第25話 治療されてみた
(これは……!?)
大きな拳がとてつもない速度で迫る。
当然ながら反応できるはずもなく、俺は無防備に腹を殴られた。
視界が激しく回転し、地面を跳ねながら吹き飛ぶ。
俺は壁に激突した後、地面に倒れて咳き込んだ。
衝撃で肺の空気がすべて無くなったような感覚に陥る。
痙攣する身体でなんとか呼吸しようと努力する。
頭がふらついて立ち上がれそうにない。
俺は身体を丸めて唸り続けた。
「ご主人っ!」
ビビの声がして、それから金属音が鳴り響く。
戦っているのだ。
声からして彼女は怒っていた。
俺は顔だけを動かして状況を確認する。
ビビが大女に連撃を叩き込んでいた。
風の属性付与を施した剣とナイフで苛烈に切り付けている。
迷宮探索でも見なかった速さだ。
俺の目ではほとんど追い切れない。
これが彼女の本気なのだろう。
対する大女は、高速の斬撃を腕で防御している。
何の防具も着けていないにも関わらず、ビビの繰り出す刃を弾いていた。
一体どうなっているのか。
身体強化で皮膚を硬くするのにも限度がある。
風属性が施された刃で無傷なのは異常だ。
ビビは懸命に攻撃を繰り返している。
霞むような速度で駆け回りながら、どうにかして大女を倒そうとしていた。
魔力消費を考えない立ち回りは短期決戦を前提としている。
加減をしては絶対に勝てないと理解しているのだろう。
斬られ続ける大女はまったく怯まない。
かと言って反撃することもなく、ただひたすら防御に徹していた。
腕を巧みに動かして斬撃を妨げているので、ビビの速度を認識できているらしい。
それだけで実力の片鱗が窺える。
次元が違う。
きっと俺とビビが共闘しても届かない領域にいる。
冒険者として培ってきた勘が訴えている。
恐怖で怖気づいたわけではない。
それが純然たる事実なのだ。
しかし、このままビビを放っておくわけにもいかない。
俺は壁に手をつきながら立ち上がる。
呼吸はまだ苦しいが、なんとか動けるようになってきた。
(いきなり何なんだ)
俺達は治療術師のもとを訪れたはずだ。
なぜ戦いが始まっているのか、まったく分からない。
色々と疑問があるも、とにかくビビを助けないといけないのは確かだ。
加勢しようとした俺は、そこであることに気付く。
(身体が痛くない……?)
先ほどまでの息苦しさが消失していた。
それどころか、トロール戦で負った傷の痛みを感じない。
応急処置後もあった慢性的な違和感が無くなっている。
もちろん大女に腹を殴られた際の感触も残っていなかった。
気になって全身を調べると、なんと怪我が綺麗さっぱり消えていた。
これまでの古傷も無くなっており、すべてが完璧に治っている。
肩の凝りや腰痛なんかも感じない。
嘘のように絶好であった。
そこまで理解した俺はすぐさまビビに声をかける。
「待て! その人は治療術師だっ!」
剣を止めたビビが着地し、一気に俺の前まで移動してくる。
彼女は大女を警戒しつつ疑問を呈した。
「どういうこと?」
「殴られて傷が無くなった。たぶんそういう治療法なんだ」
状況的にそうとしか考えられない。
あの強烈な一撃に、治療魔術が込められていたのだろう。
そして直撃を受けた俺は、あらゆる傷が治った。
ビビに対して反撃しないのも、それが誤解であると示すためだろう。
向こうには最初から敵意などないのだ。
訪問した俺の傷を一目で察して、問答無用で治療したのだと思う。
俺は前に進み出て大女に話しかける。
「そういうことなんだな?」
「肯定。打撃治療」
大女――もとい治療術師は頷いた。
人間離れした巨躯と仏頂面で恐ろしい雰囲気を醸し出しているが、やはり敵意は感じられない。
治療術師は真面目に仕事をこなしただけなのである。
そこまで分かった上で、俺はやんわりと意見を述べた。
「かなり過激なやり方だな」
「我流。最高効率」
治療術師はさらりと答える。
殴って治すのが最も効率的だと言いたいらしい。
こんな手法は初耳であるが、実際に効果を実感したので否定はできない。
確かに一瞬だったが、食らった直後はかなり苦しかったし、何よりいきなり攻撃されて驚いた。
正直、あまり受けたいとは思えない施術である。
気絶する人間も多いのではないか。
少なくとも鍛えていない貴族なんかは、別の治療術師を選ぶに決まっている。
剣を鞘に戻したビビが治療術師を見上げながら言う。
「不思議な喋り方だね」
「同感。会話下手」
流暢に話すのが苦手らしい。
まあ、単語だけでも言いたいことはなんとなく分かる。
長々と説明ができないから、いきなり殴って治すという形に落ち着いたのだろう。
物騒すぎる気がするも納得はできてしまった。
ここを紹介したギルド職員は、きっと俺達を驚かせるために説明をしなかったに違いない。
珍しく親切にしてくれると思いきや、やはりやってくれた。
後ほど文句を言わねばならない。
治療術師が俺を指差して口を開いた。
「傷多数。徹底改善」
「ああ、古傷もすっかり消えたし、いつもより調子が良くなっている」
「魔力循環。良好」
指摘された俺は自分の魔力に意識を向ける。
循環がとてつもなく滑らかになっていた。
体感では三倍か四倍くらいだろうか。
今までとは別物と思えるような感覚である。
(治療ついでに魔力を制御しやすくしてくれたのか)
古傷すら治せる腕前なのだ。
そういった芸当ができても不思議ではない。
これでさらに魔術行使が上達するだろう。
少ない魔力をやりくりしやすくなった。
治療ついでに肉体強化までしてもらえたのは幸運だった。
思わぬ施しを受けた俺は礼を言う。
「ありがとう。ここを選んでよかったよ」
「代金。請求」
「いくらになるんだ。紹介状で割引になると聞いているのだが……」
俺は財布を取り出しながら尋ねる。
治療魔術の相場くらいは用意してある。
それより少し高くても払えるだろう。
また金欠になってしまうが、受けた施術を考えると文句は言えない。
治療術師は大きな手のひらを差し出して言った。
「金貨百枚。即刻支払」
俺とビビは顔を見合わせる。
そして、危機的状況にあることを悟った。




