ウアルス
プロローグ
人は、その力に気づかずに生きていた。
人は、その力を知らぬまに使用して生きていた。
その力は、誰もが平等に持っていた。
人は、その力に気づかないまま死んでいった。
人は、その力を知らぬまま使用せずに死んでいった。
だからこそ人は、歪な平等で対等な共同体であった。
しかし、人はその力の存在に気づき始めてしまった。
歪な平等で対等な共同体は、その日を持って終わりを告げた。
新しい世界で、人は経験したことのない「不平等さと優越感」を味わっていた。
一章 教会の牢屋
郊外から離れた山中。朽ちて廃墟になった教会の地下に、人身売買のオークション会場はあった。
教会には、さらわれた子共、売られた子共、捨てられた子共、どこからともなく子供達が集められた。オークションにかけられる子供達は、高い所に小窓が1つあるだけの薄暗くジメジメとした、だだっ広い牢屋に入れられる。
一定数集まればオークションが始まり、買い手がついた子供たちは、またどこかに連れていかれる。
僕は、そんな光景をどれほど見てきただろう。
僕は、いつも売れ残りと言われ続けている。僕を見て買い手たちは、口々に言う。「こんなチビで、痩せ細ったガキ使いものになるか!他にいないのか、強くて丈夫そうな奴は!」
そして僕は、毎回だだっ広い牢屋に一人残される。
オークションのオーナーと言われる、いたるところに豪華な装飾品を身に付けた気の強そうな老婆が来て言っていた。次のオークションで売れ残ったら売れる臓器を抜いて殺すこと。
それを聞いた数日間は、殺される最悪のイメージで頭が一杯になり、震えが止まらなく眠ることもできなかった。
ある日、牢屋の小窓からさす日差しを浴びて、閉じた目を開いた時のこと。だだっ広い牢屋の中に、ぽつんと一人いる僕の存在に気がついて、思い出した。
僕が、血のつながった親に捨てられた、忌み嫌われた存在であったことを。
以来、震えは一度も起らなくなった。
半年後、牢屋の中には僕を合わせて10人以上の幼い子供達がいた。夜とゆうこともあり、だだっ広い牢屋は薄暗くなっていた。
子供たちの中には、食料を奪い合うやつ、泣き続けるやつ、そそうをするやつ、うずくまって動かないやつ、とやりたい放題。
牢屋は獣の飼育小屋、同然とかした。
明日明後日には、オークションが始まる。そう思いなが、何度も目の当たりにした騒がしい子供達の光景を、牢屋の隅で眺めている。
すると、激しい音と振動が牢屋に響いてきた。
ダダダダダダダダダダダダダダ‼‼‼‼‼
その一瞬、牢屋は得体のしれない恐怖に包まれ、獣の飼育小屋は静まり返った。
「ニーナ‼ニーナ‼」
声が聞こえてくる。必死で誰かを探す呼び声が、牢屋のある通路全体に響いていた。徐々に声は近づいて行き、牢屋の前で声は止まった。
牢屋の前に止まったのは、女性独特の曲線的な体した、黒い全身スーツに黒いフルフェイスマスクをした人だった。
数人の子共は、その姿に驚き、恐怖を感じたのか泣き始める。
「ごめん!ごめん!この格好怖いよね 今マスクを外すから!」
慌てて言いながら、ヘルメットを取り外すと、短髪の明るいオレンジの髪に、大きな青い瞳の10代後半の少女が現れた。
少女は、驚いた顔をして言った。
「君たち、もしかして捕まった子なの? ちょっと待ってね。すぐそこら出してあげるから!」
少女は、ポケットの中から飴玉のようなものを取り出し、口に入れかみ砕き飲み込んだ。牢屋の檻を両手でつかむ少女。
そして「ウアルス」と小さく呟く、瞬時に両腕は一回り大きくなった。
檻は、紙の筒を曲げるように容易に折り曲がっていく。”ギギギギ!“檻を曲げ広げる音は、子供達の恐怖を驚愕の驚きに変え、静寂を歓喜の声でかき消していく。
開け広げた檻の隙間から、少女が牢屋に入る。少女は、少し疲れた顔をして言った。
「さあ、みんな出口に案内するから牢屋から出て!」
子供達は我先にと牢屋から出ていった。
少女はうずくまって動かない子供を見つけおんぶした。辺りを見渡し、牢屋の隅に座る僕に声をかけてきた。
「君も動けないの?」
僕は、問いに小さく答えた。
「……動ける」
「それじゃ一緒に外に出よう。ここにいたら、知らない人に買われて一生自由のない、生活を送ることになるよ」
外に出るよう促す少女に、僕は自分が何者なのか言った。
「僕はずっと売れ残っているから大丈夫だよ、それに売れなかったら臓器を抜かれて死ぬだけだから」
最後に一言、少女におぶさっている子を見て言った。
「お姉ちゃんが背負っている、子のようにね」
それを聞いた少女の顔は、一気に青ざめた。
「何言っているの⁈少し冷たいけどこの子は、まだ呼吸がある。死んでいないわ!」
動揺する少女に淡々と言った。
「死ぬよその子、近いうちに」
牢屋の外を、指さして見える光景を口に出した。
「あの子もその子も、ここにいる子供全員、死ぬってわかる。だって黒い煙が皆、出ているから。出ていないのは、お姉ちゃんだけだよ」
見える光景を話すのは、牢屋に入れられる前、小さな貧しい村に住んでいた頃、以来だった。
初めて、話を聞いた人は、馬鹿にして信じようとはしない。でも、現実に話のとおりに死人がでるたび、人はその話を、信じるしかなくなっていった。
小さい村であったため、僕の話を全ての村人が知るのに、数日もかからなかった。
村には、多くの言い伝えがあった。
貧しさは神様の試練。試練を乗り越えようと努めれば、天国に行けて美味しい食事をいつでも食べられ、何不自由なく過ごせる。
反対に、試練を乗り越えようとせず、他人を不幸にする者と不幸にされた者は、炎の燃え盛る地獄に落ちて苦しみ続けると。
次第に村人たちは、僕の話が他人を不幸にして地獄に落とそうとしてやっていると言って、僕を毛嫌いするようになった。
僕に、石を投げてきて、罵倒していった。そして僕の親にも僕と同じような目を向け、僕をかばう親に同じ事をした。同じ様なことが幾日も続き親は、僕を忌み嫌い始めた。
僕は、ただ見えるもの感じたことを、口にしただけなのに。
きっと、少女も周囲の人と同じ反応で信じはしないだろうと思った。
でも、帰ってきた言葉は想像とは違った。
「もしかして君も、私と同じ異能力者なのかな?」
僕は、想像と違った言葉に驚いた。
「さっき私が、檻を曲げられたのは異能力を使ったからなの。私もよくわかんないけどね、人には元々異能力が持って、その力を使えるようになるには、人それぞれ違った条件があるの。だから大半の人は異能力を、持っていることすら信じられない。使えるは、ほんの一握りの人だけ」
「じゃあ、黒い煙も死ぬことがわるのも、全部異能力なの?」
「そうだと思う。私の異能力は、怪力とか体が丈夫になって弾丸を弾くことができて、目に追えないくらい速く動けるの」
それを聞いた僕は思わず、口から言葉がでた。
「凄い」
僕の感想を、聞いた少女は苦笑いして続けた。
「でも、この異能力は使ったあと、すんごーく疲れて全力で動くと2日間は、動けなくなっちゃう。それに1時間以上力が続かないし。発動するのにも専用の飴を食べて、あとに“ウアルス”って言葉を言わないといけないの。だからちょっと面倒なのよ」
「僕は何もしなくても、見えるし感じる。見て感じても、疲れもしない……」
僕の言葉を聞いて少女は難しい顔をして言った。
「私も詳しくはわかんないけど、リーリヤさんなら分るかも知れない。リーリヤさんは、異能力を研究している人でね。私の異能力もリーリヤさんの異能力で使えるようになったの」
少女の言葉に、それまで当たり前だった自分の異能力について、初めて興味と好奇心が胸に沸いた。
しかし、今まで異能力のせいで受けた村人からの暴力、親からの嫌悪の視線が、よぎり沸いた感情はあっという間になくなった。代わりに真黒で重苦しいのがぽつぽつと胸の中に現れ、どんどん胸の中に積もっていく。
いつもなら、なにも考えないようにして、時間が過ぎるのをじっと待つだけだった。
でも今日は違った。何故か、少女がはじめて出会った自分と同じ、人とは違った力を使える者だったからなのか。
気づくと、じっと冷たいコンクリートの床を見て、いつも我慢していた胸の中に積もる真黒なものを吐き出していた。
「僕は、自分の異能力を知りたいなんて思わない。分ったところで僕に帰る場所なんてないから。みんな僕を嫌った、親も僕を嫌いになって最後には僕を捨てて家からいなくなった。」
真黒なものを、吐き出すたびに一つ一つ忘れようとした思い出が浮かび上がった。
視界は滲みはじめたが、真黒なものは徐々に鮮明で悲惨な情景と悲痛な気持ちをあらわにしていった。
冷たいコンクリート床には、ボロボロと水滴が落ち小さなシミを作る。
「だからっ……僕は、外には出ない。嫌われた僕の居場所はここだから」
一通り吐き出したとき、頭上に暖かい感触がふれた。それは少女の手の感触だった。少女の手が、優しく頭をなでる。
「リーリヤさんは、ここの事情を知って身寄りのない子を預かるって言っていたの。だから安心して君の居場所はこの牢屋の外にもある」
そう聞いたとき、僕は上を向いた。滲んだ視界でも確かにわかった。目の前に優しい眼差しをした少女の姿があることを。続けて僕を勇気づけるように強く誓った。
「何があっても皆は私が守るよ。だから怖がらないで絶対に死なせないから」
その後、飛び切りいいことを思い出したように、少女は両手を合わせて叩いて言った。
「そうだ! 外に出たあと友達のニーナが見つかったら、私と君とニーナそれと他の子たちも一緒に遊園地に行きましょう。とっても楽しいことになる。絶対に!」
