第4話
長老の家から戻った私は、支度をして中央の広場へと向かうと、すぐに作業に取り掛かった。
そうしてたった今、台座の周辺を適当な木材で囲ったところだ。
木組みの土台のように見えるけど、私にそんな匠の技は無い。
なんとか作れたのは、台座をすっぽり覆って、中で人一人が作業できるくらいの空間だ。
非常に簡易的なものだった。
でもそれでいい、祭りの日まで倒れずにここを守ってくれればそれで。
木材の上から大きくて厚手の布をかけて周囲を覆う。
これで私が剣に何をしているのかを知る者はいなくなった。
なんか野営試着室作ってるみたいな気分になってきたけど、
やろうとしてることを考えるとあながち間違いではないのかもしれない。
中を覗いちゃダメだよ的な意味で。
外には土台修復中という張り紙をして、人避けも完璧だ。
祭りがあることは周知の事実だし、これを不自然に思う人はいないだろう。
「えーと……え、不気味なくらい綺麗じゃん」
修復などするつもりがない、というかそんな作業ができる技術なんてないんだけど。
この街で生まれ育ったというのに初めてここに立った私は、異質な光景に戦慄していた。
ピカピカの台座、真ん中に突き刺さる古ぼけた剣。
異様な空気を放っているそれは、明らかに魔法の類でコーティングされている。
なんとなく、この剣が引き抜かれれば街が崩壊するというあの会話を
裏付けているような気がして、ぞわっと鳥肌が立った。
魔法で保護されているのならば、これから私がしようとすることなんて、
全く意味を成さないのかもしれない。
そんな可能性に気付きながらも、手は持ち込んだリュックを開いて作業の準備を始める。
立ち止まる訳にはいかないんだ。
「えーと、これと砂と砂利と水を混ぜるんだよね」
かなり昔の話だけど、建築屋のルディさんから分けてもらったある物を持ち込んでいた。
それはコンクリートの材料だ。
ハンマーのパーツの修復に分けてもらったんだけど、結局マチスさんに泣きついて使わなかった材料。
これというのはセメント。
それらを混ぜ合わせて、出来上がったもので剣の周りを囲っていく。
うん、わかってる。私、今すごい罰当たりなことしてるって。
剣と台座を繋ぐようにこってりとコンクリートを盛る。
これ、街の人にバレたら本当に怒られるな。
そんなことを考えながら、次に取り出したのは、ソメイヤの樹の樹液。
簡単に言うと潤滑剤だ。槍の先端や剣の柄の嵌め込み作業によく使う。
これは本当に滑る。それを剣の持ち手に入念に塗り込んでいく。
私ははめ込んだ武具のパーツを横から杭で打ったりして固定するから、
その効果を体験したことはほとんどないんだけど、とにかく頑固な樹液だ。
一度だけ、作業場の中でつるっと滑ったことがある。
数週間前に溢したそれが悪さをしたようだと気付いたのは、しばらく経ってからだ。
こいつならきっと。私は期待を込めながら、ありったけのソメイヤの樹液を使った。
そうして荷物をまとめると、立ち上がる。
振り返って、無残な姿になった伝説の剣とやらを見やると、布を潜って外に出た。
今やったのは、私が間に合わなかったときの時間稼ぎだ。
意味があるかどうかはわからないけど。
やれるだけのことはやった。
私が向かうのは家ではない。家にはしばらく戻らないつもりだ。
店のドアには臨時休業の張り紙をしてきた。
そう、私はこれから、光の柱に向かう。一番近い黒い柱へ。
そのためにはインフェルロックを越える必要がある。
ドラゴン騎士団に協力してもらえれば早いんだけど、この旅は極秘じゃなければいけないのだ。
何故ならば、魔王消滅を願う街の人も少なくない。
私が勇者の邪魔をしようとしてると知ったら、きっとほとんどの人がいい顔をしないだろう。
それに、剣が引き抜かれた瞬間、この街が滅ぶなんて話をみんなが信じてくれるとは思えない。
とりあえず、台座はあんな状態だから、無理に剣を引き抜こうとする輩はいないはずだ。
わかりやすい形で立ち入りにくくした大きな理由がこれ。
勇者達が予定を早めて剣を引き抜かないように。
関係ない者が私の細工に気付かないように。
