16、終わり良ければ
レイラはその日、朝からぴりぴりとした雰囲気を纏っていた。
今日はセオとの結婚式。
バタバタしそうだったので、自分はさっさと純白のドレスに着替えた。対応しなければいけないことが山のようにあるのだ。
まず、教会の出入口および外に面する道路に二人ずつ、警備員を配置した。それから教会関係者だけが出入りすることのできる祭壇横の扉の裏にもだ。
前回の逃亡者はひ弱な郵便配達員だったが、今回は違う。現役軍人、しかも第二師団の師団長だ。
雇った警備員の誰よりも強いだろう。人数で押さえ込む必要がある。
依頼した警備会社の警備計画の打ち合わせにも参加したレイラに、その会社の担当者は引いていた。
「いくらなんでも、そんなことにはならないんじゃないですか? 結婚式ですよ?」
しかし「そんなこと」は実際に前回起きている。あのときはやすやすと逃げられてしまった。
結果的に前回は逃げられて良かったが、今回は絶対に逃がしたくない。
「そんなこと言って、実際に逃げられたらどうするの。あなたたち、プロの警備員なんでしょう、恥になるわよ」
レイラは飛び切り屈強な警備員たちを配置することを依頼した。もちろん、その元手は前回の慰謝料だ。
そもそも、セオとの結婚式など、レイラは絶対にやりたくなかった。今度は逃げられないだろうかと不安でたまらなくなることは分かり切っているし、二度目の結婚式に人を呼びたくない。
しかしセオが「絶対やりたい。レイラの中の結婚式が前の男の思い出で終わるのが嫌だ」と言い出し、それを固辞することが出来なかった。
そしてローズの助言通り、対策を打つことにしたのだ。自分の心の安心と安全のために。
結果、レイラは戦争に臨むような気持ちで今日を迎えている。
ドレスを着たまま会場の警備体制を一通り確認し、バージンロードの入口で精神統一をしていると、怪訝な顔をしたセオが現れた。
扉の左右に無表情で立っている黒服の逞しい男たちを見やる。
「な、なんでこんなに物々しい雰囲気なんだ?」
「ねずみ一匹逃さないために」
「逃げないと言っただろ……」
今日は父もいない。二人だけだ。
セオは式典用の黒の軍服を着ており、前面にはよく分からないバッジやら紐がじゃらじゃらとくっついている。
いざ逃げ出そうとしたら、あれを掴めば良いだろう。
セオを上から下までじっと見つめていたら、自分も同じように見つめられていることに気付いた。
「なに?」
「いや、綺麗だなと思って」
素直に褒められてどきりとした。そういえば、自分だってきちんとめかしこんでいる。
逃げられたときに追いかけられるよう、ドレスに隠れた靴はトレーニングシューズだけれども。
「レイラは? やけにじっくり見て、俺に見惚れた?」
「そうね、とても凛々しいわ」
逃亡者を捕まえる目算をしていたとは言えず、レイラは大げさに頷いた。
扉が開き、中に踏み出す。バージンロードの先に、あのときと同じ司祭が見えた。
列席者も、華々しい音楽も、拍手も、なにもない。でもそれでいいとレイラは思った。本来は二人が将来を誓い合うための場なのだ。
祭壇に着き、司祭と目配せする。
前回の結婚式の時と同じ内容で進む。誓いの言葉を述べ、口付けをした。
レイラは気が急いていた。さっさと婚姻書類を書いて出してしまいたい。
司祭が婚姻書類にサインをするように、と促す。その手には紙が二枚。レイラは司祭の手から二枚の紙を奪い取ると、字の美しさなど何も気にせず羽ペンで書いた。
「ん? なぜ二枚?」
「念のため」
前回のようにぐしゃぐしゃにされてしまっても予備を提出できるようにするため、あらかじめ二枚準備してもらうよう、司祭に伝えていたのだ。
「慎重だなあ」
苦笑しながら二枚にサインするセオの手元を凝視する。
一枚書き終わったところで、レイラはセオの手からするりと紙を取り上げ、司祭に手渡した。
真剣な顔で頷いた司祭は、それを二人の手の届かない祭壇の後ろへ隠す。
ようやくレイラは安心して息をついた。一仕事終えた気分だ。
「やったわ……!」
「逃げないと言っただろうが」
二枚目の婚姻書類にもサインを終えたセオは、羽ペンを軍服の胸ポケットに挿した。
「おめでとうございます、これで二人は夫婦ですよ」
「ありがとうございます!」
レイラが司祭とがっちり握手するとセオは呆れたような顔をしたが、非難はされなかった。
「どうだ? ちゃんと結婚式の記憶が上書きされたか?」
「十分よ。もう怖いものなどないわ。でも、疲れた。終わったからエールでも飲みに行きましょうよ」
「分かった分かった」
戦場のような殺伐とした雰囲気から一転、日常に戻った二人は、軽い足取りでバージンロードを戻り、教会を出て行った。
司祭は拍手しながら、笑顔でそれを見送る。
しかし、扉が閉まってから重大なことに気付いた。
「あっ! また羽ペン持って行かれた!!」
《おしまい》