最後に少女は僕に手を差し伸べて言った。
「だから一緒に外に出て、いっぱい楽しい思い出を作りに行こう!」
気が付くと僕は、少女の手を握っておぼつかない足取りで、牢屋の外に出ていた。
女性は、僕を含め牢屋にいた子供達を連れ、出口につながる通路を進んだ。
進むと通路のはじに、迷彩服を着た筋肉質な男たちが横たわって気絶していた。手に取っている銃は銃口をへし曲げられている。そのすべてが、少女が異能力でやったことだと、僕は察した。
途中思い出したように少女は言う。
「そういえば自己初回がまだだったね。私はカナリア、親友のニーナを探しているの。ここに連れてこられなかった、私と同じくらいのお姉さん?」
「見てない」
カナリアは落胆し、悲しい顔をして言った。
「ここにもいないか……」
僕は、力になれなかったことを申し訳なく思い謝罪した。
するとカナリアは大きく横に頭を振って言った。
「全然そんな謝らないで。教えてくれて本当にありがとう。良かったら君の名前、教えてくれる?」
カナリアの口から自然に出た質問は、僕の名前を思い出させるきっかけになった。
ここに来る前に親からもらい、村人たちは僕のこと口に出すとき呼んだ言葉、僕に付けられた僕の名前。
僕は少し間をあけて正直に言った。
「思い出せない……」
自分でも驚いた。でも少したって客観的に考えてわかった。
名前と言うものが、あの真黒で重苦しいものが現れる原因の一つだったこと。だから僕は名前を思いださなくさせてしまったと。
「大丈夫⁈もしかして記憶喪失なのかなあ。ここでたら病院に行ったほうがいいかも」
自分よりも驚き慌てるカナリアを見て、何だかおかしな感じがした。
「大丈夫、そのうち思い出すから」
「それじゃあ、その時に名前を教えてね。約束だよ」
「うん、約束する」
約束なんていついらいだろう。思い返すと、ずっとずっと昔に優しい親と交わした約束の記憶がよみがえり、牢屋の中では一度も感じなかった、柔らかで温かい気持ちが現れた。
カナリアの顔をふと見て感じた。カナリアといると自然と明るい気持ちになれる。人を幸せにする人は、きっとこんな人なんじゃないのかと。
2章 外の世界で
「みんな出口よ!」
カナリアが出口の大きな扉を開けた。出た先は教会の正面玄関だった。辺りは真っ暗で虫の音一つ聞こえない、不気味な静けさが漂っていた。
カナリアは、背負っていた子供を教会の壁にもたれさせ、ポケットの中からトランシーバーを取り出した。
「少し待ってね。今、迎えを頼みにリーリヤさんに連絡するから」
カナリアは、トランシーバーの電源を入れる。激しい雑音と共に女性の必死な声が途切れ途切れ聞こえた。
「カっ!…ナリア!カナリ…ア! ソコカラ……ハヤク!ニゲっ……テ‼」
シュードドーン‼
と大きな爆発音が聞こえ、通信は途切れる。
同時に、肌を震わす鈍い振動と煙の臭いのする風が吹いてきた。風の吹く方を見と、教会に続く杉並木道の奥から灰色の煙が上がる。煙をメラメラと照らすオレンジ色の炎が、目に飛び込んできた。
「ウソ、いったい何が起きているの⁈」
カナリアは手にしたトランシーバーを、力なくすり落とした。
その動揺は、僕や他の子供達にも伝わった。
パニックになる瞬間、炎と煙が上がる杉並木道から数台の大型車がやって来て、僕たちをライトで照らした。
大型車からは、次々とドレスを来たカナリアと同い年くらいの少女達が出てきた。金持ちのパーティーを思わせる華やかなドレス姿の少女たち、でもその手には武骨で重量感ある銃が確りと握られていた。
ドレスを来た少女達が出てきたあと、中央にひときわ豪華な装飾品を身に付けたドレスの美しい成人女性が現れた。
その姿を見たとき僕は、すぐに目を覆いたくなった。
今までに見たことない、大きな黒い煙。煌びやかに輝くはずの、豪華な装飾品の光は全く見えず、黒い煙がまるでこちらまで迫ってくるほど立ち込めていた。
カナリアは、今まで見たこともない、怖い形相で成人女性に鋭く言った。
「驚いた。まさか人身売買のオーナー自ら姿を現すとはね」
僕は、カナリアの言葉に耳を疑った。半年前に、見たオーナーと呼ばれる女性は老婆だった。オーナーが変わったとしか思えなかった。しかし真実は全く違った。
成人女性はカナリアを指さし、小馬鹿にしたように言った。
「60年以上ここのオーナーも含め、この手のビジネスをしてきたけど、ここまで妨害と損害を受けたのは初めてよ。それも主犯者が可愛らしいお嬢さんとはね。」
僕は理解出来なかった。どう見てもオーナーと呼ばれる成人女性の年齢は、20代くらいなのに、60年以上と口にしたことが。
混乱する僕をよそに、すぐ横でカナリアは飴をかみ砕いた。
「ウアルス!」と音が耳に届いた時には、オーナーの首元を片手で掴むカナリアの姿があった。
「ニーナはどこ!教えなさい‼」
オーナーに激しい口調で、問い詰めるカナリア。まくし立てるようにカナリアは、低い声で言った。
「変な気を起こしたら、あんたの首をへし折るからね。分っているのよ。あんたが私と同じ異能力者だってこと。ここにいるドレスの女の子は全員、あんたの異能力で操られているってことをね!大人しく私の質問にこたえなさい!」
カナリアの、脅しを聞いたオーナーは高笑いをして言った。
「私がこの子達を、操っている?とんだ、勘違いね。私とこの子達は家族なのよ。それも深い愛にあふれたね」
「どういう……」とカナリアが質問を返そうとした時、かき消すようにカナリアの後ろから激怒した声が聞こえてきた。
「やめてカナリア!エリザ様に暴力を振るわないで!」
声を聴いたカナリアは不意打ちをくらったかのような唖然とした顔をして後ろを向いた。
「……ニーナ!?」
カナリアの目の前に、命の危険を冒して探していた親友がいた。しかし、彼女はもうカナリアが知っている親友ではなかった。
上質なドレスを着て、指先まで確りとメイクが施され、人形のような姿をしていた。そして手には、他の少女達と同様に銃を持ち、銃口はカナリアに向けられていた。
オーナーは、軽く口を開き憎たらしくカナリアに言った。
「あら残念ね、その様子だと感動の再開とはいかなかったみたいね。でもこれでわかったでしょ。この子たちが、どれほど私を愛しているかと言うことが。」
カナリアは、全身の血が頭に昇るのを感じた。反射的に空いた片手でオーナーの顔面を殴ろうとした。
しかし拳は、空を切った。気付くとオーナーの首を掴んでいた手の力は弱り、軽く振りほどけるほどになっていた。
「異能力が切れた」そう思った矢先、後ろにいたニーナに取り押さえられそうになるが、難なくそれを振りほどく。
ニーナは尻もちをつくように倒れた。
異能力が切れていない事を確認し混乱するカナリア。頭を整理させる暇なく、次々とドレスの少女達がカナリアを取り囲み襲い掛かった。一斉に銃で殴り始める少女たち。気負ってしまい抵抗できず膝をつくカナリア。そして、強く頭を殴られ少量の出血が額に流れた。
どんどん時間が経つにつれ異能力が落ちていることに気づき、最後の力を振り絞りドレスの少女達をかき分け、オーナーに殴りかかった。
それはまさに渾身の一撃だった。
オーナーに、向けてはなった拳はまたしても、オーナーの横をとうり過ぎ大型車に当たった。交通事故のような、けたたましい音。大型車のボンネットは正面から大きく歪み、ガラスは衝撃で瞬く間に割れた。しまいに大型車は、後方に大きく弾き飛ばされ炎と煙の中に消え、ほどなく爆発音が響いたした。
カナリアの異能力はその時、完全に切れた。
「何でいったいどうして……」
呆然と立ち尽くすカナリアをニーナが改めて取り押さえた。
身動きが出来なくなったカナリアは、焦りと動揺から冷汗が顔を濡らし始める。必死でもがくが、異能力の使用後であったため全く力が出せない状態だった。
オーナーは、カナリアの目を見て言った。
「フフフ惜しかったわね。すぐに私の首をへし折ればこうはならなかったのに。あなたは私の異能力を勘違した。しかも2つ。まずこの子たちを、私が異能力で操っているという勘違い。そして、もっとも重要なこと、私が異能力を発動していないと勘違いしたことよ!」
オーナーは、美貌に満ちた顔を大きく歪ませ、教会全体に響く下世話な高笑いをした。
カナリアは後悔した、すぐにオーナーが異能力を使用しないよう、首を掴み脅した行動が甘かったこと。異能力者どうしの戦いにおいて、相手の異能力を正確に把握していない状態で、軽はずみに戦いを仕掛けたことを。トランシーバーから聞こえた、リーリヤの指示にすぐさま行動すれば良かったと。
オーナーは、カナリアに掴まれ内出血をおこしている首をさすりながら淡々と言った。
「ずいぶん派手に暴れてくれたわね。それに商品の汚いガキまで連れ出して、ヒーロー気取りかなにかかしら。もうすぐ消防とか厄介なのがやって来るわ。そうなると、あの汚いガキどもが邪魔になるのよね~もう処分すしかないわね」
カナリアの顔から血の気が無くなった。
子供たちに向かって銃口を向けるドレスの少女達。
オーナーは平然とドレスの少女達に言った。残忍で汚らわしい行為を、自分の手を汚さずに少女達の手を赤く汚す行為を。
ドレスの少女達は、可愛らしい笑みを浮かべながら、引き金を引いた。
カナリアは叫んだ。涙を流しながら叫んだ。声がかれるまで叫んだ。
自身の行動に対する、結末を嘆き悲しみ、絶望に満ちた悲痛な叫びを上げた。
