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7、嘘

「もう家を出て動いてもいいですよ」


 レイラは父がセオを診察するのに立ち会っていた。もう腹の傷もすっかり良くなり、手足はほとんど痛みはなく動かせる。

 今まで移動できるのは家の中だけという体になっていたが、これからは外に出ても良いことになった。


「セオ、良かったわね」

「ああ、ありがとう。軍医、いつ頃から仕事に復帰出来る?」

「まあ少し体力を戻してからの方が良いでしょうが、いつでも。軍と相談してみたらいかがですか」


 セオは力強く頷いた。

 彼が軍に復帰するということは、レイラの臨時家政婦としての仕事も終了するということだ。また診療所のナース見習いに戻る。

 この家での家政婦の仕事は割と楽しかったので、レイラは少し寂しい気持ちにもなった。


 セオはもう問題なく動けるので、レイラが行動の補助をすることはずいぶん前になくなっている。今は本当に家事炊事をするだけの家政婦だ。


「せっかくだから、なにか外に出る用事はないか?」


 外に出たくてうずうずしているセオに問われ、レイラはおつかいに行ってもらうことにした。だが、セオはこのあたりの店を知らないという。


「いままでどうしていたの?」

「この家にはベイラーダに行く前に来て、ほとんど住んでいないんだ。だから街のことをよく知らない。その前は軍の宿舎に住んでいたし」


 ざっくりとした地図を書いてやり、買い物かごを渡すと、がっしりした身体にわら編みのかごがアンバランスで可笑しい。だが、本人はまったく気にしていない様子だ。


「一緒に行きましょうか?」

「いや、一人で行ける」


 子どもを買い物に行かせるようだな、と思いながらもレイラはセオを見送った。



 しばらくして帰ってきたセオは満足そうな顔だった。やはりずっと家にこもりっぱなしでストレスが溜まっていたのだろう。頼んでもいないものまで色々と買ってきている。


「初めて市場に行ったが、この街の市場は大きくてすごいな。北と違って温暖だからか、鮮やかな果物が多かった」

「そうね」

「色々買っていたら、おまけだとさらに一つもらったりもして。とにかく、人がたくさんいた」

「ふうん」

「おい、聞いているのか」

「聞いてる聞いてる」


 セオが買ってきたものを分別しながらだったので、レイラは彼の話の半分も聞いていなかった。やはり、子どもが初めてのお使いに行ってきたようだな、と果物を選り分ける。


 レイラはセオの上司からの給与とは別に、家の食費等はセオから受け取って、それでやり繰りしている。

 セオにこのまま買い物に行かせたら明らかに予算オーバーだ。次回は予算内に入るように、買い物に行かせる際は十分注意しなければならない。



 その日の夜は当初予定していたメニューを変え、セオが買ってきたもので早く傷みそうなものを先に使って調理することにした。

 食卓の席で料理を出されたセオは、「これは今日買ってきたものか」と自分が買ってきた食材を見つけては嬉しそうだ。

 だが、ふと真剣な顔になると小さな声で呟いた。


「仕事に戻るのは嫌だな……」

「あら、早く治したいって言っていたのに」


 セオはスープを匙でかき混ぜながらため息をつく。


「そうだが、ベイラーダは寒いし。食べ物は美味くないし」

「もうすぐ戦争が終わるんじゃないかって、ずいぶん前から新聞には書かれているけど?」

「あー、でも俺が復帰しないと終わらないかも」


 あたかも自分が王様のような言いっぷりに、レイラはぷーっと吹き出した。その笑い声を聞いたセオは一瞬はっとした表情をしたものの、すぐにばつが悪そうに下を向く。


「そうよね、軍で重要な仕事をしていると聞いているもの」

「そうだぞ」

「早く戦争を終わらせてちょうだい」

「分かった分かった」



 食事と後片付けを終え、レイラが帰ろうと外套に手を伸ばすと、セオも自分の外套を羽織りだした。


「送る」

「えっ、いいわよ。近所だもの」

「だが、もう暗いから」


 もう暗くはなっているが、自転車でわずか五分ほどの距離だ。徒歩でも十五分くらいだろう。街灯もあるし、今まで危ない目にあったことはない。

 しかし外套を着たセオはさっさと扉を開けようとしているので、レイラはそのまま従うことにした。


「ま、トレーニングにはいいかもね。私、自転車漕ぐの速いから」

「おい、まさか俺だけ走らせる気か」


 冗談よ、とけらけらと笑い、自転車を押しながらセオと連れ立って歩き出す。


 仕事から帰宅する人もぱらぱらと歩いており、住宅街のほとんどの家には明かりが点いている。

 最近になって朝晩は急激に涼しくなってきた。レイラは押していた自転車を一度止め、羽織っていた外套の前ボタンを閉めた。

 

