第126話
外に出た私達は、街から出る前にマッシュ公国で買った地図を広げた。
位置によっては食料なんかを改めて調達する必要があると思ったからだ。
沼地らしき場所はすぐに見つかった。
「そんなに遠くなさそうだね」
「早速行きましょ」
あっさりと直行することを決めると、門まで歩いて行く。
辿り着くと、係の人に改めて御礼を言われた。
騒ぎになると面倒だから、念のため人目のないところまで移動して、
マイカちゃんの肩に乗っていたクーに話しかけた。
「クー、乗せていって欲しいところがあるんだけど、お願いしていいかな?」
「クー!」
クーは待ってましたと言わんばかりにマイカちゃんの肩から地上に降り立つ。
目をぎゅっと瞑って背を丸めると、すぐに体がぐんぐんと大きくなる。
私達二人を乗せるサイズを覚えてくれたらしい。
早速クーの背中に乗り込むと、クーと共に大きくなった鐙に足を乗せる。
続いてマイカちゃんが飛び乗って、私の腰に抱きつくと、クーは翼を広げた。
道中で思わぬ敵に遭遇することも想定していたけど、周辺にガーゴイルの姿は無い。
沼地まであまり距離は無いし、戦闘することなく目的地に辿り着けそうだ。
空をのんびり散歩していると錯覚しそうになるくらい順調だった。
眼下に沼地を捉えると、私は後ろを向いて声を掛けた。
「あぁ、あの辺だよ」
「待って! 何かいるわ。あっちに降りましょう」
言われてからその姿を探したけど、私には何も見えなかった。
何かが横切ったのか、それとも私の視力では捉えられない何かが居たのか。
どちらかは分からないけど、マイカちゃんがそう言うなら用心することにしよう。
向こうにこちらを見られてたらあんまり意味はないけど、私はクーに
少し離れたところに降りるように伝えた。
クーは静かに降り立つと、すぐに体を小さくして、今度は私の肩に飛び乗ってくれた。
木の陰からゆっくりと沼地を覗くと、奥に洞穴のようなものが見える。
事前情報のせいか、怪しさ満点だ。
「ラン、あっちから行きましょう」
「分かった」
洞穴の中から何かがこちらを見ていたとしても見えにくいルートを探して、
遠回りしながら近付いていく。
拍子抜けすることに、何もいなかったけど。
マイカちゃんが見たという何も、周囲にはいないようだった。
「……どうする?」
「ちょっと待って。……今の、ランにも聞こえた?」
「う、うん」
微かにだけど、はっきりと聞こえた。呻き声のようなものが。
人間のそれとは思えない、だけどドボルとも明らかに違う。
もっとおぞましい、ドボルもおぞましいんだけど、それよりもさらにヤバい声が。
入り口が人一人通れるくらいの小さな洞穴に乗り込む勇気はなかなか出ない。
穴の中は当然ながら真っ暗で、奥がどうなっているのかも全く見えない有様だ。
この狭さがずっと続くなら、闇雲に剣や拳を振るうことすら難しいだろう。
どうしようかと考えていると、可愛い声が短く響いた。
「クッ!」
声のした方に視線を向けると、クーが胸をとんと叩いていた。
そっと地面に降りると、少し大きくなって私達と同じくらいの背丈になった。
この半端なサイズでストップするのは初めて見たけど、これはこれですごく可愛い。
クーは鼻先で私が背負っていた荷物を突っつくと、今度は口を開けてその中を指差した。
何かを食べたがっているようだ。
いくつかの木の実を一個ずつ見せると、真っ赤な実を見て頷いた。
これは、火吹き餌だ。
クーが香りを気に入っていたのと、食べさせると火が吹けるようになると言われて
多めに買ったから覚えている。
買ってあげてからは、おやつとしてたまに食べさせていた。
身体が大きくなったので、五粒ほど手に取って口に入れてやる。
いつもは一個ずつ与えてたから、これでも大盤振る舞いだ。
ぽりぽり言わせたあとで、クーは得意げな顔をする。
「……もしかして、火、吹けるの?」
「ク〜!」
外が暗くなる前に決めてしまいたい。
そう思っていたこともクーには伝わっているのだろうか。
クーは私達を背に乗せる時と同じくらいか、それよりももう少しだけ巨大化してから、
体を大きく反らせた。
息を吸い込んでいるようだ。
口の端から既に火が見える。この間とは全然違う。
火吹き餌の効果、こんななんだ……。
いつか火が吹けるようになったらいいなぁと思ってたから、こんなに即効性があるとは思わなかった。
「グゥオォォォォ!」
口から発せられる炎の渦が穴蔵の中に充満していく。
中からは、何重にもなって気持ちの悪い声が聞こえてくる。
やっぱり中に人外の何かが居たんだ……気持ち悪……。
「ラン、クーが足止めしてくれたわ。地面だか土の精霊に呼び掛けて、
こいつらを生き埋めにすることはできない?」
「めちゃくちゃエグいこと考えるね」
「苦しめて殺してやるつもりはないけどね。今回ばかりは触らなくて済むならそっちの方がいいわ」
「うん、わかるよ。クー、ありがとう。危ないから、小さくなってマイカちゃんと一緒に待っててね」
クーは短く鳴いて頷いた。
――精霊さん、この穴を埋めちゃって。中になんかいるっぽいけど無視していいから。
あいあいさー! という陽気な声が頭の中に響いた直後、洞穴から地鳴りがした。
もうあの気持ち悪い声は聞こえない。
念の為、穴に顔を近付けて少し待つ。やっぱり何も聞こえない。
少し離してほっと一息つくと、ようやくマイカちゃんが呟いた。
「ここまでやればいいでしょ」
「だよね」
踵を返して数歩を歩くと、すごい音がして振り返った。
土煙が晴れると、そこには大きな目玉に毛が生えているようなビジュアルの、
とにかく気持ち悪い何かがいた。