カナリアが守ると、絶対に死なせないと、誓った子供たちを見たのは、それが最後になった。
僕は見た。カナリアが力なく捕まる瞬間、あの黒い煙が初めてカナリアから上がりはじめたのを。
カナリアが、捕まったことは子供達に、大きな恐怖を与えた。子供たちの、足はすくみ呆然と立ち尽くすことしかできなくなっていた。
そんな状態でも、僕の目は最悪の状況を逐一とらえていた。
オーナーから、大きな黒い煙がこちらを飲み込むように流れてきた。同時に、周りの子供達の煙がどんどんと濃くなって舞い上がる。
真正面からカナリアの、悲痛で必死な叫び声が聞こえてきた。
「逃げて!!!」
カナリアの叫びをかき消すように、大型車のライトの眩しい光の中から、弾丸が飛んできた。
一方的な虐殺だった。次々と子供たちは倒れていった。
みんな逃げ惑った。教会の中、杉並木、でもみんな飛んでくる銃弾辺り、ことごとく血を流して倒れていく。僕も、腹に銃弾が辺りその場で倒れる。
銃声は3分と続かなかった。教会の正面玄関は子供たちの血で赤く汚れた。
意識が消えるなか僕は実感した。最初からわかっていたことが、現実のものとなったのだと。
僕は死んだのだろう。
なぜなら目を開けると、村の言い伝えで聞いた、地獄のような光景が広がっていたからだ。
銃で撃たれ、動かなくなった子供達。子供達からは、ひどく血生臭い臭いが漂ってきた。
周りは炎に覆われ、杉並木はもとより教会も、メラメラと灼熱の熱気を放ち燃えていた。
僕はあまりの暑に、ここから逃げ出そうとした。しかし立ち上がろうとしても上体を上げる力が無く、うつぶせの状態で腕を動かし移動するしかなかった。火の手が、弱そうな杉並木の方に進む。
杉並木をぬけて待ち構えていたのは、うっそうと生えた草が広がる墓地。倒れたボロボロの墓石をよけて、草をかき分け前へ、前へと進む。
ようやく炎がまだ燃え広がっていない巨木にもたれかかった。安堵から、ふと上を向いくと木の枝に無数の小さな赤い花が咲いていた。
「とても綺麗な赤い花だ……」
ふと、来た道の方を見る。すると足跡のように赤い痕跡が続いていた。
腹に手を当てると、真っ赤な血が手にこびりつく。
「そうか……まだ 死んでなかったのかな……」
そう感じると、体のいたる所から痛みが伝わってくる。移動する時に擦りむいた膝から、頭から背中にかけての火傷から、銃弾が当たって、血の止まらない腹から。
徐々に息苦しくなっていき、目がかすれていく。
これで本当に死ぬのだと感じ、ゆっくりと目を閉じた。
僕は、真っ暗な道を一人歩いていた。どこに続くのか、わからない道を。
歩き進むと、声が聞こえた。懐かしい声が。
優しく温かい声、冷たい声、激しい声、寂しい声。
若干の間をあけて、また聞こえた。
優しく温かい声、そして、悲痛な叫び声。
声が、何を言っているのかは分らなかった。でも声が、なぜ聞こえて来るのかは分かった。
後ろを、振り返ると僕がいた。
生まれたばかりの姿から、今までの僕が無数にいた。
僕は思った、ここまで辛く苦しかったと。
ふとある予感がした。もうこの先に、道はなく行き止まりじゃないのかと。
歩きはじめ、予感が当たったことを知る。しかし、ただの行き止まりではなかった。
大きな黒い扉のしまった門がたっていた。門には、大小様々人の形を模した彫刻がされ、異能力で見えたあの黒い煙が立ち込めていた。僕は、前に進む為に門の扉に手を掛けようとする。
その時、真っ暗な道を光が照らしはじめ、甲高いラッパの音が頭上から聞こえてくる。
驚き見上げると、柔らかく温もりのある光が僕を照らしていた。
いつの間にか横に、黒く大きなローブを着て大きな鎌を持った、骸骨が現れていた。骸骨は僕を見て言った。
「すべての生には、平等に死が与えられている。すべての生には、公平に死を与えることはできない」
「じゃあ僕は、ここの門に入れば……」
僕の言葉を、骸骨は止めるように語り掛ける。
「生きているものが、死の門をくぐる事はできない。死しているものが、生き続けてはいけない。死の門が閉ざされている今、お前は生者」
「僕が生者?生きているってこと?」
そう口にしたとき僕の体は宙に浮かんだ。どんどんと体は、高く光の指す方に向かって上がっていく。
高く上がるにつれ、どんどん光の輝きと温かさは増していった。
このまま生き返るのだ。そう思ったとき脳裏に、これまで辿った道が辛く苦しいもであったという事実がよぎった。
居場所のない、殺された僕が生き帰って、その先なにをすればいいのか?
僕は、不安にかられてうつむく。すると、豆粒の大きさくらいに見える、骸骨が最後に語り掛けた。
「生者よ。死神をやどす生者よ。平等に死を与えよ。公平な死をなくし、天寿全うの生涯を死者に与えよ」
骸骨が語り掛けた意味はよく分からなかった。でも僕には、生きてやらなくてはいけないことがある。不確かな思いが芽生えていた。
顔をあげた。光は僕の体を消し去っていく。後ろから声がする。
優しく温かい声。前と同じで、何を言っているか意味はわからなかった。でも、その声を自然と口ずさんでいた。
「……ユウエンチ ……ヤクソク」
3章 生還
目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。大きな窓からは明るい太陽の日差しが僕を照らす。僕は、白いシーツが敷かれたベッドの上にいた。
銃で撃たれた箇所は触っても傷口の感触もなく、痛み一つなかった。
何が起こっているのか全く理解できなかった。
でも一番に理解出来ず驚いたのは、目の前に見たことない、明るい金色の髪をした女性の寝顔があったということだ。
僕を抱きかかえるようにして、寝ている女性。
女性からは、体温の温もりと甘い匂いが漂ってくる。何故か、僕の鼓動は早くなり顔が熱くなっていく。
僕は、実感した。 生きていると。
何故か、ボロボロと涙がこぼれ、情けない声が口から出てきて、止まらなかった。
すると、僕の頭は女性に引き寄せられ、女性の胸元に柔らかく包まれた。
「良かった。生きている。もう大丈夫だからね」
女性はそう言って、僕の頭を優しくなでる。まるで、優しかった母親のようだった。自然と心が落ち着いていき、涙と情けない声は出なくなっていた。
落ち着いた僕に、女性は体を起こして自己紹介をした。
「私の名前は、リーリヤ。よろしくね」
その名前はカナリアが言っていた、異能力に詳しい人で、トランシーバーでカナリアが連絡を取った人と同じ名前だった。
「カナリアの知りあいの人?」
僕の言葉に、リーリヤは真剣な顔になり、僕に問いかけた。
「もしかして、教会で何があったのか覚えているの?覚えていることが、あったら何でも教えて。カナリアのこととか、他に教会から抜け出した子はいるの?」
僕も体を起こし、リーリヤと向かい合い答えた。
カナリアが、僕を含めオークションに売られる子供達を救い出したこと。突然現れたオーナーと、呼ばれる異能者にカナリアは返り討ちされ捕まったこと。僕と他の子供たちが銃撃にあったこと。炎の中で目を覚ました僕は、墓地の木まで逃げてきたこと。
リーリヤは、僕の話を最後まで聞き終わると、優しく僕の頭を撫でて言った。
「話してくれて、ありがとう」
ベッドから降りるリーリヤ。
部屋の外に出ようと歩き出そうとした時、「うっ!」と、辛そうな声を出し、顔をうつむかせ、ひたいに手をあてるリーリヤ。体が震えはじめ、立っているのもやっとの様子になっている。
「どうしよう、カナリアを助けに行かないといけないのに」
辛そうなリーリヤに僕は、驚き慌てた。
「リーリヤ大丈夫?」
心配する僕を見てリーリヤは、申し訳なさそうに喋りはじめる。
「ごめんね、心配させて。あなたに異能力を使って、まだ気分が落ち着かないみたい」
「僕に異能力を?」
「私もあの教会の近くにいたの。カナリアのサポートをするために。でもオーナーの襲撃にあって、大きな怪我はしなかったけど、少しの間だけ気を失って。気が付くと辺りは火の海だった。何とか教会にたどり着こうとして、墓地までやってきたら、瀕死のあなたがいた。私は、あなたを助ける為に異能力を使ったの」
伝えられた真実に驚く僕にさらに、リーリヤは続けて話し始める。
「それから、私の家まで君を運んできて、さっきまでは異能力の副作用がでなかったのに、今になって出てきたみたい……」
「副作用って治らないの?」
「時間が立てば治るわ。私の場合は、カナリアと違って精神的な問題なの」
震えを必死になってこらえるリーリヤの姿に、僕は牢屋で恐怖に怯える自分を思い出した。
頭の中に問が浮かんだ。こういうときどうしたらいいのか…。
なぜだかは分からない、でもリーリヤをこのままにさせてはいけない。
僕の中にそんな強い思いが溢れたとき、カナリアの顔が浮かんだ。
カナリアといると自然と明るい気持ちになれた。カナリアのようにすれば、リーリヤの副作用も落ち着くのではないのかと。
でもどうやって? 方法がわからなかった。
必死で考える中で思い浮かぶのは、カナリアが僕の手を引いて歩く姿だけだった。
僕は、リーリヤの震える手を握った。
必死で考えて出来た行動は、それしかなかった。
けれども、その行動は決して間違ってはいなかった。
徐々に、リーリヤの震えは収まりはじめた。状態が良くなっていき安心する僕。
するとリーリヤが、いきなり抱き付いてきてそのまま僕を押し倒す。
少し恥ずかしそうに、リーリヤが耳元で囁いた。
「ごめんね。こうしていると、何だか落ち着くの。だからもう少しだけこうさせて」
