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5、恥も外聞も

 セオはベッドから出られるようになり、二階だけであれば動いても良いという許可がロレイユ軍医から下りた。

 まだおぼつかない足取りではあるが、杖を使い少しずつ動こうとするセオをレイラは手伝ってやっている。


 そんな中、レイラが看病に来るようになって初めて来客があった。



 珍しく日中にドアベルが鳴らされ、父だろうかと扉を開けたレイラは、その人物を見て思わず後ずさった。

 ずいぶんと背が高く、金髪碧眼。シワひとつないパリッとした軍服を着た、顔の良い男。

 

「こんにちは、君は?」

「……家政婦ですが、どちらさま?」


 以前、余計な客は通すなとセオに言われている。それを判断するのは自分だが。

 軍服を着ているということはセオの同僚だろうが、それは余計な客に入るかどうか。


「僕はセオの同僚のロベルトといいます。家政婦が来るとは聞いていたけど、ずいぶんと素敵なお嬢さんだね」

「それはどうもありがとう。彼は二階よ」


 褒められて気を良くしたレイラは、そのまま来客を通した。ロベルトは迷うことなく階段を上がる。


「セオの調子どう? 少しは動けるようになってる?」

「ベッドを出て、二階は動いても良いと許可が出ているわ」

「それは良かった」


 寝室の扉を開けると、セオは旅行鞄をひっくり返しているところだった。初めて来た日、玄関をつっかえさせていた荷物をレイラは片付けず、そのままにしてあったのだ。

 まだ右半身を自由に動かせない彼は、机に鞄を置いてそれを広げ、左手で中身を仕分けていた。扉が開いたのに気付いて、こちらを振り向く。


「ロベルト」

「セオ、具合どう?」


 二人が話し始めたので、レイラは扉を閉めて紅茶を淹れに降りた。

 しかし紅茶を入れたカップを持って再度部屋をノックすると、もうロベルトは帰ろうとしていた。十分も経っていない。


「あら、もうお帰り?」

「ああ、お気遣いありがとう。様子を見に来ただけだからね。家政婦さん、セオをよろしく」


 ロベルトはそう言うと、レイラが持つトレイに乗ったカップ二つのうち一つを手にし、ぐいーっと一気に飲み干した。舌を火傷しないだろうかと心配になる。


 見送りはいらないと告げ、ロベルトはそのまま階段を駆け下りて去って行った。セオを見ると、先ほどまではなかった厚みのある茶封筒を手にしている。ロベルトはそれを届けに来ただけのようだ。


「ずいぶんと爽やかで綺麗な人だったわね」


 するとセオは首を横に振った。


「あんなのが好みか? 爽やかそうなのは見た目だけだ。嫁入り前の娘が相手に出来る男じゃない」

「あら、じゃあ私でも相手にしてもらえるかも」


 苦笑してレイラがそう言うと、セオは茶封筒を落とした。

 唖然と、驚愕の表情でレイラを見つめる。


「……まさか、君は既婚者なのか?」

「うーん、既婚者ではないのだけれど」


 レイラは自分のステータスが何なのか、よく分からずにいた。あれ(・・)は一瞬でも、結婚したことになったのかどうかが分からない。


 ファレルが婚姻書類にサインを終え、逃避行を決断するまでの数十秒間は、婚姻書類は完成していた。それに実は、誓いの言葉は婚姻書類の前に終えていたのだ。

 離婚書類は提出せずうやむやになったので、婚姻書類は完成したけれど受理されなかった、という状態だ。

 つまり、正しく「結婚式で相手に逃げられた女」という称号が一番しっくりくる。


 レイラが自分の肩書について考え込んでいると、セオも同じようになにかを考えていた。

 そして一つの結論を得たようで、一気に暗い顔になった。


「……それは、失礼なことを。お気の毒に」


 哀悼の意を示されたので、レイラは自分が未亡人であると勘違いされていることに気付いた。

 確かに、勘違いさせても仕方がない。特に彼は軍人で、死が身近にある人だ。そして自分は軍医の娘。嫁入り前でもなく既婚者でもない。未亡人だと思われてもおかしくなかった。

