14、待ちぼうけ
レイラはセオと互いの気持ちを確かめ合い、セオを北へ見送った。
あれから一ヶ月半。
セオが帰ってこない。
当初、彼は一ヶ月弱くらいで帰ってこられるだろうと言っていた。実際、セオが北へ発って約一ヶ月後、新聞に隣国との和平条約締結の報道がされた。すなわち、終戦したのだ。
記事では国王と第一師団、第二師団がベイラーダに集結し、隣国と会談を行ったことが記されていた。セオが言っていたことは本当だったのだ。彼がいないと、戦争が終わらなかった。
あの星降る夜、自分が流れ星にした願い事を、彼は実際に叶えてくれたのだ。
レイラは新聞記事を見て小躍りした。きっと、もうすぐセオが帰ってくる。
しかし。
待てど暮らせどセオは帰ってこない。
「レイラ、それは……付き合っている……?」
「あら? デジャヴ?」
「デジャブじゃないわよね、前にも同じ会話を」
ローズに問われた言葉に首を傾げたレイラは、渋い顔をして見せた。
夜間学校の授業はほとんど単位を取った。そのため、いまは診療所でローズと同じ仕事が出来るようになるよう、実習中なのだ。
父も軍病院へ勤務する日数が減り、週の半分ほどは同じ診療所に勤めている。すなわち、国内から戦争のにおいは確実に減ってきている。
なのに。セオだけが帰ってこない。
「ちなみに、電話は?」
「ない」
「手紙」
「ない」
「連絡先」
「知らない」
「誰かから言付けとか……」
「……ない……」
新聞にはその後、ベイラーダで戦闘になったといったような情報は載っていない。
父に問うと、怪我人が出たといった情報はないし、第二師団は色々片付けて帰ってくるだろうから時間がかかるのではないかと言われた。
それ以上、レイラには情報を得る方法がない。
哀れみを込めた目でローズから見つめられ、レイラは焦って否定した。
「でも! 前回とは違うわよ。間違いなく恋人同士だもの。彼の家の鍵は預かっているからたまに掃除しに行っているし、待っていろと言われたもの!」
「大丈夫? 家政婦の延長で都合の良い女になってない?」
「ううう」
そう言われるとなにも言えず、頭を抱える。
予定の期間をずいぶん過ぎているのだから、電話の一本くらいかけてくれたって良いのではないかと思う。そんなに忙しいのだろうか。
それとも、すっかり自分のことなど忘れてしまったのだろうか。
「驚いたけど、相手はあのマクアイバー師団長でしょ? 有名人だもの。軍人だし、そんな簡単に約束を破るような人じゃないんじゃない? って、レイラなにをしているの?」
手元の紙に数字を書き込むレイラを、ローズが覗き込む。
「もしこのまま捨てられた場合の慰謝料の計算を」
「……あなたの頭の中、だいぶやばいわね」
呆れたローズの声がレイラの耳を通り抜けた。
♢
レイラはセオの家でぼんやりと掃除をしていた。
帰ってこないセオのことを考えていると良くない方向にばかり頭が働いてしまう。
怪我をしていないだろうか。北の飯は不味いと言っていたが、きちんと食事をとっているだろうか。眠れているだろうか。
初めに臨時家政婦でセオの家に来た時、彼は埃の積もったベッドで死にそうになっていた。いまはいつ帰ってきても大丈夫なよう、定期的にきちんと掃除している。
髭を剃ってやり、喧嘩して、一緒に流星群を見たのがずいぶんと昔のようだ。あれは夢だったのだろうか。結婚相手に捨てられた女の妄想による白昼夢だったのかも。
「はあああ」
階段の手すりにもたれかかって項垂れていると、外に車が止まる音がした。
少しして、玄関の扉の鍵がガチャリと回される。びくりと驚いたレイラは一気に身を固くした。
──帰ってきた!
手すりを拭いていた布を放り出して玄関に向かい、扉が開いたと同時に声をかけた。
「おかえりなさい!」
「えっ」
扉の向こうにいたのは待っていた人ではなく、一度会ったことのある顔の良い男だった。ロベルトと言ったはずだ。
「あっ、同僚の人ね……」
膨らんだ気持ちが一気に萎み、レイラは肩を落として扉から身を離した。
レイラの落胆に気付いたようで、美男子は気まずげに苦笑している。
「待ち人じゃなくてごめんね、家政婦さん。一度会ったことがあるよね。セオの同期でロベルトと言います」
「レイラです、どうも」
中に入るよう促すと、ロベルトは会釈して入ってきた。食堂へ案内し、紅茶を淹れる準備をする。
「今日はセオから頼まれて荷物を」
「そ、そうだわ。セオは無事なの!?」
セオの状況について確認できる手がかりがやってきたことにようやく気付いたレイラは、キッチンから勢いよく振り返ってロベルトに向き合った。
その剣幕に驚いたロベルトは体が引けている。
「無事だよ。会談は終わったんだけど、そのあとの仕事が難航しそうで帰るまでに時間がかかるかもって」
「そうなの……」
とりあえず無事であることが分かってほっとした。またキッチンに戻り、沸いたお湯を茶葉の入ったポットに注ぐ。
淹れた紅茶をロベルトに出すと、彼は一気にぐいーっと飲み干した。前回会った時も思ったが、舌を火傷しないだろうかと心配になる。
カップを戻したロベルトははあ、と一息つき、鞄からがさがさと袋を取り出した。
「これ、この家に置いておいてくれって言われたんだ」
袋を開くと、中には細い葉で編まれた輪が入っていた。
貧相な草が器用に組み合わされているが、それは乾燥してカサカサになっている。
「なんか、置いておけば分かるからって言っていたよ」
それを聞いて、レイラは気付いた。
これは、詫びだ。
以前、この家で動けなかったセオと少し口論になったとき、庭に咲いていた小さな白い花で花冠を作ってくれたことがある。それと同じだ。
北の厳しい土地に花は咲いていないのだろう。その代わりに生えていた草で編んだのだと思った。
約束した予定よりも帰りが遅れてごめん──、それを意味しているとレイラは理解した。
急激に心の中が温かくなり、ほっとして力を抜いた。
慰謝料の計算までしていたささくれた気持ちが一気に柔らかくなる。
「……なぜ、電話をくれないのかしら」
「連絡先を知らないと言っていたよ。軍病院に聞くのも恥ずかしいみたい」
「ええ?」
こんな思わせぶりなやり方の方がよっぽど恥ずかしくないだろうか。不器用なセオの一面がかいま見えて、むずむずする。
ロベルトはにやにやとレイラを眺めている。セオとの関係はとっくに知られているようだ。
「意味が分かったわ。わざわざ届けてくれてありがとう」
「どういたしまして。ねえ、質問してもいい?」
「なに?」
「セオのどこが好きなの?」
「不器用で可愛いところ」
「即答だね!」
ロベルトは声を上げて笑い出した。
でも本当にそうなのだ。目の前の男の方が一般的に美しいことは分かるが、でもセオがいい。
「のろけてごめんなさいね」
上から目線でレイラがロベルトに告げると、ロベルトは「ごちそうさまでした」と言って帰って行った。