僕は、いきなりの出来事に緊張から強く目をつぶった。
リーリヤの、温かく柔らかい体の感触と甘い匂いがする。僕の心臓が強く激しく動くのを感じる。
程なくして、リーリヤの心臓の鼓動が響いてくるのを感じた。それから、リーリヤが必死にこらえる、静かな泣き声が聞こえてきた。
部屋が薄暗くなったころ、僕は目を覚ました。
どうやらリーリヤに、抱きしめられたあと寝てしまったらしい。部屋にリーリヤの姿はなく、
僕は部屋を出てリーリヤを探した。
部屋の外にでると、廊下の奥の少し空いたドアから湯気が出ているのが見えた。
湯気の出る部屋にいきドアを開けた。
「リーリヤ入るの?」
そこには、濡れた後ろ髪をタオルでふく、白くて柔らかそうな女性らしい体をした、裸のリーリヤの姿が。
大きく膨らんだ胸を、隠すように濡れた長い金色の髪が垂れ下がっている。その間からは、白い肌によく映えた桃色の乳房が、見え隠れしていた。
僕は、その扇情的な姿に思わず見とれてしまった。
すると、リーリヤの体に真新しい火傷やかすり傷が、大小ちらほらとある事に気づく。
悲惨な教会での出来事がリーリヤの体に刻み付けていたことを知る。
「怪我、大丈夫? 痛くないの?」
心配する僕に気づいたリーリヤ、膝を曲げ僕と同じ目線で話かけてくる。
「大丈夫だよ。こんな怪我、異能力の副作用に比べたら平気、平気。 もしかして探した?ごめんね、気持ちよさそうに寝ていたから起こさなかったの」
リーリヤは、空元気の様な笑みを浮かべながら、僕の頭を優しく撫でた。
撫でられた拍子に、我に返った僕。
物凄く恥ずかしい気持になり。すぐに顔が熱くなる。目のやり場に困り、思わず両手で顔を覆った。
心配するリーリヤが、顔を寄せて来る。リーリヤの吐息が、伝わってくる。緊張からか、ドキドキと強く胸が高鳴り、手から汗が出てきた。
「どうしたの、顔が痛いの?」
僕は、恥ずかしがりながら昔教わった事を思い出し言った。
「女の人の裸は見ちゃいけないって、親から言われたから」
リーリヤは、難しそうな顔をして疑問を口にした。
「不思議ね、女同士なのに裸を見ちゃいけないだなんて」
リーリヤはそう言うとふと、視線を下に向ける。
僕の股の辺りが、膨らんでいることに気づく。
「……ウソっ」
顔を真っ赤にし、小さく絶句するリーリヤ。
リーリヤは、僕が女の子だと誤解していた。
僕の容姿が女の子に見えたからだ。一年以上、散髪していない髪は肩までのびきっているし、オークションで散々、チビで痩せていると言われ、男らしい体つきとは言い難い。
リーリヤの調子が悪かったせいか、抱き付いていても身体的特徴に、気が付けなかったらしい。
リーリヤは、真っ赤な顔をして慌ただしく服を着ると、弁解と謝罪をして僕に風呂に入るよう勧めた。
少したって、僕は湯船につかっていた。
振り返ると半年以上まともに、体を洗っていなかった。
僕は少しびくつきながら、銃で撃たれた箇所を再度、触り目でも確認した。傷口はもとより傷跡すらなく完全に治っていた。他にもすり傷や火傷も無くなっていた。
まるで全身が、健康な状態に生まれ変わったような気がした。
風呂から上がった僕はリーリヤが用意した、真新しい洋服に着替えて廊下にでた。
すると、エプロンを付けたリーリヤと鉢合わせした。
お互い少し気まずい空気になり、僕はリーリヤの顔を見る事はできなかった。
リーリヤが苦笑いをしながら話はじめる。
「服のサイズあってそうで、良かった。ちょうど食事が、出来たから呼びに行こうとしていたの」
僕は、リーリヤの後についていき、長く大きなテーブルのある部屋に入った。テーブルには、二人分とは思えない沢山の料理が並べられていた。
親に捨てられて以来、半年以上ろくな食事というものに、食べられなかったためか、
料理の匂いが鼻に入って来ると、自然と口からよだれがでて止まらなくなる。
「何が好みなのか、わからなかったからちょっと作りすぎちゃったかも」
笑顔で取り繕うリーリヤに、僕は目を輝かせ興奮気味で言った。
「天国みたいだよ。リーリヤ!これ全部食べていいの!」
リーリヤは、少し驚いた顔をしたのち、小さく笑みを浮かべて言った。
「ええ、お腹いっぱい食べてね」
僕は、夢中で料理を食べた。リーリヤの料理は凄く美味しかった。
あまりの美味しさに、勢いで噛まずに料理を飲み込んだ。
突然、料理が喉に詰りじたばたする僕。
リーリヤが、慌てて僕の方に駆け寄ってくる。僕の背中をさすり、水を飲んで流しこむよう促す。
なんとか飲み込むことが出来たが、リーリヤに叱られた。
「よく噛んで食べなきゃダメじゃない!喉を詰まらせて死んじゃう人だっているのよ!」
「ごめんなさい」
僕はそう言って、リーリヤが食事の席に戻ろうとしたとき言った。
「ありがとう。リーリヤ」
リーリヤは振り返り。
「今度は、ゆっくり味わって食べてね」
笑いながら言うリーリヤに、僕は改めて感謝を伝える。
「さきのも、そうだけど……。生き返らせてくれて、ありがとう!」
思った以上に大きな声がでて、リーリヤはもちろん言った僕も驚いた。
リーリヤの目が少し細くなり潤んだ。そして、リーリヤも大きな声を出して言った。
「私も、君が生き返ってくれて、本当に良かった。ありがとう!」
リーリヤは、笑っていた。満面の笑みで。僕も笑った。びっくりするくらい笑った。
自分が、生きていることを喜んでくれる人がいる事に、たまらなく嬉しく感じた。
食事の片づけをリーリヤとして、部屋に案内される。
「ここの部屋は、今日から君の部屋だから好きに使って」
「ここが僕の部屋?!」
こぢんまりとした綺麗な部屋だった。
大きな窓、小さなテーブルとふかふかのベッドが一つずつ。だだっ広く何もない牢屋とは雲泥の差だ。
僕は、一目散にベッドに飛び込む。その姿を見て、リーリヤが笑みを浮かべ部屋を後にしようとする。
ベッドに仰向けになって白い天井を見ながら僕は思った。まるで、夢のようだと。
安堵からか、眠気がさし目を閉じる。
「逃げて!!!」
叫び声が聞こえた、悲痛で必死な声。
僕は、思い出した。今が悪夢の続きなのだと。
「リーリヤ、カナリアを助けに行くの?」
不安そうな顔をして聞いて来る僕を見て、リーリヤは優しい声で言った。
「子供の君は、なにも心配しなくていいのよ」
リーリヤは、質問に答えることなく続けて言った。
「だから君は、この家でゆっくり休んで。今まで沢山辛いことが、あったと思うけど、もう大丈夫だから。それじゃあお休み」
リーリヤは、楽観的な言葉を言って部屋の明かりを消す。
静かに部屋の扉が閉まり、部屋の中には、僕一人だけになった。
真っ暗な部屋の天井を見つめながら僕はもんもんと考えた。
これからのこと。カナリアのこと。異能力について、最後に骸骨が語り掛けてきたこと。僕には、生きてやらなくてはいけないことが、あるという不確かな思い。
考えている内に頭の中が、ごちゃごちゃに散らかって全然考えがまとまらない。
掛け布団を、おもいっきり体全体を覆うように被り目を閉じた。
明日になればきっと何もかも良くなっているはずだ。そう願いながら布団の中で、うずくまっていると、リーリヤの楽観的な言葉が蘇えってきた。
『子供の君は、なにも心配しなくていいのよ』と。すると、僕の中にある思いが浮かんできた。
子供の僕が何をしたらいいなんてわからない。なら僕は、ただこのままリーリヤの言う通りにしよう。
きっと大丈夫だ、リーリヤが何とかしてくれる。
僕は恐怖から逃げる様にそのまま、眠りに落ちた。
真っ暗な世界に、僕は立ち尽くす。
目の前には、黒く大きなローブを着て大鎌を持った骸骨がいた。
骸骨は次第に、姿形が変わり教会の前で見たオーナーの姿になった。
とたんに、オーナーの周りから黒い煙が出てきた。黒い煙は依然見たものよりも遥かに多く、あっという間に僕を飲み込む。
黒い煙の中から、逃れようとする僕。もがきながら顔を横に向けると、黒い煙の中で血の気の無く青ざめた、カナリアとリーリヤの姿が目に飛び込んできた。
「ああああああああ‼‼‼」
僕は、叫びながら目を開けた。
全身から冷汗が流れ、呼吸は乱れ荒くなる。得体の知れない恐怖が頭をよぎる。
大きな窓からは、夜の真っ暗な風景に小さな明かりが1つ移動しているのが見えた。
よく見るとそれは、ランプを持ち大きなカバンを背負ったリーリヤの姿だった。
リーリヤは、どんどん家から離れて行き、小さなランプの光も小さく見えなくなっていく。
脳裏に、震えるリーリヤが「カナリアを助けに行かないといけないのに」といっていた姿が思い出された。
リーリヤがカナリアを助けに行くのだと直感した。同時に真っ暗な世界で見た、カナリアとリーリヤの姿が、オーナーに殺される最悪のイメージを連想させる。
いても立ってもいられず、大きな窓を開け暗闇の中に飛びこむ。
思った以上に窓と地面との高さがあり、着地に失敗した。腹から硬く冷たい地面の上に落ち、リーリヤが用意してくれた真新しい洋服は、土や泥で汚れ、あごの辺りからは血がにじんできた。
自分が物凄く情けなく感じ、目頭が熱くなって、涙が出そうになる。
僕は、歯をくいしばった。その痛みや自分をみじめに思う感情を、押し殺し裸足の足で強く地面を蹴り走り出した。
だんだんと息が上がって苦しくなり、脇腹も痛くなってくる。足の裏には、地面の小石が無数にささる。前に進めば進むほど、鈍い痛みが足の裏から伝わってくる。それでも、痛みを堪え止まらずに走った。
ほんの少しの時間、会話をして食事をしただけなのに、僕はリーリヤがいなくなってしまうのが心の底から、嫌で、嫌で、仕方がない思い出いっぱいだった。
