第9話
おじさんに起こされて馬車から出ると、そこは街だった。
私の気分は晴れやかだ。
呻き声をあげてキラキラしたものまみれになっているマイカちゃんは知らないけど。
ここは港町、だけど海が近いわけではない。水の都、アクエリア。
水の都と呼ばれる所以は、大きな湖から水を引いてきて、あらゆる場所に
噴水が設置されているところにある。
とにかく景観が素晴らしい。
私達の街は滝という自然の迫力を感じさせる街だったけど、
ここはもっと洗練されているというか、上品な印象を受ける。
街を救うなんてけったいな用事さえなければ数日滞在してのんびりしたいところだ。
「ねぇ、大丈夫?」
「大丈夫なら吐いてないわよ」
「それね」
「むっかつく……!」
私は掃除を済ませておじさんにめちゃくちゃ平謝りしてチップを渡すと、
マイカちゃんを背負ってまず宿を目指した。
マイカちゃんは小柄だけど、脱力した体は想像していた以上に重たい。
いくつかの噴水を通り過ぎて、やっとそれっぽい店を見つけると中に入る。
気のよさそうなご夫婦が経営している民宿は、向かいのホテルよりもずっと庶民的だ。
あと、外に出てた料金表によるとかなり格安。
手続きを済ませてマイカちゃんをベッドに寝かせる。
時計を見ると、朝の八時だった。
私も一緒に仮眠を取ろうか迷ったんだけど、とにかく時間が惜しい。
早いところならお店も開いている頃だろうし。
「マイカちゃん、私、ちょっと行くところがあるから」
「……私も行く」
「はぁ!? なんでそうなるの!? そんなふらふらの状態で来られても迷惑なんだけど!?」
「私を寝かせてる間に素材を取りに行くかもしれないでしょ、絶対ついてく」
「もう……そんなことしないよ。私の目的地は、この湖の向こうだから」
そう言って彼女を安心させようとしたら、逆に不安を煽ってしまったらしい。
マイカちゃんはほんの少しだけ復活してきたように見えた顔色をまた悪くさせて言った。
「な……湖の、向こう……? ラン、どこに行こうとしてるの……?」
「今は言えない。でも、ここまで来たら付いて来てもらうからね。覚悟して。
あと、そのためにもゆっくり休んで」
私は彼女の肩にそっと触れて押し倒すと、すぐに振り返る。
宿屋を出て外に出てみると、日差しが一段と強くなっていた。
太陽に目を細めながら、今日やらなければいけないことを考える。食料の調達とかそういうの。
湖を渡る船のチケットを手に入れるのはその中でも最重要事項だ。
後回しにして出発が一週間後とかになったら悲惨過ぎる。
私は船着き場を目指しながら、今後の予定について考えることにした。
インフェルロックではじりじりとした暑さが私たちを追いつめたけど、
ここではその暑さが嘘のようだった。
同じ大陸でこうも体感温度が違うのは、空気中を漂う噴水のミストのお陰だと思う。
まだ早い時間だが、人通りは結構多い。
街が活気づく午後になると、観光客でさらに賑わうのだろう。
率直に言って、いい街だと思った。
船着き場に到着すると、看板に従ってチケット売り場へと歩く。
海にしか見えないけど、これは全て湖らしい。にわかには信じ難い光景だった。
視界いっぱいに広がる青に圧倒されながら並ぶ行列は、全く苦にならなかった。
「できるだけ早い便に乗りたいんですけど、いつになりますか?」
「それなら今夜、深夜の便になりますね」
なんと今日中とは。
マイカちゃんと休ませるためとはいえ、宿を取ってしまったので、
明日の朝とかを想定していたんだけど……。
「陽が出ている間の便は景色が綺麗なので人気なんですよ」
「なるほど……わかりました、じゃあ今日の深夜の便を2枚下さい」
「ありがとうございます。2600チリーンになります」
私はチケットと引き換えに会計を済ませると、船着き場を離れた。
湖を横断するだけなので、行き先は一つしかない。
