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8、恥を搔き捨てろ

 セオの最後の診察の日、夜になってロレイユ軍医が同伴してきたのは、ずいぶんと神経質そうな壮年の軍人だった。

 レイラにはよく分からないが軍服の胸元にはいくつもバッジが付いているし、乱れなく整えられた髪は高貴さを伺わせる。

 そしてなにより、この辺りでは見ないようなぴかぴかの黒い車でセオの家に乗り付けたのだ。


「すみませんが娘には彼の素性は教えていませんので」


 ロレイユ軍医はそう前置きし、レイラに彼を紹介した。


「レイラ、セオさんの上司でお前の雇用主の方だ。今日はセオさんと復帰時期を相談するためにお越しになられた」


 まあそうだろうな、とレイラは思った。身なりがとても良い。

 目を合わせて、それからゆっくり頭を下げる。


「仕事のご依頼をありがとうございました。お世話になりました」

「こちらこそ。君のおかげであいつが大人しく療養したんだろう。ありがとう。給与は軍医経由で渡そう。仕事の最終日はセオと相談してくれ」


 レイラが頷くと、上司とロレイユ軍医の二人はセオの自室に入っていった。


 一応もてなしを、と三人分のカップをトレーに乗せたレイラがセオの部屋をノックしようとすると、中から話し声が聞こえてきた。

 自分の名前が出たような気がして、思わずその手を止める。静かに耳を扉に近付けた。


「──のようだな。いいのか?」

「いえ、軍医のお嬢さんには十分働いてもらいましたよ。助かりました。そういう意味ではあなたに感謝しています」


 どうやら、仕事ぶりをセオに褒められたようだ。

 レイラは嬉しくなった。始めのうちはあんなに拒否して、一人でも大丈夫だと言っていたのに。野生動物を手なずけたような気分だ。いまなら保護職員になってもいい。


 話が途切れたところでレイラは部屋にトレーを置きに入り、誰とも目を合わせず部屋を出た。



 ずいぶんと長い間話し込んでいたが、しばらくして三人は部屋から出てきた。

 そのままセオが見送りに出たので、レイラも後に続く。父はセオの上司とともに黒光りする車に乗り込んだ。軍病院に戻るのだろう。大きな音を立てて車は去って行った。


「……あなたって本当に偉い人なのかもね」

「まあな」


 ちょうど夕食の時間だったので、そのまま二人で食卓に座る。


「一人になるわけだけど、セオって料理できるの?」

「まあ、ほどほどには」

「一度くらい作ってもらったら良かったわ」

「へえ、そしたらその分の給料を俺がもらってしまうが、いいのか?」


 にやりと笑ったセオに言われて、思い出した。

 そういえばそうだった。生活を共にするのが普通になりすぎて、家政婦である立場を一瞬忘れた。

 レイラは「それは困る」と肩を竦めて、食事を再開した。


 きっと一緒に夕食をとることもあと数回だろう。

 セオは食事に何を出しても大した反応は示さないが、食べ方は綺麗で、そして残さない人だ。作る側としてはとても気分が良い。

 できれば味の感想をもう少しくれてもいいのではないかと思うけれども。


 そもそも、レイラは人と一緒に食事をする機会が少なかった。父は帰りが遅いし、病院で夜勤があることも多い。一人で食事をとることが常だった。

 でも、誰かと一緒に食事をすることは楽しいことだと改めて気付く。この時間がなくなるのは、少し、寂しい。


「この仕事を終えたら、また診療所の仕事に戻るのか?」


 サラダを口に運びながら、セオが問うてきた。相変わらず、美味しいんだか美味しくないんだか、表情では分からない。


「そうね。でも新しいことも始めてみようかなと思っているの」

「それはいいことだ」


 頷くセオを見て、お父さんみたいなことを、とレイラは苦笑した。


「セオはいつから仕事に復帰するの?」

「来週から。しばらくはこっちで仕事するが、またベイラーダに行くだろうな」

「そうなの」


 またベイラーダに行くのであれば、もう会えなくなる。帰ってきたって、接点はない。

 でも、しばらくはこっちの軍部にいるというのなら──



「ねえ、この家政婦の仕事が終わっても、ここに来てあげましょうか」



 口に出してすぐ、レイラはしまった、と思った。


 この言い方はなんというか、まるで押しかけ女房のようだ。同僚の域を超えている。

 家主と家政婦という関係性から一歩進もうとしているように聞こえてしまう。誤解を招く。


 だが、否定できない考えでもあった。

 セオといるのは楽しいし、彼を好きになるかどうかは別として、もう少し彼のことを知りたい。もう少し一緒の時間を過ごしたいというのが正直な気持ちのようにレイラは思った。


 返事を聞くのが怖いと思いながらもレイラがじっとセオを見つめていると、セオは一瞬逡巡したような素振りを見せた。

 しかし、すぐに首を横に振る。


「いや、いい」


 硬い声のその言葉に、レイラは予想以上にショックを受けた。

 ファレルたちの前で恋人のふりをしてくれたし、先ほどは上司に対して自分を褒めてくれた。少なくとも、嫌われてはいないはず。

 これからも来てくれと言われるかもしれないと、無意識のうちに大きく期待していたことにレイラは気付いた。


「君も元の仕事があるだろう。俺は一人でも生活に問題はないし。世話になったな、ありがとう」


 心がべっこりへこんだことがばれないように、レイラはわざと明るい声を出す。


「そ、そうよね。一人でも全然大丈夫そうだものね。でも、私がいなくなっても煙草は止めておいた方がいいと思うわよ」


 セオが、ああ、とか、うん、とか返事をしたような気がしたが、レイラの耳には入ってこない。

 あとは何を話したかよく覚えていない。




 ♢



 ファレルたちに会った夜以来、セオはレイラを自宅まで送ってくれていたが、今夜は強く断った。帰りに寄りたいところがあると嘘をついて。


 普段より頑張ってペダルをこぎ、最速タイムで家にたどり着いたレイラは、そのまま自室のベッドに倒れ込んだ。


「……失敗した……」


 あんな余計な事、言わなければ良かった。

 ただの家主と家政婦という関係のままで終われれば、「あの時は結構楽しかったな」という良い思い出になったのに。セオともっと仲良くなれるかもしれないと欲を出したから。


 しかも、女性が嫌いなセオにとって、自分の発言は軽蔑に値するものだったかもしれないということに気付き、レイラは青ざめた。

 以前、髭を剃った時だったか、「余計な気持ちは抱くなよ」と釘を刺されたのを覚えている。あれは好きになるなよということだ。


「ああー……」


 別にまだ好きなわけではない。ないと思うが、セオからはそう思えなかっただろう。牽制したのに好きになりやがってと思われているかもしれない。そんなつもりではなかった。


 時間を巻き戻せられれば、余計なことを言った自分の口を塞ぐのに。もう不可能だ。


 セオの家に行くのはあと二日と決まった。

 あと二日、気まずいながらも耐えれば良い。そうすれば、もう会うこともなくなる。


 レイラは胸を掻きむしりたいような、泣いてしまいたいような気持ちにかられたが、それらをすべて見ないふりをしてそのまま布団に潜り込んだ。


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