リーリヤの、数十歩後ろまで近づいたとき、僕を捨てた両親とリーリヤの姿が重なった。
また一人取り残される絶望。生きていることを、喜んでくれた人をなくす絶望。二つの絶望があわさって大きな波になり、絶望の海に飲み込まれ溺れ死にそうになった時。僕は、助けを求めるように大声で叫んだ。
「行かないで!リーリヤ‼」
不意に、呼び止められたリーリヤ、驚きはしたものの、すぐに真面目な顔になり冷静に、僕を諭しはじめる。
「どうしたの?もう夜も遅いから、早く部屋に戻って寝なさい。私は少し街にようじがあるから、明日明後日は、留守番をお願いね。ご飯は、」
「カナリアを助けに、行くんでしょ。リーリヤが行く必要はないよ!もっと別の方法があるはずだ!」
リーリヤの言葉をさえぎり、僕は懇願する様にリーリヤに言った。
リーリヤは、考え込む様に頬に手をあて少しの間うつむく。そして、僕に真剣な眼差しを向け、正直に今の状況を話し始めた。
「オーナーの異能力が、人を操るものである以上、自分以外は信用できないわ。だから本当はこの事件、私一人で解決させないといけないの。それに、時間がたつにつれてカナリアや操られた彼女達の命の危険も増していく。だから、今すぐ助けに行かなきゃいけないの。 私が」
リーリヤはゆっくりと僕の方に歩み寄って来る。間近くまで来ると、僕の目線に合わせて膝を曲げ、ランタンを置く。ゆっくりと優しく僕を、抱き寄せるリーリヤ。
「食事をした大きなテーブルの上に、あなた宛ての書置きと、手紙が置いてあるの。 私にもしもの事があったら、きっと私の後見人が、家に来ると思うわ。その人にあったらその手紙を渡してね。手紙には、君の保護者になってもらえるようお願してあるのと、私の持っている全財産を君にあげられるように、書いてあるから。少し少ないけど、君一人なら10年分の生活費と学費にはなると思う。だからもう―」
リーリヤは言いかけて、僕を軽くギュッと抱きしめる。そして、優しい声で耳元に囁く。
「大丈夫だからね」
リーリヤの最後の言葉は、僕の中に沸々とある思いを湧き上がらせた。
それは、怒りだった。
「大丈夫って!何が、大丈夫だよ‼」
僕は、思いっきりリーリヤを突き放す。
リーリヤは尻もちをついて面食らった表情を浮かべる。
僕は、憤慨していた。リーリヤの人任せで、無責任に安心させるようとする言葉に。
でも一番に腹が立つのは、リーリヤの優しい言葉を真に受けて現実から逃げようとしていた僕自身だ。
「僕には、カナリアの様な異能力は無いけれども、何もしないでカナリアとリーリヤを失うくらいなら。僕もカナリアを助けに行く‼」
僕は、リーリヤにカナリアとの牢屋の中で交わした約束を言った。
「それに、カナリアと約束したんだ。 外に出たら、みんなで遊園地に行くって‼ いっぱい楽しい思い出を作りに行くって‼」
改めて僕は、強い思いを込めリーリヤに宣言した。
「だから、絶対に僕もカナリアを助けに行く‼」
リーリヤは数秒、呆気にとらわれていたが間もなく、何かを察したのか眉間にしわを寄せ険しい顔で、恐れの入った真剣な口調で僕を見上げて言う。
「君も、私と同じ異能力者だったのね。それも、死神の」
「どうして、それが分かるの?僕が、異能力者だって話してないのに。それに死神って?」
「異能力を使わなくても、異能力者には、常時異能力の特性が発現すことがあるの」
異能力の特性について聞いたとき僕は察した、物心ついた時から見えていた、死期の近い人から見えた、黒い煙のことだと。
「私の特性は、目的を達成させるための最善方法が直感でわかこと。その直感でわかったの、今までは感じなかったけど、君の中に大きな鎌を持った骸骨がいること。君は、童話の死神のような異能力を持っている」
リーリヤは、少し顔を下にむけ下唇を噛んで、口惜しそうに言った。
「今まで、どんなに直感を働かせようとしても、直感することができなかったの。オーナーを倒すことも、カナリアや操られた女の子達を救い出す、最善の方法も……」
リーリヤは立ち上がり、僕の顔をまじまじと見て言った。
「でも、さっきの『カナリアを助けに行く』っていう、君の言葉で初めて直感したの。オーナーを倒して、カナリアと操られた彼女達を救い出せるのは、君しかいないってことが」
その発言に僕は、疑問と不安を感じた。
「本当に僕に、そんな力があるの?」
「確かに、今の君は非力かもしれない。でも、君は必ずやり遂げられる。そのために、君に足りない能力を、私が目覚めさせる」
リーリヤは、大きなバックから黄金に輝く長細いラッパを取り出した。それは、シンプルな作りで、音階を変える装置も一切なく、大きな一輪の花の様にも見えた。
「よく聞いてね……ウアルス」
リーリヤはそう言って、ラッパを吹く。
すると、リーリヤの背後から強い光が輝き始め、僕にリーリヤの影をかぶせる。気づくとリーリヤの周りに、モクモクと雲のようなものが現れ始める。超常現象としか言いようがないその光景に、唖然とする僕。
ラッパを吹き終わるのと同時に、リーリヤの背後の強い光が、左右に大きく伸び最終的に鳥の翼を模した形になった。
光る翼は僕たちを夜の暗闇から照らし出す。暗闇に隠されていた、庭の花々も光を浴び、色とりどりの輝きを帯びる。
ラッパの音色と共に、幻想的な世界が出現した。
「……綺麗だ。綺麗だよ リーリヤ」
リーリヤは、真面目な顔から少し緩んだ顔になり照れくさそうに言った。
「カナリアも、この姿をみてそう言ってくれたわ。天使を見ているみたいだって」
緩んだ顔を引き締め、真剣な眼差しで話始めるリーリヤ。
「一つ約束して欲しいの… 私の言葉を何よりも信じて」
僕は手を強く握った。そうしなくては、リーリヤの真剣な眼差しを見ていられなかったからだ。リーリヤが僕に対して、希望や期待以上の確かな思いを持っていることがひしひしと伝わって来る。
僕は胸の中で、改めてカナリアとした約束を果たすことを誓う。
覚悟を決め、僕はリーリヤの約束に返事を返した。
4章 死神
夜の街は忙しない明かりが、ひしめく様に立ち並ぶ高層ビルを照らしていた。
昨日と変わりなく暮らす、多くの人たちは、あり触れた日常の変化を、知る事はない。
街の明かりが、小さく見える郊外道路。
ゴウゴウと、炎上する車を囲むように、数台の警察車両と数名の警察官の姿。警察官の前には、事故にあったと思われる、少女が横たわっていた。
少女は、顔面を滅茶苦茶に潰され身元をすぐには、断定できない状態であった。しかしその場にいた警察官たち誰もが、大方の察しを付けていた。
「きっとこの子もですかね」
一人の若い警察官が話始める。
「ああ、認めたくはないが多分、行方不明になった少女の一人だろう」
中年の警察官は煙たそうに言った。
「ここ半年で、同様の事故が20件以上、そのすべてが失踪した、少女なんて。おかしくないですか?おまけに事故を起こした人物はみな、戸籍上存在しない身元不明の人物。これ明らかに、何らかの事件ですよね?」
中年の警察官に、若い警察官が問い詰める。
「上の命令で、事故死と判断されば、詳しい捜査は何もできない。俺たちの出来るのは、失踪した少女達を一刻も早く見つけ出して、家族のもとに帰すことだけだ」
「それにしても、妙じゃないですか?この街や他の街に、大々的に行方不明の少女達がいる事を、報道して捜査協力をお願いすればいいのに。事故が起こったことだけ報道してあとは、何もしないなんて」
悔しそうに言う若い警察官を見て、中年の警察官は考えぶかそうな表情をし、小さな明かりを放つ街を見て思った。
長くこの街の警察官をやっていて、確かにこれと似たような不可解な事件は、数年に一回は起きていた。廃墟になった教会を中心とした山火事のような大きなものから、この交通事故のような小さなものまで。でもこの半年は妙だ、まるで以前から街に隠れていた、大きな悪事が表面化していっているようだ。
肌寒い夜風が、中年警察官の体温を必要以上に下げた。
街外れの開けた場所に、大きな中庭と煌びやかな装飾を施されたバロック建築風の屋敷が立っていた。
周囲は、大きな壁に囲まれていることもあり、門を潜り中に入ってしまえば、完全に外界と遮断された空間が広がっていた。
屋敷には30名以上の少女たちが、ただ一人の女の、為に住み込みで炊事、洗濯、清掃など身の回りの世話を行っていた。少女たちは、決して使用人なのではなく、女の家族であるという、自負があった。そして少女達は一様に女を深く愛していた。
独占欲にも近いその愛情は、家族に対する愛情にしては、逸脱したものだった。
例えるなら、恋人に向ける好意とほぼ同等の愛情であった。
そんな愛の園とかした屋敷には、大きな窓から手入れの行き届いた、中庭を見下すことのできる大きく豪華な大広間があった。
今宵も大広間で、少女たちはピアノの音色と共に踊り続ける。愛しい女を思って。
「愛欲って、欲望の中で最も業が深い言葉だとは思わない?」
数多くの人身売買オークションのオーナーである、エリザは不敵な笑みをして、カナリアに言った。カナリアは椅子に縛り付けられ、身動きが取れなくなっていた。
絶体絶命ともいえる、状況ではあったがカナリアの瞳は絶望することなく、目の前にいるエリザを睨みつける。
エリザはカナリアと対面するように、3人掛けほどの大きめの純白のソファーに座っていた。
純白のソファーが、エリザの身にまとう胸元の大きくあいた赤く煌びやかなドレスを目立たせ、エリザの存在感を強調させていた。
