第83話
私は馬車から飛び出した。鎧なんて装備してない。
これまでと同じ、動きやすさを重視した軽装だ。
私の名前を呼ぶマイカちゃんの声だけが渓谷に響き渡る。
声に反応したのか、それとも私の気配に気付いたのか。
一人、また一人と顔を上げて私を見た。
「なんだ、てめぇ。殺されに来たのか」
「ま、女なら殺さずとも、な? へへ」
「よく見るといい女じゃねぇか」
「退けて」
近付いてきたのが丸腰の女だと分かると、それまで親分とやらの心配をしていた
賊達が、下衆な視線をこちらに送ってきた。
この人達、少し前に魔法でギタギタにされたってのに、よく丸腰だからって油断できるな……。
私は男が落ちた穴を覗き込む。
思っていた以上に深い。
え、生きてるの? これ。
ほとんど姿が見えないんだけど。
断続的にうめき声が聞こえるから、とりあえず意識はあるっぽい。
正直、男よりも乗ってた馬の方が心配だ。
頭の中で大地の精霊に呼び掛ける。
男を傷付けないように穴から救い出して欲しい、と。
そうして近くに手を付くと、ゴゴゴゴと地鳴りのような音が響いて、何が起きているのか
分かっていない、つまりその場に居た私以外の人間全員が動揺している。
近くに居た子分の一人が穴を覗き込んで叫んだ。
「おい! 掘った穴がせり上がってくるぞ!」
「何!?」
「お前、まさか親分を助けようとしてんのか!?」
色んな声を掛けられるけど、私はその全てを無視する。
そんなの見たら分かることだし、今は精霊に呼び掛けるので忙しい。
できるだけゆっくり地面を動かしてって。
あんまり早いと怪我をした二人に負担が掛かるだろうし、
もったいつけるようにした方が周りに人が集まってくる。
落ちた男と馬の姿が見えると、数人の子分達が彼に駆け寄った。
大体の者は驚いて私と男を交互に見ている。
私に助けられた男は隻眼のヒゲ面で、顔や身体がゴツゴツしていて、如何にも山賊という風貌だった。
男は子分達に支えられながら、横たえていた身体を座るように起こして、
一つしかない目で私をすっと見上げる。
「……どういうつもりだ」
「んー。自分の為、かな」
「……?」
「あなたはどうしたい? まだ私達を襲うつもり?」
私の狙いはこいつを助けて恩を売って、あわよくば向こうの戦意を喪失させることだ。
戦わなくて済むならそれが一番だから。
荷物を届けたあとのことを考えても、ただ逃げるよりもこうする方がマシだと思う。
追いかけ回して見つけた相手よりも、一度助けられて手を引いた相手の方が
再度襲撃を受ける可能性は低いだろうから。
それともう一つ、彼を助けたのには理由がある。
これは気持ちの問題というか、作戦でもなんでもないことなんだけど。
「襲うと言ったら?」
男はニヤリと笑ってしゃがれた声でそう言った。
彼の意思を汲んだ子分達が武器を構え直して私に向き直る。
「そっか。残念だね」
私は氷の短剣を抜いて呟いた。
本当に残念だ。
だけど、容赦はしない。
いや、しなくてよくなった。
命を助けたと言っても過言ではないのに、その恩を仇で返されたら。
流石の私も躊躇う理由を失くす。
そう、これはもう一つの理由。
向こうが手を緩めなかった時、心置きなく殺す為の理由を作ること。
氷の刃は私の呼び掛けに応えて刀身を伸ばす。
一気に伸びた刃は私の身の丈以上ある。なのに不思議と重くない。
でも手が痺れてる。神経がイカれたと言えば近いかも、デタラメな感覚を脳に送ってるみたいだ。
なんでこんなことになってるのか、ホントは分かってる。
私は、これでもかってくらい緊張してる。
氷の刃を握ってるくせに手汗が止まんない。
ここまで自らにお膳立てしても、やっぱり人を殺す事に抵抗があるんだ。
でも、やらなきゃ。
私の動向を見守っていた賊達は何故か攻撃を仕掛けて来ない。
おそらく、あそこに座っている男の指示を待っているのだろう。
やれと言われたら奴らは一斉に動く。
向こうが間合いを縮めて来なくても、こいつらは既に私の間合いに入っている。
待つ必要なんかない。
私は深く息を吐いて、吐いた分だけ吸って、氷の短剣を両手で強く握った。
ここにいる男達の腰辺りを切断するつもりで辺りをさっと見渡し、右足を踏み込む。
その時だった。
「なんてな」
「……は?」
「お手上げだ。あんな魔法は見たことがねぇ。お前、相当な魔導師なんだろ」
魔導師じゃなくて剣士、っていうか元は鍛冶屋なんだけど。
この場でそれを訂正しても意味がない気がしたので、とりあえず私は
氷で覆われた刃を消して、剣を鞘に戻した。
「……もう私達を襲わないって解釈で平気なんだよね?」
「はっ。俺の気が変わる前にどこにでも行っちまえ。おいてめぇら! 道を開けろ!」
どうやら本当に襲ってくるつもりはないようだ。
各々が武器を収めて道を開けると、子分の一人が私達から見て左側の獣道を指差した。
おそらくは落とし穴が無い道を指してくれているのだろう。
私は振り返ってルークを見る。
彼女はゆっくりと馬車を歩かせて私の方へと向かっているところだった。
「急いでるから遠回りするつもりはないんだ。気持ちだけ受け取っとくよ」
彼女は手綱を握ったまま、その子分にお礼だけを言う。
私はルークの隣に座って、着席と同時に後ろからマイカちゃんに殴られる。
「ばか! 何やってんのよ!」
「いっ……小手つけたまま殴らないでよ……でも、上手くいったんだし、いいでしょ?」
「そういう問題じゃ」
「二人とも、痴話喧嘩はあと。急ぐよ!」
ルークは立ち尽くす山賊達をギリギリのところで交わしながら、
教えられた迂回ルートじゃなくて、落とし穴だらけの道に馬車を走らせた。
「あいつ! 安全なルート覚えてたってのかよ!」
「おい! 轢かれるぞ! 躱せ!」
そうして落とし穴地帯を抜けた馬車は、再び目的地へと向けて走り始めた。