて逃走に近い。
けど、なぜか気分は悪くない。
てか、いいぞ。
おれは学校とは違う中沢を知って、ちょっとうれしかった。
体は逃げてるのに、気持ちははずんでる。
ワケが分からん。
中沢の歌声が頭の中でリピートを続けてる。
一度しか聴いてないのに、きっちり覚えてる。
残念なのは、最初から聴いてなかったこと。
リピートも聴いた部分だけ。
全部聴きたいな。
おれは帰りのバスの中でも、人に聴かれない程度に中沢の歌を口ずさんだ。
「ただいまー」
玄関からおれはバスルームへ直行。
手洗いとうがいは季節に関係なく欠かさない。
「おかえり、よっくん。おなかすいたでしょ。ご飯できてるわよ」
母さんは昼は働いてる。
自分だって疲れてるはずなのに、毎日きちんとご飯を用意してくれる。
「働くお母さん」が大変なのはよく知ってる。
時計は8時を過ぎていた。
部活がある日に比べれば、かなり早い帰宅。
部活がある日の帰宅は11時くらいになる。
部活が終わるのが遅いんじゃない。
バスの便が少ないからだ。
郊外とは名ばかりの、空き地の目立つ新興住宅地は、
バス本数が夕方以降、激減する。
高校に寮があれば、と何度も思ったけど、実際問題、
今のうちの経済状況じゃ、無理だったろうな。