「あなたが、事故死したことになっている、お友達を探していたのも、もしかして愛欲のせいかしら」
カナリアの友情を、嘲るようにエリザは言った。それを聞いたカナリアは、グッと奥歯を噛み、眉間にしわをよせ、睨みつける視線を更に強くさせた。
エリザは、カナリアの視線を気にも留めず、話し続ける。
「ねぇ、教えてちょうだい。あなた、誰から私の事を聞いたの?どうして失踪し事故死した女の子の居場所を、私が知っているってわかったの?あなたの仲間は、教会の近くにいたのと他にいないの?」
仲間について聞かれ時、カナリアの脳裏にリーリヤの姿が現れた。
親友を探している中で、人身売買のオークション会場を発見したが、すぐに警備兵に捕まり射殺されそうになった時、リーリヤが危険を冒してまで自分を助けてくれたこと。
リーリヤに事故死の真相を聞き、事件解決に協力したいと言って、始めは断られても最終的は協力させてくれたこと。
リーリヤの異能力で、自分の異能力に目覚め、使えるようになれたこと。
いつしかリーリヤとの間にできた、親しい関係。
一つ一つ思い返し、リーリヤがいたから、ここまで来られたと再認識する。
でも、結果的に何もできなかった。倒すべき相手を目の前にし、すぐ近くには救い出したい親友がいるのに。
リーリヤとの最後の会話。その場から早く逃げるように伝えてくれたのに、行動を誤り、救い出した子供達を、死なせる結果になってしまった。
リーリヤの生死も分からない現状で、自分に出来る事は万に一つも無いかもしれない。
でも、そのチャンスを最後まで待って諦めないこと。刺し違えてでも、エリザを倒すことが、自分のせいで死んでいった、子供たちへのせめてもの償いだと、改めて強く決意する。
「あら、無視? ひどいじゃない、せっかくおしゃべりが出来るよう、口をふさがなかったのに。そんなに、しわのよった顔じゃあ、せっかくの可愛らしい顔が台無しよ。」
エリザは、カナリアの後ろを指して言った。
「あの子たちを見なさい。常に笑みを浮かべているわ。あなたも、笑みを浮かべてこそ価値があるのよ」
エリザの異能力の影響で、カナリアの首は無意識のうちに後ろを向く。睨みつけていた顔つきは、カナリアの抵抗からか苦笑いの様なこわばった顔つきになっていた。
背後には、多くのドレスの少女たちがピアノの伴奏で踊っている。
大広間で踊る少女たちを見てカナリアは、女学校のパーティーのようにも感じていた。
しかし少女一人一人が満面の笑みを浮かべ、エリザを見ている光景は恐ろしく不気味だった。カナリアは身震いし、思いっきり首を横に動かし、なんとか前を向き直す。
前を向くと、再びエリザを睨みつける。カナリアの態度にエリザは、冷ややかな目をして言った。
「おかしいわね。他の子なら、もうとっくに私を親しい家族だと思って何でも言いなりなのに。同じ異能力者だからかしら?」
ソファーから立ち上がるエリザ。カナリアの顎に手をやりクッと、上に持ち上げる。人差し指であごの下を持ち上げ、親指でカナリアの下唇を、もてあそぶ。
首を横にふり、抵抗しようとするカナリア。エリザは、親指の爪を立てカナリアの動きを止める。
カナリアの、下唇から鮮血の赤がにじみ、エリザの親指の爪を鮮やかに色づけた。
エリザは、カナリアの顎から手を放し、親指についた赤い液体を官能的にしゃぶり始める。瞳を閉じ、口の中で親指を舌で舐めまわすエリザ。
奇怪なその姿に、カナリアの睨め付ける視線は、不愉快で汚らしいものを見る、侮蔑の視線に変わった。
エリザは目を半開きにし、うっとりとした顔で、口から唾液の糸を引きながら親指を抜き出す。
「私、異能力に目覚めてから血の味が分かるようになったの。あなたの血は、とってもいい味よ。微量でも口の中に広がる、成熟した甘いイチゴの様な香りと味。初経を迎えて、短く柔らかい性毛が生え始めた、処女の味がするわ」
エリザの、美貌と官能的な肉体から、発せられる得体のしれない恐怖。そして奇怪な言動にたいする不快感から、思わずカナリアの閉じた口が開く。
「何なのよ、あんたは」
カナリアの震える口からでる問いに、エリザは不気味な笑みを浮かべながら、カナリアの耳元に顔を寄せ始める。
心臓の鼓動が早くなり、全身に鳥肌が立つのを感じるカナリア。
教会で、無力で無様に捕まってからまる一日、エリザの洗脳の異能力から耐えてみせ、敵意と憎悪を強く宿した視線を向ける事だけが、カナリアの僅かな唯一の抵抗だった。
しかし、弱者の勇敢な反攻は、強者にとっては、取るに足らない些細な動きにしか映らなかった。
凶器というものを手にしていないエリザ。けれどもカナリアにとっては、存在自体が最大の凶器になった瞬間だった。
遂にカナリアは、目を強くつぶり、迫りくる恐怖から逃げた。
手足を折られ、牙を抜かれた獅子が、今まさにとどめを刺されよとされたとき、カナリアにとって親しく馴染み深い声が間を刺す。
「待ってください、エリザ様」
その声に、安堵するかのようにカナリアは目を開け親友の名を口にする。
「……ニーナ」
しかし、カナリアの声はニーナに届いて居らず、ニーナはエリザに言い寄る。
「その女より、私の血を飲んでください」
ニーナは、手にした銀の装飾の入ったナイフで自分の腕を切った。ニーナのか細い腕から血が流れ始める。
「あなたの友達は、いつもこうなの。私が他の子の血を飲もうとするのを見るとすぐ嫉妬してね。可愛いでしょ~。私もつい異能力を使う量よりも多く血を飲んじゃって、つい殺しちゃいそうになるの」
カナリアの耳元で、語りかけて来るエリザ。
カナリアは、激怒した。頭に血が上り、我を忘れて、無我夢中で暴れた。
「うぁぁあああ!」
その拍子に、エリザの横顔にぶつかる。カナリアは、そのまま縛られた椅子ごと、大きな音をたて床に倒れる。
「痛い!」
予期せぬ行動に、エリザは対応できず横顔には、小さな赤い腫れが出来ていた。
エリザの美貌に若干の傷を負わせることはできたカナリア。しかしその見返りとしてエリザの卑劣な蹴りがカナリアを襲った。
「もう痛いじゃない お仕置よ!」
カナリアは腹や胸、顔を何度も何度も蹴り続けられた。
「ほらほら、泣きなさい、泣いて謝りなさい‼」
ピアノが流れる大広間に、カナリアのうめき声と、エリザの荒い気遣いが数十分続いた。
しまいにカナリアの顔を、足の裏でねじ伏せ思いっきり腹を蹴られるエリザ。靴のつま先は削れ、赤く汚れていた。
腹を何度も蹴れたせいか胃液のようものが逆流し吐き出すカナリア。口の中は歯が欠けてボロボロの状態で、どんどん血が滲み口から流れ出た。腫れ上がり血が流れる顔から涙が溢れる。
息を荒くして、肩上下させ力んだ官能的な体を、純白のソファーに勢いよくのせるエリザ。
「いいきみだわ。私に楯突くなんて、愚かなことをした、報いよ!いいこと私にどんな怪我を負わせたところで、そんな行為無駄なの!よく見てなさい!」
エリザはそう言って、ニーナの手を取り純白のソファーに座らせる。その拍子にニーナはナイフを床に落とす。綺麗な金属音がなる中、エリザはすぐさま、ニーナの腕から滴り流れる血を吸い始め、「ウアルス」と口ずさむ。
すると、エリザの顔にあったはずの、小さな赤い腫れは見る影もなく消えた。
エリザは、吸うのをいったん止め、カナリアの顔に向かって、白い小石の様なものを2つ吐き飛ばす。
白い小石の様なものは、カナリアの顔に辺り跳ね返った。それは、エリザの歯だった。
「異能力を使うと全身がこの美しい体にもどるの。でも何故か、削った歯があると抜け落ちて生え変わるのよね」
エリザの口には、長く生え変わった犬歯が二本姿を見せた。まるで吸血鬼の様な姿をしていた。二本の指で確かめるように触りながら、エリザは言った。
「この歯、ビジネスするときに他人に変な目で見られたくないから、いつも削るのだけど。私はこの歯をとっても気に入っているのよ」
エリザは、幸せな思い出を思い返すようにうっとりとした顔をして話し続ける。
「半年前、私の体は年相応に老いて、大病を患っていたわ。死を悟ったけど、もっと長く生きたい、そう願っていたわ。どの医者も匙を投げる中、一人の男が取引をしに来たわ。すべての財産と引き換えに私は、私の中にある異能力に気づいた。そのとき、今まで医者を雇っていたことが馬鹿らしく思えたわ。だって異能力を使えば常に健康で美しいこの体が手に入るのですもの」
エリザは、笑いながらニーナの肩を掴みソファーの上に押し倒す。口を開け、ニーナの首筋にかぶりつき、ニーナの血液を吸い始めた。
「はぅ…あっ!」とニーナは目をつぶり喘ぐが、痛みから暴れることは一切なく愛おしそうにエリザの頭を優しく抱きかかえるようにし懇願する。
「あっはぁ…あっぁ… もっともっと吸ってエリザ様… エリザ様……」
とろけそうな、甘く切ない声を上げるニーナに、興奮した様子のエリザがニーナの首筋から一端口を離し、狂喜の声を上げる。
「これよ!これ!これが愛欲よ! あ~初めての異能力で吸い殺した女の子の事を思い出すわ。どんどん顔が、青ざめていくのに表情はまるで、交わって絶頂に向かう乙女だった。それを見て私もつられて、何度イッたことか!」
純白のソファーは、ニーナの血で赤く染まり、血はぽつぽつとソファーにから床に滴り落ちていた。どんどん青白い顔色になるニーナ。
しかしエリザを、愛おしそう見つめ微笑む表情は全く変わらない。
その表情に満足したエリザは、ニーナに言った。
