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13、思考の海に溺れる


「…………は??」


「本日は早くお帰りになられたのですが、メイヤー将軍から急ぎ依頼を受けてお届けに上がりました! マクアイバー師団長はご在宅でしょうか!」


 レイラは若い軍人の言葉を頭の中で反芻した。


 マクアイバー師団長と言った。

 その人の名前は知っている。ローズが言っていた、第二師団長だ。


 近衛隊である第一師団とは異なり、重要箇所で戦う、戦闘能力の高いエリート軍だ。確かに第二師団はベイラーダに駐屯している。


 そしてセオも第二師団であることは知っていた。そのベイラーダに行って怪我を負ったのだし、これからベイラーダに行くのだと言っている。

 さらに自分は偉いんだぞと豪語していたこともある。あの時は、そこまで深く考えなかった。


 まさか、師団長だったとは。



 レイラが固まっていると、横からぬっと手が差し出されて、若い軍人から茶封筒を受け取った。


「ご苦労」


 その固い声色に、いまの考えが間違いでないことを理解する。

 若い軍人は敬礼し、大声で「失礼します!」と叫んで帰って行った。



 セオによってゆっくりと扉が閉められ、その手はドアノブから離れていく。

 それを追うようにレイラが振り向くと、セオは茶封筒で顔を隠してレイラのすぐ後ろに立っていた。


「…………ごめん」

「は?」

「本当に悪かった」


 茶封筒で顔を隠されて表情が見えない。

 悪かったという謝罪は、なにに対してのものなのだろう──、と考えたところで、レイラははっと気づいて青くなった。


 肩書が、師団長。



 ──まさか、既婚者なのでは。



 その可能性は大いにある。

 セオの年齢を聞いてはいないが、おそらく自分よりは年上。

 しかも師団長となると地位も名誉も、おそらく金もある。結婚していてもおかしくない。


 なぜ今まで気付かなかったのだろう。一人暮らしなのに一軒家という時点で怪しむべきだった。


 おそらく、妻子は実家に帰っているかなにかして、いま家にはいないのだ。

 なぜなら夫がベイラーダに赴任しているから。終戦になり、セオが帰ってきたら一緒に住むのだろう。


 そうすると、今度は自分の肩書は「浮気女」になってしまう。交際の事実はないが、仲良く買い物まで行ってしまったし、ファレルたちの前で恋人だと言ってしまった。

 付き合っていると妻から勘違いされてもおかしくない。


 まさか、結婚相手に逃げられて慰謝料をもらった自分が、今度は浮気相手として慰謝料を払うことになろうとは。


 レイラはめまいがして大きくぐらつき、扉に背をもたれた。


「……なぜ言ってくれなかったの……」

「ごめん。言うタイミングがなくて」

「いつでも言えたでしょう、女は嫌いだなんて言っておきながら、騙していたのね」

「ん?」


「私の男運、最悪だわ。最悪。結婚相手に逃げられ、その次は気持ちを弄ばれるなんて。仲良くなれたと浮かれてた」

「待て待て待て」


 先を悲観して顔を手で覆ったレイラの肩にセオが触れる。だが、逃れるように身を捩った。


「レイラ、なにか誤解している」

「なにがよ、騙していたんでしょう。言っておくけど、奥さんから慰謝料請求されたら、私からあなたにも慰謝料請求するからね」

「はあ!?」


 慌てた様子のセオが、茶封筒を玄関の飾り棚に放り投げ、強くレイラの肩を掴んだ。

 その手から逃れようとするが、力強い手は放してくれない。


「勘違いしている。俺は既婚者じゃない」

「は、ええ?」

「既婚者じゃない」

「……じゃあなぜ謝罪を?」


 はああと大きくため息をついたセオは、疲れた表情をしていたものの、目を逸らさず釈明した。

 レイラは自分と同じ、琥珀色(アンバー)の瞳を見つめる。


「素性を明らかにしていなかったことの謝罪だ。素性を明らかにしたら、レイラからいままで通り接してもらえなくなるんじゃないかと思って、言えなかった。それだけだ」

「……本当に? 他に秘密にしていることは?」

「ない。俺はセオドア・マクアイバーといって第二師団長をしている。以上。他にはなにもない」


「……なんだ……」


 急に力が抜けて項垂れる。

 すると、肩を掴んでいた手が緩く背中に回された。頭にセオの顎が当たり、彼の表情が分からなくなる。


