11、叶うならばやり直しを
一人でも生活に問題ないとレイラに告げたセオだが、忙しくなって家が荒れた。
というのも一軒家に住むのは初めてで、狭い宿舎とは勝手が違った。食事は外で適当に済ませることも出来たが、他の家事は意外と手間がかかり、後回しになる。
出来ないことはないのだ。時間がない。
だがベイラーダへの出発まで残り一ヶ月ほどとなり、どうせ不在にするのだから家が荒れていてもいいかと思っていた。
そんな中、軍病院に行く用事が出来た。
ベイラーダでセオと共に襲撃された部下が動けるようになったので、見舞いに行くことにしたのだ。部下はセオよりも重傷だった。
以前自分が入院していた部屋とは異なる、大部屋に部下はいた。
大きな後遺症もなくもうすぐ退院できるというのでほっとする。
消毒薬臭い病室で部下と家族に見舞いの言葉をかけ、入院に関する軍への手続き書類を受け取って部屋を出ようとしたところだった。
入れ替わりでロレイユ軍医が病室に入ってきた。部下とは異なる、別の患者を診察に来たようだ。
セオは会釈だけして病室を出て、足を止めた。
レイラのことを聞きたい。元気かどうかだけでもいい。当然、彼女は元気にしているだろうが、近況を、少しでもいいから聞きたい。
きっと、もう聞けるチャンスはない。
だが、病室の前でロレイユ軍医を張り、出てきたところを捕まえて「レイラはどうだ」などと聞くのは恥ずかしい。それに切羽詰まっている感が出て嫌だ。
セオは近くにあるベンチに腰掛け、部下から受け取った書類に目を落とした。休憩しつつ、書類を確認している風を装って。
少ししてロレイユ軍医が病室の引き戸を開けて出てきた。こちらに向かってくる。
セオは出来るだけ不自然に見えないよう、ふと気付いたかのように顔を上げ、ロレイユ軍医へ声をかけた。
「ロレイユ軍医、どうも。彼はもうすぐ退院できるようで。ありがとう」
「ああ、師団長。若者は回復が早いですからね」
はは、と会釈したロレイユ軍医はそのまま立ち去ろうとしたので、結局セオはみっともないと思いながらもベンチから立ち上がって行く手を阻んだ。
「あの、レイラは」
「は?」
「お嬢さんは、元気か。あの、世話になったので」
一瞬、ロレイユ軍医はきょとんとしたが、すぐに頬を綻ばせた。
「ああ、元気ですよ。忙しくしています。新しい友達も出来たみたいで」
「新しい友達?」
「ええ。師団長はその後、身体の調子はいかがですか?」
「え、ああ。問題ない。」
新しい友達とはなんだろう。元の仕事に戻ると言っていたが。
詳細を聞きたいが、改めて問い返すのはおかしい。だが、この機を逃したらもうレイラとの接点は完全になくなる。
逡巡するセオに、ロレイユ軍医は疑問の顔を向ける。
──ええい、後悔するより、恥をかいた方がましだ。
セオは意を決して口を開いた。
「実は──」
♢
次週の平日の昼、セオはそわそわしていた。頻繁に窓の外に目をやる。
臨時家政婦が、来るのだ。
しばらく落ち着かずそわそわしていると、勢いのある自転車から降りた、タタッという足音が聞こえ、窓の外に見慣れたそれが停められた。
セオの胸が高鳴り、しかしそれを落ち着かせる間もなく、ドアベルが鳴らされる。
ずっと待っていたと思われないよう、セオはわざと時間を置き、深呼吸してから扉を開けた。
そこには、見慣れた彼女が立っていた。
「よく来たな、入れ」
彼女がなにか言う前に有無を言わさず中に招き入れる。俯いた彼女は一歩中に入った。
しかし、様子がおかしい。黙ったまま、神妙な顔をしているのだ。
「……?」
「……臨時家政婦で来ました。ロレイユと言います」
「レイラ?」
「短い間ですがよろしくお願いします。仕事内容を教えて頂けますか」
固い表情で初対面のようなことを言って頭を下げるレイラに、セオは困惑した。
絶対になにか文句を言われると思っていたのに。
忙しいのに、とか、なんでまた、とか。それに対する理由付けもきちんと考えていた。
急にこんな他人行儀で来られるとは。彼女は怒っているのだろうか。
「レイラ……」
不安になって恐る恐る彼女の顔を覗き込むと、レイラは意地の悪い顔でにやにやとセオを見つめ返してきた。
それを見て、一気に肩の力が抜ける。
「……レイラ、その気持ち悪い振る舞いはやめろ。以前と同じでいい」