「すぐ嫉妬して、めんどうくさい子って思っていたから、たっぷり体を開発して、性奴隷としてオークションで高く売り飛ばそうと思っていたけど、気が変わったわ。足のつま先から脳天まで、全部の血を吸い取って上げる。これで、私とあなたはずっと一緒よ」
「…エリザ様、大好き…」
ニーナのうわごとの、様な言葉を聞いたエリザは、二マニマと笑いながら、床に落ちたナイフを拾い、カナリアにナイフ向けると憎たらしく罵倒を浴びせる。
「ふふ、つくづく馬鹿な子ね。私の異能力にかかっていれば、この屋敷でお友達と一緒に生活して私の異能力の糧になったのにね。そうなっていたら今頃、お友達は血を全部吸われて死ぬことはなかったのにねぇ。 そこに這いつくばってお友達が、絶頂と共に死ぬ姿を見ているといいわ。その後このナイフでゆっくり殺してあげる」
再びエリザは、ニーナの首筋を吸い始める。
優雅なピアノの伴奏が流れる。エリザとカナリアのことなどお構いなしに、狂ったように踊り続けるドレスの少女達。
呼吸が浅く、小さく喘ぎ続けるニーナ。
カナリアの心の中には、絶望しかなった。だからこそ、湧いたがあった勇気があった。それは希望や勇敢さとは、真逆の勇気だった。カナリアは心の中で叫んだ。
『死のう。あの女にもてあそばれて、殺されるくらいなら、いっそのこと舌を切って死んでやる!』
意を決し必死で舌を唇にのせ前歯を強く、グググと押して噛みちぎろうとする。しかし幾らやっても、蹴られて欠けた歯では無駄だった。いつしか口の中は、血で一杯になっていた。血の強烈な鉄の味に、気持が悪くなり思いっきり床に血を吐き出すカナリア。
カナリアの吐き出した血の上を、エリザの靴が踏み、はね飛び散った血がカナリアの顔につく。
上に目線を移すカナリア。
ニヤニヤと笑うエリザが、今にもカナリアを刺し殺そうと、ナイフを振り上げている。
死を覚悟したカナリア、瞳にはずっと探していた親友が、真っ赤に染まったソファーの上でぐったりと息絶える悲惨な光景が映っていた。
「さぁ、次はあなたで楽しませてもらうわ!良い声で鳴きなさい!」
狂喜の声と共に、カナリアに襲い掛かろうとするエリザしかし。
ドーン‼ドーン‼ドーン‼‼
と落雷の様なけたたましい音が、狂喜の満ちる大広間に響き、全員に大きな振動と衝撃を与える。中庭から煙がゴウゴウと立ち込める。
エリザは何があったのか確認するべく、大きな窓から中庭を見下ろす。そこには、金髪の少女が手榴弾の様なものを、投げて屋敷の中を滅茶苦茶にしていた。
「すぐにあの金髪の女を捕まえにいきなさい!」
少女達に命令するエリザ。
「はい!エリザ様‼‼」と少女達は、拍子抜けするような明るい声で一斉に返事をすると、瞬く間に大広間から消えた。
カナリアとエリザそして冷たい死体となったニーナ。
3人しかいなくなった大広間で、エリザのいらだつ声はよく響いた。
「中庭で、私の屋敷を滅茶苦茶にしているのは、あなたの仲間かしら?そうであってもそうじゃなくても、この借りは高くつくわよ!手足を切り取って、目と耳を潰して歯を全部抜きとる、そして一生見世物として、牢屋で生き地獄を味合わせてやる!」
エリザの発言はカナリアの脳裏に、リーリヤの姿を見せた。
エリザは再びカナリアにナイフを振りかざし言い放った。
「予定変更よ。さっさと殺してあげるわ‼」
カナリアは、リーリヤに対し心の底から涙を流して謝罪する。助けに来てもらったのに、無残にやられる自分の弱さを恨んで。
ドン!
一発の銃声が、大広間に響いた。
その瞬間エリザの、持っていたナイフは床に落ち、エリザの手の甲からは、出血がドクドクと流れ出た。
「いたあっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼」
エリザの悲痛な叫びが大広間に響いた。
一瞬カナリアは、リーリヤが助けに来てくれたと思った。しかし、こんなにも早く中庭から二階のこの部屋にたどりつけるのか?と疑問が湧いた。
銃を撃った人物の足音が、どんどんカナリアに近づいて来る。すると、複数人の少女たちが、その人物を追って来たのか続々と大広間に入って来る。
「よくもエリザ様を!絶対に許さない!」
敵意をむき出しにする、少女達。一斉にナイフや警棒の様なもので銃を撃った人物に襲いかかる。
「じゃましないで、ようがあるのは、あの二人だけなんだ」
声を聞いて、驚くカナリア。声のトーンこそ低いが、高い声質は10代前半の子供の声だった。そしてその声に聞き覚えがあった事に。
銃を撃った人物は、少女達の攻撃をいとも容易くかわす。エリザを撃った拳銃とは別の拳銃を服の内から取り出し、正確に少女達に一発ずつ射撃、全て命中させる。
少女達は麻酔弾を撃ち込まれ、全員がその場で倒れた。
銃を撃った人物は、再びエリザの元に駆け寄る。エリザは臆したのか、出血した手を片方の手で抑えながら、カナリアのそばから後ろにたじろぐ。
カナリアの前には、二丁の拳銃を持ち、特殊部隊の戦闘服を思わせる黒い服装をした、長めの髪型の幼い顔の少年が立っていた。
カナリアは、困惑し、理解できなかった。なぜなら、その少年は教会で銃撃の犠牲になったとばかりに思っていたからだ。
「いったい何者なの⁈」
声を荒げながら銃を撃った人物に向かって問いかけるエリザ。
少年は、強い意志のこもった口調で問いに答えた。
「名前は忘れた。僕は、ただの汚いガキの一人で…」
少年が言いかけた時、大広間の空気が慌ただしく混乱したものから、鳥肌の立つ強烈な寒気のある空気に支配された。その空気の中心は、まぎれもなく少年だった。
強い敵意に満ちた眼光、強い決意の宣言にも思える返答が、異能力を手に入れたエリザを初めて追い詰めるものとなった。
「お前にとっての、死神だ!」
肉体の死を超越し永遠の美貌と官能的な身体を、手に入れたエリザにとってその言葉は、忘却の彼方にお追いやった、自身の死という概念を思い返させた。
エリザに追い打ちをかけるよう、少年は強く言葉を発した。
「ウアルス‼」
少年は、二丁の拳銃を床に落とす。少年の、足元から黒い霧が現れ体を包み込む。黒い霧は瞬く間に形を変える。
少年の右腕にはガントレットの様なものが指先から肩まで覆い、全身にローブをまとう。両手には大鎌を手にしていた。その全てが、光を反射させることなく吸収し、飲み込むような黒に染まっていた。
エリザは驚愕した。目の前の、背丈が低くよわよわしい少年の変身に。
死を恐れる誰もが、最も恐怖する存在である、死神になった瞬間を。
エリザは、反射的にドレスの内に隠していた護身用の拳銃を太ももの辺りから取り出し、少年に向け数発発砲した。
少年は勢いよく走り出し全ての弾をかわし、即座にエリザの背後を取り、大鎌を振り下ろす。
「ぎゃああああああ!」
エリザの、惨い叫び声が響く。叫び声とともに、エリザの背中に激痛と共に大きな痣が出来きた。
続けて数回、大鎌で切られているエリザ。しかし血や傷は一切なく、体には激痛と大きな痣が与えられていった。
エリザは何とか大鎌を、取り上げようと振り落とされるタイミングを見計らい、受け止めようとする。しかし大鎌を、エリザの手が捕らえようとすると手をすり抜け、攻撃を受けてしまう。
エリザは異能力で、カナリアと同様に少年の動きを止めようとし、少年の瞳に目を合わせ続けた。しかし一方的な大鎌による攻撃に、耐えかねたエリザは倒れ込む。
そして恐れながら言った。
「何で、何で、何で!どうして、私の異能力が利かないの!こんなにも目を合わせているのに!」
少年は、まじまじとエリザの顔を見ながら話した。
「僕には、お前の目の形も、お前がどんな容姿なのかもわからない。わかるのはただ一つ、黒くて禍々しい煙を全身にまとったお前の姿だけだ。さあこれで終わりだ!」
少年は、エリザの腹に向かって鎌を振る。
パニックになりエリザは銃を乱射する。その一発が、偶然にも少年の左腕に当たり、少年は鎌を落とす。
そのチャンスをエリザは見逃さなかった。
すかさず、エリザは、椅子に縛られるカナリアを盾に、大広間から逃げようとする。
エリザはカナリアの髪を掴み、怒鳴るように言った。
「よく聞きなさい、私が逃げきるまで口も体も絶対に動かさないこと!いいわね!」
カナリアはエリザの異能力により一時的動きを封じられ、なすすべなく頭に銃口をグリグリと押し当てられた。
「この女の命が惜しければ、そこに大人しくしていなさい‼」
ぐったりと頭を下に向けるカナリア。悔しさから涙が流れ、口元からは血がポタポタ流れでている。
エリザは鬼の形相で、必死にカナリアを椅子ごと後ろに引っ張る。
人質を取られ少年は、逃げおおせようとするエリザの姿を、手を加えて見る事しかできなかった。
更に、大広間に少女達が入って来る。そこには、頭からは血を流し傷だらけのリーリヤが、数人の少女達に抑えつけられていた。
完全に形成逆転の状況にエリザは、醜く笑いはじめ、少女達に命令した。
「お前たち、そのガキをさっさと撃ち殺しなさい‼‼‼」
「はい!エリザ様!」
少女達は微笑みながら、一斉に銃を向ける。
少年の脳裏に教会で起きた悲惨な情景が広がたとき、叫び声が聞こえた。
「自分を信じて走って‼‼」
リーリヤの声だった。少年は、その言葉を信じ走り出す。一直線にカナリアを盾にするエリザに向かって。
エリザはひるみ、銃口をカナリアから少年に向け発砲する。銃弾は少年の頬や足にかすった。
しかし少年は、全く動じず走り続ける。
「オオオォォォ‼‼‼‼」
カナリアの眼前に、傷だらけの少年が、雄叫びを上げながら飛び込む。