対岸にある、ピコという町だ。
チケットを見ると、アクエリア→ピコ、と書かれている。
実を言うと、私もピコには行ったことがない。
というより、この湖よりも向こう側の景色を知らないのだ。
「あっちについたら、柱も大分近いはず。まずは情報収集して、近くにある村とか
そういうのを確認しておかないと」
そんな独り言を言ってから、はたと気付いた。
あれ……そうか……私、黒い柱の場所もそうだけど、もっと重要なことを見落としてた……。
とりあえず柱の根っこに着けば何とかなるって思ってたけど、あんな柱、
魔法の類が関わっているに決まってる。
となれば、つまりはあの柱の出現は「とある伝説が現実になったとき」とか、
そういう特殊な条件がある筈だ。
それを解除しなければ、あの柱は消えない可能性が高い。
つまり、私に求められるのは、柱の具現化を解除するための情報収集をしつつ、
可及的速やかに最短距離であの黒い柱を目指すこと。
なんだか勇者がしてきた旅よりも難易度が高い気がする。
「いいや、くじけちゃだめだ」
私の腕に、あの街の人々全員の命が、いや、これまで積み重ねてきた営み全てがかかってるんだ。
あのイケメン勇者が自分の国で何を背負わされてきたのかは知らないけど、負けるわけにはいかない。
とにかく、情報を集めよう。
弱りかけた心を叱咤するように強く踏み出す。
私はこの街の図書館へと向かった。
中央の大噴水のすぐ横にあるそれは、マイカちゃんを運ぶ途中に見かけたので、
迷うことなく辿りつけた。
道行く人に話しかけてもよかったんだけど、せっかく情報をまとめている施設があるなら、
そちらを利用するのが定石だろう。
図書館の入館許可を申し出たけど、貸し出しさえしなければ、ここにある書物は
よそ者でも好きに閲覧出来るらしい。随分と気前が良い。
私は助かるけど、不届き者に盗まれたりしないんだろうかと、ちょっと心配になってしまった。
館内は圧巻だった。
地面から天井まで、壁のような本棚が通路を作り、その全ての棚に書物が押し込められている。
高いところにある本については、職員にお願いして取ってもらうんだとか。
背表紙を見て選びたいときはどうするんだろう。あの梯子自分で登っちゃっていいのかな。
そんな疑問が頭を過ったけど、とりあえず私には縁のないものだ。
なぜならば、私は街の中に配られた過去の新聞をチェックすると決めていたからだ。
もちろん、封印に関する書物が置いてないかは気になるけど、
職員に話しかけることはないだろう。少しでも目立つことはしたくない。
黒い柱を消すことに成功すれば、勇者達は血眼で原因を探ろうとするだろうから。
首からゴーグルをぶら下げた長身の女が柱の伝説について調べていた、なんて証言をされたら困る。
「あったあった」
黒い柱が現れた時の記事を見つける。
当然だけど一面のトップニュースだ。
これで全ての柱が揃ったというようなことが書かれている。
きっとこんな風に、世界中の紙面で一面を飾った出来事だったんだろう。
何枚もの新聞を読んで、関連記事を探す。
あの柱の麓にはオニキスニエという村があって、そこの住民の協力により柱の封印が解かれたようだ。
あと、すごく不穏というか、胸くそ悪い話なんだけど、巫女の子が犠牲になった
なんて書いてある記事もある。真偽の程は分からない。だけど……。
【終末の巫女と呼ばれる生贄を捧げて、その生命力を元にあの柱は輝いているらしい】、
そんな記事を見つけてしまって、私は怒りに震えていた。
「許せない……特に害を及ぼさない魔王を倒す為に、何の罪もない女の子を生贄にまでして……」
私は図書館を出ると、宿屋に直行すべく足を踏み鳴らした。
ずんずんと歩く様子はここに来る時と変わらないけど、気持ち的にはまるで違う。
私は、怒っているんだ。
この馬鹿げた世界に。