「明日はなにか買い物はあるか?」

「今日、十分買ってきてくれたからないわよ。楽しかったのは分かるけど。買い物はないけど散歩に出たら?」

「そうするかな。どこか散歩するのに良いところってこのへんにあるか?」

「そうね、今の時期なら──」


「──レイラ?」


 近場の公園のことを教えてやろうと頭の中で地図を広げていると、ふいに前方から声をかけられた。

 ファレルだった。


 ファレルは妻と腕を組んでいた。結婚式で一緒に逃げた、レイラの女友達だ。


 レイラは息が止まるかと思った。

 ローズは彼らをよく見かけると言っていたが、レイラはほとんど見かけたことがなかったのだ。それは意識的に街を自転車で移動していたためでもある。

 でも隣町に住んでいると聞いていたのだから、会うことがあっても当然だった。


 ファレルと妻は、驚いた顔でレイラとセオを見つめる。

 しまった。夜に男と二人で歩いているなんて、恋人同士だと勘違いされるかもしれない。レイラは頭の中で言い訳を考え始めたが、それより先にファレルの妻が口を開いた。


「レイラ……、まさか、新しい人が?」


 唖然とした様子で問われ、レイラは猛烈に腹が立った。


 「まさか」とはなんだ。まさか、ファレルのことを後生愛しているとでも思っていたのか。そんなはずない。慰謝料をたんまりもらってリリースした時点で過去の男だ。

 男に逃げられたからって、こそこそ隠れることはないし、卑屈になる必要なんてないはずだ。もしかしたらこれから恋だって出来るかもしれないのに。


 憤慨したレイラはその勢いのまま、すぐ隣にいたセオの腕をぐい、と引き寄せた。



「そうなの!! おかげさまで私もすごく幸せよ! 素敵な人に出会えたから!」



 ファレルと妻の二人はぽかんとして呆気に取られ、視線をそのままセオに移す。

 すると引っ張ったセオの腕がレイラの腰に回され、引き寄せられた。その力強い腕に、体が浮きそうになる。


「ええ。あなた方のおかげで、レイラと出会うことが出来ました。感謝しています」


 いつもとは正反対の甘い声のセオに、レイラはぎょっとして隣を見上げた。

 この男、こんな声が出せるのか。しかも、まさか話を合わせてくれるなんて。


 ファレルたちは急におどおどと視線を逸らし、じゃあ、と言って足早に通り過ぎて行った。



 しばらく、二人はそのまま立ち尽くしていた。ファレルたちの足音が聞こえなくなってから、腰に回ったセオの手が緩む。


「……ごめんなさい」


 恐る恐る隣に立つセオを上目で見上げると、セオは悪戯したような顔でにやにやとレイラを覗き込んできた。


「セオ、本当にごめんなさい。あれ、結婚式で逃げた二人なの」

「だろうな、すぐに分かった」

「話を合わせてくれてありがとう。なんだか、あまりにも腹が立ってしまって」

「分かるよ。全然問題ない。それにしてもあの顔、傑作だった」


 それから、くくくと笑い出す。

 確かに彼らは心底衝撃を受けた顔をしていて、思い出したレイラも頬を緩めた。

 ただ、心配なことはあった。


「ああ……、ひょっとしたら彼らが他の人にバラして、噂になってしまうかも」

「心配しなくても彼らはきっと話さない」

「なぜそう思うの?」

「ああいう奴らは、人が不憫で可哀想であることに優越感を覚えているんだ。だから君が幸せであることは人には話さない。自分たちの幸せが揺らぐからな」


 そうなのだろうか。そうなのかもしれない。

 実際、これまでに彼らから向けられていた視線は詫びや後ろめたさではなく、憐憫だ。


「それに何か言われても、もう別れたって言えばいいさ。俺と付き合っていたことで株が上がるぞ。箔が付く」

「呆れた。よく自分で言えるわね。私はあなたが何者かも知らないのに」

「だが、事実だ。戦争が終わったら教えてやるよ」

「あんまり期待しないでいるわ」


 どうでもいいことを話しながら歩いていると、自宅に着いた。すでに明かりが灯っているため、父が帰っているようだ。

 セオは一言、「じゃあな」とだけ告げ、暗い道を帰って行った。


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