少年は、怒涛の如く黒いガントレットに覆われた右腕をカナリアの胸に突き刺した。
「うっ‼?」
思わず声上げ、目を丸くするカナリア。自分の胸を少年の右腕が確かに貫いている。
しかし痛みも貫かれたときの感触すら感じなかった。
「うっうぁううぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼‼‼」
カナリアの背後から、エリザのもだえ苦しむ声が。
少年の右腕は、カナリアを貫通し後ろにいたエリザの体内まで届いていた。
一挙に右腕を引き抜く少年。そのまま、カナリアのすぐ脇を受け身で横切るとエリザの後ろに立つ。
右手の中には、黒い煙を出す直径10㎝程の大きな黒真珠の様な黒い塊が握られていた。
エリザは後ろを向き、激昂し叫んだ。
「返しなさい!返しなさい‼‼それは私のものよ‼‼‼‼」
苦しみ悶えながらも、手を伸ばし少年の方に近づこうとするエリザ。
少年は、エリザから抜き取ったのであろう黒い塊を掲げ言った。
「多くの人の命を、身勝手に奪い生き長らえようとした報いを受けろ!」
エリザは絶叫した。
「やめなさい‼‼‼‼‼」
「死しているものが、生き続けてはいけない! 全ての生に、平等に死を!」
少年は、歯をくいしばり右手に力をこめる。
そして、一息に黒い塊を握り砕いた。
キラキラと黒い破片が飛び散る。
エリザは、黒い破片を掴もうとするが、黒い破片は少年の体に吸い込まれ全て消えた。
黒い破片を吸収した瞬間、少年の体の傷が跡形もなく治っていく。
一遍して、エリザは胸を掴み床にふせる。みるみるうちに、美貌と官能的な肉体は変化し皮膚はしわがれ、体はガリガリに痩せ、ひどい咳を吐きはじめる。
ついに体が異能力使用前の、年老いて大病を患っていたものに戻ってしまう。
「異能力無くなる!嫌だ!嫌だ!死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!」
カナリアを縛る椅子を、掴み何とか立ち上がろうとするエリザ。しかし足に力が入らなく上手く立てない。焦るエリザは、カナリアの縛り付けられた腕に喰らいついた。
エリザにとってそれが、最期の悪あがきとなった。
鋭く伸びた犬歯をカナリアの腕に立てるが、傷をつける力はすでに無かった。
エリザの歯が、カナリアの腕から呆気なく離れ、老いた老婆の顔が床に叩きつけられた。
エリザは死ぬべくして、ようやく死んだ。
バタバタと、エリザの異能力で操られていた少女達が倒れる。
「カナリア!」
リーリヤが、カナリアと少年に駆け寄り、カナリアを縛り付ける椅子から解放した。
カナリアを、泣きながら抱きしめるリーリヤ。
「リーリヤ…さん、ごめんない、ごめんなさい、ごめんなさい… 私が弱かったからこんな事に」
カナリアは涙が浮かべ、たどたどしく自分の無力さをリーリヤに謝罪した。
「私の方こそ、力になれなくてごめんなさい。もっと早く来られたら、ニーナさんもこんな事にはならなかったのに」
カナリアは泣き叫びながら親友の名を呼び続けた。
「ニーナ ニーナ ニーナ ニーナぁぁぁ!」
リーリヤを強く抱きしめながら、目を強く瞑り声を上げ泣き続けるカナリア。
そこに、心配そうな顔をした人物が話しかける。
「どうしたの、カナリア? 私の名前を何ども叫んで?」
カナリアは、その声に驚く。それはまぎれもなく、エリザに全ての血を抜かれ殺された。
ニーナのものだった。
目を開けると、全身に血がべったりと付いたニーナが心配そうにこちらを見ている。
ニーナの体にあったのであろう傷は跡形も無く、血の通った肌は健康そのものだった。
カナリアは、その時やっと探し続けた親友に、再会することができた。
エピローグ
黒い塊の破片を吸収した際、少年は気づく。
自身の中に、膨大な生のエネルギーが流れ込んでくること、そしてその使い道も。
血まみれの亡骸となったニーナの前で手をかざし、少年は口ずさんだ。
「全ての生に天寿全うの生涯を 全ての生に公平に死は与えられない」
少年の手から、光輝く炎のような形をした膨大な生のエネルギーが出現し、ニーナの中に入っていた。
みるみるうちに、ニーナの体の傷はなくなり、動きを止めていた心臓も活発に、鼓動を打ち始める。
間もなく少女は目を開ける。自身が死んだこと、長い悪夢の様な出来事があったことを知らずに。
何事もなかったかのように親友と再会するのだった。
再会する二人を見て胸をなで下ろす少年。
「約束、守ってくれて本当にありがとう」
リーリヤが少年の横に立って礼を言う。
少年は、手のひらを見つめながら不思議そうに言った。
「リーリヤこれが、僕の力なんだね」
「そうよ、君の力は人を救うことが出来る力なのよ」
少年は、手を握り閉めると心の中で喜んだ。
忌み嫌われた異能力で、人を救う事が出来たことに。
春の暖かな陽気が、高層ビルが立ち並ぶ街を満たしている。
しかし、人々の心中には寒々とした動揺が広まっていた。
理由は、エリザの人身売買やそれに関わる悪事が、報道され周知の事実として人々に知れ渡ったからだ。
平和で平凡な日常の、すぐ隣すぐ後ろで、隠され平然と行われていたことに人々は恐れた。
一部の報道では、エリザの生前の暮らし方、所有していた豪華な装飾品の数々から、‘裏社会の女帝‘というあだ名を付けられた。
エリザの死と同時に異能力の効果が無くなり、少女達は正気を取り戻し、本当の家族のもとに帰ることが出来た。
少女達の家族はみな娘の帰りを喜んだ。特に、死亡扱いにされた娘の家族は奇跡が起こったかのように思えていた。
警察は、事故死した少女の検知をした人物が、エリザとつながっていたこと検知結果が誤りだったことを認めた。
少女達に、事件についてエリザについて事情聴取した警察官たち。
警察官たちの予想以上に事情聴取は難航した。それは、少女達が、全く覚えていなかったためだ。
自分の指紋が、べったりと付いた凶器を目の前にしても、扱い方は元より初めて見たと言い出す始末だった。
しかし少女達の記憶で共通点はあった。それは、モデルの様なスタイルをした、とても綺麗な女性にあったという証言だった。
女性に出会いその後の記憶が欠落していることから、警察は女性が洗脳し、少女達をエリザに売っていたのではないかという仮説を立て女性を指名手配する。指名手配書の似顔絵は、異能力で美貌を手に入れたエリザそっくりだった。
前代未聞の高度な洗脳術による犯罪は、多くの謎と共に記録され保管された。
皮肉にも死してエリザは、記録の中で永遠に生き続ける事となった。
山火事跡により焼け焦げて原型をとどめていない廃墟の教会。
早朝の日差しが、3人の異能力者を照らした。
「ここで、10名の子供の焼死体が見つかったそうよ」
リーリヤはそう言って、手にした花を教会の玄関前だった所に置いた。
カナリアは、膝を地面につけ手を合わせて深く頭を下げ、肩を震わせながら静かに涙を流した。
3人は、ここで殺された名も死なぬ子供たちの冥福を祈った。
程なくして、辺りが明るくなったころ。
3人は、山火事によって緑を無くした、黒い巨木の前に立っていた。
巨木に手を当てる少年。上を見上げるとそこには黒くトゲトゲとした木の枝が無数に伸びていた。思い返すように少年は言った。
「花が一杯咲いていたんだ。赤くて小さい綺麗な花が……」
少年の後にリーリヤが立つ。おもむろにリーリヤの手が、少年の肩に乗る。
少し驚いた少年が後ろに顔をやる。リーリヤが語り掛ける。
「多分、それは、花じゃ無くて果実だと思うわ。これの木は‘ユー‘といって、春には淡く黄色い花を咲かせて、今の秋の時期になると赤くて小さい果実がなるの」
「果実だったんだ…食べられるの?」
「ええ、でも種と葉っぱ、木全体に毒があるから、少し危ないの」
「毒がある木を何で教会に植えたのかなあ?」
少年が、素朴な疑問を投げかける。
「色々な伝承はあるのよ。例えば、老いた木の枝が土の中に落ちた時、新しい木になって育つ姿を見て人は、死と再生の象徴としたの。
何だか少しだけ、君の異能力に似ている気がする。死を与えた相手から、生のエネルギーを吸収してできて、それを使って人を生き返らせることが出来ることがね」
リーリヤの話を聞いた少年は、巨木に対して親近感の様な感情を抱く。
「あのーおふたりさん、そろそろ行かないと遊園地の待ち合わせ遅刻しそうなんだけど」
二人の話に入れず蚊帳の外だった、カナリアが腕時計を指さしながら言う。
「もうそんな時間、ごめんなさい!つい話が長くなっちゃって」
リーリヤが平謝りする中、カナリアが少年に問いかけた。
「そういえば、もう一つの約束覚えている?君の名前思い出したら教えてって」
「あっ、私も聞いていなかったかも! ごめんね!」
盲点を突かれたようにリーリヤがビックリして少年に謝罪する。
「リーリヤさんって、どっか抜けていますよね」
カナリアが、残念そうな顔をリーリヤに向ける。
「すみません」
リーリヤが謝罪する中、少年は巨木を見つめ、ボソッと言葉を発した。
それが、少年の名前になった。
「ユー、朝食が出来たわよ」
少年は目を開け、ふかふかのベッドから出る。寝癖のついたぼさぼさな髪のまま、一目散に暖かな日の光が満ちる食卓に向かう。足取りは軽く、顔からは自然な笑みを浮かべ。
それは、どこにでもいる普通の子供だ。
ただ、普通の子供と違いがあるとしたら一つだけ、誰もが平等に持っている力を、少年は気づいていた。
ただそれだけのこと……。
(完)
つたない文書ですが、楽しんでもらえたのなら幸いです。