第27話 新たな伝手を作ってみた
その日の夜、俺とビビは冒険者ギルドにいた。
隣接された酒場のテーブルで揃って突っ伏している。
頼んだ酒と料理が届いているが、手を伸ばす気になれない。
無言で脱力していると、いつもの職員が歩み寄ってきた。
彼女は面白そうに話しかけてくる。
「ぐったりしてますねぇ。かなりしごかれました?」
「おかげさまでな」
「ちなみに勝てました?」
「完敗だ。あの治療術師は只者ではない」
「そりゃ元英雄っすからね。引退して身分を隠してますが、実力は現役時代より上っすよ。たぶん軍隊とも単騎で戦える人っす」
「怪物じゃないか……」
俺は深々と息を吐く。
それを見て、職員は耐え切れず噴き出した。
つい先ほどまで、俺とビビは治療術師と戦っていた。
端的に述べると地獄の特訓だった。
張り切る治療術師の打撃で何度沈んだことか。
それなのに一撃ごとに肉体が全快するので、休むことすら許されない。
さすがに弱音を吐きそうになったのも仕方ないだろう。
元英雄というのは新事実だが、その経歴にも納得である。
治療術師の格闘術は異次元だった。
決して体格と怪力だけに任せた戦い方ではない。
相手の攻撃を防ぎ、或いは受け流す技が凄まじかった。
途中から何をされたのか分からずに吹き飛ばされる場面が多かった。
俺とビビは持てる手段を尽くして対抗したものの、治療術師に有効打を与えることは叶わなかった。
結局、日没まで戦い続けて、満足した治療術師に解放されて現在に至る。
職員が俺達と同じテーブルに着くと、放置された料理をつまみながらビビの頭を撫でた。
「ビビちゃんもお疲れ様っす」
しばらく無反応だったビビが頭を動かす。
その視線は、少し恨めしそうに職員を見つめていた。
「私達を騙した?」
「誤解っすよ。優秀な治療術師を紹介しただけっすから」
「治療法をわざと教えなかっただろ。おかげでぶっ飛ばされた上に、その後も金貨百枚の支払いのために戦う羽目になった」
「だって詳しく説明したら遠慮しちゃうじゃないっすか。怪我も完治したんだから文句はなしっすよ」
「……確かにそうだが」
払えなかった金貨百枚の治療費は、本当に今回の戦闘訓練で無しになったらしい。
加えて俺達の肉体は絶好調である。
精神的な疲労は極限にまで達しているが、物理的には完璧な状態を保っている。
十歳くらいは若返った気分だ。
身体を起こした俺は酒を飲み干す。
少し遅れてビビもグラスを空にした。
俺達は給仕に追加注文をする。
職員は燻製肉を齧りながら補足説明をする。
「本来の治療費は一律で金貨五百枚っすから、苦労を加味してもかなりお得っすよ」
「そんなに高額なのか」
「ひょっとした百枚で妥当とか思ってました? 甘いっすねぇ。あの人の施術は唯一無二っすから、気軽に利用できると思わない方がいいっすよ」
職員はさらりと説明した。
俺は視線を鋭くして尋ねる。
「なぜそんな治療術師を俺に紹介したんだ」
「魔術の性能向上になるかと思いまして。それとあの人も満足するかなぁと思ったんですよ。あなたみたいな冒険者は珍しいっすから」
職員は淡々と述べる。
嘘を言っている雰囲気ではなかった。
どこか含みはあるものの、それ以上は語ろうとしない。
俺は治療術師との別れ際のやり取りを思い出す。
(あれは気に入られた……ということなのか)
戦闘訓練が終わった後、二人分の治療の無料券を渡されたのだ。
詳しいことを訊かれてもはぐらかされたので不明だが、職員の言葉を借りるなら治療術師を満足させたから貰えたのだろう。
同じことを考えていたのか、ビビが懐から無料券を引っ張り出す。
「私とご主人、これもらった」
「やっぱりですか。あの人、見込みのある冒険者が好きなんすよ。お二人の将来性を気に入って、再戦を希望してるわけっすね。たぶんこれから行くたびに無料券をもらえますよ」
「将来性だと……?」
俺は首を傾げる。
ビビは分かるが俺は違うだろう。
そう思って本音を口に出す。
「俺はただの中堅冒険者だ」
「よく言いますねぇ。全属性の魔術剣士でしょうよ」
「堂々と名乗れるほどの力がない」
「少なくともあなた以外は認めていますけどね」
職員がビビを見た。
それを合図にしたかのように、ビビは酒を片手に断言する。
「ご主人、強くなった」
「そうか?」
「うん」
ビビはこくりと頷く。
本当にそう思っているようだ。
彼女の抱く信頼感は固い。
俺でいいのかと思ってしまうが、そこまで尋ねるのは野暮だろう。
職員は俺の頬を突きながら注意してくる。
「他人からの評価をあまり否定するのは駄目っすよ。あなたは洞察力があるのに、自分を客観視できていないみたいっすね」
「調子に乗った冒険者から死んでいく。これくらいがちょうどいい」
「律儀というか頑固っすねぇ。まあ、だからこそ生き延びてこれたんでしょうが」
職員がため息を洩らす。
彼女は少し真剣な眼差しを俺に向けた。
「属性検査の時、あなたのことを憐れんでいました。半端な希望を見い出して、堕落しかねないと思ったんです。あなたは身の程を弁えていると言いましたが、そういう冒険者を過去に何人も見てきましたから。堕落せずとも、新しい力に振り回されて進めなくなると思いました」
「…………」
「どんなに強い冒険者でも、小さなきっかけから道を外れてしまう。でも、あなたの終わりはまだまだ遠いようですね」
職員が立ち上がって顔を寄せてくる。
俺は思わず仰け反って距離を取ろうとした。
しかし、彼女に首を掴まれて阻止される。
唇が触れそうな近さで、職員は囁くように言う。
「期待していますよ。あなたは弱者でも英雄でもない。その子と一緒にさらなる飛躍を見せてください」
その後、夕食を済ませた俺達は、トロールの防具を売った金を受け取った。
金貨数枚になったので十分である。
またしばらくは悠々自適な暮らしができそうだ。
宿に帰る俺の頭の中では、職員の言葉が延々と巡る。
いつもの彼女からは想像もつかないほどの熱が込められていた。
一体どうしたというのか。
酔った状態では、上手く考えが回らない。
明日になったら改めて訊けばいい。




