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R134

 国道134号線、通称R134。

 三浦半島の東部は横須賀市から、三崎を経由して大磯まで繋がる一般道で、ルート上のほとんどを相模湾に沿っているのが特徴だ。神奈川県南東部の主要交通路の一つでもあるが、途中に葉山や鎌倉、江ノ島などの観光地を経由するため、休日には大渋滞が発生することも多い。

 今はまだ午前七時前といったところ、ちらほらと休日出勤らしき車両もいくつか見えるが、信号で止まっても私たちの前に数台、後ろにも数台程度が止まる程度なので、まだ比較的快適に走れる状態といえよう。

 今、私たちは三崎を出発し、県道26号線を通って三浦半島を北上、国道134号線との合流交差点手前に差し掛かったところだ。


「ここから134号に合流します。直進も右折も134号ですが、鎌倉方面は直進方向です。左側のレーンですね」


 ヘルメットの口元から延びる通話用マイクに向かって声を出す。私の声はマイクから無線通信を通じて私のスマホへ、スマホから携帯電話の電波を通じて彼女のスマホへ、スマホから無線通信を通じて彼女のヘルメットスピーカーへと流れる。走行中でも10メートルも離れていない距離なのに、会話をするために必要なシステムは無駄に経由機器が多い。


「ん、ありがと。R134って三崎の先まで伸びているのだと思っていたけど、違ったのね」

「今までの道は県道26号線ですね。134号はこの交差点で曲がっていて、横須賀方面に伸びています」


 彼女の声が耳元から聞こえてくる。私のヘルメットは両耳にスピーカーがついていて、すぐ近くでしゃべっているように感じられる。正直、若い女性の声が聞こえてくるというのは、なんだか妙にくすぐったい。


「で、左レーンに入ると、そのまま鎌倉方面に出るわけね。あ、赤信号、止まるわ」

「はい」


 先行する彼女の単車が交差点の左レーンに入ったところで、信号が変わるのが見えた。赤いテールランプを灯らせて、減速しているのがわかる。私もアクセルを緩め、両手で軽くブレーキレバーを握り、彼女の車体のやや後ろに停止できるようにゆっくりと減速していく。

 彼女の単車が停止線ピッタリに停止する。


「足、ちゃんと力を入れるのよ」

「……同じ失敗はもうしませんって」


 そういいながら、彼女の単車のすぐ後ろに私の愛車を停止させる。少しでも楽な姿勢になるように、あらかじめシートの前よりに腰かけておいて、停止と同時に左足を下す。ズシ、と車体の重さが左足にかかるのがわかるが、予想していたので、なんとか踏ん張れる。


「ほら、大丈夫」

「……いや、それ、いくらなんでも……」


 彼女は自分が停車したあと、すぐに私に振り返り、私が停車する様子をずっと見ていた。フルフェイスのシールドを上げると、あきれたような目線で私をじっと見つめてくる。


「どう見ても無理してるようにしか見えないじゃない。車体、左側にどんだけ傾いてるかわかってる?」

「これでもなんとか維持できているので、目的地までは耐えられますよ。もうすぐ青信号です。行きましょう」

「……」


 彼女はまだ何か言いたげだったが、あきらめてシールドを下すと視点を前方に戻し、青信号と同時にゆっくりと発進していった。たぶん、私たちの後ろに数台の車両がいたので、交差点を詰まらせることを避けようとしたのだろう。


「確かに、足に負担はかかっているのは自覚しています。でも、乗るのは今日で終わりですし。お昼までは持ちますよ」


 私もアクセルを回して、ゆっくりと加速しながら言葉を紡ぐ。国道134号線に入ると、制限速度は時速40kmから50kmに上がる。彼女は先ほどから律儀に制限速度を守っていて、134号線に入っても45~50km程度で走行している。前方を走る彼女の姿を観察すると、時折ちらちらとサイドミラーでこちらの様子を伺っているのがわかる。心配のしすぎではないだろうか。


(後ろの車も辛抱強いなぁ)


 国道に入ったことで道幅は広くなり、二輪車が二台とはいえ、横ではなく縦に一列に走行しているため、追い抜こうと思えば十分追い抜けるはずだ。それでも追い抜いていかないので、後ろで運転しているドライバーになんだか申し訳なく思ってくる。

 そんなことを考えながら走っていたら、また耳元から彼女の声が聞こえてきた。


「次、止まる時に、私のすぐ右側まで来て停車して。すぐ近くまでよ」

「え? でも、それだと危なくないですか?」

「今の貴女を見ている方がよっぽど心臓に悪いわ。いいから、私のすぐ右に停めるのよ?」

「……はぁ、わかりました」


 彼女の意図がわからず、首をかしげながら返事をする。すぐに次の信号が赤になるのが視界に入った。彼女は私が右に停められるように、車線の左よりに停車したのが見えた。私は言われた通り、減速しながら彼女のすぐ右に愛車を停車させる。

 地面との相対速度が0となり、足を下ろそうとしたところで、左ハンドルのグリップを、私の左手ごと、彼女の右手がしっかりと掴んできた。


「支えてあげる。これなら、足に負担はそんなにかからないでしょう?」


 すぐ横に彼女がいるため、肉声が直接私の耳に聞こえてくる。彼女は自分の単車を右足で支えながら右腕を伸ばし、私の愛車の左ハンドルのグリップを掴んで支えていた。この状態なら、車体の傾き具合は軽減されるため、確かに足に重量がほとんど圧し掛からない。