「今度は同僚じゃありませんから。従業員として、なんとお呼びすればいいですか? セオさん? 旦那様? それともご主人様?」
「ふざけているだろ、やめろ」
くすくすと笑いだしたレイラを見て、セオもほっとして笑った。
「一人での生活でも大丈夫だと言っていなかったかしら?」
「非常に、本当に忙しくて家のことまで手が回らなかったんだ」
「その割には綺麗だけど」
レイラは玄関とそこから続く部屋までぐるりと見回した。
確かに、間違いなく汚かったのだ。今朝までは。
しかし、レイラが来るとなったらなんだか落ち着かず、セオは早起きしてしまい目につくところを片付けて回った。
結果、その言い訳は非常に言い訳らしくなってしまった。
「今朝はたまたま……、俺はもう出なければならない。後は頼む。空いた時間は好きに過ごしていいから」
「セオ、もしかして私に会いたかっただけなんじゃないの?」
扉へ向かおうとして背中にかけられた言葉に一瞬ぎくりとして固まった。しかし返事はせず、一つ舌打ちをしてそのまま外に出た。
後ろから、レイラがふふふと笑う声が聞こえる。どうやら今の自分の反応で、すべて正確に分かってしまったらしい。
今日は早く帰ってきたいと、職場に向かうセオは仕事の段取りを頭の中で考え始めた。
♢
「ああ、新しい友達というのは学校の友達」
「それでか」
勢いよく仕事を片付け、終わりそうにないものは明日に回したセオは、夕方にはさっさと帰った。仕事に行っている間に、レイラは一階を一通り掃除してくれたようだ。
レイラは週に数回、診療所の仕事へ行き、夜間学校へ通っているという。
セオは病院で会ったロレイユ軍医に、レイラにまた臨時家政婦として来てもらえないかと懇願したのだ。
結果、ベイラーダに発つまでの三週間、週に二回来ることになった。診療所の仕事のない日の朝から昼までと、夜間学校のない日の昼から夜までだ。
そのため、週に二回、朝か夜に会える。
ロレイユ軍医からは他のきちんとした家政婦を雇った方が良いのでは、と勧められたが、勝手知ったるレイラが良いと強く主張した。
訳知り顔で「ははあ」と言われたので、本当の理由にも気付いてしまったかもしれないが仕方ない。
「ねえ、今日自転車で帰ってきたけど、前からそうだったの?」
「ああ、車を買おうと思ってまだ買っていなくて。でもレイラが自転車に乗っているのを見たらいいなと思って自転車通勤しているんだ」
「自転車通勤している軍人なんて、いる!?」
「多分俺以外、いない」
そうでしょう、と言ったレイラと目を合わせて、声を上げて笑った。
レイラに触発されて自転車を買ったのは本当だ。
軍部まで距離はあるが、行けないことはない。体力を戻すためにもちょうど良かった。
ただ、部下たちからはぎょっとされた。
それから会わなかった間、何をしていたか話し、食事を終えた。片付けを手伝い、自転車で帰るレイラを送る。以前と同じだ。
セオはようやく本来の生活に戻ったような、しっくりした気分になっていた。
以前よりも頻度は大幅に減少したが、セオは目論見通りにレイラに会えるようになった。
週に二回、掃除と洗濯、食事を少し作り置きしてもらう。特に依頼したわけではないが、レイラが朝から来るときは朝食、昼から来るときは夕食をともにするようになった。
あたかも、それが普通のように。
今度は雇用主と家政婦という関係だが、お互い、これがその関係性だけではないことに気付いている。
決定的な会話をしたわけではないが、少なくとも同僚以上。恋人ではないが、それが可能かどうかを探り合っている状況だ。
セオはぬるま湯につかっているようなこの状況に安心していた。さすがにもう、彼女を好きではない、とは言えない。
レイラにも嫌われていないようだし、ベイラーダに行き、帰ってきても待っていてくれるような気がするのだ。
ただ、そのためには素性を明かし、決定的な会話を交わす必要があるのだろうか。そこだけが懸念だった。
こんな軽口を言い合える関係性で、今更どのように愛を囁けと言うのだ。恥ずかしい。
強く拒否されることはないだろうが、初めによほど自分に興味を持つなと牽制した後で、自分から愛を告げるなど、気まずいというか、滑稽だ。
当面、このふわふわした状況を楽しもうと、セオは今後のことを頭の隅に追いやった。