 レイラは慌てて首を横に振り、強く否定した。


「違うの、ごめんなさい。誤解を招く言い方を。未亡人ではないわ。結婚式中に相手に逃げられたの」

「は??」

「結婚式をして婚姻書類を書き終えたら、夫になるはずだった人が私の友人と逃げてしまったのよ」

「ええ?」


 混乱した様子のセオは、その様子を頭の中で考えているようだった。


「ええと、つまり君は既婚者だったけど、いまは違うということか?」

「うーん、既婚者だったというのも違うかもしれないわね。既婚者一歩手前。だってウエディングドレスを着てバージンロードを歩いたのに、いまだにバージ」

「みなまで言うな」


 渋い顔をしたセオに手で制され、可笑しくなってレイラは笑ってしまった。


 セオは呆れたようにため息をついて、ベッドの端に腰かけた。立ったままだとまだしんどいのだろう。


「……まったく、そんなこと。恥ずかしくないのか」



 笑っていたレイラだが、その言葉にショックを受けた。


「恥ずかしい? それは結婚式で相手に逃げられたことが? それともバージンであることが? 恥ずかしいこと?」


 思ったよりも強めの声が出てしまう。怒っているように聞こえただろうか。

 だが、確かに気持ちの中の半分は怒っている。残りの半分は仄暗いみじめさだ。


 恥ずかしいことと思われても当然かもしれない。だって、結婚式で逃げられるなんてほとんどの人は経験しないようなことだ。

 それに多くのカップルは結婚前に男女の関係を持つ。結婚まで拒否したのはレイラの意思だ。それを恥ずかしいことだとは思っていないが。


 好奇の目に晒され、それでも自分は何も悪いことはしていないと前向きに頑張っているのに「恥ずかしいこと」と思われるのなんて、みじめだ。同時に、それに怒りを感じる。


 レイラの強い視線に射抜かれたセオは、はっとしてすぐに頭を下げた。


「……悪かった。どちらも、なにも恥ずかしいことなどない。事情は知らないが、結婚式当日に逃げるなんて相手の男が百パーセント悪い。プライベートなことを聞いて動揺してしまい、つい失礼なことを言った。申し訳ない」


 セオから殊勝な態度で謝られて、レイラは面食らった。「当然だろう」または「はしたない」とでも言われるものだと思っていたのだ。

 レイラも慌てて頭を下げる。


「こちらこそ、ごめんなさい。私が余計なことを言ったからだわ。どうでもいいことでムキになってごめんなさい」

「どうでもいいことではない。個人の尊厳の問題だ。俺が悪かった」


 セオはもう一度、すまなかった、と謝った。その真摯な様子に、レイラは少し驚いていた。

 余計なことを言ったレイラの方を責めたり、茶化したっていいのに。すぐに謝ってくれた。軍人だからだろうか。


 ふと、レイラはファレルのことを思い出していた。

 彼は、謝ってくれなかった。

 結婚式から逃げた後も、真実の愛を求める自分を正当化し、一度も謝ってくれなかった。「だって彼女のことが好きなんだから仕方ないだろう、理解してくれ」と。

 だからいまだに心の中で気持ちが晴れずに燻ぶっているのかもしれない。


 それから何度か謝り合い、その日はなんだかぎくしゃくしたままだった。



 ♢



 次の日の朝、レイラがセオの家に出勤すると、食卓の上に花冠が置かれていた。

 道によく咲いている小さな白い花だ。この家のこぢんまりした庭にも咲いている。

 それをたくさん束ねて編んでいき、花冠にすることはレイラにも出来る。だが、食卓の上の花冠はレイラが作ったものではない。

 贈り主がすぐに分かった。



「二階から降りる許可はまだ出ていなかったはずだけれどね」


 セオの寝室に入ったレイラが一番にそう言うと、セオは視線をさまよわせた。すでに起きており、昨日の茶封筒の中身を見ている。


「でもとても可愛らしい花冠だったから許すわ、ありがとう」

「……詫びだから、普通だったら街に出てなにか買ってくるところだが。いまは無理だからな。許せ」

「まあ」


 セオは昨日失礼なことを言ったことに対する謝罪で花冠を作ったようだった。

 気にしないでいいのに、と思ったレイラだが、実際は自分も同じことを考えていた。昨日は変な雰囲気になってしまったので、気分を変えようとスコーンを焼いてきたのだ。


「私もお詫びにスコーンを焼いてきたわ。朝食の時に一緒に食べましょう」

「気にしなくていいのに」

「こちらのセリフよ」



 なし崩し的に、「動いていいのは二階だけ」という制限はなくなった。実際、彼は庭まで下りて花を編み、自力で寝室まで戻れるまでに快復していたからだ。

 ロレイユ軍医もその出来事をレイラから聞いて、「まあいいか」と許可を出した。


 それでもまだ、レイラはセオの食事を寝室に持っていき、自分は食堂で食べていた。しかし少ししてから、セオは食堂で一人で食事をしていたレイラのところへやってきた。


「次から俺もここで一緒に食事をとる」

「別にいいけど、毎回降りてくるの大変じゃない?」

「大変じゃないし、一人で食べるのはつまらん」


 そう言うとレイラの返事も聞かず食堂を出て行った。


 それからは二人で一緒に食事をとるようになった。


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