 抱きしめられて気付いた匂いはこの家の洗剤の香りとは少し違い、それがセオの匂いだと気付いて頭が痺れた。


「……頭の中で慰謝料の額を計算したわ」

「既婚者なわけないだろ、考えすぎだ。俺の気持ちには気付いていただろう」

「言ってくれないと分からない」


 催促するように服の裾を引っ張ると、緩く回されていた手が急に強くなった。

 息が止まるくらいぎゅうと抱きしめられる。



「好きだ、レイラ」



 欲しかった言葉が鼓膜を震わせ、強い腕の中でレイラは多幸感で気を失うかと思った。


 正直、このまま自分の人生のエンドロールが流れてもいい。

 だって、あの(・・)結婚式の祭壇で流れたエンドロールと比べると、いま、天国にいるようだ。

 それにあのときは助演女優だったけれど、こちらは主演女優。幸せだ。


 ただ、今、セオの顔が見られなかったのは残念。


 レイラは少しだけ顔を上げてセオを見ようとすると、それから逃れるようにセオはレイラの肩口に顔をぐりぐりと押し付ける。

 抱きしめる腕はさらに強まった。


「セオ、いまのもう一回」

「もう言わない」

「おねがい」

「いやだ」


 笑いながら、また服の裾を引いて催促するが、セオは答えてくれない。

 ふざけて笑いながら押し問答を続けていると、ふとセオが真面目な口調で目を合わせてきた。

 一瞬、空気が止まる。


「レイラ、俺が無事に北から帰ってこられたら──」

「わーーっ!! ストップ!!」


 レイラは慌ててセオの腕から抜け出し、その口を両手で塞いだ。

 真剣な話をしようとしていたのであろう。言いたいことは何となく察することは出来る。

 だが、最後まで言わせるわけにはいかない。


 セオは急に止められて、目を白黒させてから、不満げにレイラの手をどかした。


「な、んだよ」

「そういうことは言ってはダメ。もし無事に、なんて言ったら無事に帰ってこれなくなってしまいそうで心配になるじゃない」

「そうかな」

「そうよ」


 どかされた手をそのままセオの頬に滑らせ、撫でる。ほんの少しだけ、ちくちくした。

 続きを聞きたい気持ちもあるが、いまはいい。


「待っているから、帰ってきたら聞かせて」

「……分かった」

「私も好きよ、セオ」


 目の前の人にしか聞こえないくらいの小さな声で囁くと、セオは低く呻いて、また背に手を回してきた。

 そのままぐりぐりと首元に額をこすりつけてくるものだから、硬いアッシュの髪先があたってくすぐったい。

 レイラもくすくすと笑いながらセオの首に手を回した。


 もう恋なんて出来ないと思っていたけれど、セオに会えて良かった。

 彼は恥ずかしがり屋で少し不器用だけど、思いやりがあって優しい人だ。自分の過去を知っても腫れ物扱いするわけでもない。

 それに間違っていると思ったらきちんと謝ってくれるし、こちらの間違いも正してくれる。だからセオの前では正直でいられるのだ。



 レイラが幸せに浸っていると、セオの手がそっと背骨を撫でた。その刺激にびくりと肩が震える。

 それから着ているブラウスの裾から侵入を試みようとしていることに気付き、レイラはセオの首に回していた手を放して彼の腕を押さえた。


「ちょ、ちょっと」

「んん」

「ちょっと、夕食が!」

「んー」

「そ、そういうのは結婚するまで、だめ!」


 慌てたレイラの声に、不埒な指は思い出したようにぴたりと止まった。

 掠れた声で、「ああ、そうか」とセオが呟いたので、レイラはほっとして力を抜く。


「君が男か女か、確かめてやろうと思ったが……」


 初めに会ったときに謎かけしたことを覚えているのか。レイラは苦笑して体を離そうとしたが、それは許されなかった。

 セオは首元に埋まっていた顔をずらし、額に自身の額をすり寄せてくる。

 鼻もぶつかりそうな距離にまた体が固まる。


「……レイラ、キスは?」

「え?」

「経験が?」

「……ああ、なんだったら祭壇前で」


 間髪入れず、唸ったセオが噛みつくように唇を塞いできた。

 その反応が嬉しい。

 レイラはセオの腕にしがみ付いてまぶたを閉じた。



 落ち着いた頃には、せっかく作った料理はすっかり冷めてしまっていた。


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