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”ない”といわれたプリンシプルを求めて  作者: てん
21年7月〜10月
154/677

不適切なのは言葉ではなく思考の方ではないか?

色々物議は醸している話題について。まぁこれまでにも似たような事はあった訳で、アッシ自身の理解を深める為にこの話題に踏み込んでみる。


著名人が以前に発言した内容が物議を醸しているわけだが、不適切なのは言葉ではなく思考の方ではないか?とアッシは思っている。

物議のネタにされるのはいつも"言葉"で、どういう意図でその言葉が使われたのかという"思考"については追求されない。その"言葉"を使うのだからこういう"思考"を持っていると断定され、弁明しても追求しない人達からそういう思考の持ち主だとレッテルを貼っているように感じる。


問題なのは"思考"の方だとわかっているのに、"言葉"に対して反応する。言葉と思考につながりがある事はわかるが、そこにはその"思考"がないから使われるパターンってのは含まれない。

そういう"思考"がないからその"言葉"が使われる事はあるのだが、その"言葉"が問題だ!と言う人にしてみれば、何も知らずにその"言葉"を使う事もまた問題なのである。何でそれを知らないんだ!という事なのだろう。

だから、"思考"があろうが無かろうが、その"言葉"に対して反応しているのだろうと推測する。


アッシの考える理想は、"言葉"に対して批判するのではなく、何故その"言葉"を使ったのかを確認し、その"言葉"につながる"思考"の何が問題なのかを説明した方が良いと思う。それは大変な苦労が伴う事だが、教えるという事はそういう事ではないのだろうか?

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