「いやいや、こんなの危ないですよ。貴女のほうがバランス崩しますって」

「私、スタイルいいから大丈夫よ」


 どんな理由だろうか。さっぱり意味が分からない。


「発進の時には手を放すから、そこだけ気を付けて。……そんな顔しないでよ。信号に止まる度に辛そうな顔がミラー越しに見えるのは避けたいんだから」

「貴女に対して申し訳ないとも思いますし、その、傍から見たらひどい絵面のような気がします。こんな風に介護されながらじゃないと走れないのかって思われるのは、全くもって心外です」

「実際、走れていないのよ。そろそろ自覚してほしいんだけど。……ほら、信号が変わるわ。手、放すわよ」


 彼女はそう言うと、私の手ごと握っていたハンドルグリップから右手を離した。その瞬間、少しずつ車体が左に傾いていく。あわてて左足に力を込めてなんとか支えつつ、右手でアクセルを回して愛車を発進させる。車体が前に進みさえすれば、車軸が安定するので足に負担はかからない。

 加速し、制限速度よりやや下ぐらいで巡行し始めた辺りで、再び私のヘルメットスピーカーから彼女の声が聞こえてくる。


「拒否権はなしね。今試してみても、私には特に負担がほとんどないってわかったから、停止中は安心して私に頼りなさい」

「いや、でも」

「それ以上ゴネるなら、子供がバイク乗ってるって警察に突き出すわよ?」

「……う。それは、困ります」


 結局、私は赤信号の度に隣に停車し、支えてもらうことになった。停車中、辺りの視線が痛い。途中の交差点に交番はなかったと記憶しているが、巡回中の警官に見つからないことを祈ろう。


「わあ、海よ!」


 スピーカーから、前を走る彼女の声が響く。正面、視線の先には、道路の左側がすぐ海岸線となっていた。いつの間にか、もう30分は走っていたようで、葉山町に差し掛かっていた。


「三崎にも海があったじゃないですか」

「だって夜中で暗くてほとんど見えなかったじゃない。それに、港から見る海と、こうやって道路沿いの海岸線を見るのって、違うと思わない?」

「……海が身近な地域で育ったので、あまりそのあたりの感覚がわからないんですよ」


 実際、自宅は海から数キロの位置にあるため、海は私のこれまでの人生の中で、常に身近な存在だった。海水浴に釣りに海岸清掃のボランティア。子供のころは夏のイベントはほとんど近くの海がセットでついてきた。むしろ、海沿いを走ることが多いので、愛車の塩害のほうが気になる。


「私は内陸出身だから、やっぱり海をみるとテンションが上がるわ。それに、朝日に照らされてキラキラ光っているの、とても綺麗だと思う」


 ちらり、と視線を左に向ける。相模湾の広く青一色の世界に、斜めに入ってくる朝日の光が波間に反射して、私の網膜に飛び込んでくる。


「そうですね。そういうのは、やっぱり綺麗だと思います。あんまり運転中はよそ見しないのでそんな風に思うことは少ないんですが。……ああ、岩に当たる光と影のコントラストもいいですね。写真にすると絵になりそうです」

「そうでしょう? ……フフ」


 楽しそうな彼女の声をスピーカー越しに聞きながら、葉山を通り抜けていく。時々赤信号で停止して、彼女に車体を支えてもらいながら。


「もうすぐ逗子海岸です。海岸線沿いを走るんですが、鎌倉まで信号がないんですよ。走りやすいし、景色もいいので、私は好きなルートですね」

「走り屋さんが好きそうなルートでもありそうね。……まだ交通量も多くないし、おなじ速度で、じっくり楽しみながら走りましょう」


 葉山を抜けると、視界には浜辺が映りこむ。黄色い、すっきりとした砂浜が見えることを期待したが、残念ながら、砂浜の上には建築資材の丸太や鉄骨、それに砂浜の中に停車しているトラック等が見える。


「……ちょっとゴチャゴチャしてて、あまり綺麗とは言えないわね、逗子海岸って」

「ああ、ちょうど今の時期は海の家の建設シーズンでしたね。秋から冬にかけての寒い時期なら、人気も少なくて綺麗な海岸線が拝めるんですが」

「そうね、海水浴場としてなら、確かに人気が出そうね、ココ。夏になったら、一度来てみようかしら」

「交通アクセスが良い分、混雑もひどいですよ。浜だけじゃなくて、道路も渋滞しますので、いい迷惑です」


 夏の逗子~江ノ島にかけて、愛車で134号線を走った時の大渋滞を思い出す。片側一車線の道路に、とてつもない数の車両が押し寄せていて、昼間の時間帯はほとんど動かない。その横を愛車ですり抜けて走るのだが、海水浴客が路側帯を歩いていたり、自転車が詰まっていたりして、二輪の機動力すら失われる。正直、夏の休日、昼に134号線を走るのは阿呆のすることだと思う。距離は倍近く伸びても山側の道を走ったほうが早く目的地に到着できるのだ。


「この分だと、鎌倉の海岸も同じでしょうね。綺麗な浜辺を期待していたのでしたら申し訳ないです」

「いいわ、こうやって二人で道路をおしゃべりしながら走るだけでも十分楽しいもの。それに……」


 彼女の声がいったん途切れる。目の前にはトンネルの入り口。逗子と鎌倉をつなぐ、伊勢山トンネルだ。このトンネルを抜けたら、鎌倉はもう目と鼻の先になる。トンネルに入ると空気の流れが変わるので、彼女はそこでいったん運転に集中するつもりなのだろう。

 ……そう思っていたら、彼女から信じられない発言が飛び出してきた。


「貴女がかわいい水着を着て、夏の浜辺で遊んでいる姿を想像できたから」


 私は、トンネルを抜けるまで、彼女が何を言ったのか理解することができなかった。



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