付け焼き刃だけど、何もしないよりマシだと思った。
街の入口、ワープフロアがある祠の近くで声をかけられて振り返ると、
そこには例の勇者一行が居た。
嫌悪感を顔に出さないように、私は努めて明るく振る舞う。
「ランさんは鍛冶屋なんだね」
「えぇ。どうしたんですか?」
「武具の祝福付与について、かなり造形が深いんだとか」
「それが何か?」
細心の注意を払って、好意的な態度を取る。
嫌なお客さんはたまにいるけど、そんな彼らに笑顔を振りまくよりもずっと難しかった。
何せ目の前の男達は、世界の平和という大義名分の為に、
私達を街もろとも殺そうとしているのだから。
「僕の仲間の装備も見てやってほしいと思ってね」
「もちろん、お安い御用ですよ。ただ、これから材料の調達があるんです。
数日中には戻りますので、お待ちいただけますか?」
「そうか。わかったよ。じゃあお祭りの最中になるかな?」
「そうかもしれませんね。もちろん、私もお祭りは楽しみにしてますし、
それまでには戻ってきたいのですが」
柔らかく微笑んで、いま自分が浮かべているであろう笑顔にセルフで満点をつけてみる。
それでは、そう言って私は祠へと向き直す。
「手伝おうか? 材料の調達」
「お気持ちは有り難いのですが、合金の材料は代々企業秘密なので……」
勇者達の申し出を嫌味なく断ってまた笑う。
そう言われれば食い下がることもできなかったんだろう。
彼は気を付けて、とだけ言って私を見送った。
少し歩いて祠に入ると、私は大きく息を吐き出した。
「はあーーーーーーーーー……」
あっっっっっっっぶねーーーー……これから黒の柱のどうにかしに行くっていうのに、
付いてきていいわけないじゃーーーん……。
そんなの「やめなさい!」って怒られるに決まってるし……。
っていうかいま気付いたけど、わざわざ柱の封印をどうにかしなくても、
勇者を闇討ちして亡き者にすればよいのでは……?
いや、ダメだな。発想が危険過ぎる。
私は鍛冶屋であってアサシンじゃないし。
失敗する可能性が99%以上だし、失敗したら多分、彼らが真の勇者だと
知る者全員にタコ殴りにされる。
祠の魔法陣の上に立つと、次の瞬間にはグレーテストフォールの麓、
インフェルロックの小さな祠に居た。
転送陣に乗ったとき特有の浮遊感に、心臓がひゅっとしてる。
だけど立ち止まってはいられない。
ここから、私の旅が始まるんだ。
腰の後ろでクロスするように携えた双剣の柄に触れると、私は祠の出口に向かって歩き始めた。
これは父が作ってくれた武器に、私が自分で祝福を付与したもの。
初めての祝福で対極に位置する自然界の女神を呼び出したとして、
実は私はその筋に有名だったりする。
その筋というのは、召喚士や魔術師といった、鍛冶とは全然関係のない人達ね。
精霊をすっ飛ばして女神を呼び出したことも、さらにそれが複数だったことも、
さらにさらに同時に呼び出し得ないと言われていた対になる属性だったことも。
とにかくとんでもないイレギュラーらしい。
だけど、私は誰が何と言おうと鍛冶屋の跡継ぎだし、ということで
色んなスカウトを払いのけて自分の道を進んでいる。
わざわざこんな辺鄙な街に王国魔術師のスカウトが来た時はちょっとびっくりしたけど。
とにかく、父は私の為にこの双剣を作ってくれたわけだけど、
本当に実践的にこれを使う日がくるとは思っていなかった。
モンスターと戦う予定なんてなかったし。
子供の好むものは分からないと、プレゼントの類は食べ物以外ほとんどされた
記憶がない私にとって、この双剣は特別な父の形見だったりする。
もう後戻りはできない。
っていうか伝説の剣に洒落にならないイタズラのような嫌がらせをした時点で、
大分後戻りはできない状態なんだけど。
街を後にしたからには、本当にもう前に進むしかない。
祠を出ると、そこはいきなり崖だった。
以前、外に出たときは岩を切り出したような階段になっていた筈なのに。
「帰ろうかな……」
眼下に広がる光景を見て、いきなり決意が鈍ったのは、まぁご愛嬌ということで……。